さむ

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さむ
@urakutenism
隠れオタク。休みの日はカメラ片手にぶらぶら歩いてます。貨物列車や貨車が好きなマイノリティ。町田生まれ町田育ち。ただいま群馬に転勤中。その他趣味嗜好についてはメディア欄をご覧ください。Canon EOS/定点比較/古地図/廃線/廃道/レトロ建築/社史/郷土史/スバル乗り
国会図書館2F資料閲覧コーナーJoined January 2015

さむ’s posts

富士山の雪溶け水が例年よりも多く、遊歩道が完全に水没してしまった三島の源兵衛川。
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スーパーの駐車場に停めてたら80過ぎの高齢者が運転する軽トラに後ろをぶつけられてしまった😢 保険も入ってない上に独り身の年金暮らしで払う金もない、ひもじい年寄りから金を取る気かなどと駄々をこねられ、最後は相手するのも面倒くさくなり全額自腹で修理するコトに…痛い出費だわ💦
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沼津と三島のちょうど真ん中、清水町の柿田川公園にある古い井戸。日の光と堆積した砂が織り成す美しいコバルトブルーの湧き水、一見の価値アリです😊
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あまりにも背景が変わりすぎてて自分で撮っておきながら最初どこか分からなかった…いまから30年前の立川駅です。
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群馬と長野の県境、碓氷峠にいまも残る廃橋梁。上を走る鉄道と下を抜ける国道、どちらも姿を消してしまいました。 #橋の日
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いまから65年ほど前、1958(昭和33)年当時の都内デパート案内。五十音順ではなくイロハ順なのにも時代を感じます。
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65年ほど前、1959(昭和34)年の東京付近交通図。いまでは姿を消した路線もチラホラ。
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将来的な旅客増に備えて複線化の準備をして開業したものの、30年経った今もなお、まったく使われることなく放置されているホーム
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30年前の町田駅前。市民のオアシスだった噴水広場も今ではただの広い道路になってしまいました💦
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戦時中、米軍機の機銃掃射によって蜂の巣にされた、JR鶴見線の安善・大川駅間に架かる5号橋梁。その生々しい傷跡が80年近く経った今もなお、当時のまま残されています。
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いまから90年ほど前、完成間もない1932(昭和7)年頃の上野駅。屋根まわりの骨組み等はほとんど当時のまま。
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今から90年前、1932(昭和7)年の秋葉原駅。当時は駅構内が吹き抜けで、開放感のある造りになっていました。戦後、商業施設(アキハバラデパート、のちのアトレ)を併設するコトになり、駅舎はそのまま3階建てに改築。その結果、やけに天井の低い現在の店舗スペースが生まれました。梁のカタチにご注目。
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家の物置を漁ってたら、20年ほど前に小田急でバイト駅員やってた頃の新人教育用の資料が出てきたので、その中から改札鋏痕表をぺたり。もちろん自動改札機は既に導入済みでしたが、団体客や車イスのお客さんには昔のようにそのまま切符へ鋏を入れていました。無駄にカチカチと空打ちして怒られたっけ💦
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1950(昭和25)年より秋葉原駅の総武線ホームで営業しているミルクスタンド。かつては1日1万本以上売れたという瓶牛乳も、自販機の台頭で現在は1日2000本程度にまで減ってしまいましたが、今でも朝の通勤時間帯には多くのビジネスマンが乗り換えの合間にここで瓶牛乳をぐいっと飲み干していくんだそう。
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今から16年前の2002年、新宿から長野に向かう夜行列車の車内で撮った1枚。シートに座れなかった人が床に新聞紙やレジャーシートを敷いて寝ています。 その後、鉄道より安価な夜行バスが台頭しはじめ、このような光景も今ではほとんど見られなくなってしまいました。
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いまから20年ほど前、2003(平成15)年に撮影した海老名駅。現在は「ららぽーと」など大型商業施設の建ち並ぶ西口側ですが、この当時はまったくの未開発で、小さなバス乗り場以外にほとんど何もありませんでした。
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今から40年前の沼津ぐるめ街道。その後、道路が拡張されて街並みもまったく変わってしまいましたが、位置的には「餃子の王将」あたりです。この頃は伊豆の玄関口として多くのレジャー客が東名沼津インターを利用していたことから、周辺にはレストランや喫茶店、土産物屋などがひしめき合っていました。
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