9-14 猿帝魔王の計略
地球から異世界の魔界へと迷い込んだ俺は、数ヶ月の放浪の間に、魔王共の不審な行動を察知した。『エンカウント率上昇(強制)』スキル持ちの俺ならではの不運だろう。ここまでならば俺に非はない。
だが、その後の行動は無謀である。
「わたくしが凶鳥様を発見した時、凶鳥様は既に魔王連合と敵対していました。いえ、当初は魔王同士が協力関係にあるとは予想できていませんでしたので、目に付く魔王を撃退して回っていたというべきでしょう」
「あー、俺ごとながら無謀過ぎる。記憶を失う前の俺を別人と言いたい」
独力で解決してしまおうと息巻いてしまった。
アサシン職スキルを活かして、魔王を成敗しようとしてしまった。これを無謀と言わず何を無謀と言う。
まあ、『魔王殺し』なる魔王に対して優位性あるスキルを持っていれば自信過剰にもなろうというもの。事実、魔王を数体さくっと始末できてしまったらしい。
「凡庸な魔王数体に、悪名高い融合魔王まではそう難しくなく討伐できましたわ」
ただ、滑り出しが順調過ぎた所為で、モンスター共を軽く見てしまっていたのだろう。
記憶を失う前の俺は、手痛いシッペ返しをもらう。
「ただし、凶鳥様をもってしても倒せない難敵が、わたくし達を阻みました」
月桂花に呪いをかけた――俺に対しても呪いをかけていたと判明した――魔王。外見は色が抜けた白い体毛の大猿。その名は『救済悪手』猿帝魔王。猿の魔王は恐ろしく老獪であった。
猿帝魔王が他の魔王と比較できない点は、己の指を折るたびに他人の願い事を叶えるスキルにある。
他人の願い事を叶える。一瞬、なんの危険性もないように思えるが……猿帝魔王の恐ろしさはそこにあるのだ。
「わたくしの心を読んだ猿帝魔王は、まず左手の小指を折り、凶鳥様が窮地に陥るまで手助けできない呪いを授けてきました」
猿帝魔王は願い事を確かに叶える。が、叶え方は酷く独善的である。願いそのものは歪曲していないのに、手段を曲解する。魔王の有利に働くようにしか、願い事を叶えない。
たとえば、我が身を盾にしてでも俺を窮地から救いたい、という月桂花の決意。猿帝魔王の魔手にかかれば次のように改悪される。
俺の窮地を救いたいという事はつまり、俺が窮地に陥らない限り救わない事だ。早く窮地に陥って欲しいのだから、多少の助力さえ無用である。姿を見せての応援すら無粋だ。
「左小指の呪いにより、わたくしは凶鳥様の傍に近づけなくなりました。焦ったわたくしは凶鳥様と早く合流したいと本能的に願ってしまい、その瞬間、猿帝魔王は薬指を折りました」
窮地に陥るまで助力できないという呪い。その程度であれば、俺が崖から身投げすれば解除できたはずだが、猿帝魔王は甘くない。
月桂花の二つ目の願い、俺との合流、を猿帝魔王は逆手にとった。必ず合流できる代わりに、合流場所を魔界の外に限定したのである。その所為で、魔界にいる間は、俺が窮地になっても救助できなくなってしまった。
「だったら、二人で魔界の外に出てしまえば良かっただけのはず。僕ならそうしている」
「エルフの言う事はもっともですけれど、わたくしは小指の呪いにより、凶鳥様をお助けできない状態。もちろん、魔法や手紙で状況をお伝えしようと努力はしましたが、すべて呪いに阻まれましたわ」
俺達を完全に分断した後、猿帝魔王は月桂花の前にノコノコと現れて種明かしを行った。
当然、月桂花は激怒した訳であるが、それを見計らって、中指が折られる。
「憎き猿帝魔王を屠りたい。わたくしのこの願いを猿帝魔王は叶えました。わたくし以外の者の手では殺せない不死身の存在となるべく、わたくしを利用したのです」
猿帝魔王の狙いは最初から不死性の獲得にあったのだろう。名うての融合魔王が簡単に滅んだ時から、俺に対して最大限の警戒を持ったに違いない。
だが、月桂花だけが例外視されている不死性など不完全が過ぎる。
だから、猿帝魔王は仕上げに俺の前に現れた。
「こうして猿帝魔王の計略は完成しました。猿帝魔王が凶鳥様の傍にいる限り、わたくしは猿帝魔王を屠れません。一方で凶鳥様では絶対に猿帝魔王を殺せない。アサシン職の一撃必殺のスキルであっても不可能でした」
今は月桂花の視点から話を聞いているから、記憶を失う前の俺は無駄な事をしていたのだな、と感想を抱ける。が、当時の俺は混乱の渦中にあったはず。
傍にいた頼れる女性が、ふと、いつの間にか姿を消した。
その直後に、いきなり猿の魔王が現れてこう言う。「女性を攫った。返して欲しければ我を倒すが良い」とゲスな笑みを浮かべてくる。当然、俺は無我夢中で戦ったに違いない。
……だが、猿帝魔王は殺せなかった。魔王に対する最大級の優位性『魔王殺し』が効いているのに殺せなかった。
昼夜を問わず隙を見て狙っただろう。
ストーカーよりも執念深く追い詰めただろう。
寝込みを襲い、食事時に襲い、排泄時に襲い、寝入りの瞬間を襲ったはずだ。
だが、猿帝魔王は殺せなかった。その時の無力感さえ忘れている今の俺は、酷い能天気者なのだろうか。記憶を失う前の俺から恨まれているかもしれない。
「凶鳥様は、仮面の奥の力を頼った以前の凶鳥様をどう思われますか?」
「正気を失っていたとしか思えない。生きたままに隠世と繋がろうなんて、気が狂っている。お陰で苦労している」
「魔王連合をすべて滅するにはそれしかない、と恐怖に震えながら泣いていましたわ」
確かに、仮面を外した俺であれば魔王共ごとき、何体いようと滅せられるだろうが……俺よ、手を出してはならないものに手を出してしまったんじゃないのか。魔王連合どころか、異世界そのものを冥府に沈ませかねない。
今更痛感する。『記憶封印』スキルの制約などもうほとんど気にしなくなっていたというのに、今になって、大きな足枷となってきている。
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“『モンキーカーズフィンガー(親指)』、悪辣なる猿帝の左親指。
指を折る自傷行為によって他人の願いを叶える救済悪手。その親指版。
――なる男の願い事。それは、世界を滅ぼす事。
……良いだろう。お前は世界を滅ぼす魔王となるだろう”
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今の俺には、世界を滅ぼすと宣言されてなお、世界を滅ぼしてしまう力を求めてしまった心情を理解できない。
質疑によって、月桂花に対する疑惑はすべて晴れた。
これでようやく、月桂花を真の仲間として受け入れられる。
「わたくしは凶鳥様がどうなろうとも、全身全霊をもって尽くしますわ」
戦力的に頼もしいレベル100の魔法使い。忠誠度も高い。親愛が行き過ぎているから、俺を裏切る心配はない。パーフェクトであると評価したい。
……パーフェクトであるがゆえに、月桂花は俺がどんなに変貌してしまっても許容してしまう。
そのため、月桂花には、世界を滅ぼす俺を止める力はない。
「結局、その女を仲間にしてしまうんだよね、キョウチョウ」
誰にも退室を告げず、いつの間にか部屋の外に出ていたアイサは、ドアを背にして呟く。
種族の特徴にしてチャームポイントたる耳は下方気味だ。
「僕なんかより頼りになるから仕方がないよね。僕なんかじゃ頼りないよね」
他の種族にはない美貌や長耳というアイデンティティを持ちながら、アイサは己の存在価値を見失う。部屋の外で、たった一人悩んでいた。