8-21 職業選択の不自由
アニッシュは疲労を隠せない足取りで迷宮を歩んでいた。
ナイフで壁を傷付けるのは目印を引くためなのか、杖のように体を支えるためなのか判然としない。足下ばかりを見て歩いているのに、たまに倒れかけている。
強度よりも携帯性を重視したナイフに体重をかけ続けていたからだろう。
「ここ……だっ」
同世代と比べても、やや背の低いアニッシュでさえ屈まなければ通れそうにない横道。
その傍で、ナイフが根元から壁に叩きつけられて、ポッキリと折れてしまう。
「これが余に残された最後の手段だ」
アニッシュは巾着袋の中から、油紙に包まれた丸薬のような玉を取り出す。
「スズナ、もしもの時の最後の炸裂玉。使わせてもらうぞ」
玉は『爆薬知識』スキルを取得していたスズナが愛用し、スズナにしか作れない爆弾である。
導火線はなく、使用するのに火は必要としない。
対象に強く投げ付ける事により、内部の火薬が炸裂する。岩に投げ付ければ表面が黒焦げるだけに留まらず爆発範囲内が大きく砕ける威力なので、地球の黒色火薬よりも危険だ。素人が携帯するには危険性が高過ぎる。
ただのモンスター相手であれば十分に強力な武器であるが、それでも、巨大かつ強靭なメイズナー相手には心細い。
「余にできる事は、これぐらいしかない」
アニッシュではメイズナーに決して勝てないだろう。
鉄器が石の床を削りながら滑る音が聞こえてきた。
意地が悪い演出である。モンスターの性根が歪曲しているのは仕方がないにしろ、既に怯えている少年を更に怯えさせるために、メイズナーは音を立てている。
「壁の傷が途絶えているな。床には折れたナイフ。そして、通路の分岐。なるほど、分かり易い二択問題だ」
数分前までアニッシュがいた場所へとメイズナーは辿り付いた。もうすぐ追い付くだろう。
「一方は本道。高さ十メートルの石レンガの道。この先は……塞いだ第九層への階段へと続くだけだ。うまく獲物を追い立てている証拠であるが」
疲労したアニッシュの足を引きずるような歩幅と、巨体のメイズナーでは一歩の距離が違う。メイズナーは歩きながらでも十分に追跡できるのだ。
「一方は小さな支道。少年でなければ通り抜けは困難だ。モンスターに追われる冒険者が逃げ込めるようにあえて設計された小道だったか。誰も攻略できない地下迷宮に、人間族は群がらないからな」
メイズナーは牛頭を前へと一度傾ける。金色の鼻輪が揺れる。頷いただけであるが、巨体が行えばそれだけで大げさとなる。
特に迷わず、メイズナーは小さな横道へと向き直った。
「あの少年が逃げるなら支道しかありえない。そうでなければ、せっかく作った逃げ道が使われじまいだ。それでは迷宮の管理者としては徒労ばかりで空しいからな。ふっ、私本意の思考でなくても、あの少年はこの私から逃れようとするのならば小道を選び続ける」
横道は本当に狭く、メイズナーでは手首さえも入り切らない。
追跡のためには回り道が必須であるが……メイズナーは身を屈めて横道へと入り込んでいく。
ゴムが引き伸ばされていくように、メイズナー周辺の空間が歪曲していく。
排水口へと流れ込むように、メイズナーの巨体が小さな横道へと入っていく――。
「さて、非力な少年に恐怖を与え続けるのは不毛だ。そろそろ追いかけっこは終わりにしよう」
「――どういう事だ?」
長い横道を進み続けたメイズナーは、ふと、呟やく。
進めど進めど、メイズナーは一向にアニッシュの背中を発見できずにいたからだ。
それどころかアニッシュが前を進んでいる痕跡さえも確認できない。道の床は白くなる程に埃が積もっている。足跡は残されていない。
「この道を通った訳ではなかったのか。それとも、足跡を残さず進んでいるだけか。一体何故――ッ」
後方から爆発音が響き、横道全体が震える。メイズナーは牛耳を動かした。
メイズナーは異常地点へと急行するため即座に道を引き返す。迷宮の管理者としては、許可外の破壊活動を容認できなかった。
横道を引き返し、戻る程に空中を漂う埃の濃度が増していく。メイズナーは違和感を覚えた。
出口の光が、見えないのだ。暗闇が延々と続いている。
「おのれ! 入口を破壊して、私を閉じ込めたのか。犯人はあの少年かっ」
横道は何らかの爆発物により崩落していた。壊れた石ブロックが、道を完全に塞いでいる。
メイズナーは狭い道の中で加速する。ほぼ九十角に上半身を曲げて頭部を突き出す。太く鋭い二本の角を前にして、埋まった道へと突撃するつもりだ。瓦礫を排除するだけの『力』をメイズナーは有しているのだ。
牛の角が接触。
横道を塞いだ際の爆発音と同等か、それ以上の衝撃が体積する数トンの石材を吹き飛した。頭を使っただけのただの馬鹿力だけで、メイズナーは生き埋めから脱出を果たす。
横道から広い本道へと戻ってきたメイズナーは前傾姿勢を解いて、頭を上げた。十メートルは届かんという巨体により、頭頂部は天井スレスレだ。横道から脱出したばかりであるが、体積的にメイズナーが横道に入っていたのは、やはり無理があった。
「私を閉じ込めるとは考えたが、無駄だったな――ッ、また爆発か!?」
爆発の振動が、天井の欠片を落下させる。
メイズナーは道の左右を確かめて、二度目の爆発の元に見当を付ける。
爆発は地下迷宮の奥側方向、第九層へと続く階段がある広場で発生したと思われた。二度目の爆発に続き、三度目の爆発が続いたので間違いない。
「またッ!? 一体何を企んでいるのだ。逃げ回っているだけの少年がいきなり豹変しおって」
メイズナーはアニッシュを非力と侮っていた。本気で追跡していなかった。そんな己を反省しながら広場へと急行する。
急行しながら、二度も続いた爆発の理由を考える。
そもそも、どうして逃げるだけだったアニッシュが迷宮の奥へと向かうのか。あえて狭い横道へと逃げ込まず、それどころかメイズナーを道に閉じ込めたような知能犯が、ただ迷っただけとは考え辛い。
とはいえ、広場にあるのは崩落した階段のみだ。逃げ道はどこにもないのである。
「いや、二度も続いた爆発。まさかっ?!」
メイズナーは広場に到着すると、目撃した。
広場の中央、第九層へと続く階段の入口が粉々に破壊されてしまっている。メイズナー自身が斧で潰した入口であるが、今は更に酷く破壊されていた。
見える範囲に、アニッシュの姿は確認できない。いるはずがない。
アニッシュは……破壊された階段の入口を発破、穴を開き、第九層へと逃げ込んだからだ。その直後、追跡を妨害するために再び入口を爆破した。爆発が連続した事から、メイズナーは広場で行われた破壊工作の全容をこう直感した。
「実力を見誤っていたか、少年! この私を欺いて逃げ延びるとは。だが、このまま逃してやる訳にはいかん。――迷宮管理者権限発令、階段新設、第九層へ!」
メイズナーが床に手を置き、宣言する。
すると、石レンガが自らズレて動き、穴が開き、段差が生じる。広場には破壊された階段とは別に新たな階段が誕生する。
「三騎士がメイズナー、少年を排除すべき敵であると認めよう! さあ、これからが真の追撃戦だ。どこまで私を楽しませてくれるか楽し――」
「――真心にて奉らん。
火の神の憐れみに喜びを――火球撃ッ!!」
第九層へと踏み出そうとしていたメイズナーの背後を、どこからか飛んできた火球が直撃する。完全に意表を突いた一撃であり、メイズナーを驚愕させ、硬直させるには十二分であった。
それでも、魔王の幹部を務めるにたる化物である。ただ混乱しているだけではない。
焼け焦げていく背中の痛みを叫び上げる前に、メイズナーは襲撃への対処のためスキルを発動させる。
「――ッ!? 『視覚領域のラビリンス』よ。私を害する者の距離感を狂わせよ!」
「覚悟せよ、メイズナーッ!」
広場の隅に隠れていた影が、広場中央のメイズナーに向かって走り出す。
メイズナーの背中を燃え上がらせた犯人は、アニッシュだった。隠れながら長い詠唱を唱え終えて、無防備なミノタウロスを背後から攻撃したのである。
しかし、メイズナーへの攻撃は続かないだろう。メイズナーの発動したスキルの所為で、半牛半人の巨体が更に大きく広がっているからである。
夜天に浮かぶ満月が、距離に反して大きく見える現象を錯視という。メイズナーもスキルにより月と同じように姿の大小を偽装できる。真の姿を知らないアニッシュが、メイズナーを正確に攻撃するのは不可能だ。
アニッシュは奇妙な形をした短剣――忍者職が使う、クナイと呼ばれる両刃武器――を両手に持って走っているが、刃は届かない。
「メイズナー、余はもう気付いていると、横道に余が入っていなかった時点で気付くべきだったのだ」
……だというのに、アニッシュは燃えるメイズナーの背中へと肉迫する。隙を突いたクリティカルヒットだ。
クナイの先が牛皮を貫通、赤い血が噴出する。
「メイズナーッ! そなたは、余よりも小さいのだろう!!」
アニッシュは完全にメイズナーの思考を上回った。
この業績はアニッシュの従者であったグウマでさえ成し遂げられなかった。更に言えば、これまで迷宮に挑んだどの冒険者にも成し遂げられなかった。何よりも、それをレベル差が50はあろうという怪物に対して成し遂げた。
アニッシュは非力なまま、強敵を上回ったのである。
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“職業更新詳細
●ノービス → 勇者《勇敢なる者》”
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“『勇者《勇敢なる者》』、強き者に挑戦した勇気ある弱き者の職。
最高位に位置する職の一つ。職そのものに優位性はないが、この職に就く者には強者に挑むだけの勇気が備わっている”
“≪追記≫
かつて弱者の代表たるゴブリンが、大いなる魔王となる大樹に住み着いた際に職を冠した。
以後、四百年近く職が移る事がなかったが、半年前に前任のゴブリンが討伐され、このたび人類に返還された。
ちなみに、人類はこの勇者職の存在をすっかり忘れてしまっている。四百年は長い”
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アニッシュは、他の人類から一歩踏み出したのだ。