10-5 笑う女
“……若様……若様”
夢の中で、何者かが呼んでいる。
女の声だ。やや年上。少年がもっと子供の頃から知っている者の声。
“……若様……若様……若様。危険、です”
いわゆる幼馴染になるのだろうか。正直なところ、忍者衆頭目に会いに行くついでに会っていたような子だったので、友人以上の関係性はなかった。
少なくとも、この夢を見ているアニッシュはそう思っていたというのに。
地下迷宮での突然の告白は、結局、有耶無耶のまま終わってしまった訳である。何かを返事する暇さえなかった。ただし、何も思っていなかった女に対して答えなど用意していない。状況に救われたのだろう。
……などというのは、女に失礼極まりないだろうが。
“……若様。いけません。若様、若さ……ま、愛しい愛しい、若様。逢いにいきますから、あはっ”
そんなだから、醜い笑顔の女に追われる夢を見てしまうのだ。
「叔母上が爆死した!?」
山の上にある城の自室にて休んでいたアニッシュは、突拍子のない起され方により目覚めた。昨日の疲れがまだ抜けておらず、瞼はバーベルのように重い。が、何もかも吹き飛ばす報に、ベッドから飛び起きた。
身内の訃報は、今まで見ていた悪夢を一瞬で忘れる程の衝撃だろう。
昨日は寝巻きに着替える気力もなく眠っていたのは幸いした。跳び起きたまま自室の外に出る事ができる。
ただ、その後の行動については是非を問うのは難しい。
最も安全な城に篭ってクリーム王の警護に付くべきか。それとも、山を下りてカルテが爆死したという報告の真実確認および陣頭指揮を行うべきか。
「あっ、リセリ様」
「アニッシュ様も起きられまして?! これからどちらに」
「兄上の方が近いですが……叔母上の事も気になります」
「こういう時は現場に急行するのが最善でしょう。王の目となり耳となるが、王の親族の務めです」
途中で合流したリセリの助言を受け、アニッシュは山を下りる決断をした。苦手としている叔母であるが、あんな叔母であるが、親族ゆえに心配せずにはいられなかったという理由も強い。
ナキナの山城から城下街までは近く見えて実は遠い。道は一直線に伸びておらず、蛇の体のようにうねっている。段々畑ならぬ、段々に設置される防御陣地は後ろから通り抜けるだけでも大変だ。
城から下るだけでも苦労であるが、山の麓から陣地を一つずつ攻略していくとなれば、相当に時間を有する。簡単に突破できないための陣地である。
防御陣地を迂回するために切り立った崖を登れれば、時間を短縮できるだろう。が、そんな軽業は『速』に優れた忍者職でも困難である。
だから、城と麓の中間地点。
丁度、街を一望できる崖の傍をアニッシュ達が何気なく素通りした際――。
「あはっ、若様。みーつけたーっ」
――崖をよじ登ってきたと思しき女が笑いかけてきたため、アニッシュは心底驚いた。
「消え失せるが良いッ!!」
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“『諦めない心』、何度でも立ち上がれる者のスキル。
心折れる状況でも放心できない精神異常ステータスを付与する。
精神、肉体がいくら傷付き衰えたとしても、それこそ死ぬ寸前だったとしても、論理的思考を継続可能”
“実績達成条件。
勇者《勇敢なる者》職に就いてしまう”
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驚きながらもアニッシュは冷静に対処する。
崖から忍び寄ってきた女が魔王に体を奪われた従者と気付いていながら、だからこそ、隙を見せずに炸裂玉を思いっきり投げ付けた。
本当に投げ付けて良いのか。体は従者のものであるのに。こう思わなかったはずはないのに、攻撃の機会を見誤る事ができなかったのである。
袋から掴めるだけ掴んで投じた鶉の卵サイズの黒玉は七つ。表面が割れる程の衝撃を与える事で炸裂する爆弾は、携帯式としては異質の威力を持つ。一つが爆発性の三節魔法に匹敵しているため扱い方を誤れば大変危険であるが、詠唱不要の爆発物は異世界的に反則的だ。
七つの火球が崖から望む景色を焦がす。
女の正体が魔王だとしても、外面は人間族。奇襲寸前の逆奇襲であればダメージは通るはずだ。
逆に言えば、この瞬間で仕留められなければもう勝機はない。
爆発により崖が削られる。砕けた岩石が、手をかけていた女もろとも落下していく。
「素晴らしい。素晴らしいです、若様。ただ守ってあげたくなる可愛い若様が、躊躇いなく私に炸裂玉を投げ付けてくるなんて」
崩れた崖の向こう側から再度手が伸び出してくる。いやらしく口元を曲げながら現れたのは、スズナの顔をした魔王だ。
『毒頭』寄生魔王。
脳を毒して体を奪うスキルを持つ、人類の宿敵の名前だ。また、アニッシュ個人としては従者の体を奪った憎き敵の名前でもある。
「あの時は若様を見くびっていたわ。泣きながら命乞いをしていた可愛い男の子が、どうしてメイズナーを退けられると思う? これでも、人間族のスペックを測るのは得意だと思っていたのに、若様は不気味です」
「その顔で、その口で喋るな、寄生魔王!」
「まだまだ弱そうだけど、素体の予備は必要だわ。まだ若いから、長く飼ってあげられるから安心して。あはっ」
完全に崖を登りきった寄生魔王が、アニッシュを手招きする。
当然、アニッシュは拒絶する。
「リセリ様! 戦闘準備を!」
「悪鬼を退ける結界をっ! 巫女職スキル『神楽舞』!」
王族の癖して、地下迷宮に赴く程にアクティブな行動力が裏目となった。速度を優先し、二人は兵士を連れていない。兵士を連れていたならば、気持ちの問題ぐらいは解決できただろう。
魔王を相手にするには、二人は貧弱が過ぎる。
リセリはアニッシュの後方で舞を開始し、この場を聖域化する事で寄生魔王の接近に対処しようとした様子である。が、いかんせん力量の差が激しい。
寄生魔王は、右手を広げながら突き出す。『魔』が手の平に集中していく。
この攻撃態勢は、忍者職のものではない。魔法使い職が使う魔法攻撃の準備動作だ。
「――濁流泥」
歪んだ口からたった一つ呪文を呟くのみで、『魔』は膨大な量の泥へと置換されてしまった。
底なし沼の底に堆積していた色の泥の濁流が、物量にて『神楽舞』の結界を押し潰す。そのまま進行方向を変えずにアニッシュとリセリへと襲いかかる。
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“『呪文一節』、魔の法則を酷使するのに言葉を使うとは、と悠長であると嘆くスキル。
どんな呪文でも、一節のみで行使可能となる”
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「そんなッ、一節で!」
「押し流される! 下がるのだ」
「あはっ、この程度の魔法で壊れてくれないわよね!」