10-7 君の名うわぁ
右肩が捻じ曲がり折れ曲がり、泡を吹き出しながら溶けていく。そんな、どうやっても耐えれそうのない痛みに襲われた。
意識は朦朧としていく。気付けば、激しく爆笑している寄生魔王の命令通りに行動してしまっている。せっかく発動した『魔王殺し』は既に解除された。
俺が不調に陥っていくのに対して、不調に陥っていた寄生魔王は、元気に顔を歪めていく。
「スズナ、お前……いつもいつも、クッ。あだがっ、タイミング悪く命令し、て」
「あははっ、懲りない奴隷が悪いのよ!」
右肩を押さえつけようとして、左手で触れた瞬間に剣山を突き刺したかのような激痛に襲われた。
こうなれば即時撤退であるが、足は既に言う事を聞いてくれない。寄生魔王の足元へと近づいていき、膝を曲げて服従のポーズを取ってしまう。
「それにしても、なるほど。魔王連合に楯突いていたアサシンというのは奴隷の事だったの。顔も声も全然好みではないけれども、猿帝魔王を屠った肉体となれば、戦闘素体としては使えなくもない」
どうにも、目前の魔王はスズナの頃から相性が悪い。
中身が入れ替わっているというのに、スズナの頃に効果があった右肩の焼き鏝の印は今も有効だった。俺の自由意志を奪って、服従させる事など造作もない。
……とはいえ、この事態をまったく予想していなかった訳ではないのだ。
山登りを始める前に、地下牢で攻めてきている敵の正体は判明していた。明日の天気は台風とニュースで報じられるよりも分かり易く、事前に危険を予想できたのである。
そのため、やや遠くに伏兵を潜ませていたのであるが、どうしてか動かない。
俺が服従させられたとしても、『魔王殺し』がまだ効いている間に矢でスナイピングを行ってくれるはずだったのに、アイサは何もしなかった。
苦しみながら周囲を見渡せば、弓を背負ったアイサが月桂花に詰め寄っている。俺を助けず、何を二人で言い合っているのやら。
「――待っ……、殺したら……スキルが……体が……奪われ――」
「――それが……何か――」
この俺を、やはり誰も助けてくれないというのか。
散々、慕う仕草を見せつけながら、アイサも月桂花も苦痛から助けてくれないというのか。
落胆が切っ掛けで、仮面の内側が疼く。
右肩の痛みと同じぐらいに無視できない痒みが、仮面の内側に生じる。気色悪い虫が仮面の内壁をよじ登っている。早く取り外したくて仕方がない。
「あはっ、抵抗している息遣いが荒くて、欲情しているみたい。気持ち悪いから口を閉じなさい」
「――と、と、とり、鳥でも、なな、ない者が」
「命令しているのに、魚みたいに必死に口を動かして。見苦しい事」
脳裏に映り込むのは、凡夫な戦い方を止めて便利な力に頼れ、と黒い手の大軍が手招きしているイメージ。
俺は黒い海底に堆積するすべてを使役可能な王でありながら、黒い海底の奴等に急かされてしまっている。
王であるのならば、王らしく世界を蹂躙しろと役割を強制されてしまっている。当然の忠言だろう。
「――鳥でもない者が、深淵の上に」
そうだ。何を躊躇う必要があるだろうか。誰も助けてくれないのなら、仕方がないだろう。
俺は嬉々とした表情で、仮面へと手を伸ばしていく。
『――『花嫁絶対則』発動。貴方、他人の女に傅くなんて不貞よ。早く立ち上がって』
==========
“『花嫁絶対則』、花嫁の言う事は絶対なスキル。
新郎は新婦の命令に逆らえなくなる。貴公の首は柱に吊るされるのがお似合いだ、と命じればもちろん首を吊るので夫婦喧嘩もほどほどに”
“実績達成条件。
結婚時の契約によるもの。新郎の不貞を目撃する事で発動可能となる。ナキナの先々王の側室が実家より持参した秘伝が必要”
==========
ふと、右肩からではない作用により、反射的に俺は曲げていた膝を伸ばした。
頭の中から女の声で囁かれたのだ。若い声なのに、しっかりと芯が図太そうな声である。
「あら? 誰が立ち上がる事を許したの。地べたに額をしっかりと付けなさい」
『何をしているの貴方。早く立ち上がって、その女から離れて』
背反する二つの命令が体を動かす。マリオネットにでもなった気分だ。どちらもそんなに甘い声ではないのに強制力ばかりが激しい。
それにしても、片方の頭に直接命令してくる女は何者だ。
『魔王ごときに操られるなんて情けない。早くこっちにいらっしゃいな』
「言う事を聞かない? 抵抗されている。動くな、止れ」
『どうして止るの。そんな女の方が良いって事はないはずよ』
「奴隷が生意気にっ」
『新郎の癖に生意気な!』
右肩と頭で論争が起きる。両腕を逆方向に全力で引っ張られているようなもので、まったく嬉しくない。両手の花はきっと蔦をグニャグニャ動かして男を捕食する魔界の植物だ。
痺れを切らした寄生魔王が、俺へと手を伸ばしてくる。物理的か魔術的に拘束するつもりなのだろうか。
一方で、頭の中の声は命じてくるのみで何もしてこな――。
『スズナ、お前には頭目としてのけじめがある。『暗澹』発動!』
――気配なく木の枝から降り立った女が、俺と寄生魔王の間に着地した。同時に暗澹空間を形成する。透過性ゼロの闇が魔王の目をも遮る。
『だが、今は任務を優先する。苦々しいが、主の花婿を助けてやる』
もちろん、俺に対して『暗澹』スキルは通じない。
着地してきたのは灰色髪女だった。動けない俺を米俵のように担ぎ上げて、魔王の傍から離れていく。
連れて行かれた先には、フルフェイスの騎士が突っ立っている。両脇にも騎士が布陣しており、まるで最も地位が高そうであるが……こいつは館で俺を案内した奴ではなかろうか。
『遠くで見ていたわ。もう少しで勝てそうだったのに、詰めが甘い。いいわ、夫の不手際は拭ってあげる。ナキナ騎士団、一歩前へ』
騎士は兜越しに命令を出した。長剣とカイトシールドを装備した数列、数十名が一歩前に足を出す。
その声は若い癖に芯が図太い女のもの。気のせいではなく、先程まで頭の中で響いていた声だろう。
『敵は寄生魔王。魔法防御重視で。かかれっ!』
騎士団は命令に対して実に忠実で、魔王が相手だというのに怯む事なく突撃を開始した。
取り残されたのは、俺と女騎士のみだ。灰色髪女もどこかに消えている。
「……訊きたくはないが仕方がない。君の名――?」
『初対面の相手みたいに新婦に名前を訊くなんて悲しいものね。あ、初対面だっけ』
女騎士はとうとう、無骨な兜を脱ぎ取る。
中から現れたのは、色素の薄い肌と髪を持った女性。どこの誰と似ているという訳ではないけれど、耳の形はアイサに近いだろう。
『私の名前はカルテ・カールネ・ナキナよ。貴方』
「――うわぁ」