「妻に怒られた」は謝罪もどき 政治家のテンプレ釈明にはツッコミを

聞き手・石川智也

 「妻から電話があって、怒られました」。辞任した前農林水産相が「コメは買ったことない」発言の弁明で口にした言葉を聞き、「またか」とあきれた人も少なくないのでは。妻に頭が上がらない、と暗に示せば親しみやすさにくるんだ低姿勢ぶりを演出できるという定式でもあるのか、政治家はよくこの言い訳を使う。

 免罪符のごとく用いられる「妻に叱られた」だけでなく「誤解を招いたとしたら申し訳ない」といった政治の常套(じょうとう)句を読み解いてきた言語哲学者の藤川直也さんは、こうした「謝罪もどき」を聞いたらスルーしないで、と説く。

「牛乳買い忘れた」と同レベル狙う?

 「妻に怒られた」「叱られた」という釈明表現は、政治家によって繰り返されてきました。東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗元会長も2021年、「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」と発言し、批判されると「女房にさんざん怒られた」「娘にも孫娘にも叱られた」と釈明しています。妻や娘を使ったこうした言い回しは、言語哲学の観点から見て、二つの効果があります。

 まず、本来無関係な家庭内の話をすることで、問題を家庭内の些末(さまつ)な事象かのように矮小(わいしょう)化する効果です。この表現は、汚職や裏金など問答無用で重大な問題においては決して登場しない。使われるのは、公共性がありながら直ちに致命的とも言い難い中程度の問題に対してです。つまり、巧妙に自らの失言のレベルを見定めた上で、それを「牛乳を買い忘れて怒られた」程度のカテゴリーに更に引き下げてね、と受け手に働きかけているのです。

 精神医学者のアーロン・ラザールは、謝っているようで謝罪になっていないこうした発言を「謝罪もどき(pseudo-apology)」と呼び、その8類型を例示しています。

謝罪になっていない謝罪表現8種

 ①何に対する謝罪なのかをぼかす。「何かよくわかりませんが、ともかくごめんなさい」

 ②自分が関与したことをぼかす。「このような結果になってしまい、まことに申し訳なく思います」

 ③条件つきの形にし、謝罪の対象がそもそも事実でない可能性を示唆する。「もし~だとしたら、謝ります」

 ④相手の被害を問題視し、相手のせいにする。「もし気分を害されたとしたら、おわびします」

 ⑤やったことを小さく見せる。「ご迷惑おかけして申し訳ありません」

 ⑥謝っている風の言い回しを使う。「残念に思います」「大変心苦しく思っています」

 ⑦謝る相手をずらす。「心配かけた家族に謝りたい」

 ⑧謝る対象をずらす。「誤解を招くようなことを言ってしまい申し訳ありません」

 今回の江藤拓・前農林水産相の「妻に怒られた」発言は⑤に該当し、過失を矮小化する「謝罪もどき」です。

「脱家父長制」ポーズをアピール?

 もう一つは、「脱家父長制」的ポーズを示せる効果です。「怒る」や「叱る」という行為は、一時的であれパワーバランスの差を前提にしています。特に「叱る」は、語義的にも叱る側の立場が相手より上か少なくとも対等でないと成り立ちません。「自分は家庭でも家父長的に振る舞っていない。夫婦対等もしくは妻の方が立場が上です」という暗黙裏の前提を受け手は共有させられているのです。それが真実かどうかも分からないのに。

 ただ、重要なのは、言語コミュニケーションは送り手と受け手の共同作業だという点です。そうした共同作業が求められる場面で政治家がそれに協力しようとしないならば、態度を改めるように促すことも必要になるでしょう。例えば相手が「誤解を招いた」と謝罪もどきを口にしたら、スルーせず「いいえ、誤解していません。そう言うなら真意は?」と説明を求める姿勢が大切です。兵庫県の斎藤元彦知事は、第三者委員会が公益通報者保護法違反を指摘すると「尊重したい」「真摯(しんし)に受け止める」と応じました。そう述べつつ「適切な対応だった」「専門家でも意見が分かれている」などと主張するのは不適切で、真摯に受け止めるのであれば相応の振る舞いが求められます。違法性が指摘された状況を放置するのではなく、具体的な再発防止策を作るなど言質を果たす義務があり、発言の受け手もそれを求めていく必要があります。

相手をコミュニケーションの土俵に巻き込む

 気になるのは、近ごろ政治家の言葉だけでなくメディアの反応もテンプレート(定型)化していることです。「訴状が届いていないのでコメントを差し控える」「仮定の質問には答えられない」。こうしたコメントがそのまま載っている記事が散見されます。コミュニケーションを不十分なまま固定化させないためには、時にはテンプレから逸脱したリアクションをして、相手を共同作業の土俵に引きずり込むことも必要。問題を一過性のものに終わらせず、言行不一致を問い続ける。それがメディアの役割のはずです。

藤川直也さん

 ふじかわ・なおや 1980年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は言語哲学。著書に「誤解を招いたとしたら申し訳ない 政治の言葉/言葉の政治」「名前に何の意味があるのか 固有名の哲学」。

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この記事を書いた人
石川智也
オピニオン編集部
専門・関心分野
リベラリズム、立憲主義、メディア学、ジャーナリズム論
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    本田由紀
    (東京大学大学院教育学研究科教授)
    2025年7月2日7時12分 投稿
    【視点】

    謝罪もどきの8類型、問題の矮小化、「脱家父長制」のポーズ。中身の濃い記事である。政治家や行政の発言をそのまま垂れ流すマスメディアの責任も問われている。記者会見において、「それはどういう意味ですか?」「なぜそう言うのですか?」「だからなんだというのですか?」と記者が問うてくれたならば。その先に表れるであろう、発言者の狼狽やさらなるごまかしまで伝えてくれたならば。それをしないことで記者がなめられ、記者の背後にいる膨大な人々がなめられ、思いあがり間違った言動を平気で続ける者が権力の座に居座る。マスメディア不信を覆すめざましい働きをマスメディアには示してもらいたい。

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    白川優子
    (国境なき医師団看護師・作家)
    2025年7月2日10時57分 投稿
    【視点】

    うっかり同情心が芽生えてしまいそうですが、こう最近「妻から叱られた」が続くと、世論からの批判を弱める下心しか感じなくなってきますね。問題の核心は無自覚なままに謝罪本来の趣旨から話を逸らしているだけの新しい論点ずらしに思えてきます。謝罪対象に対しては大変失礼なことですね。この記事で思い出したのですが、ある学校の教頭先生から、学校でも記者会見の練習というものがあるのだと聞いたことがあります。講師を呼んで教員たちにいざという時のために勉強会を開くのだそうです。実際にたまにテレビで見る学校の記者会見で、いかに無難に終わらせるかだけが前面に出ている、心のこもっていないテンプレートのようなセリフはここから来ているのかなと思いました。おそらくどの業界でもテンプレートがあるのかも知れません。問題にきちんと向き合い、心ある真摯な姿勢を見せれば世間も同じように受け止めるはずですが、無難にやり過ごすことだけが一般化した世の中になっているのですね。

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