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山本太郎的「おいこら主義」は駆逐されなければならない(能登半島地震から1年)

役所の窓口で「おいこら役人」と怒鳴ってカウンターを叩く人物が山本太郎、彼を救済者登場ともてはやし自らも世直しのためにと役所で暴言を吐き暴れるだけでなく、眉をひそめる人々を肉屋に媚びる豚と揶揄する人物がいると考えてみる。

加藤文宏

山本太郎の本質は「おいこら主義」

 筆者が山本太郎研究を始めたきっかけは、福島第一原発事故後に甚大な二次被害をもたらした「風評加害」の構造を解明するためだった。

 山本は原発事故後に一人の市民として反原発運動の周辺に登場し、佐賀県庁侵入事件で活動家としての支持基盤を確立した。
 佐賀県庁侵入事件とは、山本が2011年7月11日に九州電力玄海原発2、3号機の再稼働反対を唱えてデモ隊とともに佐賀県庁に押しかけ、後に佐賀地検による事情聴取が行われたできごとだ。
 2015年にTwitterを確認すると侵入と事情聴取について6008件の言及ツイートがあり、2023年3月25日再度確認するとアカウントの削除等で減ったものの5600件あまりの書き込みが残っていた。Twitterの国内利用者数は2011年は1,440万人とされ、現在の4,500万人よりはるかに少なく、6000件を超える言及は異例のものと言ってよい。とうぜん山本の行動を批判する書き込みもあったが、多数が肯定的であり賛同の意を表していた。
 侵入事件のポイントは[①再稼働の可否を決定する権限のない佐賀県が抗議の対象にされたこと、 ②面会の約束を取らず知事に会おうと乱入する無法ぶりや、知事に面会して要望書を手渡しても再稼働を阻止できない点を無視して、賛同者たちが山本の実力行使を高く評価したこと、 ③賛同者は自分の漠然とした不安や不満が山本によって言語化、または怒りの行動として可視化されたことに感銘を受けて彼を支持するようになったこと]だった。
 決定権のない佐賀県と県知事を抗議の対象にしたのは意図的であったか、単なる山本の無知によるものかわからないものの、批判または攻撃する相手として権力や権威とみなされているものを取り上げて、怒りをぶつけるべき相手として大衆に明示して実力行使する、彼が行う運動の雛形がここで生まれたのは間違いない。
 能登半島地震では、松葉杖をついて被災地入りし、復旧が遅く被災者への対応が悪いと国や自治体を責めている。しかし実態は国や自治体が怠慢だったのではなく、地理的条件ほかさまざまな現実によって、復旧が進んでいないように見えていただけだった。それでも「おいこら役人」と窓口で大声を張り上げるかのような山本の行動は、佐賀県庁侵入事件同様に不満や不安を抱えた人々から称賛されたのだった。
 能登半島についての山本とれいわ新選組議員たちの言動によって、「おいこら主義」が従来からの山本支持者層以外にも広がったのを、複数の被災当事者が証言している。被災地で、山本の言動をコピーしたような人々が事実の一部分を切り取って誇張したり、難癖と呼ぶべき姿勢で復旧や復興にあたる人々を責め立てたのだ。
 全日本自治団体労働組合(自治労)が、奥能登地域の4つの市町と七尾市の組合員を対象に、7月から8月にかけて行った調査でも、住民から執ようなクレームや不当な要求行為などのいわゆる「カスタマーハラスメント」を受けたことが「ある」と答えた職員が41%いたほか、21%が「自分はないが、直接見聞きしたことがある」と答えている。そして、「地震のあと、仕事を辞めたいと思ったことがある」と回答したのは58%だった。詳しく聞くと、「災害対応で長時間労働、業務の増加」や「肉体的、精神的な負担に限界を感じる」など、地震の発生で業務量が大幅に増えて悩んでいるという声が相次いだという。
 現地の様子を証言してくれた被災者は、難癖を批判すると彼らの敵対勢力として扱われたと語っている。ネトウヨならぬノトウヨと呼ばれただけでなく「肉屋に媚びる豚」と揶揄されたと語る人もいた。こうして自分たちの意見や取り組みはなかったことにされたり、悪と位置付けられたともいう。被災地が分断されたのだ。
 これを全国規模で行ったのが、冒頭で説明した山本太郎の反原発運動である。

救済者であり続けるための分断

 大きな災害が発生するたび、人々の中に不安だけでなく潜在的な不満が膨張する。これは問題意識でもあり、課題を解決するため重要なきっかけとして働くこともあるが、自分こそが救済者であると思い込むメサイアコンプレックスを少なからぬ人に発動させてしまう。なかには発言や行動が注目され、これが余人に承認されたことで、救済者として注目され肯定されるのがあたりまえと考えるようになる人もいる。そして多くの人に承認され肯定されたことが成功体験となり、ここから支持を集めるための方法論を導き出したのが山本太郎だ。
 救済者は正義であり、正義の側に身を置くことや、正義の鉄槌を下すことは心地がよい。だが救済者の地位に留まるためには、常に困難が存在しなくてはならない。困難つまり敵は権力と権威とされるが、「肉屋に媚びる豚」というセリフであきらかなように彼らになびかない人々もまた敵対勢力とされる。
 山本は反原発の政治家と思われているものの、彼が原発問題を公約の看板項目にしていたのは2013年までで、2019年の参院選で「原発即時廃止」は公約の8番目に落ち、2020年都知事選の公約では反原発ばかりかエネルギー政策さえ語られていない。このように彼は次々と人々の不安や不満の種を渡り歩いて、敵視する権力や権威を変えてきた。
 いっぽう原発事故や能登半島地震で山本を支持し、救済者として目覚めた人々は救済のテーマを容易に変えられない。なぜならテーマを変える時は、原発事故や地震被害についての問題が解決していなければならず、解決したなら救済者が必要なくなるからだ。
 山本がテーマを転々と渡り歩けるのは、それぞれを語るだけの見識があると自称しているからで、一般人救済者はなかなか真似できないうえに周囲も真似できるとは思っていない。

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 このため原発事故で救済者として目覚めた人々は、いつまでも被曝による健康被害の恐れがあると言い続けなくてはならなくなり、山本や彼らが生み出した分断を維持しなければならなくなった。これが、彼らがいつまでも風評加害に精を出し続ける背景だ。
 能登半島地震で救済者として目覚めた人々も、救済者であり続けるため復旧や復興がまったく理想からかけ離れたもので、権力者や敵対勢力が邪魔をしていると言い続けなくてはならない。このため被災地の人々同士の分断は、北朝鮮と韓国とを分ける北緯38度線のように維持されるのはまちがいない。
 彼らは10余年後、能登半島のどこかに残った被災の痕跡を撮影して復旧していない証拠と言い、復興の過程で生じる様々な課題を国と自治体(と職員)が生み出した大問題と言い換えて騒ぐだろう。このように「おいこら主義」は終わることなく、分断もまた修復されないままなのではないか。
 そもそも山本ですら彼が提起した問題を何一つ解決していないうえに、発生させた分断を修復しないまま今日に至っているのだ。

復興とは何かはっきりさせよう

 筆者は東日本大震災と原発事故のあと度々被災地を訪ね、あちこち歩き回っただけでなく人々のさまざまな声を聞いてきた。多くのものを失い被災地から関東に避難してきた原岡ひさのと、長年に渡り自主避難者問題や風評被害問題の解決に取り組んできた。こうして、震災や津波の被害だけでなく、原発事故の影響は一人ひとりにとって不条理そのもので不公平としか言いようがないものだったのを痛感した。
 自分の人生だけでも、個人ががんばって元通りにできるものではない。これが親族、ご近所、仲間、愛する人とも関係するとあって、取り戻せないものは何倍にもなり得る。そして日常を取り戻す希望を失ったとき、人が簡単に萎えてしまうのは間違いないことだ。
 能登半島地震発生後に、立憲民主党の米山隆一は次のように語った。
「地震前から維持が困難になっていた集落では、復興ではなく移住を選択することを組織的に行うべきだ。現在の日本の人口動態で、その全てを旧に復することはできません」
「維持が困難だった集落で地震で甚大な被害を受けたところは、多額のお金で復興して、結果被災者が年老いた数十年後に廃村になるより、被災者も若いうちに移住を考慮すべき」
 米山が語った「移住」は、平時の引越しとは事情が違う。しかも「復興ではなく」とする以上、被災したまま放棄する場所ができる前提であり、元通りの生活をあきらめて住み慣れた場所から移住を強いる主張だ。
 こうして、住み慣れた場所を離れることで何が生じるのか。
 高齢者を介護した経験がある者なら、自宅介護が困難になって親族を施設に預けざるを得なくなったときの光景がよみがえるかもしれない。親族のためである以上に本人のためであっても、少なからぬ数の高齢者が施設への入居に抵抗し、施設に「移住」したことで心身のバランスを崩して急速に衰えていく人がいる。
 東日本大震災でも、このような出来事が発生し、避難暮らしのなか「震災関連死」で亡くなる例が多かった。
 人はパンのみにて生くるものにあらずは、キリスト教徒に限ったものではない。
 復興とはインフラが人々の生活を支えられるまでになるだけでなく、人々が完全な安堵は無理としても憂慮の数を日常へ近づけることではないか。たとえ元の場所や、元通りの住処に住めなかったとしても、新たな希望を手にすることではないか。
 山本太郎と追随者たちの言動は米山の主張と正反対に見えるが、復興の本質から目を背けている点では表裏一体のものと言える。しかも救済者気取りたちは、正義の救済者として君臨し続けるため「おいこら」と捲し立てて人々を傷つけ、分断を維持しようとする。
 人々が分断されたなら、落とされた橋を掛け直すように、融和へ導かなければ復興が達成されたとは言えない。つまり彼らは、復興のゴールをはるか遠くへ押しやってしまったのだ。東日本大震災と津波で破壊されたインフラが元通りになっても、風評加害によって以前のような福島県とはまだ言えないのと同じである。


*能登半島のみならず、福島県の現状を鑑み、当記事を一時的に無料解放します。ご理解いただければ幸いです。


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