30年位前、永六輔等が吹聴していた「佐渡独立国論」というものがあった。「佐渡を日本国から独立させ大統領制の統治をさせよ」といった内容で、タレントのおちゃらけ漫談のようなものだった。
昨年この「おちゃらけ漫談」を思いだす機会があった。
知人宅にてふと書棚から手に取った本の中で、「佐渡独立論」に対して真正面から痛烈に批判した文章に出くわしたからである。本の題名は忘れてしまったが、著者は田中圭一氏(日本史学者)である。その本は氏が新聞などに寄稿した記事やエッセイを集めたものだった。
※田中圭一(Wikiより)
1931年3月15日 -。日本史学者。新潟県佐渡生まれ。新潟大学卒業後、高校教諭として勤務しながら研究成果を次々と発表。1987年、『佐渡金銀山の史的研究』で第9回角川源義賞受賞。筑波大学教授、群馬県立女子大学教授を歴任。
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佐渡出身の田中氏がタレントの漫談もどきを苦々しく思っていたであろうことは想像に難くないものの、学者が大真面目に批判するほどの話だったのだろうか?
30年近く前のことなので、ネットで調べても無駄だと思ったが、思いがけず以下のような論考のPDFがupされていた。書かれた期日などははっきりしないものの、永六輔らの「佐渡独立論」と戦後の離島振興法について考察し、今後の展望を述べた実に秀逸な論考なのであった。
「佐渡独立論」と離島振興法 佐渡市文化財保護審議会委員 本間 恂一 氏
http://www.city.sado.niigata.jp/sadobunka/denbun/information/nenpou/3_ronbun_3.pdf
本間 恂一氏の論考から「佐渡独立論」とは何だったのかを探ってみた。
◆◇ 「佐渡独立論」騒動◇◆
「佐渡独立論」」の火付け役は、「新潟日報」において昭和53年5回連載された、当時、農林水産省食品総合研究所感応検査研究室長であった西丸震哉の「佐渡独立論」であった。
※西丸 震哉(1923年9月5日 - )東京生まれ。東京水産大学製造学科卒。日本人の食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家。(Wikiより)
~「21世紀初めには環境汚染の影響で日本人の平均寿命が大幅に下がる」という見解を1990年代に『41歳寿命説』として世に送りマスコミの話題となった。いわゆるオカルト的な視点からではなく科学的合理的根拠に基づいた仮説であるだけに現在も支持する声もある。
ただし、2006年現在も日本人の平均寿命が毎年更新され続けていることと自説の整合については公にコメントしていない。~
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▼西丸論の概要紹介とともに本間氏はそれを以下のように分析する。
西丸の「佐渡独立論」が発表された昭和53年ころは、日本は高度経済成長期から低成長期に転換し、資本主義体制が生み出す諸矛盾への批判が噴出し始めた時期であり、反資本主義・反中央主権主義思想が強まり、また反公害運動などが広がりつつあった。
西丸はこのような時代的背景を視野に入れて、「日本の縮図としての日本のモデル地区であることにその価値のある」佐渡に反中央集権国家モデルを求めたのであった。
▼田中圭一氏の反論「西丸震哉氏の『私の佐渡独立論』に反論する」は 西丸論が連載された約1か月後、「新潟日報」に発表された。
以下のようなものであった。
「田中は、西丸の佐渡独立論は日本のための佐渡独立論にみえてくるとして、「佐渡が日本の実験道具にされることを島人は独立と考えるだろうか。外からの独立のすすめの意図がほのみえる部分である」と指摘し、在京文化人の安易な思い付きを厳しく批判した。
さらに田中は、「数年前、例の夏季祭典で佐渡へ来られたかたのなかに『佐渡へ来て電気があるのでがっかりした。佐渡全体をランプの生活にもどしたら全国から観光客がおしよせて』というような話をされた人がいる」ことを紹介して、西丸を筆頭とする「佐渡独立論」なるものが、現実に佐渡で暮す島民への配慮を著しく欠いていることを指摘した。」
島外人の主張には離島・孤島観念に幻惑されて、佐渡史を科学的に分析する視点の欠落が目立つ。彼らの心底に隠された思惑が「孤島コンミューン論」「佐渡独立論」という浅薄な思考を生み出しているのである。
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▼以後西丸論はさらに盛り上がりを見せる。(永六輔の「宣伝活動」も功を奏したらしい。)
西丸の「佐渡独立論」に共鳴したかのように東京では、文化人を気取る人々がこの話題に参入した。
昭和53年10月2日の「読売新聞」夕刊は、「大まじめ、佐渡共和国」「さらば” 大国日本”」との見出しを掲げて、佐渡独立論とこれを提唱する人々の言動を報じた。そして「おけさ内閣」なるものを発表した。
大 統 領 三宅正一 衆議院副議長
副大統領 本間雅彦 元佐渡農高講師
農林特別補 佐 官 西丸震哉 農水省食品総合研究所室長
大 蔵 力石定一 法政大学教授
通 産 糸川英夫 組織工学研究所長
外 務 磯村尚徳 N H Kヨーロッパ総局長
防 衛 イーデスハンソン タレント
環境郵政 有吉佐和子 作家
宣 伝 永 六輔 タレント
厚 生 斎藤茂太 精神科医・随筆家
文 部 豊田有恒 SF作家
科学技術 西堀栄三郎 日本山岳会長
(建設、運輸、労働大臣、国務大臣(国家公安委員長)などは、地元の実務家の登用も考える)
※三宅 正一(1900年10月30日 - 1982年5月23日)岐阜県出身。日本の農民運動家、政治家。1932年長岡市議会議員、1936年に社会大衆党から衆議院議員に初当選、以後通算15回当選。衆議院副議長(1976年~1979年)
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▼本間氏の分析
三宅・西丸ともに、自己の抱懐する日本社会への閉塞感を打開するための一試論として、「適度」な離島を選んで絵空事の理想を述べたのである
適度」とは、佐渡が「周囲が海という天然の国境があって、独自性を主張するのにつごうが良い。
位置も日本列島の中央部にあり気候は温暖。コメの自給率が170%という強み。さらに、暖、寒流にまたがっており、魚類も豊富で汚染されていない。全山緑の雑木材は新炭材として十二分にあり、戦前型の自給自足態勢は万全。
新生日本のモデル地区、ミニ日本として、さまざまな問題を実証できるのはこの島しかない」ということであるらしい。
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▼そしてこの騒動は地元出身の国会議員によって国会において疑義を呈されている。
第085回国会 地方行政委員会 第4号 昭和五十三年十月二十日(金曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/085/0050/main.html
○山本(悌)委員
~これはお笑いぐさといえばお笑ぐさですけれども、十月三日の読売新聞でありますけれども、大新聞にしては珍しい記事というか、社会面にでかでかとこんなふうなのが出ているのです。大臣のところへいってますね。
どういうことが書いてあるかというと、「佐渡共和国作っちゃおう」というのです。佐渡というのは私が生まれたところであります。佐渡島であります。「「大国日本に未来はない」大まじめ“警鐘の組閣”」と書いてある。「おけさ内閣」というのがあるのですね。ひどいものですわ、ちゃんと内閣ができている。
ちょっと読み上げましょう。大統領が三宅正一さん、副大統領が本間雅彦といって、これは本間雅晴中将の次男であります。そのほか農水特別何とかが西丸震哉さん、大蔵が力石定一さん、通産が糸川英夫さん、外務が磯村尚徳さん――尚徳さん知っているのかな、こんなこと。防衛大臣がイーデス・ハンソンときちゃう。
まあお笑いですけれども、いかにお笑いでもこんなことが一休許されましょうかね。しかも、これはどこで行われたかというと、三宅さんの副議長公邸で行われた。私はその後、佐渡の人からいろいろ陳情やらあるいは文句やら受けました。
また、地元へ帰りましていろいろ話を聞きましたけれども、あんなものは問題にならないと。それは問題になりませんよ、佐渡島を独立国にして、大統領をつくってやろうなんてばかげたことを考えて。
寄席の一席ならともかくも、副議長公邸でこんなことが議論されて、しかも、それが三文やかすとり雑誌に出るならともかく、大々的に読売新聞に出てまで「大まじめ“警鐘の組閣”」などとは一体何でしょうかね。大臣、これはおかしいと思いませんか。これは皆さん方には私は一石を投ずるのですけれども。
かつて伊豆大島を独立国にしようという議論があったことがあるのです。佐渡島だって明治になるまではそういう意見がよく出たのです。佐渡三十五万石、米は十分とれるし、魚は十分あるし、金はありましたし、そういう話はしょっちゅうありましたけれども、明治以降はそんなことはそれこそ夢にだに考えたことはないのですね。
私は自治の破壊だと思うのですよ。佐渡共和国ができることそのものよりも、できてどうなるかということも、これまたお笑いぐさですけれども、おもしろいんですね。
財源がないといったら、財源は記念切手を売ればいい、相川金山から出た金を小判にして売りまくれ。話はめちゃくちゃなんですけれども、いずれにしましても、何か漫談あるいは末広亭のお笑い話のような話なら結構ですけれども、こんなことが真剣に副議長公邸で議論されているなんということは私は本当に心外でございます。
佐渡の人なんかこんなことは全然夢にも思いませんし、それこそ大変な騒ぎであります。大島がだめなら佐渡にしよう、佐渡がだめなら奄美大島にしようなんて、とにかく無人島まで入れますと日本には島が三千有余もあるのですよ、一つ一つそんなことを考えているとしたら大変な問題だと思うのですね。大臣、これはどんなお考えですか。
○加藤国務大臣
私も不勉強でこの新聞のこの個所を読んでおりませんでした。先ほど秘書官から切り抜きが参りまして初めて見まして、委員会のさなかでございますから拾い読みで全体をよく読んでおりませんけれども、私はかようなことがあろうとは考えませんし、まさにその場の興の一つに供されたのではないだろうか、かような感じを持ちますが、もし真剣に考えている人が仮にあったといたしますと、それは自治を破壊するものであって、まことによろしからざること、かように思います。
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▼山本議員の発言から、お気楽文化人が地元の人々のことなど全く考慮することなく、マスコミや講演会などで勝手に喧伝した「絵空事の佐渡独立論」が地元にあたえた苦笑や戸惑いや怒りなど複雑な感情が手に取るようにわかる。
▼本間氏は論考の最初の章「問題の所在」で次のように書いている。
明治維新以後の佐渡は日本近代化と符節を合わせて進行していた。近代化を熱望する佐渡人と、幻想的島国に魅力を求める島外人との意識の乖離が佐渡の複雑な立場を生み出している。
▼そして本間氏の指摘する「意識のかい離」は西丸・永等の「佐渡独立論」の本質であり、その本質が露骨に具体化されていることが理解されるのである。
●佐渡の人が(日本からの独立など)誰一人考えたこともない、という現実を全く無視し、
●現実に佐渡で暮す島民への配慮を著しく欠き、
●自分たちの勝手な「幻想」を押し付けるものであり、
●佐渡の人を「実験道具」のごとく扱っている
▼田中氏が新聞紙上において真っ向から彼らの「佐渡独立論」を痛烈に批判したのは、(当時の永六輔の「電波力」を考え合わせれば) 当然の事だったのだ。
結局「佐渡独立論」はお気楽文化人の講演会ネタと人騒せの域を出ずに終息したようである。
田中圭一などの佐渡在住者の厳しい批判は全く正しい。しかもその後、「佐渡独立論」のような荒唐無稽の類は消滅してしまったが、如何にも無責任なその場しのぎの根なし草的なものであった。
▼おそらく無責任なお気楽文化人たちは自分たちが巻き起こした「迷惑」や佐渡の人への「侮辱 」など、全く反省することはなかったであろう。
そして本間氏の論考の秀逸さは以下の文章に表れている。
先に紹介した島外人による佐渡振興論は荒唐無稽な代物として唾棄すべきもので、提唱者は佐渡への愛情よりも自己宣伝先行型の軽蔑すべき人物であるといえないこともない。しかしそのようななかにも、佐渡振興論に資する指摘がないとはいえない。
西丸・松本に共通する主張のなかに通底する視点は、佐渡が有する本土にはない独自性(一国意識)、縮図島といわれる自然的・人文的特性などの条件を有効に活用する「自力更生」精神力の発揚などである。佐渡人にはこの直感力を掘り下げて考察する価値があるように思われるのである。
島内外の人々はいろいろな思惑で佐渡振興を提唱するであろうが、要路にある人々は謙虚な姿勢でこれに接する必要があろう。また真摯な態度をもって真贋を磨く不断の修練が必要であろう。
さて、お気楽文化人が30年前に唱えた「佐渡独立論」と、現在の ホシュ(?)言論人(?)が煽った「中国佐渡侵略論(?)」は、
「現実に佐渡で暮す島民への配慮を著しく欠き、自分たちの勝手な「幻想」を押し付け、佐渡の人を意思無き者のごとく扱っている」という点で実によく似た構造を持つことに気付かされます。
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