政治家の「妻に怒られた」という責任回避 男性性を都合よく使い分け

聞き手・田中聡子

 政治家が謝罪する時にしばしば語る「妻に怒られた」というエピソード。ジェンダー研究者の平山亮さんは、家事をしない男性が使う「妻に『やり方が悪い』と言われてやる気をなくした」という言い訳と同じメカニズムが働いていると指摘します。どういうことか、話を聞きました。

     ◇

女性を祭り上げ、自分は受け身

 政治家が謝罪会見などで「妻に怒られた」を使う時、女性を影響力を持つ存在だと祭り上げることで自分を受け身の立場に置き、責任を回避しようとしています。これは、男性の常套(じょうとう)手段の一つです。

 「妻に怒られるまで分からない」「妻に言われて初めて気付く」とすることで、自分の主体性を消し、女性に責任の主体性を押しつけているのです。女性を責任主体にすり替える言説は、例えば性暴力での「女がその気にさせた」や、男性が家事をしない言い訳の「妻に『やり方が悪い』と言われてやる気をなくした」など様々な場面で使われます。

「父のキゲンは、巨人が決めている。」にも

 ジェンダー論の中では長い間、「男性は主体的・自律的」「女性は感情的・受動的」というイメージがあると語られてきました。ですが実際は、受け身的な男性と、その男性をコントロールする主体的な女性というイメージも社会で共有されています。両方のイメージが都合よく使い分けられ、ジェンダー不平等が保たれてきました。

 最近、読売巨人軍がSNSに投稿した「父のキゲンは、巨人が決めている。」というコピーが話題になりました。これも「受動的な男性」が前提で、自分で機嫌をコントロールできず、巨人が勝ったか負けたかくらいで左右されるという描き方です。その父の機嫌をとる妻や家族の存在も透けて見えます。少なくとも描いた人は、こうした男性像は広く共有されていて、理解を得られると思っていたのでしょう。「母のキゲン」だったら「感情的」というネガティブな女性性と結びつき、良い話にはなりません。

 さらに「妻に怒られた」には、「妻」と「女性の働き」への軽視がこの社会に存在することも示しています。「妻」は「庶民代表」であり、自分たちエリートとは違う階層の存在として登場しています。「下の者に怒られる」から重い話にならず、面白いとすら思えてしまう。そして、先日の前農水相の発言のように、コメは「女の領域」だから妻に怒られてもいい。これが軍事問題だったら、「妻に怒られた」とは言えないでしょう。「男の領域」や男性優位をおびやかさない範囲でしか、面白い話にはなりません。「子どもにつつかれちゃった」かのように「妻に怒られた」と言えるのは、「女の領域」や女性の働きを軽視することで成り立ってきた男性社会の産物です。

 政治家は「妻に怒られた」という発言を受け入れてもらえると思っているから、つい言ってしまうのでしょう。ですが、最近は違和感を抱く声が可視化されるようになっています。これまで都合よく使い分けてきた男性性や女性性に、ようやくほころびが出始めているのかもしれませんね。

平山亮さん

 ひらやま・りょう 1979年生まれ。大阪公立大学大学院准教授。専門は社会学、ジェンダー研究。著書に「介護する息子たち」、共著に「ケアする私の『しんどい』は、どこからくるのか」。

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    高祖常子
    (子育てアドバイザー)
    2025年7月2日6時0分 投稿
    【視点】

    「妻に怒られた」というのはまさに責任回避。女性の場合、「夫に怒られたので」なんて、まず言いません。 自分自身が上に立っていると思っている人ほど、「妻に怒られた」という言葉を使うような気がします。 謝罪の時や意見を変えるときに「妻に怒られた」と言い訳するのではなく、きちんと考えを変えた理由を述べて欲しいと思います。妻に怒られたからというのなら、パートナーが政治家になった方がいいのではと思ってしまいます。

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