国宝を見て 少し長い話になります。
もう二度と見れない映画だった。私は俊坊と同じ、伝統芸能の家に生まれた。生まれた時から私は家を継ぐ3代目であり、将来は決定していた。稽古が始まったのはいつからか覚えていない。物心つく頃には私は扇子を握り、摺り足で歩く事が出来ていた。将来は日本舞踊の先生ねとずっと周りに言われ、薄ら抱いていた違和感は気付かないふりをしていた。日常に常に日本舞踊があった。釣り女の太郎冠者、棒縛りの次郎冠者、道成寺の聞いたか坊主、私の生活には常に沢山の登場人物で溢れている。中でも一番好きなのは義経千本桜。歌舞伎座で真っ白な狐の義経に心を奪われた。両親の皮で出来た鼓に擦り寄り泣く子狐、いつか義経をやりたい。そんな事が目標になっていた。
いつも稽古は厳しかった。毎日5時間泣きながら身体中を打たれてやっていた。間違えると扇子が飛んでくる。泣きながら自分がなぜこんな家に生まれたのか稽古中に叫んだ事もあった。
バレエを習っている子が、ピアノを習っている子が羨ましくて仕方がなかった。日本舞踊の発表会には誰も来たがらない。当たり前だ。一体どこの小学生が日本舞踊を見たがるのだろう。
発表会の前、親に大量に渡されたパンフレットは恥ずかしくて友達に渡せなかった。家に帰るといつも稽古場からは古典の曲が流れ、祖母の叱責が聞こえていた。そんな日常。
でも、それでも、私は日本舞踊が嫌いになれなかった。舞台を見ることも、演じることも、大好きだった。心底日本舞踊を恨み、愛している。
幼い頃から1番の遊び場は国立劇場。会がある日は朝から晩まで国立の中で遊んでいた。楽屋の押し入れや、エレベーター裏の物置、3階のロッカー、トイレ、その全てが私の遊具。
唯一違うのは舞台の上。舞台に上がる時、国立のあの舞台から見る景色は、本当に別格だ。
登場した瞬間、拍手に包まれ、顔を照明が照らす。重たい鬘も、分厚い衣装も、耳元でなる簪まで最高に私を高揚させる。決まる時に入る大向う。一斉に浴びる観客の視線。最高だった。
遊び相手は大人だった。色んな先生の楽屋に入り浸り、その家のお姉さん、お兄さんに遊んでもらっていた。でも、いつの時からかお兄さん、お姉さんが会に来なくなった。「〇〇先生んとこの、××ちゃん。家出てっちゃったんだって」
「あーやっぱりね。前からちょっとあの子おかしいと思ってたのよ」頭上で交わせられる会話に衝撃だった。あんな優しかったのにおかしかったのか。家を出ていくなんて不良だったんだ。
大人の言葉は幼い私にとって真実だった。
大きくなるにつれ散々理不尽な言葉を浴びせられてきた。貴方は家を継ぐためだけに生まれてきたのよ。跡取りがそんな踊りじゃあ、ね。そんな台詞が骨に染みるほどに。髪を染めると毎日祖母になじられ、新年会では怪訝な顔で見られた。そんなことを18年間。何度自分に流れる血を恨んだか。私は耐えられ無かった。もう逃げるしか無かった。駆け込んだ先の美大でふと気づいた。おかしくなって家を出ていったお兄さん、お姉さんたちは、私だったのかと。
きっと今頃あの舞踊界では言われてるのだろう。私の名前が忌み言葉の様に、私を可愛がっていた大人の口から発せられているのだろう。
それから3年、強い母からの薦めで国宝を見た。
最初から最後まで無性に涙が止まらなかった。
あまりにも全てを知っていた。知りすぎている世界だった。知っている、白粉の匂いも、眉毛を潰す時に抜ける眉毛、ずっしりと体を包む衣装、雪が降るときになる太鼓の音、なんども繰り返した関戸の台詞、裏を忙しなく歩き回る白塗りの若い衆、俊坊と喜久雄にずっと付きそうげんちゃん。私が育った世界だった。俊坊の気持ちが痛い程分かった。
自分に流れる血が死ぬほど嫌いで呪いでありながらも同時に私を証明し、救ってくれるものだった。本当にこの世界は血が全てだ。お弟子さんと実子は違う。本当に違う。その体に流れる血に狂わされる人を何度も目の前でみてきた。
国宝はフィクションじゃない。現実だ。あんな話よく聞く。時間がずっとあそこだけ止まっている。彼らは芸に生きている。そこに現代が干渉する隙間はない。
本当に素晴らしい映画だった。美しい映像、演技、脚本。だからこそ余計にあまりにもこの世界で生きてきた人には残酷だ。もう二度と見れない。
忘れられない景色がある。櫓のお七を踊った時。お七は、想い人に会うために禁忌である火の見櫓の太鼓を鳴らす。火炙りの刑が待ち受けていようと、恋しい人に会うために太鼓を鳴らすのだ。舞台はその太鼓を叩くところで幕が引かれる。顔を焼くような証明と、降りしきる雪の中見下ろした舞台。美しい眺めだった。
私はあの景色が忘れられない。



コメント
3「面白い」との評判で昨日見てきました。面白いというか、味わい深い映画でした。私は血筋云々の世界には生きていませんが、泣きながら見ました。昨日の夜はうなされる感じで寝れませんでした。「見なければよかった」というのが正直な感想です。そのくらい「ナニカ」に衝撃を与えてしまう映画だと思いました。良い映画だと思いましたが、辛い映画だとも思いました。
すごい文章だった。引き込まれました。
消さないでください!
まさに魂を塗り込めたような、あなたという心を感じる素晴らしい文章でした。
読むほどに惹き込まれ、あなたの生い立ちを垣間見るような心持ちでした。心を重ねると同時にあなたの抱く苦悩を想い、最後には、それらに砕けた心の一片にそっと触れたような心の痛みと切なさがありました。
あなたが懸命に、ひたむきに、己と自身の生まれた環境や家族、出会ってきた人々と向き合い真摯に生きてきた証。
できれば残してください。
誰かの救いと慰めになるかもしれません。
誰かにとっての導きになるかもしれません。
あなたという人が息づいている、感じられる、まさに分身のようなこの文章を消されてしまうのは、勿体なく、惜しく、切なく思うのです。
こんなにも美しく、情熱的で情感に溢れ、こんなにも人間がその時々を懸命に生きてきたと感じられる文章は、滅多にありません。
これを美しく思うのは、あなたが生きてきた時間が、あなたの言葉で描かれ、つづられているからです。
葛藤や苦悩を乗り越え、或いは抱え続けながらも今を生きておられる。
あなたはあなたとして生きてゆきたくて、懸命に歩み続けた。その軌跡が此処に生きているから。