久しぶりの方は、久しぶり、初めましての方は初めまして、自称経済アナリストのサシャでございます。
久しぶりに更新する経済学。実はココ最近、私自身も学びがあり、私自身も租税貨幣論を語りながら表面部分を介してししか見えていなかった。
その事についても少し触れるが、まずは本題からだ。
貨幣の本質とは何かを考えたことはあるだろうか?
私の論考をどれだけの人が読破したのかは分からないが、もし、居たらおそらく「データで貴重した数字」つまりキーボードマネーだと即答出来る、ないしは、それを知っていて即答出来る人が居るだろう。
では、このキーボードマネーが出来るまでの歴史を振り返れる人はどのくらい居るだろうか?今日はそんなキーボードマネーが出来るまでの歴史を振り返る。
まずは軽く関連する内容に触れておく。税が財源だ!という声が多い昨今これ自体が誤りだと本論考では指摘を続けてきたが理由は単純に税が財源でないなら残りは国債でしかないし、日銀の出資証券を政府が55%保有してる。しかも主権通過国で変動為替相場性。画像の通り国家債務は「増えるのが通常。」であるのだ
何処の国も基本的には「国家債務」つまりは政府が支出するお金と負債は増え続けるのが通常だ。
ここを見落とすと貨幣の本質を上手く捉えられないのだ、つまり、今持っている現金紙幣の信用を裏付けるものである。
要は、「何故、1万円札が1万円だと信用出来るのか?」だ。
通貨の信用を裏付けるロジックを説明するには、まずは銀行のルーツを振り返らなければならない。そのために17世紀の中世ヨーロッパまで遡る
この頃の中世ヨーロッパでは、おカネはまさに「物理形状を持つモノ、あるいは財産」である貴金属だ。
つまり、金貨と銀貨。
商業が盛んになったロンドンでは、大商人たちの手元にはどんどんと金貨が積み上がっていき。
やがて金銭管理を任せた使用人が金貨を抱えて逃亡するなどの事件が相次ぎ、「稼いだ金貨を安全に保管したい」という需要が高まるようになる。つまりは、ロンドンの大商人たちが、金貨をロンドン塔に預けるようになった理由だ。
現在のロンドン塔は、儀礼に必要な武器などが保管されているものの、中世では地元の大商人から金貨を預かる行政サービスを提供していた訳だ。そして、1640年、チャールズ一世が財政難中で戦争に必要なお金を調達しなければならなくなり、こともあろうかロンドン塔の金貨の没収を図るようになる。
つまり「金本位制が崩壊した理由」である。ゴールド・スミスは職業柄、大量の金を「在庫」として抱えなければならず、そのゴールドスミスが「没収した」事を皮切りとし、同時にチャールズ一世にも批判が集中した事で、誰一人ロンドン塔を信じなくなった訳だ。この後、ロンドン党は信頼を取り戻す為にある試みをしかける。金貨を預かる事をサービスとしたビジネスを始める。つまり、やっている事は「全く今までと変わらない」それにも関わらずそれをサービスにし、ビジネスにした訳だ。
ビジネス内容は以下の通りだ。
①ゴールド・スミスは大商人から金貨を預かる
②金貨を預かる代わりに預かり証(金匠手形)を渡す
つまり、変えたのはたった1点のみ。預かった金貨と銀貨を返す変わりに「金匠手形」を渡しただけ。「紙切れ一つ」を渡しただけだ。ここでゴールドスミスはある事に気付く。
金貨を預けた商人たちが一斉に金匠手形を持ち込み、現金(金貨)化することは「あり得ない」と。つまり貨幣の在り方が正に金本位制から管理通貨に置き換わった瞬間だ。ここまで話すと後の流は簡単な話だ
①ゴールド・スミスは金庫の中の「商人から預かった金貨」を借り手に貸し出し、金利を稼ぐようになる
②借り手は借りた金貨を自らの商売の「支払い」に使う。支払いを受けた商人も、手元に金貨を持ち続けたくはない。
③支払いを受けた金貨をゴールド・スミスに預ける
ゴールド・スミスが貸し出した金貨が結局はゴールド・スミスに戻ってくる。(同じスミスとは限らない )
④ゴールド・スミスが発行した金匠手形が「紙幣」として流通し始める。
何故か?簡単な話だ。
金匠手形を保有する商人は、買い付けの際にわざわざゴールド・スミスの工房を訪れ、手形を金貨に交換しようと思えば出来るが、わざわざゴールドスミスの元に出向く必要が無い。そうするのが単純に面倒くさいからだ。金匠手形で全て取り引きが出来るのだから 「金匠手形」つまりは「紙幣」で取り引きをすればよい。
大量の金貨を持ち歩くのも嫌だろうし、取引の金額が高ければ高いほど、金貨で決済することは抵抗感がある。そして、ゴールドスミス側も今まで自分は借り手に金貨を貸し出していた。だが、よくよく考えてみると、別に金貨を貸し出す必要はないのだ。貸し出しの際に借用証書と引き換えに「金貨の数字を書き込んだ」金匠手形という「貨幣」を発行するようになった。しかも「金貨を貯蔵していないにも関わらず」だ。
まさに現金紙幣と同じ意味合いを持つ。
それは正に、現在の銀行融資の先祖と言える。というよりも「銀行そのもの」である。現在の銀行も、ゴールドスミスと同じく、貸し出しの際に何らかの借用証書と引き換えに、銀行預金というおカネを「書くこと」で発行しているに過ぎない。
つまり所謂「万年筆マネー」から現在の「キーボードマネー」に置き換わっただけでそれは市中銀行であれ、中央銀行であれ本質的には全く同じビジネスモデルを採用し、その上で国家が存在しているに過ぎないのだ。
因みに、ゴールドスミスは人の名前ではない、ゴールドスミス、即ち「金細工商人達」の事だ。それぞれの金細工商人達が銀行の役割を補っていた。
さて、ここで貨幣の信用の裏付けはなんであるかを考えてみよう。金匠手形であるか?これはただの紙幣だ。信用の裏付けでは無い。
今ある1万円札、ないしは千円札でいい。その価値を裏付ける理由を考えて頂きたい。つまり、千円札が何故千円札と認識出来て、尚且つそれを千円の価値と認識できるのは何故か?
さて、なんだろうか?
これ分かった人は天才だ。
答えは見つかっただろうか?因みに答えに近い物は既に論考に書き込まれている。
「おカネはまさに物理形状を持つモノ、あるいは財産」である貴金属」だと。
つまり、貨幣とは民間が創出した物や生産するサービスに当て嵌める事が出来る、それ自体が給与所得を得る条件であり、資産を増やす行為であるが故にだ。
そしてもう1つその価値を裏付けるのはズバリで「徴税」である。
紙幣とは金匠手形同様に、本来はなんの価値も無い紙切れに中央銀行が1万円と印刷するだけで「紙幣」になる。これを民間が1万円と認識出来るからその価値が裏付けだというには根拠としては弱い。
何故ならば1万円札を、千円だと言う人がいてそれを民間に広めればそれは千円の価値しかなくなる。
或いは国が同じことをしても同じだろうこれも根拠としては薄い。であれば、租税貨幣論の本質ではどうか?
畢竟、千円札を千円として納税することが出来て、1万円を1万円として納税する事が出来る、それを民間が信頼し国に税を納めているからこその貨幣の信用を裏付けるが出来るとすればどうか?
これなら誰にも値崩れをさせる事も、価値そのものを書き換える事は出来ない。つまりは、徴税で無理やり価値を値決めていると言える。