なかけん。です。
昨日は結構ネタがあったということで、その中からおひとつ。


昨日は友達と有楽町で別れた後、帰り際に赤坂にぶらり途中下車。
グランドプリンスホテル赤坂に寄ってお茶した後、斜め向かいに見えるタワーが、確か事件の現場だった記憶があるので行ってみることに。
それは、一ツ木通りに戻って、通り沿いの横断歩道を渡ったところにありました。



なかけん。です。 なかけん。です。
「プルデンシャルタワー」です。
このタワーには、プルデンシャル生命保険の本社やジブラルタ生命保険の本社が入居しているのですが、かつてその場所はとあるホテルがあった場所でした。



なかけん。です。
そのホテルというのが、「ホテルニュージャパン」です。
「ホテルニュージャパン」は、藤山コンツェルンが母体となって1960年に開業されたホテルで、二・二六事件の時に部隊が立ち寄った日本料亭「幸楽」(戦時中に撃墜されたB-29機が直撃して大破、全焼した)の跡地に建てられました。
当初は高級アパートとして計画されていましたが、東京オリンピック開催直前の第1次ホテルブームの波に乗って、急遽計画を変更しホテルとして開業されました。

設計は、早稲田大学早稲田キャンパスにある大隈講堂を設計したことでも知られる佐藤武夫さんが担当されました。
ホテルの外観は、全室から景色が見られるようにと全体的にY字型のフラクタル構造をした建築になっていました。
内装は、日本を大行末うデザイナーの剣持勇さんが担当され、ラウンジチェアがニューヨーク近代美術館の永久収蔵品に選定されるなどの高い評価を受けたそうです。

料亭とホテルの融合を表した造語である「リョーテル」や東洋最大の格式を謳い文句に、日本初のトロピカルレストランやオープンカフェ、ショッピングアーケードなどを構え、斬新で画期的なアイデアが盛り込まれた日本初の都市型多機能ホテルとして、モデルケースのような存在でした。
フジテレビ、日本テレビ、TBSテレビ、テレビ朝日の中継地点であることや、永田町なので国会議事堂からも近いという土地柄、政治家や芸能人といった著名人の利用も多く、政争のたびにホテルニュージャパンが舞台になる機会も多かったようです。

なかけん。です。
地下には、高級ナイトクラブである「ニューラテンクォーター」があって、こちもホテルと同じく豪勢なつくりとなっていて、1963年12月8日に力道山の刺傷事件が発生したことでも有名でした。



なかけん。です。
しかし、1982年2月8日の午前3時24分に「ホテルニュージャパン火災」が発生。
火元の9階と10階を中心に12時過ぎまでの9時間半に渡って燃え続け、炎は7階にまで、延焼面積は約4200平方メートルにまで達しました。9階938号室に宿泊していたイギリス人男性客の寝タバコが原因で発生し、宿泊客を中心に33名の死者と34名の負傷者を出す大惨事となりました。

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火災後は営業禁止処分を受け、廃業しました。地下にあった「ニューラテンクォーター」は廃業後も営業を続けたものの、7年後の1989年5月27日に閉店しました。
その後、千代田生命保険が土地を自己落札し、1996年に解体され再開発に着手したものの、4年後の2000年10月に千代田生命が経営破綻。建設途中だったビルをプルデンシャル生命保険が買収して森ビルと共同で建設を進めて、「プルデンシャルタワー」として2002年12月16日に完成して現在に至っています。


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「プルデンシャルタワー」は、地上38階、塔屋1階、地下3階、高さ158.35mで、1階~2階がレストランやカフェがあり、3階~24階までがオフィス、26階以上は「プルデンシャルタワーレジデンス」という高級賃貸マンションというフロア構成なんだそうです。



プルデンシャルタワー(ホテルニュージャパン/ニューラテンクォーター跡地)
プルデンシャル生命保険/ジブラルタ生命保険本社/プルデンシャルタワーレジデンス
2002年12月16日~現在
東京都千代田区永田町2-13-10
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