10-3 ナキナは終わった
「――偽造、誘導、霧散、朧月夜、夢虫の夢は妨げないだろう。ご無事ですか、凶鳥様」
背後から響いた女の呪文は、たったの五節。
「炎が消えていく。流石は月桂花だ。便利な魔法を使える」
「攻撃性能のない手慰み程度の魔法です。世界に干渉し、発生中の現象をキャンセルさせるだけの効果しかありませんわ。五節の魔法としては実に稚拙です」
たったそれだけで、曲者を中心に発生した爆発は霧が晴れるように消失してしまった。爆風直撃は必至だったというのに、そよ風さえ届かない。
月桂花は俺の斜め後方で謙遜しているが、爆発だろうと魔法だろうと無力化可能な対抗呪文はかなりの貴重品ではないだろうか。
「いや、重畳だ。助かっているぞ、月桂花」
「はい、愛していただき、ありがとうございます」
「……いや、そこまで言った覚えは――んっ、寄りかかってきて、アイサどうした?」
「別に、ちょっと眩暈がしなかっただけ」
俺達は全員無事だった。
一方で、部屋の内部は炭色に染まって黒っぽい。自爆した曲者は形容し難いミンチとなっており、執務室で死んでいたカルテの死体も損傷が激しい。
焦げた生物の臭いが香ばしくて……喉を鳴らす前にドアから廊下へと退散した。
「知らない女のまま死んだカルテ。迷惑な印象しかないが、静かに眠れ」
異世界の宗派は分からないので、黙祷だけ残しておく。
『……人を助けて、人の死を尊ぶ。聞いていたよりも、随分と普通なのですね。貴方』
そういえば、俺達以外にも案内役の騎士が生き残っている。国の重役が目前で死んでいたというのに、慌てた様子を見せていない。暢気というか感情的に欠陥があるとしか思えない。
人の死が多い異世界ではこれが普通、という訳でもないらしい。
爆発音を聞きつけてやってきた兵士や文官達は、皆驚いた表情だ。
『カルテ様の執務室で、何があったのだ!?』
『これは……お前達が犯人か!』
焼けた部屋を見て驚く兵士達。
それと、犯行現場の前にいる凶鳥面を付けた男が率いる珍集団。
あー、俺達も被害者なのだが。これは面倒臭い事に、テロの第一容疑者認定されたな。
いちおう、ナキナの騎士も傍にいるので弁明や弁護に期待したいところであるが、この騎士さん、そんなに優秀ではないらしく――。
『聞けいっ、ナキナの皆の衆!! たった今、我等の精神的支柱でありながら精神的苦痛の種であったカルテ様が爆殺された! ほぼ間違いなく、魔族の仕業である!』
――いきなり、騎士が兜の中で声を張り上げる。
腹からしっかりと出している騎士の女声は、フルフェイスの兜越しであっても周囲に集まる人間を注目させた。
『そ、そんな。あのカルテ様がただの爆発で死ぬなんてっ』
『あのカルテ様が死んだからといって、本音を大声で!』
『これからナキナはどうすればッ、あんなカルテ様でも大切な残念美人だったのに』
耳を疑う声明に、ナキナ人共は耳を疑う動揺の仕方をしているような……。
『大事なのは対応だ! カルテ様が狙われたのであれば、次はクリーム王かアニッシュ様が狙われる可能性が高い。伝令を出せ! 王都の門を閉めろ! 国境を塞げ! 臨戦警戒態勢第一位を発令だ!』
まったく動揺していないこの騎士の能力を訝しがっていたが、どうも、人を動かす事に関しては優れているようだ。
案内役を務めていただけの騎士の割に、堂々と指示を出しまくっている。
『臨戦警戒態勢第一位は、死んだカルテ様でなければ発令できな――』
『生ぬるいッ!!』
目上と思しき髭を整えた老文官に対しても、勇ましい口調ではやし立てる。
『そのカルテ様が殺されたのだ。今怒らず、いつ怒る! 決して好ましい女ではなかったが、あの半端に長い耳だけは皆の羨望だったはずだ』
カルテはナキナの重鎮。大臣であった。
有能な大臣を殺害されたショックは大きく、集まってきた者達はただ動揺していたはず。いや、このまま大臣の死亡が各所に伝われば、全国的に士気は大きく低下してしまったはずだ。下手をすると、そのまま国境の戦線が崩壊してしまう。
それでは情けない。
何故、怒りのままに走り出さない。こう騎士は暴論をかざす。
『そこの騎士長! 最愛のカルテ様が殺された今は、密かに結成していたファンクラブを根絶やしにされた時の怒りに劣るのか!』
『そ、それはっ!』
『そこの幕僚長! 最愛のカルテ様が殺された今は、分不相応にカルテを食事に誘って袖にされた時の怒りに劣るのか!』
『そ、そんな事はない!』
『では、怒りの感情を燃やせ! 人間族のくせして森の種族を嫁に貰った先々代の王を少しでも羨ましく思っていたのであれば、今は怒れ! 魔族の非道により、またナキナの美人が一人殺されてしまったのだぞ!!』
暴論が最高潮に高まった瞬間、騎士は防具に覆われた片腕を天へと伸ばす。
『さあ、ナキナに手を出してきた愚か者に鉄槌を! さあ、動け、ナキナの男女共ッ、楽しい楽しい弔い合戦の時間だ!』
瞬間、集まっていた全員が声ではない声を上げて呼応し、迅速なる行動を開始した。現場検証組のみが室内に入室して、他の者達はそれぞれの持ち場へと散っていく。
『よくもカルテ様を! 俺達の残念美人を!』
『魔族は殺せ! 魔族は殺せ! 魔族は殺せ!』
『性格だけが悲惨で、常々、アニッシュ様と体が入れ替わらないかなと皆が信じていたカルテ様を殺した馬鹿はどこだ! 探し出して体を引き千切れ!』
『魔族は殺せ! 魔族は殺せ! 魔族は殺せ!』
酷い内容の騒がしい声が館に満ちて、街中へと拡散していく。
長い戦争で沈んでいた王都が、怒りに震え始めていた。
「…………アニッシュからは聞いていたが、この国終わってないか」
『一時的なテンションです。今は怒りで動かしましたが、カルテが死ねば遠くない日、滅ぶでしょうね』
他人を焚き付けたくせに、騎士本人はまだ俺の傍に残っていた。
俺達も爆発した部屋の前に残っているが、どうにも場違いな気がしてならない。
「俺は……ふむ、どうするか。カルテを殺したのは人間族っぽかったし、他人事だから帰るか」
『いいえ、貴方。カルテを殺したのは確かに人間族でしたが、あの者はナキナに仕える忍者職。カルテを殺すはずがありません。男性でありながら可笑しな女言葉でしたし、あの特徴はアニッシュから報告のあった…………イバラ、調査は?』
騎士は天井方向に向かって手を二度叩く。
すると、穴のない天井から覆面の女が姿を現して、騎士の足元に下りてきて膝を付いた。
『ハッ、連絡を絶った忍者衆が五名。内、一名の捕縛に成功しております』
現れた女の髪色は灰色。つい昨日、戦闘したばかりの女で間違いないだろう。
「おい、どうしてコイツが現れる?」
『では、その捕縛した者を尋問しましょう』
「てか、コイツを呼び出したお前は一体何者だ。いい加減、兜を取って顔を見せろ」
兜に伸ばした手を無視して、騎士は自己中心的にも歩き出してしまう。
『顔を見せていないのはお互い様でしょう。貴方? グズグズしていないで尋問に行きますわよ』