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第8話「ジト目」

 花園中学は、頭がお花畑の人間が通う中学ではない。花園という地域に存在している、まともな中学校だ。その花園中の文芸部には、他人に軽蔑の眼差しを向ける者たちが集まっている。そして日々、うしろに倒れそうな勢いで反り返り、見下す視線を放ち続けている。

 かくいう僕も、そういった呆れ気味に、現実社会を見る系の人間だ。名前は榊祐介。学年は二年生で、厨二病まっさかりのお年頃。そんな僕が、部室でいそしんでいるのは、備品のパソコンでネットを巡回して、何の役にも立たないネットスラングを調べて喜ぶことだ。


 そんな、社会に対して斜に構えた面々の文芸部にも、世間とまっすぐに向き合う人が一人だけいます。負の熱視線を放つ者たちの中で、尊敬の眼差しを絶やさない女の子。それが、僕が愛してやまない、三年生の雪村楓先輩です。楓先輩は、三つ編み姿で眼鏡をかけている文学少女。家にはテレビもなく、活字だけを食べて育ったという、純粋培養の美少女さんです。


「サカキく~ん。ネット詳しいわよね。教えて欲しいことがあるの~」


 間延びしたような声が聞こえて、僕は顔を向ける。楓先輩は、ととととと、と駆けてきて、僕の横にちょこんと座る。背の低い楓先輩は、たいていの場合、少しだけ上目遣いだ。その一生懸命見上げている様子が、僕はとても好きだ。そしてその目で見つめられると、先輩のために一肌脱がなければと思ってしまう。僕は、その溢れるばかりの愛情を込めながら、楓先輩に声を返した。


「どうしたのですか、先輩。未知の言葉をネットで見かけましたか?」

「そうなの。サカキくんは、ネットの達人よね?」

「ええ。女優の梶芽衣子が、その鋭い視線でクエンティン・タランティーノの心を虜にしたように、僕は、この粘りつくような視線で、ネットの画像の虜になり続けています」

「そのサカキくんに、聞きたいことがあるの」

「何でしょうか?」


 楓先輩は、最近ノートパソコンをお父さんに買ってもらった。ネットに触れていなかった先輩は、そのパソコンでウェブを見始めた。そのせいで、ずぶずぶとネットの世界にはまりつつあるのだ。


「ジト目って何?」


 楓先輩は、ジト目とは真逆の視線で僕を見ながら言った。

 ジト目は、じと~っとした目で見つめる際の、目そのものや目付き、表情のことだ。このジト目は、軽蔑や不快などの負の感情を表す。僕を含んだオタクの中には、その目にぞくぞくして、めろめろしてしまう人もいる。

 それは一種の変態さんだ。しかし、そういった反応も、先輩にばれなければ問題ない。僕が、自ら楓先輩に、告白するわけもない。だから安心だ。


 これは楽勝だな。僕はそう思いながら、嬉々として説明しようとする。その時である。部室の一角から声が聞こえてきた。


「サカキ先輩は、ジト目が大好きだそうです。その目で見られると、背筋に快感が走り、悶絶してしまうそうです」


 なんですと!? 僕が、そんな変態さんだとばらす人は、誰ですか? 僕は、驚いて顔を向ける。そこには僕の苦手な相手、一年生の氷室瑠璃子ちゃんが座っていた。


 瑠璃子ちゃんは、氷室という名のとおり、僕に対して氷のように冷たい女の子だ。だが、瑠璃子ちゃんの特徴は、それだけではない。どう見ても、小学校低学年にしか見えない外見。そして人形のように整った顔。その姿と、目付きと、きつい性格のせいで、「幼女強い」という謎の陰口を叩かれている女の子だ。


 その瑠璃子ちゃんは、なぜか僕に厳しい。「サカキ先輩は、知能の一部を、どこかに置き忘れてきたのですか」とか、「不摂生なのは、その年にして生活習慣に問題があるからですか」とか、「女の子が通るたびに、視線で追いかける悪癖は、何とかならないのですか」とか、世話焼き女房のように、いつも小言を言ってくる。

 僕のガラスのハートは、そのたびに粉々に砕けそうになる。瑠璃子ちゃんの言葉の暴力に、僕はいつも打ちのめされているのだ。


 その瑠璃子ちゃんが、僕に対して、「サカキ先輩は、ジト目が大好きだそうです」と言ってきたのだ。


「えー、瑠璃子ちゃん。僕は、本当にそんなことを言ったのかな?」

「はい。何年何月何日何時何分に言ったのかも話せます」


「そ、そうなんだ」


 僕は、青い顔になる。このままではまずい。この状態でジト目を説明すれば、僕がまるでマゾヒストのように、蔑まれることで快感を得ているのがばれてしまう。

 しかし、そんな台詞を、僕は本当に言ったのだろうか? 瑠璃子ちゃんは、その日時まで正確に記憶しているという。僕は瑠璃子ちゃんに、いつそんな話をしたのか? 僕は、必死に記憶をさかのぼらせようとする。


 それは僕が小学校六年生で、瑠璃子ちゃんが五年生の時だった。

 小学校という階級社会の中で、ピラミッドの頂点に立った僕は、わが世の春を謳歌していた。高学年という立場は、それだけで下々の者たちの尊敬を集める。僕は、慈悲深い支配者として、多くの後輩たちに、道を譲ってあげたり、図書館の棚の本を取ってあげたり、貴族としての振る舞いを続けていた。


 そんなある日、僕は体育館の裏で、ボールをなくしたという下級生のために、草の中にしゃがみ込んで、手を動かしていた。

 その二年生の後輩は、何となく薄情な奴で、僕にボールの探索を依頼したあと、そのことを忘れて、友人たちと運動場に行ってしまったのだ。しかし、聖人のように心の広い僕は、まるで自分探しをするように、あるかないか分からない、球形の何かを探し求めていたのである。


「あの、サカキ先輩」

「うん?」


 僕は、声をかけられて振り向いた。そこには、僕より一学年下の瑠璃子ちゃんが立っていた。瑠璃子ちゃんは、初めて見た時と変わらない、幼い容姿をしている。その姿は、僕にボール探索を依頼した二年生と、それほど変わらない年齢に見えた。


「なんだい、瑠璃子ちゃん?」


 僕は答えながら、瑠璃子ちゃんの視線にぞくぞくする。なぜだか分からないけれど、瑠璃子ちゃんは僕に、時折ジト目を向ける。そのたびに僕は、あふんっ、と声を出しそうな快感を覚えるのである。


「サカキ先輩、何をしているのですか?」

「うん。ボールを探しているんだ」


「そのボールのことを依頼した二年生は、ボール遊びをしていますよ」

「えっ?」


 僕は瑠璃子ちゃんに事情を聞く。どうやら、他の場所で見つけてしまい、僕のことを忘れて遊び始めてしまったらしい。

 僕は肩を落とす。貴族の勤めも楽ではない。支配者とは、人の目に付かないところで、努力するものなのだ。僕はそのことを痛感した。


 僕は、ちらりと瑠璃子ちゃんの姿を見る。瑠璃子ちゃんは、ジト目で僕のことを見ている。僕は、背筋に快感を味わいながら瑠璃子ちゃんに話しかける。


「ねえ。瑠璃子ちゃんはなぜ、僕を蔑むような目で見るの?」

「えっ?」


 瑠璃子ちゃんは驚きの声を出したあと、恥ずかしそうに顔を色付かせた。


「そんな目で、見ていましたか?」

「うん」


「どうも、私は目付きが悪いようで」

「そうなの?」


「はい。そのせいで、時々クラスの友人に、『おい、ケンカを売っているのか!』と言われてしまいます」

「そうなんだ」


 それは大変そうだ。そういえば瑠璃子ちゃんは、かなり目付きが鋭い方だ。


「それで、そのケンカの結果は、どうなるの?」


 僕は、気になったから尋ねてみる。


「論破します。難癖を付けてきた友人は、最期は泣いて去って行きます」

「お、おうふ」


 その子も災難だなあと僕は思った。そして僕は、今一度瑠璃子ちゃんの顔をじっと見て、目を覗き込んだ。

 瑠璃子ちゃんの目は、やはり時折ジト目に見える。そして、その目を見ている僕が蔑まれているように思える。しかし、当の瑠璃子ちゃんには、軽蔑の気持ちはないと言う。

 これは僕の被害妄想なのかもしれない。僕の卑しい心が、そういった目だと感じさせてしまっているのだろう。


「あの、サカキ先輩」


 僕が見つめていると、瑠璃子ちゃんが顔を赤く染めながら声をかけてきた。


「うん? なんだい、瑠璃子ちゃん」


 僕は笑顔で答える。


「サカキ先輩は、この目が嫌いですか?」


 勇気を振り絞った台詞。瑠璃子ちゃんの声は、そういった調子だった。


 僕は反省する。僕は、美少女を愛する男だ。そして、彼女たちを悲しませないために、どんなことでもしようと考える人間だ。瑠璃子ちゃんのために、僕は何か声をかけなければならない。僕は、瑠璃子ちゃんを喜ばせるために、この場で最も適切だと思われる台詞を口にした。


「ねえ、瑠璃子ちゃん。僕は、ジト目が大好きだ。その目で見られることで、背筋に快感が走り、悶絶してしまうんだ。瑠璃子ちゃんの目は、僕にそういった感情を抱かせる素晴らしい目なんだよ」

「そ、そうなんですか?」


 瑠璃子ちゃんは、戸惑いながら僕の顔を見上げる。僕は、優しい笑みを瑠璃子ちゃんに向けてあげた。


「うん。瑠璃子ちゃんの目は、そういった力を持つ、神様からの贈り物なんだ」

「そうだったんですか。分かりました」


 そうか、分かってくれたのか。僕は、安心して、うんうんとうなずいた。


「私の目は、サカキ先輩にとって、素晴らしい目なんですね?」

「そうだよ」


「サカキ先輩。私は、この目の力を強化します。眼力を鍛えます。そして、サカキ先輩を、さらに快感に導けるようにします!」

「えっ?」


 僕は、困惑の声を漏らした。そんなことが、小学校六年生の時にあったのだ。僕は、そのことを思い出した。


「ねえ、サカキくん。それで、ジト目って、どういう意味なの?」

「はっ!」


 僕は、我に返る。そして、楓先輩にジト目の説明をしようとしていたことを思い出す。


「え、ええと」


 僕は、慌ててその意味を思い出して、説明を開始した。


「ジト目とは、じとーっとした目というフレーズから派生した言葉です。このじとーっとした目は、負の感情を表す表現です。じとっとする、じとーっとするなどの、梅雨を思わせる、不快でまとわりつくような視線を、思い浮かべるとよいと思います。

 そして、その目で見ることは、軽蔑や不審、不快、警戒、いら立ちや敵意などの感情を、視線で表すことになります。


 このジト目は、姿形としては半目の状態を指します。目を細めて、見下すような目と言えばよいでしょうか。二次元で表現する際は、上目蓋を横一線で表して、下の目蓋を半月状に描くケースが多いです。また、眉がつり上がっていることが往々にしてあります。


 このジト目は、本来的には、相手との距離を置くような心理状態の表現です。しかし、そういった目に、相手との上下関係を感じて、喜びを見いだす人もいます。そして、オタク層の中には、このジト目を萌え要素、つまり、魅力のひとつだととらえて、好む人もいるのです」


 僕は、ざっくりとした説明をした。楓先輩は、少し考え込んだあと、僕をちらりと見て、声をかけてきた。


「それで、サカキくんは、そういった目で見られて喜ぶ人なの?」


 ぶっ! そういえば、瑠璃子ちゃんのせいで、そういった話になっていた。

 このままではまずい。まるで僕が、ジト目で見られて喜ぶ、変態だと思われてしまう。確かにそうなのだけど、そんなことをばらしてしまうわけにはいかない。

 僕は、慌てて説明を付け足すことに決める。先ほどは、説明に不足した部分があった。その補足をすれば、僕が変態ではないと、楓先輩も納得してくれるだろう。


「楓先輩。実は、ジト目という言葉を使う人の中には、二種類の派閥があるのです。ひとつ目の派閥は、ジト目はただの半目ではなく、負の感情が必要だという人たちです。そして、もうひとつの派閥は、ジト目は、ただの半目で、負の感情は不要だという人たちです。

 同じ言葉でも、このように二つの立場の人たちがいて、微妙に違う意味で使っているのです。こういった現象は、ネットの言葉や、狭いコミュニティ内で通じる言葉に、よく見られます。


 僕は心の広い人間ですから、今の説明の中で、後者の側に立っています。つまり、ただの半目も、ジト目と見なす派なのです。

 アニメやマンガでは、そういった常時半目のキャラもジト目と言われることがあります。そして、ジト目キャラと呼ばれたりしています。そういったジト目キャラは、感情の起伏が少なかったり、口数が少なかったりする、不思議ちゃんキャラの場合が多いです」


 僕は、説明を終えた。これで楓先輩は理解するだろう。僕が、SM的立場を喜ぶ変態ではなく、キャラクターの造形に魅力を見いだしている人間にすぎないと。僕は自信を持って、楓先輩の反応を待った。


「つまり、サカキくんは、そういった感情が平板で、無口な人が好きなの?」

「えっ? そ、そういうわけでは……」


 僕は、慌てて否定しようとする。しかし、時はすでに遅すぎた。


「ごめん、サカキくん。私、サカキくんに気軽に質問ばかりして。どうやら、サカキくんが嫌いな人の、振る舞いをしていたみたい」


 楓先輩は反省の表情をする。どうやら先輩は、自分が間違ったことをしていたと考えたようだ。


「いや、そんなことはありません。質問大歓迎です! 僕は質問攻めに、快感を見いだす系の人間なんですよ!!」

「ううん。無理をさせてごめんね。私、サカキくんに、しばらく話しかけないね!」


 ノ~~~~~~~~~~! 勝手に納得して去って行く楓先輩に、僕は絶望の叫びを、心の中で上げた。


 それから三日ほど、楓先輩は僕に対して感情を示さず、無口を貫き通した。

 ど、どうしてこうなった!

 それは、蔑まれるよりも苦痛だった。せめて、僕を見て、軽蔑してください! 僕は、楓先輩に、負の感情でも構わないから、関心を持ってもらいたかった。


 M気質のサカキくん。無視されることよりも、蔑まれることを求めて、心の叫びを上げております。

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