2025-07-01

アメリカ合衆国かい世襲政治家楽園について

↓のブコメナイーヴな反応を見て思ったけど、みんなアメリカ世襲政治家だらけの国という現実を知らんのやな。

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.afpbb.com/articles/-/3586012

ブッシュ父子やクリントン夫妻がどうこう以前に、第6代大統領ジョン・クインジーアダムズが既に第2代大統領ジョン・アダムズの息子だからね。第23大統領ベンジャミン・ハリソンは第9代大統領ウィリアム・H・ハリソンの孫。

日本で親子関係にある総理大臣福田赳夫福田康夫だけで(鈴木善幸の娘が麻生太郎の妻なので2人は義理の親子だが、ここではカウントしない)、総理大臣経験者は65人いるので、「親子総理大臣」の割合は3パーセント。ところがアメリカ場合は全47人中親子が2組(アダムズ・ブッシュ)なので、「親子大統領」の割合は8パーセントになる。実はイメージと違って、アメリカの方が世襲度が高かったりするのだ。

(ちなみに、苗字漢字と読みが一致する歴代総理大臣加藤(友三郎・高明)・田中(義一・角栄)・鈴木(貫太郎・善幸)・鳩山(一郎・由紀夫)・福田(赳夫・康夫)の5組10人いるが、血縁関係はそのうち2組(鳩山福田)に過ぎない。いっぽう、苗字が同じ米国大統領5組10人(アダムズ・ハリソンジョンソンルーズベルトブッシュ)のうちアンドリュー・ジョンソンリンドン・ジョンソン以外の4組は血縁関係にある)

アメリカ滞在した福沢諭吉は、初代大統領ワシントンの子孫のことを周りに尋ねてみたけど誰も知らない門閥がない民主共和政ってすごい! と感動したという有名な話があるけど、それは単にワシントンが子梨だったからだという身も蓋もないオチがつく。実際には世襲門閥貴族めいた家系はいくつもある。

ジョン・F・ケネディ大統領は弟ロバート司法長官に任命したし,彼らの弟テッド上院の重鎮だった(不倫飲酒ドライブ中に事故を起こして不倫相手を死なせてなければ大統領になれていただろう)。

ジョージ・H・W・ブッシュ大統領長男ジョージウォーカーテキサス州知事を経て大統領になったが、次男ジェブもまたフロリダ州知事を経て大統領を目指した(が、トランプに敗れて撤退した。このとき民主党候補はヒラリー・クリントンだったので、元大統領の息子&前大統領の弟 vs. 元大統領の嫁という世襲ドリームマッチになる可能性があった。結果はご存じの通り)。

リバタリアン派の名物議員ランド・ポールは、ジョン・マケイン指名争いをしたロン・ポールの息子。マサチューセッツ州知事を務めてバラク・オバマ大統領の座を争ったミット・ロムニーは、ミシガン州知事だったジョージロムニーの息子。共和党内の反トランプ派として有名なリズ・チェイニーは、元副大統領ディック・チェイニー娘。ケンタッキー州知事アンディ・ベシアは親父もケンタッキー州知事だし、コロナときニューヨーク州知事アンドリュー・クオモの親父もニューヨーク州知事。爽やかなイメージの元副大統領アル・ゴアだって親父が連邦上院議員

アメリカは見事に世襲議員世襲知事だらけの国なのである

考えてみればそれはそうで、アメリカ選挙は非常にカネがかかり、個人本位だ。比例代表制ではなく小選挙区制しかも個々の政党が極めて分権的、ということは、つまり政治家個々人が党に頼らず自分の力で票をかき集める必要があるということだ。良く言えば二大政党制なのに多様な意見議員が選ばれるということだが、悪く言えば政治家になるための個人ハードルものすごく高い。政治家になるためのハードルが高い社会では、「親も政治家だった」というアドがめっちゃ効く。

日本世襲政治家だらけなのも、政治家になるためのハードルが高いからだ。中選挙区制から小選挙区制になって必要なカネは少なくなったとはいえ、まだまだカネがかかる事業であることには変わりがない。そして政治家になっても実入りが乏しい(これ自体は良いことではある)。それなら親から地盤看板を受け継げる世襲候補が有利になるに決まっている。世襲政治家を減らしたいのなら、議席数を増やす(=選挙区あたりの有権者数を小さくして選挙にかかるカネを減らす)とか完全比例代表制にするとか逆に完全小選挙区制にする(衆院比例区部分の定数をすべて小選挙区に割り振れば、議席数を増やすのと同じ効果がある)とか、そういうハードルを下げる取り組みが必要だろう)

もともとアメリカ民主政を嫌っていた。古典古代民主政の要諦とは籤引きだった。古代アテーナイで籤引きが用いられていたことはよく知られている。アメリカ建国者たちは民主政よりも共和政志向し、籤引きを採用しようとはしなかった。現在の「共和政」とは単に王のいない政体のことを指す(したがって王政とは矛盾するが民主政とは矛盾しない)が、伝統的な西洋政治思想では「有徳者による統治」のことを指していた(したがって君主制とは必ずしも矛盾しない(※)が、どれだけ愚かな人間でも政治参加できる民主政とは矛盾する)。アメリカ独立戦争は「民主政にするために貴族政を追い払ったのではなく、選挙貴族政にするために世襲貴族政を追い払った」(ダーヴィッド・ヴァンレイブルック『選挙制を疑う』)に過ぎない。ジェイムズ・マディソンは『フェデラリスト』で統治者と被治者区別を主張していた。個人本位の選挙は擬似的な貴族階級を生み出す仕組みである。その仕組みを数百年にもわたって続けてきたアメリカ世襲政治家だらけなのは、さもありなん、という感じだ。

そうすると、果たしてこのような政治貴族だらけの国を「民主主義のリーダーであるかのように扱うことがふさわしいのだろうか? という疑問が湧く。実際に、アメリカは『エコノミスト』の民主主義指数では韓国イスラエルポーランドと同じ「脆弱民主主義」とされている(日本台湾カナダノルウェーと同じ「完全民主主義」)。私たちアメリカに対する幻想を捨て去り、現実と向き合うべきなのかもしれない。アメリカ事実上門閥貴族に牛耳られた寡頭制国家なのである、という現実に。

※ 近年、「王がいる共和政」についての歴史研究は進展しているが、現代において「王がいる共和国」としてオーストラリアバハマが挙げられる。これらの国の国号Commonwealth of AustraliaCommonwealth of The Bahamas、すなわち「オーストラリア共和国」に「バハマ共和国」だが(commonwealthには様々な意味があるが、語源はもちろんラテン語のres publicaであり、清教徒革命で王を処刑した後の国号commonwealthであったように「共和国」の意味も持つ)、両方ともチャールズ3世国王とする立憲君主である。「最近ラノベには共和国に王がいるんだけどwww」とか嘲笑う向きにおかれては近世ヨーロッパ史を真面目に勉強してほしい。王制と共和政は背反ではないのである

  • 読んでいて、マジで面白かった。書いてくれてありがとう。

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