経木(きょうぎ)。そう言われてパッとその姿を思い浮かべられるひとはどれだけいるだろう。経木とは、スギやヒノキなどの木材を紙のように薄く削ったもの。豚まんの下に敷いてあるアレと言ったらわかってもらえるだろうか。
魚やおにぎり、お菓子など、かつてはさまざまな食材を包む材としてスタンダードだった経木だが、いまや目にする機会はほとんどない。
もはや世の中から消えてしまいそうな経木に、救われ光を見たひとがいる。目黒道人(めぐろみちと)さん、51歳。
記録的な豪雪に見舞われる冬のある日、福島県郡山市から車で約2時間半。あと少し行けば新潟という福島県最奥部の只見町にある「奥会津経木製作所」に、旅する編集者、藤本智士が向かいました。
そこで出会ったのは、カメラのフラッシュを作る下請け工場から、経木のメーカーへと転身していく物語。
経木のような昔ながらのニッチな素材でも、時代の変化をとらえることで、生産者側に立つきっかけになる。そんな、ローカル中小企業のみなさんの希望にきっとなるインタビューをお届けします。
<目次>
⚫︎リーマン・ショック、コロナ禍、突如現れた「経木」!
⚫︎南三陸、那須塩原……縁が繋がり経木の機械が動いた!
⚫︎ニーズはあるから応えたい
⚫︎継続するため、適正価格を目指す
⚫︎すべては課題解決に向けて
話を聞いた人:目黒道人(めぐろみちと)さん
昭和48年生まれ。福島県只見町出身。東京での会社員時代を経てUターンし、父親が創業したセイワ電子の代表取締役に。精密機器の組み立て事業のほか、味付マトンケバブ事業、経木製造販売、コワーキングスペースの運営なども行う。
リーマン・ショック、コロナ禍、突如現れた「経木」!
藤本:表に大きく「セイワ電子」っていう看板があったんですけど、あれは?
目黒:もともとうちは、精密機器の組み立て工場なんです。
藤本:それが、いったいなんで経木を?
目黒:コロナ禍になる直前の2019年頃に、東京の知人から突然「目黒さんのところで経木を作れませんか」ってお問い合わせをいただいたんです。
藤本:いきなり?
目黒:いきなりです。その知人は転職先のアウトドアブランドで商品企画を考えていて、キャンプ用品として経木はありだなと思ったみたいです。それで連絡をくれたんですけど、僕は経木のことをまったく知らなくて。ネットで調べたら、ザ・斜陽産業(笑)。
藤本:ですよね。
目黒:だけど、ひょっとしたら逆にここから需要が伸びるものなんじゃないかと思って、やってみたいなと。
藤本:環境問題とかを考えていくと可能性はありますよね。いまは食品を包むのに、繰り返し使えたり、土に還ったりする素材のものがたくさん出てきてるから。
目黒:そうなんです。経木をいろいろ調べていくと作っている工場が少ないことがわかって、だからこそ商売としても成立するし、うちのようなちっちゃな工場もやっていける商品になるかなと。
藤本:いや、わかるんですけど、それってだいぶ変わってますよね(笑)。でも、それくらい藁にもすがる思いというか、もともとのご商売が厳しくなっていたってことですか。
目黒:そうですね。セイワ電子は、親父が創業した、今年で36年目の下請け工場で。もともと親父はスピーカーのボイスコイルを作る工場で工場長をやってたんですけど、昭和の終わりごろに、不景気で親会社が倒産した流れで勤務先も倒産して。
ちょうどそのとき、『写ルンです』っていうフィルム付きカメラのフラッシュを組み立てませんかという話があって、それなら従業員を引き受けて自分で工場をやろうって始めた会社がセイワ電子なんです。
藤本:へえ〜〜〜! 『写ルンです』のフラッシュを。
目黒:ただ、バブルがはじけるのとほぼ同じぐらいに、また関連会社が倒産していっちゃって。今度は大手カメラメーカーのカメラ用フラッシュを作るようになり、つまりカメラのフラッシュだけで二十数年やってきました。
藤本:ニッチ!
目黒:最終的な検品までして納品するのをずっと。信頼関係もあったとはいえ、下請けなので、正直あまり儲かる仕事ではなかったんです。なので、いつかは自社製品を作る工場になりたいなって思いがあって。
藤本:フラッシュの組み立てはお父さんの代までですか?
目黒:僕が32歳のとき、2006年に帰ってきて継ぎました。
藤本:では目黒さんはそれまでは何を?
目黒:東京でウェブサイトの制作とかをしていました。大学進学で首都圏へ行って、就職氷河期第一世代なんですけど、ラッキーなことに卒業後はバイト先に拾ってもらったんです。当時は雑誌の付録にCD-ROMがついている時代で、そういうのをオーサリングしたり、テレビ番組の制作協力をしたり。
藤本:具体的にはどんなことを?
目黒:たとえば『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのコーナーで、明日のゲストは誰々さんですって言ったら、パッと写真が出るように、その場で名前を検索すると写真が出てくるシステムを作って保守を担当しました。だから会社員時代は、毎日お昼に新宿のアルタに行ってましたね。
藤本:へえー! 「明日のゲストは」って出てきてた写真は、目黒さんが出してたんだ!ていうか、じつに東京っぽい仕事ですね。浮かれちゃいそう。
目黒:言ってみれば竜宮城みたいで、毎日お祭りのようでしたね。
藤本:じゃあ、こっちに帰ってくるまではずっとその仕事を?
目黒:そうです。その1社しか経験がなくて。
藤本:只見に帰るきっかけはなんだったんですか?
目黒:ちょうど10年が経って、あてもなく辞めたんです。そしたらそのときに、親父が入院したんですね。もともとコンディションが良くなかったので、ある意味ちょうどよいタイミングで「いつまでも遊んでないで帰ってきなさい」って言われて(笑)。
藤本:帰ってきたときの会社の状態はどんな感じだったんですか?
目黒:いまよりは良くて、従業員も最盛期で三十数名いました。取引先の生産量が増えた時期だったので、毎月増産もしてたんです。それが2006年かな。
目黒:そこから2008年ぐらいまではとにかく右肩上がりでしたね。ただ、コスト要求も厳しくなるし、下請けって立場自体がどうなんだろう?とは思っていました。
その後、リーマンショックでガクッと売り上げも落ちて。主力だったフラッシュも機種がどんどん減っていったんです。イメージセンサー(※)が高度化していくことで、フラッシュそのものが不要になって。
でも、本当によくしてくださって、マウントアダプターとか、ちょっとしたリモコンとかの仕事も回していただいて。なんとかつないではくださったんですが、遂にコロナ禍で終わってしまいました。
※イメージセンサー……レンズが集めた光を結像し、電気信号に変換する半導体(回路)のこと
藤本:わ、最近の話ですね。
目黒:2020年です。その前からすでに生産量が減ってきていて、2棟ある工場のうち1棟が空いちゃったんですよ。そこで何かできないかなって思っていたところに、「経木はできますか?」って話がきた。
藤本:そういうタイミングだったんですね。そうでもなければ「経木いけるかも!」って普通は思わないですよね。
目黒:たしかにそうだと思います。
南三陸、那須塩原……縁が繋がり経木の機械が動いた!
藤本:とはいえ、すぐに経木を作れるわけじゃないですよね。
目黒:そうですね。とにかく経木っていいな、やりたいなと思ってリサーチを続けたら、宮城県の南三陸町の杉を使った経木作りのクラウドファンディングがあるのをFacebookで知ったんです。早速その方に連絡を取ってみたら、「自動経木機」という機械がないと経木が作れないことがわかりました。
機械でないと効率的にいっぱい作れないので、割りが合わないんです。これはだめだって、一回諦めて。
藤本:機械をネットで探してみたものの、見つからなかった?
目黒:そうです。でもやっぱり諦めきれなかったから、やっているところを見たいと南三陸の方にアポを取ったんです。そしたら、その方がたまたま会津へいらっしゃる予定があり、まずは会津で会いましょうとなって。
藤本:へえ〜。でも、こちらは向こうの現場を見たいって言ってるのに。
目黒:まあ、宮城まではちょっと遠いし、こっちに来られるならご挨拶だけでもと思って。それで会ってお話ししていたら、クラウドファンディングを立ち上げてはみたけど、工場移転とかいろいろあって頓挫したとおっしゃるんですよ。機械自体も宙ぶらりんの状態で、引き継いでもらえるんだったら差し上げますと。
藤本:すごい展開!
目黒:先方の工場は南三陸ですが、機械はNPOのメンバーが持つ千葉県の納屋にしまってあるということで、千葉県までトラックをチャーターして引き取りに行きました。
引き取ってきた昭和42年製の自動経木機。当時、瞬く間に全国へ広まり、経木機のスタンダードになったという
藤本:福島から千葉、けっこう距離がありますよね。
目黒:クレーン付きのトラックを只見の運送会社で手配して、一緒に行ってもらって。運んで搬入したのはいいんですけど、じつはこの機械が動いているところを見たことがないので、設置してもなかなか思うように動かない。
藤本:新たな難関が。
目黒:そこで今度は他の機械でもいいので、動いている機械を見たいとなって。いまは経木職人として一緒にやってくれているスタッフが那須塩原の経木屋さんを見つけて、その週末、僕に言わずに一人で突然会いに行ったんですよ。お仕事をされているところに「すみません、経木を始めたいんですけど、機械の使い方がわからないんで教えてもらえますか」って。
そしたら、どうぞって入れてくれて、社長が何から何まで見せてくれたって、帰ってきて僕に話すんです。それで僕もすぐ、地元のお菓子を買ってご挨拶に行って。経木をやりたいんですけど、わからないことも多いのでぜひ教えていただきたいですって言ったら、なんでも教えますからって。
那須塩原まで一人で機械の使い方を見に行った、経木職人の三瓶彰治(さんべしょうじ)さん。部品やマニュアルがない機械を、修理して動かせるようにしたいと申し出た
藤本:すごくいいひとだったんですね。那須塩原のメーカーさんはいまもやってらっしゃるんですか?
目黒:はい。そこは老舗で。
藤本:じゃあ規模も大きいのかな。そもそも機械は同じなんですか?
目黒:はい。同じ機械でした。
藤本:よくぞオープンにシェアしてくださいましたね。
目黒:そうなんです。「やりたいけどやり方がわからない」って来たひとは初めてだったんじゃないかなと。
藤本:確かに。すでに機械も手に入れてるし。
目黒:製造元仲間が少ないですから、すごく喜んでくださいました。
藤本:そこで初めて動く機械を見て、ノウハウをなんとなく得て、帰ってきて、調整したと。
目黒:部品が全部揃っていたわけでもなかったので、例えば回転モーターをピストンの動きにするクランクってパーツは地元の鋳物工場にお願いして作ってもらったりして。他にも地元の鉄工所さんは、わざわざ那須塩原の経木屋さんまで行って、別のパーツを再現してくれたり。
藤本:一大プロジェクトですね。仲間がどんどんできて。機械が動くようになったとはいえ、最初から綺麗にできるわけじゃないですよね。
目黒:いまも解決できていないのは、刃の仕立て方、研ぎ方ですね。いまは那須塩原のところにお願いしてるんですけど、いずれは自分たちでそこまでやりたいと思ってます。
目黒:何千枚なんてすぐできちゃうところを、僕らはまだ1日1000枚ちょっとしかできないので、これからがんばらないといけないところです。作るからには普及させたいんですよね。プラスチックじゃない包装材ということで。
藤本:それには、もっと量産できないといけない。
ニーズはあるから応えたい
目黒:問屋さんからの経木のニーズもすごくあるんです。いまは申し訳ないことに、注文をもらっても、できたタイミングでお渡ししますという感じで。いっぱい作って、在庫ありますって言えるぐらいまでいきたいです。
藤本:ニーズはあるんですね。
目黒:卸に加えて小売のエンドユーザー、一般消費者が経木の存在をちゃんと知ったら、使いたいひとが多いんじゃないかって見込んでいます。そういった部分を掘り起こしたいですね。日頃のお料理で経木を使ったり、おむすびを包んだり。選択肢を提案したいなっていう思いがあります。
藤本:あらためて経木のメリットってどういうところにあるんですか?
目黒:ひとつは針葉樹由来の抗菌効果。フィトンチッドという成分が針葉樹に入っていて、これに抗菌作用があります。
あとは調湿機能ですね。おむすびの水分を経木が一旦受け止めて、おむすびが乾いたら経木から補われる。プラのフィルムの場合は水分が汗のようになるのでベチャッとするんですけど、経木は呼吸できるので、ふっくらします。
藤本:おひつとか曲げわっぱとかのような感じですね。
目黒:そうです。あとは、なんと言っても燃やしたときの環境負荷が少ないということ。山へ行ったときにうっかり経木を忘れてきちゃっても、腐敗して土に還る。キャンプのときは焚き付けに使える。
そういったところでカーボンニュートラルの考え方に添うことができるので、一般の消費者にも使い方を提案していきたいんです。
目黒さんの会社では、ソロキャンプ用の商品も販売している。小さな焚き火台にもフィットするサイズの薪に、焚き付けようの経木がセットに
こちらはお盆の際、お供物を載せたり、迎え火や送り火の焚き付けに使える経木のセット
藤本:いま現在のお客さんはどういうところにいるんですか?
目黒:正直、現状は問屋さんを通して売ることがほとんどなので、一般ユーザーに関してはわからないんです。道の駅とかで買ってくれるひとはいますけども。問屋さんだと、関西の超有名豚まん店の豚まんなどの下敷き需要が圧倒的に多いですね。
目黒さんが運営するカフェで販売している肉まんの底にも、もちろん経木が使われている
藤本:なるほど。きっと相当な数が売れていますよね。
目黒:そうなんです。包装材屋さんからお問い合わせが来て、聞いてみると「有名豚まん店の案件なんです」ってことは多いですね。
藤本:問屋さんにとって、もっと言えば問屋さんから仕入れる会社にとって、新たに始めた経木メーカーがあるっていうのはありがたいですよね。
目黒:まさに問屋さんがおっしゃってたんですが、新規参入がない産業なので、本当にありがたい、と。すごく問屋さんも大事にしてくださってるので、僕らもなるべく応えようとがんばっているんです。
藤本:僕も関西出身だけど豚まんは馴染み深いから、経木がいまもなお使われ続けているのはうれしいなあ。
目黒:あとは納豆屋さんとか、魚関係、遠いところだと大分県のトラフグの問屋さんからも。そこは経木じゃないとだめだって言っていて。
藤本:トラフグ。高級魚ゆえなんでしょうか?
目黒:どうでしょう。経木でくるんで出荷するらしいんですけど。魚市場の競りの場面では、昔からずっと経木らしいです。ふつうの紙だと濡れてくちゃくちゃになるので。
藤本:水に濡れたときに強い感じがしますもんね。
目黒:だから競りで値段を書いたりするのも経木らしいです。
藤本:面白い。需要はたしかにあるんですね。
継続するため、適正価格を目指す
目黒:経木って、じつは需要自体はすごくあるのに、いまあるメーカーだけではカバーできてないんです。僕らが調べたところ、経木工場は十数軒しかないようで。
藤本:昔はもっといっぱいあったけど、プラの容器に変わっていったということですよね。
目黒:そうです。1960年に日本国内で発泡スチロールの生産が始まって、それが高度経済成長のピーク。そこから経木がどんどん減って、発泡トレーがどんどん伸びて。でも発泡スチロールのおかげで全国津々浦々まで鮮魚が届くようになったので、これはメリットの部分です。でも、かたや化石燃料を使ってできていて、プラスチックのデメリットもわかってきて。
藤本:これまでは、いいと思って使っていたんですもんね。
目黒:そうなんですよ。ここに来て考えなきゃなというところで。そういった経木の文脈は、みなさんも共感してくださる。
藤本:当時の経木屋さんは、プラの容器がどんどん出てきて驚異に感じたでしょうね。
目黒:べらぼうに安い発泡スチロールと経木とで価格を比べられて、買い叩かれちゃって、利益がなくなって辞めちゃったところがほとんどです。
藤本:いまも買い叩かれた値段の延長にあるんですか?
目黒:そうみたいですね。そこら辺は是正していきたいです。ある程度、適正価格というのは必要だろうと。物価も相当上がっていますし、ある意味で上げどきだなって。
藤本:安さを基準に比べられると、ただの価格競争になってしまいますよね。カフェでコーヒーを頼んだときの紙のカップでも、プラスチックの蓋をつけたくなかったら、高くても紙の蓋がついているものを選ぶことがお店や消費者としてのステートメントになる。梱包資材もそうなっていくといいけど。
目黒さんが運営するカフェで使用している紙コップは、カップとフタが一体になった「バタフライカップ」
目黒:経木業界は、ある意味リセットされたところにあると思っていて。かつての値段を知らないひとが圧倒的に多いので、適正にちゃんと売って、利益が得られて、次につながるような価格設定をしなきゃねっていう話を那須塩原の会社さんともしています。
藤本:経木は一回、世間から消えかけたから良かったんですね。
目黒:ある意味いまは付加価値がついているので、新規参入しやすいと踏んでいるのは、そこもあります。
実際、経木の業界的に、どこも価格はそんなに変わらないんです。もともとそんなに高くもないし。だからある意味強気で、適正な価格を提示できる。そういう節目にいるなと思います。
藤本:再び雇用も増やしていきたいですね。
目黒:この需要をカバーするには、正直、うち1社ががんばっても足りないですね。
藤本:機械を作るプロジェクトから始めたほうがいいんじゃないですか?
乾燥させた木ではなく、生木を機械にかけて削り、経木は作られる
目黒:ビジョンとしては持っていて、10年以内には機械も販売する立場になりたいです。じつは経木をやりたいっていうひとには何人か会ったことがありますが、みんな機械がなくて諦める。機械を供給できればやれるひとも増えるし、拠点が増えることが消費の姿を変えていくと思うんです。
藤本:いまの最新の技術で経木の機械を作ったら、もうちょっとうまくできそうじゃないですか?
目黒:そう思う反面、意外と昔からの形が合理的に、いっぱい作れる仕組みなんだろうなと思うんです。ある意味バイオリンみたいな存在で、機械自体がすでに完成しているんですよね。もちろん最新のテクノロジーやセンシングで、できることはあるかもしれないですけど。
藤本:カメラも、フィルムカメラの時代で機械としては完成してますよね。部品交換していつまでも使える古いカメラは、アナログなんだけど完成してる。それが経木の機械にも。
目黒:僕もまだ研究途上なので、新たな経木機械のあり方を今後も考えたいんですけど、まずはいまの形かなと。
すべては課題解決に向けて
藤本:話を聞いていて印象深かったのは、下請けからメーカーになった話なんです。その幸せ感というか、安心感って、いまはどんな感じですか?
目黒:いまのところまだ途上なので、経営自体は全然楽でもないですけど、気持ち的な部分はかなり楽になりました。下請けって単純に儲けを出しにくいので。下請け法っていうのがあって、値下げを強要する下請けいじめとかは本来あってはいけないんですが、実際は横行しているし。
藤本:ちゃんと法律があるんですよね。
目黒:下請けにも十分な利益をとらせてくれないと、経営は厳しくなるんですけど、なかなか行政も積極的に介入できない理由があるようなんです。
だからそもそも下請けはやめたいなというところですけど、世の零細工場は、なかなかメーカーの立場になれるわけじゃない。自社製品を作って、営業して、売り先を見つけて。しかもセールスポイント、うちの製品はここがよその製品と違うんですというのを作るハードルは高い。
僕たちはいま、そういったところからやっと脱却しつつあるというところですね。これが軌道に乗って、売り上げもできて、利益も取れてきたら、経木でよかったなとなれるだろうけど。
藤本:そこまで行きたいですね。
目黒:そこまでいかないと嘘だなと思うし。
藤本:編集者としての僕もそうですけど、世の中のほとんどが中小企業とか、下請けで。だからこそ生産者になりたい、生産者側に立たないと拭えない不安を誰しもが持っていて。それを目黒さんは自力で、経木で、方向性や活路を見いだしてるのが大きいなと思うんです。
目黒:そうありたいです。
藤本:経木に出会ったときって、環境負荷の部分やプロダクトとしての魅力もあると思うんですけど、それ以上に、生産者になれるってことが魅力だったわけですよね。
目黒:ほんとそこが大きいです。会社はセイワ電子で、経木は奥会津経木製作所ということでやっているんですけど。自社ブランドを持つというか、メーカーの立場に立てること自体が稀なはず。ちっちゃな工場みんなができることではないでしょうし、だいぶラッキーだなと思います。
藤本:中小企業の希望だなあ。
おわりに
経木というニッチな素材に光を見た目黒さんのお話は、そこに目を向けざるを得なかった地方の下請け業者さんの苦悩を明らかにしてくれました。下請けからメーカーに。その思いの切実さがやがて私たちの環境意識を変化させ、あらたな包材としての経木をスタンダードにするかもしれない。そんな夢に投資してくれる投資家さんが出てくるといいなあ。
経木は字のごとく、そもそも「お経を書く木」。この記事がまさにお経のように、目黒さんたちの苦しみや悩みをなくし、心の平穏をもたらしてくれる出会いにつながることを祈って。
インタビュー:藤本智士(Re:S)
構成:山口はるか(Re:S)
写真:小山加奈
あわせて読みたい
この記事を書いたライター
有限会社りす代表。1974年生まれ。兵庫県在住。編集者。雑誌『Re:S』、フリーマガジン『のんびり』編集長を経て、WEBマガジン『なんも大学』でようやくネットメディア編集長デビュー。けどネットリテラシーなさすぎて、新人の顔でジモコロ潜入中。