WEB
特集
万博から世界へ 高校生ダンサーの挑戦

最新の技術や世界各地の伝統や文化などが紹介されている大阪・関西万博。

実は若者たちにとって、夢をかなえるための第一歩の舞台でもあります。

その一人が、ドイツパビリオンのダンスチームの最年少メンバーとなった高校2年生。

訪れたこともないドイツの歴史や文化をどう表現するのか。

厳しい練習を乗り越え、試行錯誤しながら迎えた本番までの5か月間を追いました。

(大阪放送局 カメラマン 福本充雅)

チーム最年少は16歳の高校生

神戸市内の高校に通う唐津莉子さん(16)。

3歳からダンスを始め、全国大会で入賞経験もあります。

去年12月、ドイツパビリオンが専属のダンサーを募集していると聞き、オーディションに挑戦しました。

関西出身のダンサー80人が集まる中、得意なジャズダンスを披露。

審査員から、ダンスの技術が高いことに加え、礼儀正しく、仲間との協調性もありチームとして行動できると評価され、合格しました。

唐津莉子さん
「私の中で万博は遠い存在でしたが、ダンサーに選ばれて信じられないくらいびっくりしました。本当にうれしかったです。ドイツについては『ソーセージやビールが有名な国』という認識でした」

ドイツパビリオン ダンスのねらいは

ドイツ人演出家 マイク・ハイゼルさん

パフォーマンスの考案者の1人、ドイツ人の演出家、マイク・ハイゼルさんです。

ミラノやドバイで開催した万博でもドイツパビリオンの演出を手がけました。

ハイゼルさんは、芸能が盛んな大阪や関西が持つ魅力をいかしたいと、今回初めて開催地でダンサーを募ることにしました。

ドイツ人演出家 マイク・ハイゼルさん
「日本とドイツのコラボ作品は、文化交流にもつながり、両国の懸け橋になると考えました。舞台ステージのスクリーンには、ドイツの風景を映し出し、映像と音楽が好奇心を駆り立て雰囲気を作り上げます。さらに日本人のダンスが加わることで、人と人とのつながりに躍動感が増し、舞台アートとして強いインパクトをもたらします」

チームが踊るのは、パビリオンのテーマソング「Wa! Wa! Germany」など20曲以上。

“私たちの世界に分断はなく、未来へ希望を広げていこう” という意味が込められています。

この曲に大阪出身の振り付け師3人が手分けして踊りを考えました。

“ベルリンの歴史” に挑む

1989年 ベルリンの壁 崩壊

ダンスの最大の見せ場は、「ベルリン」というパートです。

1989年のベルリンの壁の崩壊。

そして “分断から解放された喜び”。

ドイツの人たちの強い思いを日本人だけのダンスチームで表現します。

練習を始めておよそ3か月。

唐津さんは振り付け師から、こまやかな感情表現が不十分だと厳しい指摘をうけました。

振り付け師 速水美幸さん
「表情の表現力がもっとあってもいい!」
「自信のなさがすごく出ている!」
「自分が“これを表現したい!”と思って踊ることが大事」

唐津さんは、人の想いを踊りで表現する難しさを突きつけられました。

振り付け師の1人 速水美幸さん

振り付け師 速水美幸さん
「このダンスのレベルは質、量ともに高く、体力的にもかなり酷だと思います。それゆえ“強い気持ちを持ち続けないと乗り越えられないです。自分が上手ならいいではなく、ダンスのことを知らない人が世界中から訪れ、“相手にどう伝わるか”を客観視する力が必要になります」

見た人に伝わる表現求め

どうしたら見る人に伝わる表現ができるようになるのか。

唐津さんは踊ることに必死で、ドイツについては漠然とした印象しかもっていなかったことに気付きました。

図書館からドイツに関する本を借りて、観光情報から歴史・文化まで幅広く学ぶことにしました。

特に念入りに調べたのは「ベルリン」についてです。

東西冷戦による対立で築かれた「ベルリンの壁」。

その分断で生き別れた家族、引き裂かれた大切な人たち。

過酷な歴史に思いを巡らせました。

唐津莉子さん
「調べていくうちに、ドイツのことを少しずつ理解していきました。ベルリンの壁ができた理由や、ドイツの人々がようやく自由に解放された背景がわかりました」

体力的な課題も

唐津さんは別の課題にも直面していました。

これまで経験してきたダンスの時間はおよそ3分間でしたが、今回は50分間。

運動量が必要になるうえ、ロックやヒップホップなどさまざまなジャンルも踊らなければなりません。

唐津さんは苦手だったランニングや筋トレに励み、体力の向上を図りました。

また、唐津さんは、練習の休憩時間にその日学んだダンスの動きを一つ一つ書き留めました。

そして、時間があれば練習の動画をスマホでチェックして、どうしたらドイツの人たちの思いを表現できるか考えました。

踊りに変化

しばらくして、唐津さんの踊りに変化が現れ始めました。

ドイツをどう表現するか、自分なりの解釈をダンスに少しずつ織り込んでいったのです。

暗く厳しい抑圧の時代の表現は、胸の前で手を交互に動かしてもがくようにしたり、胸に手を置いて心を痛めているような動きにしました。

そして、自由をつかんだ喜びは、体を回転させながら、鳥が羽ばたくように両腕を高く上げたり降ろしたりする動きで “自由” を得た表現にみせることにしました。

唐津莉子さん
「ドイツの人の気持ちを大切にしながら踊りたいです。イメージをもっと膨らませて、自分の内面から出てくる感情を踊りにのせていこうと思います。その時代のことを経験していない自分が想像するのは難しいですが、経験していない自分だからこそ表現できることがあると信じています」

振り付け師 速水美幸さん
「若いダンサーほど、苦しさが表情に出やすいと思うが、唐津さんは、メンタルが強くいっさい表情を出さずにやれている。このダンスを踊りきると、とても成長につながると思う。今回のダンスが終わっても、これまでとは違う感覚で、踊りの表現が広がるのではないかと思う」

練習が1日9時間におよぶ日もありましたが、チーム一丸となって5か月間かけてダンスを完成させました。

大阪・関西万博 開幕

ドイツパビリオンの開館式

4月13日。

大阪・関西万博が開幕し、ドイツパビリオンでも開館式が開かれました。

パビリオン前のステージで、唐津さんたちはダンスを披露しました。

パビリオンのテーマソング「Wa! Wa! Germany」が流れると、世界中の人々が “わ” のように隔たりなくつながることを願い、飛び上がりながら両腕で “輪” を作って踊りました。

そして、最大の見せ場「ベルリン」のパートを迎えました。

ステージには、ベルリンの壁の崩壊を象徴する映像や音楽が流れました。

唐津さんは、もがくような手の動きで抑圧された“苦悩”を、鳥のようにめいっぱい伸ばした腕を羽ばたかせる動きで “自由” を全力で表現しました。

ダンスを見た人たち(ベルギーから)

「すばらしいダンスでした。これまで多くの練習を積んできたのでしょうね。才能あふれるダンサーたちだと思いました」

【動画】当日披露されたダンス(1分35秒)

唐津莉子さん
「見ているお客さんに、楽しさを届けられるように頑張りました。皆さんが拍手してくれ、手をふって返してくれるのがすごくうれしかったです。言語が違ったとしても、自分の笑顔で、誰かに笑顔をつなげることができると感じました。皆が “輪” になってつながっていける世界にしていきたいと思いました」

ドイツのナショナルデーでダンスを披露

唐津さんたちのダンスチームは万博の開催期間中、隔週でパフォーマンスを行っています。

6月20日に開催されたドイツのナショナルデーでは、ベートーヴェンの曲をアレンジしたヒップホップダンスを披露しました。

万博で経験を重ねるうちに、唐津さんにとって“世界”は身近な存在になっていきました。

唐津莉子さん
「世界の人に出会い、万博は未来に一番近い場所で、私の人生の中でとても大きなものになっていきました。ダンスのインストラクターなど将来の夢は漠然としていましたが、万博会場で踊るうちに表現の幅を広げ、外国や世界で踊ってみたいと思うようになりました」

取材を終えて

万博は、世界と身近に触れ合える場所です。

お互いが手の届かない存在でも人の温かみに寄り添うことで、世界中の誰もが “輪” で一つになれるとメッセージを送り続けるダンサーたち。

唐津さんをはじめ未来を担う世代は、これからも多くの笑顔を届け、より一層の輝きを放っていきます。

(4月24日「ほっと関西」6月7日「おはよう日本」で放送)

大阪放送局 カメラマン
福本充雅
1997年入局
カイロ支局でアラブの政変を、帰国後も軍事侵攻を受けるウクライナの首都キーウで映像取材
現在は故郷・兵庫県や関西の多様な魅力を取材

あわせて読みたい

スペシャルコンテンツ