無料で便利なだけじゃない! なにわの“人情”渡し船

無料で便利なだけじゃない! なにわの“人情”渡し船
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古くから水運が盛んな大阪。

実は今も渡し船が地域の人たちの大切な移動手段となっています。

「おはよう」「行ってらっしゃい」

朝も夜も、夏の暑い日も冬の寒い日も、船長は同じように声をかけます。
そんな船長との会話を楽しみ、時には悩みを相談する利用者たち。

わずか1分間の航路で繰り広げられる、人情味あふれる空間がそこにはありました。

(大阪放送局 カメラマン 平澤輝龍)

安全第一 “でも運ぶだけではさみしい”

大阪市の大正区と西成区を結んでいる落合上渡船場。

渡し船の航路は片道およそ100m。

毎日地域の人を対岸へ運びます。
この渡し船で15年にわたって船長を務めている村川哲治さん(53)。

安全に対岸へ送り届けるだけでなく、気持ちよく乗ってもらうことを心がけてきました。
村川哲治さん
「一番大切なのは安全運航です。何事もなく利用者に通行してもらいます。でもせっかく乗ってもらうので、ただの通り道ではなくて、利用する人が仕事に行くときとか学校行って帰ってきたときに、『おはよう』とか『行ってらっしゃい』とか、会話のキャッチボールができたらうれしい気持ちになります」
村川さんは利用者が重い荷物を持っていれば運ぶのを手伝い、お年寄りが自転車を押していれば後ろからサポート。
毎日のように利用する人たちとは自然に顔なじみになり、たわいもない世間話から、時には悩みの相談を受けることまであるといいます。
そうした顔なじみの1人、幼稚園に通う男の子。

幼稚園で遊んだことや折り紙で恐竜を作ったことなどを、村川さんによく話していました。

この日は村川さんを見つけると、前歯が抜けたことを報告しました。
そして船を降りるとき。
男の子
「おつかれ!」
「(村川さんと)親友になりたいっ!」
これに村川さんも「よし、親友になろか」と応じました。
こうした利用者たちとの出会いや会話が、村川さんにとって船長を続けていく原動力になっています。
村川哲治さん
「ただ運ぶだけってさみしいですよね。利用する人が『ありがとう』といって降りていくとか、『ひさしぶりやな』といって乗ってきてもらうとか、そういう喜んでいる顔を見るのが好きです。損得抜きにしてそういう関係を利用者たちと築きたいと思っています」

“水の都”大阪 今も残る8か所の渡し船

古くから水の都として水運が盛んだった大阪市では、渡し船が人々の生活を支えてきました。

大阪市によると、最盛期の昭和10年ごろには31か所に設置され、年間およそ5700万人が利用していました。
その後、道路の整備や橋の建設に伴って徐々に数が減っていきましたが、工場の多い湾岸部では大型の船が川を通るため、歩行者用の低い橋が架けらません。
そこで、いまも8か所で渡し船が大切な移動手段として使われています。
村川さんが船長を務める落合上渡船場では、朝は6時台から夜は9時台まで、1日およそ60往復を運航。
徒歩で渡船場の対岸まで移動しようとすると遠回りとなり30分ほどかかりますが、船を使えばわずか1分。

毎日、通勤通学などでおよそ500人が利用しています。

船は大阪市が運航していて、道路や橋と同じ扱いという理由から料金は無料です。
利用者
「渡ってすぐのところに会社があるので欠かせないです。朝すごく便利です」
利用者
「重い荷物を持って坂の急な橋を渡るのと、渡し船に乗って渡るのでは、楽さが全然違います」

「温かみを感じる場所でした」

高校に通うため、毎日、渡し船を利用してきた野田侑希さん(18)。

村川さんとは当初はあいさつを交わすだけでした。

しかし、所属していた吹奏楽部の練習のため利用者の少ない早朝や夜の遅い時間帯に顔を合わせることが多くなり、次第に演奏会のことや勉強の悩みなども話すようになりました。
大学受験が近くなると土日も学校に行くようになり、朝から夜まで勉強漬けの日々に。

帰る時間が遅くなると「大丈夫?」と心配し、「明日試験がある」と聞けば「頑張って!」と励ましてくれる、村川さんの何気ないことばに支えられていたといいます。

野田さんにとっていつしか村川さんは、ふだんの頑張りを見守り励ましてくれる、そんな存在になっていました。
野田侑希さん
「お互い名前も知らなかったんですが、名前を知っている人よりも仲がよかったかもしれません。毎日すごく応援してくれて、手を振ってくれて、会うと元気が出るんです。(渡し船は)勉強がつらくて逃げ出したくなる時も、もう一度頑張ろうと思わせてくれるような温かみを感じる場所でした」

最後の乗船の日に…

3月23日。

高校を卒業し、4月から大学に通う野田さん。
渡し船を使って通学するのは、この日が最後です。

いつもどおり、船着き場で準備をしていた村川さんにあいさつをして、渡し船に乗り込みます。
対岸までの1分間。

野田さんは川風に当たりながら、遠くを見つめていました。
野田侑希さん
「あしたからこの渡し船を使わないという実感が全然わかないですね。本当に毎日使っていたので」
対岸についたところで、野田さんは村川さんに声をかけ、封筒に入った手書きの手紙を手渡しました。
野田侑希さん
「きょうが学校に行く最後やったので。ここを使う最後の日なので。ありがとうございました。手紙書いてきたんで、みんなで読んでください」
村川哲治さん
「ありがとうな、わざわざ。みんなで見させてもらうわ。いつも夜遅くまで頑張ってたもんな。見てたよ。これからの大学生活楽しんで、でもたまには渡し船に乗りに来てや」
野田侑希さん
「また乗りにきます。3年間ずっと通っていたからもう乗らなくなるのは変な感じですね。でもまた来ますね。ありがとうございます。本当に。じゃあ。さよなら」
野田さんは村川さんと握手をして、船着き場を後にしました。

村川さんは見えなくなるまで野田さんの後ろ姿を見つめていました。

感謝の手紙には…

待機室に戻った村川さんは、ほかの船員たちと一緒に野田さんからもらった手紙を読みました。

そこには、これまでの渡し船での思い出とともに、つらい時期を支えてくれた感謝のことばがつづられていました。
村川哲治さん
「気負わず毎日過ごせたのは皆さんの笑顔のおかげですみたいなことが書いてありました。ぼくらが元気をもらえるような内容の手紙でした。日々会ったときに何気ないひと言とか何気ない会話が積み重なって、野田さんとの関係が築けたと思ってます。こういった人とのつながりをこれからも大事にして、利用してくれる人も自分もお互いハッピーになればいいと思ってます」

人も思いもつなぐ渡し船

この春、村川さんの職場に新人の船員がやってきました。

運航の空き時間に船の操縦方法などの指導をしています。

指導中、村川さんが強調していたのは、「地域の人たちとのつながりの大切さ」でした。
村川哲治さん
「船が好きで、仕事としてこういうことをやっているのはめちゃくちゃ幸せなことですけど、船長である以前に人として、人とのつながりを大切に生きていきたい。今後もそうしていきたいと思っています」
地域の人たちとの船の上のたった1分間のふれあい。

毎日の積み重ねが人とのつながりを生んでいました。

これからも村川さんはかじを取り続けます。
(4月3日「ほっと関西」で放送)
大阪放送局 カメラマン
平澤 輝龍
2020年入局
熊本局を経て現所属
大阪ではスポーツをはじめ、古きよき銭湯や下町を取材

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無料で便利なだけじゃない! なにわの“人情”渡し船

古くから水運が盛んな大阪。

実は今も渡し船が地域の人たちの大切な移動手段となっています。

「おはよう」「行ってらっしゃい」

朝も夜も、夏の暑い日も冬の寒い日も、船長は同じように声をかけます。
そんな船長との会話を楽しみ、時には悩みを相談する利用者たち。

わずか1分間の航路で繰り広げられる、人情味あふれる空間がそこにはありました。

(大阪放送局 カメラマン 平澤輝龍)

安全第一 “でも運ぶだけではさみしい”

安全第一 “でも運ぶだけではさみしい”
大阪市の大正区と西成区を結んでいる落合上渡船場。

渡し船の航路は片道およそ100m。

毎日地域の人を対岸へ運びます。
この渡し船で15年にわたって船長を務めている村川哲治さん(53)。

安全に対岸へ送り届けるだけでなく、気持ちよく乗ってもらうことを心がけてきました。
村川哲治さん
「一番大切なのは安全運航です。何事もなく利用者に通行してもらいます。でもせっかく乗ってもらうので、ただの通り道ではなくて、利用する人が仕事に行くときとか学校行って帰ってきたときに、『おはよう』とか『行ってらっしゃい』とか、会話のキャッチボールができたらうれしい気持ちになります」
村川さんは利用者が重い荷物を持っていれば運ぶのを手伝い、お年寄りが自転車を押していれば後ろからサポート。
毎日のように利用する人たちとは自然に顔なじみになり、たわいもない世間話から、時には悩みの相談を受けることまであるといいます。
そうした顔なじみの1人、幼稚園に通う男の子。

幼稚園で遊んだことや折り紙で恐竜を作ったことなどを、村川さんによく話していました。

この日は村川さんを見つけると、前歯が抜けたことを報告しました。
そして船を降りるとき。
男の子
「おつかれ!」
「(村川さんと)親友になりたいっ!」
これに村川さんも「よし、親友になろか」と応じました。
こうした利用者たちとの出会いや会話が、村川さんにとって船長を続けていく原動力になっています。
村川哲治さん
「ただ運ぶだけってさみしいですよね。利用する人が『ありがとう』といって降りていくとか、『ひさしぶりやな』といって乗ってきてもらうとか、そういう喜んでいる顔を見るのが好きです。損得抜きにしてそういう関係を利用者たちと築きたいと思っています」

“水の都”大阪 今も残る8か所の渡し船

“水の都”大阪 今も残る8か所の渡し船
古くから水の都として水運が盛んだった大阪市では、渡し船が人々の生活を支えてきました。

大阪市によると、最盛期の昭和10年ごろには31か所に設置され、年間およそ5700万人が利用していました。
現在、大阪市にある8か所の渡船場
その後、道路の整備や橋の建設に伴って徐々に数が減っていきましたが、工場の多い湾岸部では大型の船が川を通るため、歩行者用の低い橋が架けらません。
そこで、いまも8か所で渡し船が大切な移動手段として使われています。
落合上渡船場
村川さんが船長を務める落合上渡船場では、朝は6時台から夜は9時台まで、1日およそ60往復を運航。
徒歩と船で渡るルートの比較
徒歩で渡船場の対岸まで移動しようとすると遠回りとなり30分ほどかかりますが、船を使えばわずか1分。

毎日、通勤通学などでおよそ500人が利用しています。

船は大阪市が運航していて、道路や橋と同じ扱いという理由から料金は無料です。
利用者
「渡ってすぐのところに会社があるので欠かせないです。朝すごく便利です」
利用者
「重い荷物を持って坂の急な橋を渡るのと、渡し船に乗って渡るのでは、楽さが全然違います」

「温かみを感じる場所でした」

「温かみを感じる場所でした」
高校に通うため、毎日、渡し船を利用してきた野田侑希さん(18)。

村川さんとは当初はあいさつを交わすだけでした。

しかし、所属していた吹奏楽部の練習のため利用者の少ない早朝や夜の遅い時間帯に顔を合わせることが多くなり、次第に演奏会のことや勉強の悩みなども話すようになりました。
大学受験が近くなると土日も学校に行くようになり、朝から夜まで勉強漬けの日々に。

帰る時間が遅くなると「大丈夫?」と心配し、「明日試験がある」と聞けば「頑張って!」と励ましてくれる、村川さんの何気ないことばに支えられていたといいます。

野田さんにとっていつしか村川さんは、ふだんの頑張りを見守り励ましてくれる、そんな存在になっていました。
野田侑希さん
「お互い名前も知らなかったんですが、名前を知っている人よりも仲がよかったかもしれません。毎日すごく応援してくれて、手を振ってくれて、会うと元気が出るんです。(渡し船は)勉強がつらくて逃げ出したくなる時も、もう一度頑張ろうと思わせてくれるような温かみを感じる場所でした」

最後の乗船の日に…

3月23日。

高校を卒業し、4月から大学に通う野田さん。
渡し船を使って通学するのは、この日が最後です。

いつもどおり、船着き場で準備をしていた村川さんにあいさつをして、渡し船に乗り込みます。
対岸までの1分間。

野田さんは川風に当たりながら、遠くを見つめていました。
野田侑希さん
「あしたからこの渡し船を使わないという実感が全然わかないですね。本当に毎日使っていたので」
対岸についたところで、野田さんは村川さんに声をかけ、封筒に入った手書きの手紙を手渡しました。
野田侑希さん
「きょうが学校に行く最後やったので。ここを使う最後の日なので。ありがとうございました。手紙書いてきたんで、みんなで読んでください」
村川哲治さん
「ありがとうな、わざわざ。みんなで見させてもらうわ。いつも夜遅くまで頑張ってたもんな。見てたよ。これからの大学生活楽しんで、でもたまには渡し船に乗りに来てや」
野田侑希さん
「また乗りにきます。3年間ずっと通っていたからもう乗らなくなるのは変な感じですね。でもまた来ますね。ありがとうございます。本当に。じゃあ。さよなら」
野田さんは村川さんと握手をして、船着き場を後にしました。

村川さんは見えなくなるまで野田さんの後ろ姿を見つめていました。

感謝の手紙には…

感謝の手紙には…
待機室に戻った村川さんは、ほかの船員たちと一緒に野田さんからもらった手紙を読みました。

そこには、これまでの渡し船での思い出とともに、つらい時期を支えてくれた感謝のことばがつづられていました。
村川哲治さん
「気負わず毎日過ごせたのは皆さんの笑顔のおかげですみたいなことが書いてありました。ぼくらが元気をもらえるような内容の手紙でした。日々会ったときに何気ないひと言とか何気ない会話が積み重なって、野田さんとの関係が築けたと思ってます。こういった人とのつながりをこれからも大事にして、利用してくれる人も自分もお互いハッピーになればいいと思ってます」

人も思いもつなぐ渡し船

人も思いもつなぐ渡し船
新人に操船の指導をする村川さん
この春、村川さんの職場に新人の船員がやってきました。

運航の空き時間に船の操縦方法などの指導をしています。

指導中、村川さんが強調していたのは、「地域の人たちとのつながりの大切さ」でした。
村川哲治さん
「船が好きで、仕事としてこういうことをやっているのはめちゃくちゃ幸せなことですけど、船長である以前に人として、人とのつながりを大切に生きていきたい。今後もそうしていきたいと思っています」
地域の人たちとの船の上のたった1分間のふれあい。

毎日の積み重ねが人とのつながりを生んでいました。

これからも村川さんはかじを取り続けます。
(4月3日「ほっと関西」で放送)
大阪放送局 カメラマン
平澤 輝龍
2020年入局
熊本局を経て現所属
大阪ではスポーツをはじめ、古きよき銭湯や下町を取材

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