8-25 神託(強)
月桂花と名乗った女性は気になるが、ひとまず置いておこう。
その前にやらねばならない事がある。俺は、血溜まりに沈むリセリの傍で片膝を付く。
『はァ、はァ、はァ、流石、ですね、くゥッ』
「吸血魔王は討った。リセリの仲間達の仇は取れた」
リセリはまだ息をしているが、過呼吸で会話は難しい。
呼吸量に反して酸欠で顔を青く染めている理由は、肺に血が溜まっているのと、出血量が既に致死量を超えているからである。一言分の口を動かすだけでも死に近づく。
それでも、激しく上下する上半身のみのリセリに訊ねておかねばならない。
「リセリ。お前はこのまま死ぬ」
非情な事を言った。分かり切った事を言葉にしなくとも、リセリ本人は十二分に悟っている。
それでも言葉にしたのは選択させるため。
「だから訊く。重要な選択だ。人間として真っ当に死ぬのか、生血を啜る化物となってでも生き残るか」
リセリは瀕死であるが、実のところ、生き残る術は残っている。
『吸血鬼化』スキルを頼れば良いのである。エミール程ではないが、素の吸血鬼でも体は不死身に近い。心臓を銀の武器で破壊されなければ基本的に死ぬ事はありえない。重度の体の欠損も、吸血により瞬く間に回復してしまうだろう。
……ただし、生きた動物の血を吸う禁忌を乗り越えられたら、という大前提が存在する。
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“実績達成ボーナススキル『吸血鬼化』、化物へと堕ちる受難の快楽。
“≪追記2≫
本スキルを授けた魔王が討伐された事により、強制スキルではなくなった。
これで安心して血を吸えるが……自らの意思で血を吸うのであれば、人外の職業に目覚めるのが道理である”
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「俺の血を吸えば吸血鬼となって延命できる。ただし、これは茨の道だ。下手をしなくてもエミールのように血に狂う化物となる算段が高い」
俺のように『破産』スキルで吸血衝動をコントロールできるのならば日常生活に支障はないだろう。だが、リセリは対抗スキルを所持していない。リセリは血を吸えば助かるかもしれないが、血を吸えば化物に堕ちてしまう。
今が人間として死ねる最後の機会だ。
だから、俺は訊ねておかねばならなかった。
「リセリは生き残りたいか?」
『はァ、はァ、はァ、諦め、ます』
リセリは首を横に振った。
『『神託』はぁ、出ていました。けれども、この私には、選べま、せんっ』
リセリは掠れた声で生存の道を拒絶した。
頬を伝って流れる涙が、銀髪に染み込んでいく。肉体的には既に苦痛で一杯なので、今流した涙は精神的な悲しさが由来である。
本心は生き残りたい。
けれども、化物だけにはなりたくない。
「分かった。リセリの意思は固いようだ」
リセリは手段があるのに生存を諦めた。誰から見ても仕方がないと状況である。
……それでも、俺の心は複雑だった。
死は禁忌だと思う。他殺は当然の事、自殺などもってのほか、家族に見守られながらの大往生でさえ拒否感に襲われる。
俺は知っているのだ。顔の中、仮面の下の悪霊共が手を伸ばす理由は、現世に戻りたいからである。己を死に追いやった仇を引きずり込むのはついででしかない。
「正直、リセリに関しては想う所はなかったが、考えを改めよう。リセリ、お前を祟る」
異世界にて様々な人物、種族から人間未満の扱いを受けてきた俺であるが、リセリに関してはそれがない。そこまでの接点がなかっただけかもしれないが、リセリに恨みは一切ないのである。
そんなリセリは祟るには理由が不足している。
とはいえ、エミールには言ってやったばかりでもある。
人を祟るのに理由は必要ないのだ。
『……は……ぁ……っ、は…………ぁっ』
「おい、リセリ?」
おどろおどろしい言葉を言ったはずだが、もう、リセリの耳は聞こえていない。
煌いた瞳の、黒の領域が広がる。瞳孔拡大。容態急変。荒かった呼吸も収束してしまっている。
呼吸音は聞こえなくなって、急に、静かになった。
リセリの心臓は、もう、動いていない。
リセリは気が付いた時、彼女は水中を漂っていた。
酷く静かな場所である。見渡す限り続く仄暗い水中に、境界線らしきものはない。だだっ広い中にリセリ一人が浮かんでいるのだから、静かなのは当然と言えた。
水中にいるとリセリは感じ取ったが、本当に水の中にいるのかは酷く怪しい。呼吸が苦しくならないからではない。リセリは、つい先程死んだばかりだからである。
不気味な黒い水中であった。リセリが海を知っていたなら、黒い海と表現しただろう。
教国に伝わる死後の世界と比べて、随分と寂しい。天使は舞っていないし、世界の創造主が住んでいると言われる黄金の神殿は建っていそうにない。まさか、天界からアンダーグラウンドへと落ちてしまったのか、悪魔共に浚われてしまったのかと恐怖したが、ここが悪魔の世界だとしても水しかないのは辺鄙が過ぎる。
足下に広がっているのは、真っ黒としか言い表せない深遠なる水底。
リセリは底を見下ろした瞬間、胸が痛くなる程の恐怖を覚えた。とてもじゃないが、直視していられない。
己の体がゆっくりと水底へと沈んでいる事に気付いた瞬間、溺れた訳でもないのにリセリは暴れ始めた。
何も見えない、黒一色の水底に恐ろしいものは沈んでいない。それはリセリも理解している。
何も見えない、黒一色の水底と化してしまう。己という自覚も、黒く塗り潰されて消えてしまう。こうリセリは巫女らしく直感したのだ。
個々では色鮮やかな絵の具も、全色混ぜれば黒くなる。リセリという個も数多の先駆者が沈む黒い海に沈めば黒くなる。エントロピーは限りなく肥大化していき、そして、意味喪失してしまう。
まさか死んだ後に死よりも恐ろしい結末が待っているとは予想していなかったため、叫び上げる程の不意討ちとなってしまった。
「なっ、死ぬって怖いだろう!」
リセリは頭上からの声を聞き、水面を見上げて硬直する。
眉間から下、鼻から上にかけて大穴が開いた黒い人物が、リセリに手を伸ばしていたのである。ホラーな光景だった。
顔のない何者かが、硬直により掴み易くなっていたリセリの手を取ってしまう。
「アイサの時と同じ方法で欠損箇所を補うしかないか。俺の負担が大きいってのに」
「…………はぅ」
身の毛もよだつ体験の連続に、リセリはとうとう意識を手放す。
……ただ、意識喪失する寸前、リセリは強いトランス状態に突入した。死んだ事により霊的な要素が増大したからだ。リセリは己ではない誰かの声、高次元よりの声を脳で直接受信する。
ノイズのように掠れた言葉の響きではない。かつてないレベルで鮮明に神託を授かる。
その神託の情報量の豊富さは、Bランクの巫女職としてはありえない。特に、前半部分は神託の癖に意味を類推する必要がなく、内容の重要性は国家機密と同程度であった。
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“『神託(強)』、高次元の存在より助言を得るスキル。
根本的には神頼りなスキルであり、いつも都合の良い助言が得られる訳ではない。そもそも、言語的な解読が困難な助言も多い。ただし意味が分かれば役立つ事も半分ぐらいある。
神便りというよりは、アンテナの向きや天候、波長の合わせ方次第とも言える。
結局は、スキル所持者の判断が求められる”
“≪追記≫
死後の世界の体験によりスキルが高まった……とも言えるが、単純に救世主の傍にいる好都合な巫女だったので受信機になってしまったというか。
世界の危機においては些細な違いである”
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“――『神託』する。
世界は滅びる窮地にあり。
最大級の窮地に、抗う術なし。
人類は滅びる。世界は終わる。生きとし生きるもの、皆等しく死滅する運命にあり。
しかし、救世主は既に現れた。
顔のない救世主は、そこにいる。
世界にはまだ救われる可能性が残っている。
されど楽観する事はなかれ。救世主は顔を失う代わりに、力と名前を失っている。
救世主と共に仲間を揃えて、世界の窮地に立ち向かうべし。
火、氷、雷、土の四属性は未だ揃わず。
神と成りし竜は未だ救われず。
森の種族の姉妹は未だ再会せず。
月は姿を現した。
勇気ある者は更なる成長を望まん。
そして、黒き鳥は模倣を続ける――”