8-29 黒幕共の計略2
「ぷはっ! どうにか無事に脱出できたか。落花生、ラベンダー、溺れていないか?」
流れの緩やかな川の中から、黒いベネチアンマスクを装着した男が顔を出した。
男に続いて、サイドアップの女とウルフヘアの女も顔を出す。両人とも、男と同じくマスク付きなのが不気味だ。
三人は岸から川へと潜った訳ではなかった。川底にある秘密の穴を伝って、水面へと飛び出したのである。
「雷属性に水泳は無理です! 足が、足がつって!?」
「運動が取り得なのに、どうして泳げないかな。もう、ほら、肩貸すから」
実は、川底の穴は地下迷宮の第二層と密かに繋がっているのだ。
「オルドボ商会の奴等、やっぱり、地下迷宮の異変をあらかじめ知っていたな。迷宮で稼いだ全財産と引き換えに脱出路を売ってきたのは、流石商売人だと言いたい」
ある男が男爵ハリガネムシに寄生されかけた事件があったが、その男爵ハリガネムシは本来水中に住むモンスターである。
男爵ハリガネムシは幼虫の頃にこの川底を通って地下迷宮入りし、虫モンスターに寄生した。その後、回りまわってある男を襲ったのだろう。こんな些細な話、潜水を終えたばかりで息苦しくなっている三人には関係なかったが。
川の中央にある小さな三角州に上陸して、三人はようやく一息付く。
「御影。ここ、どの辺りかな?」
「地下迷宮の街から少し離れた場所だろう。……今更あの街に戻っても、もう手遅れだ。このまま街から遠ざかろう。体勢を整えないと。皆、疲れているだろ」
「さ、賛成です」
「私もそれが良いと思う。御影と合流できた事を、別れた皐月達に連絡したいし」
地下迷宮の数少ない生存者たる三人は、この場から離れる事を決定する。
「やっぱり四人とも異世界にきているのか。大変な時期だというのに、まったく」
「異世界に消えた御影が全部悪いんです。反省するです」
「異世界にきてから二手に別れたんだ。現地に詳しいリリームさんと天竜様にも別れてもらって。『魔』の供給もあるから、私達の方には天竜様が付いていたんだけど」
「その天竜は今どこだ。ラベンダーと落花生の二人だけで地下迷宮潜っていた訳じゃないよな」
「……その通り、二人だけで潜っていたんだけどね。街までは一緒で、天竜様は魔界が近いからって一人で魔界まで遠征にいったきり。あれから連絡がないけど、まあ、あの人あれで私達の最強戦力だし、心配はしていないけれど」
魔王連合が立った以上、魔界と国境を接するナキナ国に滞在し続けるのは危険である。が、足となりえる人物が別行動を取っているため、徒歩で移動するしかない。
そうなると、向かう先は近場であり、最も安全な場所でなければならない。
現在、三人がいるナキナ国の中で比較的安全な場所といえば……ナキナ国の王都となる。
「分かった。天竜を待ちながら同時に別パーティと連絡を取るのに適するのは、ナキナ国の王都しかない。善は急げ、移動を開始しようか」
地下迷宮の奥深く。
太陽の光が届かない闇の世界。そこで声が響く。
「主を失ったのは腹心の恥。初陣を前に足並みを乱したとあっては、この身を燃やし尽くされても仕方ありませぬ」
地下迷宮から冒険者は掃討されているので、この地下奥深くに人間が残っているはずがない。よって、この場にいる者共が人外であるのは確定的だ。
たとえば、室内中央で注目されている男は顔が白骨化している癖に喋っている。高位のアンデッド、リッチ族であるのは間違いない。
リッチが腹を斬る寸前のように重苦しい表情――かは白骨化している所為で分からないが――を伏せながら、片方の膝を付いてしまっている。
人間族の立場から言えば、リッチと遭遇する事も魔王と遭遇する事も変わりない。どちらも等しく絶望的なモンスターだというのに、リッチは懸命だ。
「誠に申し訳ありませぬ」
特に、このリッチは、吸血魔王の片腕として知られるネームド・モンスター、ゲオルグなのだ。力あるアンデッドが伏して謝罪を口にしている。
ゲオルグが謝罪しなければならない相手など、それこそ魔王ぐらいなものなのだが。
「不滅であるはずの吸血魔王の脱落は大きな痛手である。が、ゲオルグ、顔を上げよ。魔王連合はお前を見捨てる事も、斬り捨てる事もしない」
ゲオルグを囲む異形の一人は、鼻の長い二足の獣だ。
老人とまではいかないが年季の入った声質をしている。その名はエクスペリオ。迷宮魔王の三騎士が一人であり、主に代わって軍議を進行している事が多い。
「お前を罰するとなれば、メイズナーを行きずりの冒険者に討伐されてしまった私も同罪だ」
エクスペリオは毛むくじゃらな顔を渋く顰めていた。怒っているようにも見えるが、悲しんでいるようにも見える。
「大局では順調に推移しているというのに、こういった悲劇が起こってしまう。どれだけ用意周到に準備したとしても、幸運なき魔族に絶対の勝利は訪れないという証か」
メイズナーの損失は魔王連合としてはさしたる痛手ではない。が、迷宮魔王の三騎士のエクスペリオとしては、迷宮を守る者がなくなった事により後顧の憂いが生じてしまった形となる。
迷宮魔王は人類圏侵攻に熱心だ。数百年をかけて繁殖を重ね、迷宮内で大事に蓄えたモンスターを全力投入する意気込みである。侵攻は苛烈なものとなるが、反面、地下迷宮の防御は薄れる。
エクスペリオは後衛の任をメイズナーに任せるつもりであったが、作戦の練り直しが必要だった。
頭を振るように鼻を振って、エクスペリオは命令する。
「ゲオルグよ。お前はアンデッドの軍勢をそのまま指揮してナキナを攻めるのだ」
「魔王ではない我が身には『異形軍編制』スキルはありませぬ。できない訳ではありませんが、機敏な動きは期待できません」
「お前も名の知られたリッチだ。一国落とせば魔王職に目覚めよう」
吸血魔王は没したが、当初の予定通り魔王連合所属のアンデッド軍団は動く。
人類国家の最前線にいるナキナ国へと侵攻するのだ。ゲオルグには吸血魔王の代行が命じられた。
「それに安心せよ。ナキナ国侵攻に手こずるのは計略通りだ」
ゲオルグは骸骨の頭を低く下げたまま命令を受諾し、音もなく去っていった。アンデッドにしては実に勤勉な男である。
この場に残ったのはエクスペリオ。
……そして、背中に翼竜の翼を持った美麗な男性。
「人類など地表を這うだけの下等生物だと思っていたが、ふむ、この考え方が慢心というものか。空ばかり飛んでいるだけでは学べぬものだ」
「翼竜魔王様を尊大であり、人間族は過小であるのは事実です。が、それを理由に手を緩めてしまって討伐される。これは自業自得です」
「なるほど、悪くない言い回しだ。ならば我も見学ばかりしていないで、魔王連合に貢献しておくべきだろうな」
男性の本性はドラゴン族を率いる空の王者、巨大な翼を持つ翼竜だ。ゆえに、男性は翼竜魔王と呼ばれ恐れられている。
高い城壁を越えて街に飛び込んでくる獰猛なドラゴンは、二足歩行しかできない人類にとって対処できない天敵だ。ドラゴン族は真性の悪魔と同列に扱われる災いなのである。
狭く息苦しい地下深く潜るために人間族へと擬態した翼竜魔王は、ふむ、と心の中で思っていた事に対して頷く。
「そろそろ、魔界で捕獲したドラゴンを一匹調教し終える。戦線に投入するのはいつが良いだろうか?」
次回より新章突入です