第9話「マスゴミ」
花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、多くの人とコミュニケーションを取っている人たちが集まっている。そして日々、脳内ダダ漏れな情報発信を繰り返している。
かくいう僕も、そういった、ネットへの意見表出に余念がない系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。
そんな、他人と積極的に繋がりたがる面々の文芸部にも、他者と隔絶した人が一人だけいます。SNSにいる多数の相手と話すことに興味を持たず、本との対話にあくせくしている女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。
「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」
間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と歩いてきて、僕の横にちょこんと座る。楓先輩は、地味で見逃しそうだけど、とっても美人で、とっても可愛らしい女の人だ。そして、その姿を見ると、僕だけの美少女だと感じてしまう可憐さを持っている。髪の毛は三つ編みで真面目さを強調しており、チャラい男からの視線は眼鏡で跳ね返す。そんな鉄壁の防御力を誇る楓先輩に、僕は心底惚れ込みながら、声を返した。
「どうしたのですか、先輩。初めての言葉にネットで遭遇しましたか?」
「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」
「ええ。世界で最初の日刊新聞ライプチガー・ツァイトゥングが、一六五〇年にライプチヒで創刊されたように、僕は世界で最速の秒刊新聞を目指して、プチプチとネットでつぶやいています」
「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」
「何でしょうか?」
楓先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。ネットに触れていなかった先輩は、そのパソコンでウェブを見始めた。そのせいで、ずぶずぶとネットの世界にはまりつつあるのだ。
「マスゴミって何?」
楓先輩は、不思議そうな顔をして、僕に質問してきた。
マスゴミは、マスコミを罵る言葉だ。偏向報道や捏造、取材対象への無礼な行動や人権無視、そういったマスコミの悪い部分が露呈した際に、軽蔑の意図を持って使われるネットスラングだ。
僕は、この言葉をそのまま説明しても大丈夫か考える。ゴミと言う方が、ゴミ。楓先輩に、そう思われてしまう危険があるのではないか? 僕は、穏やかな紳士として、きれいな言葉だけを、楓先輩の前で使いたい。
それに、ゴミゴミと言っていると、僕が本当は、ゴミのような人間であることがばれてしまうかもしれない。楓先輩は、僕のアキレス腱への、高い攻撃能力を持っている。アクロバティックに、板野サーカスを繰り広げたミサイルが、僕の死角から飛んで来るかもしれない。
僕は、楓先輩に、どのようにマスゴミの説明をするべきか頭を悩ませる。
そうだ! マスゴミの説明をしたあと、マスコミをマスゴミと呼ぶのはよくないという話をしよう。そういった他人を貶める言葉は、誰に対しても使うべきではないと、予防線を張ろう。それで大丈夫だろう。
「楓先輩。マスゴミとは、マスコミとゴミを掛け合わせた侮蔑の言葉です。この言葉は、ネット上で多く用いられていますが、ネット登場以前から存在していました。古くは、一九九六年の映画『野良犬』において『お前らマスコミやない、マスゴミや!』と激怒する場面が存在するそうです。
この言葉がネットで多く用いられるようになったのは、ネットがマスコミに対するカウンター的存在として、台頭してきたことと切り離せません。
インターネット登場以降、マスコミの不正や腐敗、傲慢ぶりが、マスメディアを通さず、直接人の目に触れるようになりました。そういった際に、マスコミを叩く言葉として、マスゴミという混成語が、ネットで多く利用されるようになったのです。
では、どういった際にマスゴミという言葉は用いられるのでしょうか? まず分かりやすいものとして挙げるのは、捏造報道がおこなわれた際や、偏向報道がおこなわれた際です。捏造報道は、そもそも論外ですし、偏向報道は、中立性を欠いた報道として糾弾されるべきものです。
また、権力への迎合、スポンサーや圧力団体への配慮。自分自身の不祥事に対する沈黙、あるいは手心を加えた報道。また、非を認めなかったり、謝罪をしなかったりする。そういった行為が見られる際も、ネットでは叩かれます。
さらに、ネット時代ならではと感じるのは、事故や犯罪の被害者に対する、人権無視の報道姿勢、あるいは、取材対象に対する身勝手な振る舞いへの反発です。
これらのマスコミの実態は、ネット時代以前は、表に出てこない情報でした。しかし、現在では、取材された側に、自ら情報発信できるツールが存在します。そのため、マスコミの横暴が、即時にネットに書き込まれて、拡散されるようになりました。こういったことが発覚するたびに、マスゴミという言葉が使われています。
そして、もうひとつの理由として見逃せないのは、大手マスコミの給料の高さと特権意識です。歴史的に、新聞を筆頭としたマスメディアは、一般大衆ではなく知的階層の人々が職に就いてきました。
また、全国に情報を届ける手段が乏しかったために、新聞などは大きな影響力を持っていました。販売部数も多く、広告料も高額なために、社員の給料も高く、それは現在でも続いています。
新聞社同様に、テレビ局も社員の給料は高いです。それは、新聞と同じような理由に加え、国から格安で借りた電波を利用して、情報の伝達を寡占しているためでもあります。
こういった背景から、マスコミ、特に大手マスコミを嫌う人もいます。また、そういった高給取りであるマスコミが、昨今取りざたされている格差問題を扱うことに、偽善を感じる人もいます。このような面からも、マスゴミという言葉は、使われることがあります。
さて、様々な理由から使われるマスゴミという言葉ですが、僕自身は、あまり使うべきではないと考えています。
なぜならば、他者を罵る言葉というものは、自らも貶めるからです。また、マスコミの中にも、糾弾されるような人もいれば、逆に使命感を持ち、きちんとした仕事をしている人もいるからです。これは、どの職業や業界でも同じです。
できるなら僕は、他人を叩いて満足するのではなく、問題を深く考えて、解決のために動ける人間になりたいと思っています。
また、それだけではありません。それ以外の理由もあります。
現代では、マスコミは唯一の情報媒体ではありません。ネットを通して、別経路の情報や、海外の報道も見ることもできます。専門家の意見を直接読むことも可能です。悪しき点があるのならば、論理的な言葉で非難して、足らない点があるのならば、他のメディアも横断的に使う。
僕はそうやって情報を摂取していきたいと考えています」
僕は、マスゴミについての説明を終えた。最期に、楓先輩が、安易に他人を罵倒する言葉を使わないように、予防線を張った。
これで大丈夫だろう。僕は安心して、楓先輩の反応を待った。
「なるほどね。マスゴミというのは、そういった背景から使われている、言葉だったのね」
「そうです」
「サカキくんの言うように、安易に罵倒の言葉は使うべきではないわね。それに、マスコミの人が、身内にいる人もいるでしょうし」
「ええ、そうですね」
おおっ! 珍しく、楓先輩が何の寄り道もせず、僕の意図に沿ってくれた。これは、今回は地雷なしか? 僕は、喜びに満ちた顔をした。
「ところでサカキくんは、そういったマスコミによる被害を受けた経験はあるの? 取材とかで」
「えっ?」
僕は凍りつく。楓先輩は、不意打ちのように、僕に質問をしてきた。
マスコミによる被害? 取材とかで……。
僕は、顔を青くして、額から汗をだらだらと流す。ああっ! あるっ! 僕はマスコミからの取材で、マスゴミと、ネットで呼ばれそうな対応を、されたことがあるのだ!!! 僕は、その時のことを思い出して、膝をガクガクと震えさせた。
それは、数ヶ月前のことである。僕がメーラーを開くと、一通のメールが届いていた。それはテレビ局からのものだった。内容は、僕のウェブサイトのスクリーンショットを、使わせて欲しいというものだった。
ふっ、僕も有名になったものだな。テレビから取材が来るとは。僕は得意満面になり、スクリーンショットは、自由にご利用くださいと返信を書いた。それが、どんな番組で、どのように利用されるかなど、深く考えずに……。
数日後、僕は夕方の報道バラエティ番組を見ていた。ポテトチップスを、華麗に口に放り込みながら、その番組を見ていると、ネットの違法コピーの特集が始まった。
へー、違法コピーか。僕は、そう思いながら、テレビを見ていた。そして、口の中のポテトチップスを、火山のように噴き出したのだ。
僕の華麗なるゲーム攻略と、雄弁なるゲーム感想を書いたサイトのスクリーンショットが、ゲームの違法コピーの説明で利用されたのだ。
「ほんげるぼわっ!」
僕は謎の悲鳴を上げて、右往左往した。
えー、あの、うちのサイトでは、違法コピーの話など、何もしていないのですが。それ以前に、僕はすべてのゲームを、正規の値段で購入して遊んでいるのですが。
その番組が終わった直後から、僕のウェブサイトに人々が殺到した。そして、僕が違法コピーでゲームを遊んでいると信じて、絨毯爆撃のように、感想欄に罵倒の書き込みをしてきたのだ。その勢いは留まるところを知らず、僕の精神力はみるみる減ってしまった。そして、僕は失意のうちに、そのサイトを閉鎖したのである。
「ねえ、サカキくん。サカキくんは、そういったマスコミによる被害を受けた経験はあるの?」
「はっ!」
僕は、意識を文芸部の部室に戻す。そして、僕にぴったりと寄り添う楓先輩に、視線を注いだ。
先輩は、じれて、じれて仕方がないのだろう。両の拳を軽く握り、僕の胸元に添えて、僕の顔を見上げていた。
「え-、あのー、そのー」
僕は、トラウマと格闘しながら、楓先輩の期待に懸命に応えようとする。しかし、駄目だった。僕の心は語ろうとしたが、肉体が拒否反応を起こした。
「すみません、楓先輩! 僕の心の傷を、えぐらないでください!!!」
僕は、肉体の命令に従い、声を出した。僕は、あの日の悲しみを思い出して、猛ダッシュで楓先輩の前から逃げ出してしまった。
それから三日ほど、楓先輩は、事件のあらましを知ろうとして、僕に貼りつき続けた。それはまるで、被害者の感情を考慮しない、徹底した取材攻勢のようだった。
僕は、セカンドレイプをされたように心をずたぼろにされて、部室の机に突っ伏し、ぐったりとしてしまった。
一周目の頃からリストにあったのですが、なかなか書く機会のなかった言葉です。
こういった、特定の人を侮蔑する系の言葉は、紹介がなかなか難しいですね。