■ 第189話 ■宝島に来た厄介なヤツら
▶20年以上も前のこと。かつてピカデリー・サーカスに「K」で始まる日本食レストランがあった。板前さんが4人いて2人は北海道、2人は鹿児島出身という組み合わせだった。ある晩、鹿児島人のNさんと飲みに行った。酒が入るにつれNさんは自らのことをボソリと語り始めた。「鹿児島と言っても実は島の出さ」「奄美大島とか?」「宝島さ」「宝島?」「地図にもちゃんと載っている。目を皿のようにしただけじゃ無理。虫眼鏡で探さないと見つからない」。「どの辺にあるの?」。宝島は鹿児島の南南西366キロ、奄美大島の北北西90キロ。トカラ列島を成す島の一つで面積7.14平方キロ、周囲13.77キロ。小さな島だ。「今も人、住んでいるの?」「130人くらいいる。駐在さんもいない。悪いことする奴いないもの。みんな知り合い。悪いことしたら島じゃ生きていけない」。筆者が4歳までいた十勝の自然環境も結構厳しかったが、Nさんの故郷もなかなかだ。
▶大変なところだねと言うとNさんは首を振り「隣の小宝島はもっと大変さ」と呟いた。小宝島。面積は1平方キロというから虫眼鏡を通り越してもはや顕微鏡の世界。それでも32世帯、50人ほどが今も暮らしている。「どうやって行くの?」「鹿児島港から週2回、フェリーが出ている。片道13時間かかる」。そりゃ不便だねと言うとNさん「なあに、繁忙期には週3便になる」と胸を張った。胸を張るほどではない。今から200年前、亜熱帯のこの小さな島で泰平の眠りを醒ます大事件が起きた。
▶1824年の宝島。さとうきび栽培が盛んに行われ、人口も今よりずっと多かった。黒糖は藩財政を支える重要な産物。「フェートン号事件」以来、薩摩藩でも異国船襲来に備えて各島々に番所が設けられ、高台には遠見台が置かれていた。旧暦7月8日朝、遠見番が北方の沖合に帆影を見たと番所に駆け込んだ。知らせを受けた薩摩藩士松元次助と目付の中村理兵衛が遠見台まで行くと、一隻の大型船が白波を立てながら島に近づいてくる様子が見えた。それは薩摩の船でも琉球のものでもない。明らかに異国船だった。やがて吉村九助という目付と島の役人ら数人が丘の斜面を駆け上がって来た。「間違いない。異国船だ」。緊張が走った。16年前の「フェートン号事件」ではイギリス艦にやりたい放題を許した長崎奉行など3人が切腹した。忘れた者はいない。鎖国政策の中、やって来る異国船はトラブルメーカーでしかなかった。異国船は沖合2キロの辺りで帆を納め、錨を下した。波間に小舟が下ろされ、男たちが乗り込むのが見えた。
▶宝島はこれまでに誰も経験したことのない緊張に包まれた。村役人たちの顔はどれも硬直していた。番所から火縄銃7挺を持参したが偶発的事故を避けるため物陰に隠した。小舟が浜辺に着いた。7人の男が乗っていた。辺りを警戒しながら一人ずつ降り始めた。まさに招かれざる客。上陸を許すわけにはいかない。気丈にも次助と理兵衛が男たちに近づいた。彼らは髪赤く、鼻が高かったがいずれもひどく汚れていた。手には銃や銛(もり)が握られていた。彼らもまた緊張と恐怖から表情が強張っているのが分かった。数メートルの距離を置き、次助が叫んだ。「どちらから参られたか」。通じるはずもなかった。しかし偶然か彼らは「エンゲレス」と叫んだ。「フェートン号」と同じ国の連中だ。当時、世界一厄介者だった連中が宝島に来たじゃっどん次号に続くでごわす。チャンネルはそんまま、ごわす。
週刊ジャーニー No.1311(2023年10月5日)掲載
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