“有事の○○買い”に異変【経済コラム】

イスラエルとイランの攻撃の応酬、アメリカによる核関連施設への攻撃。

こんなとき金融市場のマネーは安全とされる資産に向かいます。いわゆる“有事の○○買い”です。

ところが今、従来のセオリーとは異なる動きが頻発しています。
“有事の○○買い”の異変。投資家は何を買い、何を売っているのでしょうか?

(経済部記者 横山太一)

主役交代?

有事に買われる金融商品の代表格と言えば「金(GOLD)」です。
経済危機、パンデミック、紛争などの有事になると「安全な資産」だという見方に沿って投資家のマネーが集まりやすく、価格に上昇圧力が高まります。

中東情勢が緊迫化した6月。どんな値動きになっていたのか…。
大手貴金属会社の田中貴金属工業に取り引きの様子を聞いてみると、会社からは意外な回答が返ってきました。

田中貴金属工業
「一時値上がりする場面もありましたが、全体としては小休止の状態でした」

情勢の緊迫度からすれば、急騰していても不思議ではありません。
会社が公表している金の店頭小売価格の推移を見てみました。

中東情勢が緊迫化した6月16日には、1グラムの価格が1万7678円と最高値を記録。

しかし、その後は下落し、アメリカがイランの核関連施設に攻撃した直後の23日にはやや上昇したものの、全体としては下落する場面が目立っていたのです。

“有事の金買い”に何が起きたのか。
実は、金以上に活発に取り引きされていたのが「プラチナ」でした。

「プラチナ」は自動車の排気ガスを除去するための部品などに使われ、金融市場では「景気に敏感な貴金属」と見られています。

過去に中東情勢が緊迫化したときは、金とは対照的に世界経済の先行きへの警戒感が意識され、価格が下落する場面が多かったといいます。ところが今回は下の図にもあるように上昇する場面が多くなっています。

田中貴金属工業
「プラチナを保有する人は値動きに敏感で、金と比べると比較的短い期間で売買する傾向があります。このところプラチナは上昇傾向が続いてるため、さらに値上がりすることを期待して買い求める人も出て、取り引きが活発化しています」

今回の値動きについて専門家は、金とプラチナの価格差も影響しているとみています。

楽天証券経済研究所 吉田哲コモディティアナリスト
「金の価格は高騰が続いてきたので割高感が出ている。その一方でプラチナの価格はここ数年伸び悩んでいて価格差が広がっている。そのため金より割安な資産としてプラチナの需要が高まった可能性がある。さらにプラチナの産出国である南アフリカ共和国やロシアで供給不足が続くという内容のレポートが発表されたことで、価格上昇の思惑も重なって買いが入ったのではないか」

プラチナは“有事の○○買い”におけるニューフェースとなるのでしょうか…。

もはや昔話

外国為替市場にも“有事の○○買い”のセオリーがあります。

その代表格だったのが日本の通貨=円です。

2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災。
日本や世界が危機に直面したとき、投機的な動きも相まって猛烈に買われたのが円です。
当時のメディアの記事では「比較的、安全な通貨と見られている円を買う動きが強まり…」というフレーズは定番中の定番でした。

一方で日本経済はこの“有事の円買い”に悩まされ、デフレとの闘いは同時に円高との闘いでもありました。

そんな“有事の円買い”はもはや過去のものとなっています。

中東情勢が緊迫化した6月の円相場(対ドル、対ユーロ)の値動きを見てみると、円は基軸通貨のドル、そしてユーロに対しても売られています(円安方向)。

どうして“有事の円買い”は見られなくなったのか。

輸出大国の日本は長く貿易黒字が続いてきましたが、2011年の東日本大震災で原子力発電所が停止したのをきっかけに燃料の原油や天然ガスの輸入が増加し、しばしば貿易赤字に見舞われるようになりました。

さらにロシアによるウクライナ侵攻をきっかけにエネルギー価格が上昇した2022年、日本の貿易赤字は20兆円を超えて過去最大となり、その後、幅は縮小しているものの4年連続で赤字が続いています。

みずほ銀行 唐鎌大輔チーフマーケット・エコノミスト
「金額ベースでみると日本の輸入全体の4分の1は石油などの鉱物性燃料が占めている。そのため原油の高騰が続けば日本の貿易赤字が膨らむと見て、円を売る動きが出たのではないか。日本はかつて『有事の円買い』による急速な円高に悩まされてきたが、『有事の円売り』に変わったことが決定的に示された。今、心配すべきリスクだ」

日本の貿易赤字が拡大するほど円は売りだー。

投資家の間でこうした見方が定着し、日本の貿易赤字が拡大しかねないような材料に反射的に反応しているのだとすれば、今回の中東情勢の緊迫化で円が売られやすくなった現象も納得ができます。

一時はホルムズ海峡が封鎖される可能性も意識されるような場面もありましたが、仮にそうなれば原油価格は高騰し、原油調達の多くを中東に依存している日本にとっては貿易赤字が一段と膨らむと予想されるからです。

ドルに死角なし?

有事に買われる通貨として日本の円が“元職”なら、“現役”はアメリカのドルでしょう。

今回、中東情勢が緊迫化した局面でも「やっぱりドル」という動きが見て取れました。

唐鎌チーフマーケット・エコノミスト
「ドルは日本以外の国の通貨と比べても買い注文が広がった。トランプ政権が相互関税を発表して以降、ドルは売られる傾向にあったが、地政学的なリスクが意識される局面では結局、基軸通貨となっているドルが買われるということではないか」

しかし、“有事のドル買い”にも死角がないわけではありません。

トランプ政権の関税措置をきっかけにドル安、株安、債券安の「トリプル安」に見舞われたのは記憶に新しいところです。

さらにトランプ大統領はFRBのパウエル議長に対して執ように利下げを求めています。関税措置がアメリカ国内のインフレ加速をもたらす中で、FRBが政治からの圧力に屈する形で利下げに踏み切った場合、ドルの信用はどうなるのか。

またトランプ大統領が肝煎りの減税法案が可決する一方、歳出削減が思うように進まずに財政懸念が強まったときにドルの信認は揺らぐことはないのか。

どうやら現時点では基軸通貨=ドルの地位はそう簡単には崩れないという見方が大勢を占めているようです。

ただドルの死角を突く形で“安全資産”としての評価を上げている通貨もあります。

スイスフランです。

ドルもしのぐ

外国為替市場では今、ドルを売ってスイスフランを買う動きが強まっています。
スイスフランは対ドルのレートで2015年以来の高値となっているのです。

実はスイスは中東情勢が緊迫化していた6月19日、政策金利を0.25%引き下げて、ゼロ金利にすることを決めました。

外国為替市場では金利差に注目して高い利回りが期待できる高金利通貨ほど買われやすくなる傾向があります。

しかしスイスフランはゼロ金利が決まってからも他の通貨に対して買われています。

このチャートは円の対スイスフランの値動きですが、政策金利が0.5%の日本の円に対してもゼロ金利のスイスフランが上昇(円安・スイスフラン高)しています。

スイスフランが買われている背景について、唐鎌さんは次のような要素を挙げています。

1. 中立国としてのポジションが確立され、地政学的なリスクが意識されにくい

2. 輸入に占める鉱物性燃料の割合が5%程度(日本は25%程度)で原油高騰の影響が限定的

3. 貿易黒字が一貫して続き、財政も安定

投資家がリスクを避けようとする際に意識する地政学的リスクの有無、貿易収支、財政状況などについて、スイスフランは高い評価を得ているようです。

結局、有事に買われるのは?

金融市場の定石だった“有事の金買い”と“有事の円買い”、そして“有事のドル買い”。

しかしリスク回避のマネーが流れ込む場合、その資産自体にリスクや死角がちらりとでも見えると、安全資産としてのポジションはほころびやすいのかもしれません。

いつの時代でも通用する“有事の○○買い”はあるのか。

何が起こるかわからない混迷の世紀。むやみに安全性を信じるのではなく、さまざまなリスクを考察し、分散することが大事なのかもしれません。

(7月7日「ニュースーン」で放送予定)

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