パニック障害と10年間
パニック障害と診断されてから10年目になる。
当時、昼は大学に通い、帰宅してデザインの勉強、終電でバイトに行って始発で帰る日々を送っていた。今思うと本当にありえない生活だけど、上京してひとり暮らしを始めて2年が経とうとし、デザインという面白そうなものを見つけて毎日が楽しかった。21歳になったばかり、体力的には全然しんどくないつもりだった。
2011年3月。東日本大震災が起きたとき、池袋から渋谷に向かう地下鉄の車内に数十分閉じ込められた。これが1つの大きな引き金になったのだと思う。数日後、地下鉄のホームで電車を待っていると、突然息苦しさと動悸に襲われて動けなくなった。誇張ではなく、このまま死んでしまうのでは?という発作。典型的なパニック障害の症状だ。だけど、それがおさまると (数時間の軽い頭痛以外は) 何事もなかったかのように元気になって、このときの僕は単なる過労のせいだと考えてしまった。
言い知れぬ恐怖感は次第に教室や映画館と場所を選ばなくなり、過呼吸になっている姿を見られたくなくて、トイレの個室に駆け込む頻度が増していった。Web で調べて「パニック障害」なるものがあることを知り、そのまま近所の心療内科に向かった。受診したのは、発作を経験してから3ヶ月近く経った頃だった。
ところが、ここから病状が好転することはなかった。当時の日記には「弱くない」とか「恥ずかしい」という言葉がたくさん出てくる。これも振り返ると本当にありえないけど、当時の僕は精神的な病が、自分の弱さから来るものだと感じていた。(厳密に言うと、頭ではそういうものじゃないと分かっていても、自分に対しては弱さのせいだと思ってた。) だから、それまでの生活の仕方を変えることに抵抗したし、周囲の人に話すこともできなかった。
なんとか前期の試験をこなして逃げるように沖縄へ帰った。夏休みを実家で過ごしてまた東京に戻るつもりだったけど、両親と話して1年休学することを決めた。後にも先にも自分が泣いた記憶はこのときくらいで、それくらい休めることに安堵したのだろう。
はりつめた緊張が解けて、半年間は抜け殻になった。体調が良さそうな日は、夜の海を眺めに行ったり、近所の公園で犬の散歩をしたり、スタバに行ってみたり。残りの半年はクラウドソーシングに登録してデザインをしながら生活費を得ていた。
そうしている間に1年が経ち、東京での生活を再開した。そこからはすべてを上手くこなすことはあきらめて、自分がやりたいことをできる範囲でやることにした。振り返ってみると、本当はしたかったけどできなかったことも山ほどある。だけど、発作が断続的に続く日々と、すべての活動を止めざるを得なかった9年前の辛さは今でも完全には消えていない。曲がりなりにも好きなことを仕事へと繋げられたことを、それなりに上出来だと思いたい。
パニック障害と付き合っていけることが、この10年間の生活の基準になっている。仕事とキャリアについて話題が上ったとき、1年間の休学を「デザインにのめり込んでしまったから」だと話してきた。その半分は本当のことで、残りの半分は言えずにいることだった。
5年の間、この文章を書いて公開できずにいた。どのような状況が発作を誘発するのか色々なパターンを認識していて、発作が起きる手前で回避できるようになってからかなり時間が経つ。3年前からは隔月でカウンセリングを受けている。症状を自覚したあとに受診しても、受け止めきれないことが分かったからだ。だけど、寛解から時が経つほど、このことを話すのを避けているのは、10年前の「恥ずかしい」にとらわれたままだからじゃないかと感じている。
ずっと今でもパニック障害のことが頭の片隅にあって、仕事のやり方も、個人的な時間の過ごし方や人との付き合い方も、自分で自分のことをケアできなくなる種に過敏で、最大限に回避しながら生きている。そのせいで他の人から見ると変だと思われる行動も山ほど残してきただろう。何も言わず察せるわけない、だからこうして文章に残すことで、ずっと残っているしこりを少しずつ解きほぐせないかと思ったのだ。
ここ数年、同じ診断を受けた同業者の話を聞いて、僕も勇気を貰うことが多かった。だけど、この病気にはそれぞれ違う原因と症状があり、違う対処法を持っている。だから、上手く行ったこと行かなかったことを具体的に書くことは避けた。みんなが告白したほうが良いとも思わない。自分はこうして乗り越えられたよとか、そういう話がしたいわけじゃない。これを読んだ周囲の人の接し方が変わることも望んでいない。長い間隠していたことを打ち明けられるようになったら、自分の中で何か変わることがあるのか、僕自身のために書いてみたかった。
昨年、上京して10年が経ち、歳は30になった。今年は新型コロナウイルスの影響で自宅で過ごすことが増えて、自分自身と向き合って話す時間が持てたのは良いことだった。その中で1つ決めたのが、長年下書きのままだったこの文章を公開することだったのだけど、これを書き終えた時点ですでに心が少し軽くなったことを実感している。