攻殻機動隊 2 全解説(仮) 5章(中)
前回の続きです。この章では第5章の中盤を考察していきます。
前回の第5章前半は、デカトンケイルに対する素子の侵入から始まりました。社長襲撃犯・ミレニアムとの対決の後、素子に対して草薙からの攻撃が開始。その場から撤退した素子は、草薙の人工衛星「眠る宇宙」に対して反撃をしかけます。その電脳戦の中で、「草薙の脳内にはスピカとアンタレスという2人の人格が存在している」という驚きの事実が発覚します。
ここからの考察は冗長なものとなる上、私の説明も不明瞭なものが多くなります。ご了承ください。
前回同様、単に「素子」と記載する場合は荒巻素子を指します。
草薙素子については「草薙」と表記します。
05 MOLD OF LIFE
アンタレスの正体と環の謎
草薙の電脳内にて、スピカとアンタレスという2人の人格に出会う素子。この見開き2ページで多くの情報が開示されるため、内容をゆっくり咀嚼する必要があります。判明した情報を1つずつ確認していきましょう。読むのが面倒な人は、次項の「ミレニアムと草薙の関係」までスクロールして飛ばしてください。
■1:アンタレスの正体
まず、アンタレスは草薙の人格であると判明しました。ということは、素子が今まで目撃したアンタレスは、全てデコットだったということになります。本体=草薙は常に人工衛星の中にいたわけですからね。ネットを通じて、赤い服の義体を操作していたのでしょう。
■2:草薙の二重人格
草薙の人格が2つに分裂しているということも判明しました。それを見た素子は「初めてのタイプね」と発言。様々なハッカーと渡り合ってきた素子でも、人格が2人に分かれているゴーストと出会うのは初めてのようです。前作主人公の新設定が突然明かされるため、かなり面食らう場面ですね。
これは作中で説明されないことですが、
「草薙は胎児期に肉体を失い、ある軍人の身体信号に繋がれて成長したため、脳のプロセスが2系統に分裂しやすい」
という裏設定が存在します。(アニメの『攻殻機動隊ARISE』にて、その設定が一部使われています。)オリジナル草薙の人格には、この出自が影響しているようです。後出し設定ではありますが、これで第1巻からの変化も理解できるようになりました。
■3:アンタレスによる素子の性格評価
アンタレスによると、素子は「検証不能な事は横に置くタイプ」であるとのことです。
素子が環の霊能力を信じようとしない場面もあったため、アンタレスがこのように言うのも理解できます。しかし、ここで語られているのは霊能力に対する態度のことなのでしょうか?この点については、少し後の考察で触れたいと思います。
■4:アンタレスとスピカの対立
素子に対面した際、草薙=スピカ+アンタレスは次のように発言します。
アンタレス:彼女 来たわ
スピカ :私は招待してないわよ
どうやらスピカとアンタレスの間で意思統一がなされておらず、素子に対する2人の態度も矛盾しているようです。スピカと素子は単純な対立関係にある一方で、アンタレスは素子と融和したい、あるいは素子を利用したいという意図がありそうです。
これまでに登場した際にも、アンタレスは素子に対してやや協力的な態度をとってきました。その態度にスピカの同意は無く、アンタレスの独自行動だったのかもしれません。
■4:素子の「出遅れ」
草薙=アンタレス+スピカの正体について理解した素子は、
「ここまで出遅れているとは…」
と漏らします。これはおそらく、技術力や影響力などの出遅れを指しているものと推察します。素子はポセイドンという大企業に籍を置き、潜水艇を所持し、最先端科学技術と様々な人脈を利用可能です。そんな素子ですら、ポセイドン社長の実態や眠る宇宙、そして脳アレイ計画については蚊帳の外でした。素子同位体の中でも最強かと思いきや、上には上がいたというわけですね。
■5:アンタレスの霊能力
これまでアンタレスの霊能力に接する機会があったため、その正体が草薙素子であるという事実に困惑する素子。そこで、2つの推測をおこないます。
1:草薙は元から霊能力者であり、自分がそのことを知らなかっただけか
2:それとも、アンタレスが霊能力者であるかのような芝居をしていたのか
しかし、すぐさまその2つの推測を否定し、別の結論にたどり着きます。その結論とは、
「魂合環が(草薙にとって)適時利用可能な駒となっている」
というものです。つまり、アンタレスの霊能力のようにに見えていたものは、実は環の能力を利用したものだったということでしょう。
とはいえ「適時利用可能な駒」という説明は曖昧です。これだけでは、草薙がどのようにして環の霊能力を利用したのか理解できません。後の場面で霊能局に対するハッキングを警戒していることから、「環の電脳を操っているのだろう」と素子が考えていることは分かります。しかし、環に対する草薙のハッキングが描写されていないため、具体的な方法は不明のままです。
■6:結局、環は何者なのか
アンタレスと環の関係を考察するにあたり、前回保留となっていた環の謎も考慮する必要が出てきます。その保留事項とは以下の2点です。
① 霊体の環と清楚な環の性格の違い
② 霊体の環が素子に協力しようとする理由
しかし、ここまでの描写を加味しても、上記の点は明確になりません。特に、①の性格変化に関しては、アンタレスの影響によるものだと考えることには色々と無理があります。②はアンタレスの影響と考えることも不可能ではないですが、強く断言できるような描写も特にありません。上記については、後の章で引き続き検討が必要なようです。
未解決な点も多いですが、以上で導入部の検討を終えます。まとめると以下の通りです。
■1:アンタレスの本体は草薙であり、地上にいるアンタレスはデコット
■2:草薙の人格は、スピカとアンタレスの2つに分裂している
■3:素子は「検証不能な事は横に置くタイプ」(後ほど考察)
■4:草薙に対して、素子は出遅れている
■5:草薙は環の霊能力を利用しているが、具体的な方法は不明
■6:環の実態およびアンタレスとの関係は不明瞭
ミレニアムと草薙の関係
導入が長くなってしまいましたね。本編に戻りましょう。素子が草薙の脳に侵入し、そこでスピカ+アンタレスという2人の人格に出会ったところまで確認しました。
ここで、「スターバトマーテルについて環が質問していた」ということを思い出した素子は、草薙の脳内を探り始めます。その目的は、スターバトマーテル・ミレニアム関連の情報収集。これまでの素子にとって、スターバトマーテルは単にポセイドンの敵でしかありませんでした。しかし、ここでようやく環の質問の重要性に気付き、「スターバトマーテルの実態が、この事件の全容と関係しているかもしれない」と考えたわけです。その様子を見た敵・草薙は、以下のように反応します。
スピカ :短気が災いしたわね…
アンタレス:彼女はね 楽しいのはここからよ
この「短気が災い」というのは
・環の話を無意味な茶番として切り捨てた件
・ミレニアムの動機を調査しなかった件
の2つが考えられます。
スターバトマーテルに関する環との会話をもう少し真剣に受け止めていれば、あるいはミレニアムに対する勝利後に入念な調査をおこなっていれば、スピカと戦う前に真相にたどり着いたかもしれなかったわけです。たしかに素子の行動は性急だったかもしれません。
さて、草薙の脳内で再調査をおこなった結果、ミレニアムの戦略の全体像が見えてきます。ミレニアムはエンタメ施設で人材を集め、その脳を並列化して利用しているようです。前回も述べた通り、「脳を並列化する」という点において、ミレニアムの戦略はスピカのヒトブタ脳と似通っています。しかし素子のAIによると、効率の面ではスピカの方が優れており、ミレニアムのスターバトマーテルは一歩劣っていたようです。そうした効率競争の果てに、スピカとミレニアムの対立が発生し、ブタ工場襲撃に至ったのかもしれません。素子はようやく事件の全体像を把握し始めます。
電脳並列化の意味
スピカとミレニアムの両方とも電脳の並列化を推し進めており、その競争の末に対立が生じていたというわけです。しかし、そもそも電脳の並列化をおこなっているのは何故なのでしょうか?
ここで、素子の支援AIが推測を述べます。人間の電脳はスーパーコンピュータと異なり、並列化されても個々人は独立したままで、効率の劣るものになるとのこと。これはAIの視点から見ると興味深い試みであり、その興味深さという部分に鍵があるようです。スピカとミレニアムはどうして効率の劣る生体コンピュータを作る気になったのでしょうか?
大規模融合
スピカとミレニアムの目的は「大規模な融合の基盤作り」にあったのではないかと、素子は推測します。
素子同位体=人形使いは、ミームを人間の電脳に融合させることで増殖します。しかし、各個体の成長は人間の寿命によって縛られており、個体が死んだ時点でリセットがかかってしまいます。情報を全て次世代に引き継ぐことはできず、世代交代ごとに一定のロスが生じることを避けられないのでしょう。(第1回でも説明しましたが、オリジナル草薙素子も人間であり、人間の寿命に縛られています。)
しかし、人間の電脳を並列化することで、無数の同位体が融合できるような容れ物を用意すれば、そのデメリットを回避できそうに思われます。個体の死による情報ロスを軽減して、より効率的な成長が望めるわけです。スピカ・ミレニアムによるヒト脳並列化の目的は、そこにあったのでしょう。それを理解した素子は「機械生命または不老不死の研究」と評します。
スピカとアンタレスの対立軸
ところが、この「大規模融合による成長」に反対する者がいました。アンタレスです。草薙素子の片われ・スピカが大規模融合を推し進めているにも関わらず、もう片方のアンタレスはそれに反対しているのです。
大規模融合による成長は「死への行程」だとアンタレスは言います。つまり、より早く、より強く、より長く成長し続けるほど、種としての死に近付くだけだということです。成長の方向性の問題というより、成長そのものが死に直結しているようなイメージですね。(「個体の死」の影響を軽減することにより、かえって「種の死」に近づくというアイロニーがここに見られます。)
こうした「死の行程」の考え方については、第1章の荒巻大輔と五十鈴の会話でも先取りされていました。成長や複雑化は、結晶化≒死と表裏一体というわけです。この結晶化という説明には、「ライフゲーム」のようなセルオートマトンのイメージがあるように感じられます。
上図のような、互いに影響を与え合うセルのシミュレーションを「セルオートマトン」と言います。こうしたシミュレーションにおいては、もちろん無限に配置が変化して広がり続けることもありますが、ある静的なパターンに落ち着いて変化しなくなることもあります。第1章の荒巻大輔と五十鈴たちは、そのような変化に乏しい「結晶化」の状態について語り合っていたわけです。そして、「種としての人間も無際限に成長し続けると結晶化する」ということをアンタレスは警告しているようです。
さて、ここまでの会話により、スピカ・アンタレス・ミレニアムの価値観と対立軸が明らかになりました。各々の方向性をざっくり表にすると、以下のようにまとめられます。
融合と天邪鬼
スピカとアンタレスは、「成長あるいは死への行程」という論争を草薙の脳内で繰り広げ、素子はそれを観察します。そうしているうちに、2人の言葉が素子に乗り移って、やまびこのように繰り返され始めます。
スピカ:彼女融合するつもり無い様よ 生憎ね
素子 :生憎ね
前回述べた通り、素子と草薙の人格が融合しかけて、自他境界が曖昧になっているようです。素子は自分の発言に違和感を抱き、「言語野がヘンよ」と言って防壁のチェックに回ります。
この「言葉の繰り返し」には、民話のモチーフも込められているようです。第6章の解説でも言及しますが、ここで素子同位体たちは天邪鬼(アマノジャク)になぞらえているように思われます。民話における天邪鬼は、物真似や声真似によって人をからかう妖怪として知られています。素子同位体たちは元から似たもの同士であり、なおかつ融合で同じ言葉を繰り返しています。この現象が天邪鬼の物真似に見立てられているわけです。多くの読者が忘れていると思いますが、第3章のヒトブタ脳アレイで出会った反射型のデコイは、この天邪鬼モチーフへの伏線でもあったわけです。
また、天邪鬼は記紀神話の天探女(アマノサグメ)が元になっていると言われているのですが、この天探女も素子の物語と繋がっています。古事記の「国譲り」には、天照大神(アマテラスオオミカミ)が天若日子(アメノワカヒコ)を地上に派遣するという場面があります。その天若日子に仕える女神が天探女です。彼女は天若日子をそそのかし、天界から遣わされたキジを射殺させます。しかし、その射殺した矢が天界まで届いてしまい、天界からの還矢(カエシヤ)で天若日子は死を迎えます。
以前の電脳戦で、敵のウイルスをそのまま撃ち返す戦法が「還し矢」と呼ばれていましたね。また、素子と草薙の電脳戦は、人工衛星と地上すなわち天と地の間でおこなわれています。天邪鬼・天探女・還し矢・高天原… このように、物語前半から用意してきたモチーフは、神話・民話的に連続したものだったわけです。あくまで見立てなので、本編と直接の関係はありません。しかし、意味が分かると気持ちが良い部分です。
このストーリーで選ばれたモチーフが国譲りというのも少し意味深に思えます。ひょっとすると、現生人類が国津神で、今後生まれる新たな知的生命体が天津神であるというような意味合いもあるのでしょうか。攻殻2は新たな支配者の登場にまつわる物語なのかもしれません。
左聴覚の異常と素子の欠点
スピカとアンタレスの会話を聞いていたところ、「素子の左聴覚に異常が発生した」とAIが報告します。なぜ左聴覚なのでしょうか?一瞬考えこむ素子ですが、すぐさま「あ!」と驚きの表情を見せます。しかし、その瞬間に素子の動作が停止。どうやら草薙による強制停止が発動したようです。こうして、草薙の勝利があっけなく確定してしまいます。
途中の説明がほとんど無いため、いくつか疑問が生じますね。
1.左聴覚の異常は何だったのか
2.なぜ素子は「あ!」と言ったのか
3.なぜ草薙は突然勝利したのか
ここで思い出してほしいのが、第3章、ウイルスによるレブリス襲撃の場面です。素子は水中で点検ロボットを追跡していたのですが、その際にも左聴覚に異常が発生しています。しかし、飛び込みの際に生じたハードウェア故障だと思い込んだ素子は、その問題を保留してしまいます。
つまり、この第3章の時点で、あるいはもっと前から、草薙による素子へのハッキングが始まっていたのかもしれないわけです。水中での聴覚異常は、その表れだったのでしょう。それに気付いたからこそ、素子は「あ!(やられた!)」と驚きの声を上げたのだと思われます。
思い出されることはもう一つあります。それは、アンタレスによる素子の性格評価です。アンタレスは素子を「検証不能な事は横に置くタイプ」だと言っていました。たしかに、水中でロボットを追いかけていた時、素子は「左聴覚の異常」という出来事を保留しています。つまり、草薙は素子のつけ入る隙を早くから見抜き、それを利用する手はずを整えていたのかもしれません。
「左耳」というふうに、あえて左右を強調する形になっている理由はよく分かりません。後に言及する「鏡像」というテーマに繋げる意図があったのかもしれません。あるいは、キリスト教における「悪魔は左耳から囁く」のように、耳の左右に関わる神話があるのかもしれません。
スピカ・アンタレスの対立継続
素子を停止させたスピカとアンタレスは、事後処理を巡って再び争い始めます。繰り返しになりますが、スピカとアンタレスは草薙の中の2つの人格なので、これは同一人物による争いということになります。
2人の立場は以下の通り。
アンタレス:融合によって素子を内部に取り込み、脳増設を中止したい
スピカ :素子を「廃棄」してしまい、現状の脳増設を続けたい
これまでのアンタレスにも、素子に協力ないし素子を誘導しているフシがありました。その態度の裏には「素子を取り込めば、草薙の決断を自分の側に引き寄せられる」という意図があったのかもしれません。その意図に反対したからこそ、スピカは「私は(素子を)呼んでない」と言ったのでしょう。「私同士」の多数決勝負が繰り広げられているわけです。
なお、草薙の脳内でスピカとアンタレスのどちらが支配的なのかは、時と場合によって異なるようです。アンタレスが強引に自分の方針を進めようとすると、
「占有率が高い時だけ決断を急ぐ性質は変わるといいわね」
という皮肉をスピカが口にします。
ケイ素生物との邂逅
素子の支援AIたちは、固まった素子を解析し始めます。ところが、そのAIたちもなぜか機能を停止。スピカとアンタレスがAIの停止原因を探ったところ、「故・ラハムポル博士のファイル」が出現します。
第1回であらかじめ説明しておいた「ケイ素生物の設計図」であり、素子が海賊船から入手したあのファイルです。素子が確認した時と同様、スピカ・アンタレスとも初見では正体がわかりません。スピカも
「何だこりゃ 宇宙人の哲学書か」
と発言しています。第2章にて設計図を見た素子も、全く同じ事を言っていましたね。先ほどの「生憎ね」と同様に、融合による天邪鬼の現象が発生しているようです。
スピカは設計図を仮想空間にて組み上げ、それが新たな知的生命体であることを理解します。しかも、この知的生命体は人間による制御を前提としておらず、自律性を有しています。つまり、知性を持ち、人間に従わない生物ができあがるわけです。これは人間社会に多大なる影響を与える発明と言えるでしょう。
それを知ったスピカ・アンタレスは、素子のAIが凍結した理由を察します。生命体を組み上げることで「人の手を離れた自律AIを、別のAIが作り出す」という危険性が生じてしまい、あらかじめ設けられていた自動制御が発動したようです。
さて、序盤から布石を置かれていた「ケイ素生物」がついに登場し、人類社会にとっての重要性が示されたところで、物語は別の場面へと移ります。
素子と環の超越的空間
ここで、先ほど草薙に強制停止させられた素子へと場面が移ります。
素子は不思議な空間で環らしき女性と対面しています。泡のような空間に星がまたたき、球形の枝葉と球形の根を持つ樹が浮かんでいます。その枝葉と根には、素子の像が1人ずつ、鏡合わせのような(太極図のような)配置で浮かび上がっています。場面設定も抽象的で、素子と環の会話も曖昧です。この場面を完全に読み解くことは難しいですが、できる範囲で検討していきましょう。
●1:チャネリング
そもそも、この場面はどこで起こっているのでしょうか?まずは「全身サイボーグはチャネリング状態になりやすい」という設定があったことを思い出す必要があります。第1巻の注釈にて、士郎正宗は次のように記しています。
「全身機械化サイボーグでは簡単に感覚器を眠らせる事ができるので、いわゆる科学的な電脳シンクロを行う時、準チャネリング状態を容易に創る事ができる。」
簡単に言ってしまえば、全身サイボーグは霊感が強いわけです。
素子もまた全身サイボーグであり、なおかつこの場面では義体が強制停止されています。脳だけが働いているため、霊的なものと繋がりやすい状態にあると推測できるわけです。第1巻で肉体を失った人形使いも、この現象を経験していました。その人形使いの経験を引き継いだためか、素子同位体たちは霊的な上部構造を感知できるようになっています。
草薙に強制停止されたことで、素子もそのような霊的感覚に移行しているのでしょう。
●2:天御柱
「上部構造ってなんだ?いつそんな話が?」
と思われるかもしれませんが、実は第1巻で既に語られていることです。あらゆる生命・物質・素粒子・仮想粒子等が作り出すネットワークを、攻殻世界では「天御柱」と呼んでいます。つまり、天御柱とはマクロとミクロを併せたこの宇宙そのもののことだと思われます。
我々に見えている物質世界は、「天御柱」と呼ばれるより大きな世界の一部なのです。通常の人間は、五感を通じてしか世界を認識することができません。しかし、素子同位体や霊能力者たちは、天御柱における五感の外側=霊的世界を認識できるというわけです。
なお、作中では詳しく説明されませんが、これは電脳の描写とも関係がある話です。攻殻世界では脳を6つのレベル(階層)に分けているのですが、その階層構造は第6レベルの先、つまり世界全体の階層とも連続しているらしいのです。
脳の階層構造の最深部、人格を規定する第6レベルを「ゴーストライン」と言います。霊能者や素子同位体のような特殊な人間は、それより深い第7レベル以降も認識できるようになっています。第7レベル以降は個々人の脳の範疇を離れ、情報量が莫大に増加するようです。つまり、脳もまた森羅万象で編まれた巨大なネットの一部であり、全ては繋がっているということですね。これは、攻殻を読み解くうえで割と重要な設定だと思われます。
●3:樹と生成過程
上記のことを理解していれば、この空間で樹が浮かんでいる理由も自ずと明らかでしょう。樹の形は天御柱を表しており、素子はその世界の構造を俯瞰するモードになっていると思われます。
我々の現実世界の神話や科学でも、世界は一つの源から枝分かれするように作られたのだと語られる事がありますね。枝が一つの幹から分かれていくように、一つの根源的存在から宇宙の全てが生成されたという世界観です。時間の進行とともに枝の先がさらに広がっていくわけです。プロティノスの流出説、カバラのセフィロト、インド神話のプルシャや、道教における「元気」などが思い浮かびます。
逆に言えば、特定の宗教や神話が描かれているわけではないようです。科学や宗教、神話に関する知識を吸収した士郎正宗による、オリジナルの世界観です。しかし、作中の登場人物は各々の科学や宗教に基づいてそれを解釈しています。下図のように、創作の順序と作品内での解釈の順序が逆向きになっているわけです。「なんでそんな当たり前の話をしてるんだ」と思われるかもしれませんが、理解に詰まる人も多い箇所だと感じます。
●4:縁のペアと魂
上部構造のビジョンないしは素子の夢の中に現れた、黒い服の環。彼女は何者なのでしょうか。
「私の中の貴女 貴女の中の私」
という曖昧な事を言っていますが、このセリフは第1巻での人形使いの発言に呼応するものだと考えられます。テロリスト・相馬亨と草薙素子との因縁について人形使いが語った際、同様の言葉を発しているのです。
詳しい説明が無いため、環が出現した現実の理屈については不明です。しかし、素子との因縁・因果関係のペアに基づいて環が召喚されているらしいということは分かります。また、絵だけに注目してみると、素子の白と環の黒で太極図を表しているようにも見えます。「私の中の貴女 貴女の中の私」という要素も太極図の中に含まれていますね。因果によって召喚された自分を補完する者という意味合いがあるように思えます。
また、環の黒い服装は、後のセリフに出てくる『瓜子姫と天邪鬼』に呼応する要素でもあります。瓜子姫の昔話において「木にとまったカラスが真実(瓜子姫の死)を告げる」という場面があるのですが、環の黒い服はカラスの色になぞらえているようです。素子同位体=天邪鬼と関連したモチーフです。
瓜子姫の昔話におけるカラスの役割とは何なのでしょうか?カラスは天邪鬼によって殺された瓜子姫の魂と解釈されることが、現代では多いようです。士郎正宗が瓜子姫についてどこまで調べたのかは不明ですが、やはり自分を補完する何者か、あるいは自分の半身という解釈ができるかもしれません。
また、カラスは後ほど登場する「八咫烏」というモチーフとも呼応しているため、そのための布石という意味合いも強いです。
以上に挙げた前提条件を頭に入れながら、環と素子の会話内容を検討していきましょう。
非対称の鏡
さて、素子と対面した環は、次のように発言します。
「貴女は鏡に映るものを選ぶ…宇宙は非対称だから」
極めて抽象的で、作品内の何を指しているのか把握しにくいセリフです。しかし、この巻全体に関わる重要なセリフでもあります。まず「鏡」と「宇宙は非対称」という言葉から少し考えてみましょう。
この世界の非対称性について述べた人物として、フランスの化学者ルイ・パスツールが知られています。パスツールは酒石酸という物質を研究し、鏡像異性体(エナンチオマー)の性質を明かしました。高校化学で習いましたね。下図のように、分子の中には鏡合わせ形状のペアを持つものがあります。このペアの相手を鏡像異性体と言います。鏡像異性体は同じ原子から成りますが、回転しても元の分子と形がピッタリ一致しません。そのような分子のペアは、光に対しても異なる反応を示します。
酒石酸だけではありません。生命体を形作る他の有機物質にも、鏡合わせの分子のペアが存在します。鏡合わせの分子は元の分子と形が一致せず、他の分子との反応も異なるものになります。
さらに、偶然か宇宙の性質か、生命体に存在するアミノ酸は、ペアのうちのL型に集中しています。つまり、地球では鏡合わせの片側が常に支配的なのです。パスツールの伝記によると、彼は次のように語っていました。
「宇宙は非対称的である。生命とは宇宙の非対称性の関数であるか又はその結果である。」
アミノ酸は一例に過ぎません。「非対称性」というキーワードは自然界・宇宙の様々な局面に現れ、我々の想像力を世界の神秘へと誘います。SFファンであれば、ここで「CP対称性の破れ」等も語れるかもしれません。しかし、あまり難しい話題に言及するとボロが出てしまうので、これくらいで止めておきます。
この場面で環が言わんとしているのは、人間のような単位で見た時にも「宇宙の非対称性」が生じるということでしょう。素子という個人にとっても、そして人間という種にとっても、あるいは上位レベルの神々にとっても、各々の「鏡像」となる相手が常に存在するわけです。その非対称な鏡像と正像は異なる性質を示します。素子は、これから鏡に映るものを選ぶ=「非対称の鏡像」を選ぶような行動をとる、と予言されているようです。
「鏡像となる相手が常に存在する」という宇宙の仕組みについて、第1巻では「エン」という仏教用語を使って説明していました。我々人間には生まれ持った性向や人生の蓄積(あるいは前世の因果)があるため、地球上の誰とでもエンを結ぶというわけにはいきません。DNAの塩基対のように、人には一定のペア・運命の相手がいるわけです。
少し話題がズレますが、先ほどからの謎であった「清楚な環と霊体の環」の違いにも、これで合点がいきます。清楚な環と霊体の環も、鏡像異性体の関係だったのかもしれません。相変わらず作品内での実態は謎ですが、少なくとも2人の環は「非対称の鏡」というテーマを示す要素であるとは言えそうです。
ここには、自然科学的な概念を人間の言動や社会に当てはめる論理の飛躍が見られます。非対称の鏡という概念が世界のあらゆる側面に潜んでいる、というようなイメージですね。密教・オカルト的なものが感じられます。このような、階層を上下しても同じ原理が繰り返されるという考え方を、照応(コレスポンデンス)と言います。
どちらが閉じ込められているのか
先ほど書いた通り、樹の枝葉と根には、鏡合わせの素子が一人ずつ映っています。それを見た素子と環は、以下のように発言します。
素子:…閉じ込められてる…?
環 :そう?どちらが?
かなり省略された会話で、内容を補って読む必要があります。個人的には、以下のように補完できるのではないかと思います。
素子:根の方の女性は閉じ込められている?
環 :そう?根の方が閉じ込められているとは思わないけど…それを言うなら、枝葉の方もじゃない?どちらの方がより閉じ込められていると言える?
おそらくこの会話は、先ほどスピカとアンタレスがおこなっていた「成長あるいは死への行程」の議論の延長線上にあるものではないかと推察します。スピカは強大に成長する枝葉たることを願い、アンタレスは死から遠ざかる根を願っています。成長とは選択肢を消費し、自らを袋小路に追い込む行為であるとも言えます。しかし、「人は変化するもの」であり、ある段階にて凍結していたいという願望もまた非現実的であると言わざるを得ません。種に必然的に生じるジレンマが問われているようです。草薙=スピカ+アンタレスの立てた問題を、素子+環の側で問い直しているわけですね。
2種類の三連星
ここで素子が上空を見上げ、次のような会話が始まります。
素子:3つの北極星が見当たらないわ…
環 :それはここに 始まりの時からずっとここに
貴女がアクセスしたいと思ってた地平点…
素子:そんなのじゃなくって
いつも遠くで輝いてる巨大なアレよ
環 :これよ
これもまた、極めて抽象的な会話であり、そのままでは理解が困難です。私の個人的な読み解きになってしまいますが、一つずつ検討していきましょう。
▲1:現実のレイヤー:素子の忘れ物
先ほど述べた通り、この場面はスピカ・アンタレスの会話とも内容的に繋がっているような印象を受けます。スピカ・アンタレスの会話に関係しつつ、「始まりの時からずっと」素子の手元にあり、素子の将来を決定づけるであろう物とは何でしょうか?そういう物が、今までの場面でも描かれてきましたね。そう、ケイ素生物の設計図です。
そもそも、素子が設計図を入手した第2章の時点で調査をおこない、その将来性に気付いていれば、自身の行動方針に極めて重大な影響を与えていたはずです。その場合、物語の展開も著しく異なるものになったでしょう。その「忘れ去られた重要アイテムに気付かせる」という意味において「始まりの時からずっとここに」というセリフには筋が通っています。
▲2:神話のレイヤー:北辰と尊星王
次に、「北極星」というものの神話上の意味合いに目が向きます。地球の歳差運動により、どの星が北極星となるかは時代によって変化します。我々の現代では、こぐま座アルファ、ポラリスが北極星とされています。この星は三重連星であり、ポラリスA・ポラリスAb・ポラリスBで構成されています。したがって、素子が「3つの北極星」と言ったのは、現実においても妥当な話です。
しかし、1500年ほど過去にさかのぼると、こぐま座ベータ、コカブという別の星が北極星となっていた時代もありました。この北極星は宇宙の中心たる北辰、すなわち天帝の星であり、信仰の対称でもあったのです。尊星王あるいは妙見菩薩とも言われます。
先ほど、古事記の「国譲り」にひっかけて、新たな支配者の登場に関する物語であるのかもしれないと書きましたね。また、北極星は素子の忘れ物=ケイ素生物であるかもしれないとも書きました。つまり、ケイ素生物の出現は、新たな天帝=宇宙の中心の誕生という歴史的イベントを示唆しているのかもしれません。
環が言わんとしているのは、現実の宇宙の構造というより、中国占星術に基づいた象徴的な宇宙像とその運行なのでしょうか。
▲3:素子同位体と宿曜の繋がり
上記のケイ素生物=北辰という神話の構図には、素子同位体たちも関わっています。
よくよく思い出してみると、草薙の人格にはスピカ・アンタレスという星の名前がつけられていました。宿曜で言うと角宿と心宿です。さらに、後の展開の先取りになりますが、草薙素子の命宿は参宿とされています。
北辰:ケイ素生物
参宿:草薙素子
角宿:アンタレス
心宿:スピカ
このように、攻殻2の物語が宿曜のサイクル・相性に基づく運行となっている可能性が示唆されているわけです。
▲4:三組の宇宙ユニット
攻殻機動隊の世界、というより士郎正宗ユニバースにおいては、3つのユニットが組み合わさって宇宙が生成されているというイメージが語られています。これはミクロにおいてもマクロにおいても共通した構造となっており、先ほど述べた「照応」関係が作られています。第1章の冒頭で「三叉樹」という用語を説明していたのも、それが理由でしょう。
これは、おそらく量子力学を元に考案された独自の世界であり、必ずしも現実世界の科学に忠実に作られたものではないようです。(間違っていたらすみません。)また、自然科学だけでなく、道教の「三炁」のような宗教的イメージも重ねられているように思われます。
先ほど述べた通り、この三つのユニットの組み合わせによる生成原理は、宇宙全体というスケールにも素粒子のスケールにも共通するものとなっています。そのため、天の三連星を志向する素子に対して、すぐ近くにある三連星に気付かせる環、という場面が生じるのでしょう。
▲5:最後の問いかけ──1か3か
環は最後に、「1つの光に触れるか、それとも3つの光に触れるか」という抽象的な問いかけを残していきます。素子もその問いの意味を聞き返しますが、環は「答えは求めるものに開かれる」と曖昧な返答を返します。結局、素子はどちらに触れたのでしょうか?それも明確には描かれないまま、場面は物理現実へと戻っていきます。
個人的には、ここが攻殻2で最も理解の難しいセリフではないかと思います。ここまで力量不足ながら何とか解釈を試みてきましたが、この「1つか3つか」の問いについては、手がかりが見つかりません。皆さんはこの問いをどう捉えましたか?よければコメント欄に書き込んでみてください。
この章のまとめ
① 草薙=スピカ+アンタレスという実態が露見
② 草薙による大規模融合の計画が発覚
③ 融合=成長・死への行程を巡る、スピカとアンタレスの対立
④ 草薙が聴覚を経由して素子に勝利
⑤ 素子、チャネリング状態で環との精神的対話へ
⑥ 「非対称の鏡」という現象が鍵だと示される
⑦ 宿曜的な宇宙像における物語の解釈が示される
5章後半+6章に続く・・・
(間違いの指摘募集中)


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