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渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

バイクいじり整備系

2025年07月01日 | open
 


6月に入り、うちで奥さんの
バイクを乗り出しに向けて
総整備している若い子から
先週
連絡があり、日曜日の
昼に
起きられたら伺いたい
ので
お願いしますとの事だ
った。

待ってたけど来ない。
夜の飲食店を経営している
若い人だ。
あ~、多分、ボーナス時期
の給料日あとの週末で、お
客さんも多かったのだろう
なぁ、と察した。
多分、爆睡してたのだろう。
奥さんも助っ人で店に珍し
く出てくれていた日だった
らしいし。
先ほど、連絡があり、あし
たお願いしますとの事。
普段、うちでやる時は私も
職場抜け出して立ち会える
事もあるけど、あすは妻を
院に連れて行く日なので
延べよろしくと電話した。
先の日曜日の事を訊くと、
お客
さんが大挙来て、朝の
7時ま
で大忙しで営業して
いたらしい。

そりゃその日の昼間は爆睡
だよな(笑

約束の日に連絡なかったか
らと別段、腹も立たない。
相手の事情が汲み取れるか
らだ。また不義理のばっく
れでもな
い。
友人というのは年齢差や性
別関係なく、そういうもの
だろうと思っている。
最近、よくスパンと自分の
偏屈なモノサシで人を切る
人が異様に多い世の中にな
ったが、友人というのは元々
は他人
だ。
夫婦も元々血の繋がらない
他人。
他人であるからこそ、また
かけがえのない人であるな
らば
こその独自の関係性と
いうものがある。どっしり
としたコアのある。

夫婦にしても友人同士にし
ても、長い付き合いでは喧
嘩もする事もあるだ
ろう。
夫婦、友人間であろうとも
烈なとこまで。
でも、それはそうであって
も関係は続く。そうした事
象を凌駕する関係があるの
ならば。本物の人と人との
関係として。

まして親子だったりしたら、
血の繋がりがあるから関係
を断ち切る事は法的にさえ
ほぼ不可能だ(特別養子の
ような例は例外)。
人と人が関係をスパンと断
ち切る事
ができるのは、本
物の関係
が不在だったので
あるとい
う事だろう。

一番よくないのが「悪意の
遺棄」で、これはとどのつ
まりは自分の事だけが可愛
く大切で、保身に満ちた行
為以外の何ものでもない。
それは人としてとても恥ず
べき事と私個人は考えて
る。これは生きる信念とし
て。
さらに良くないのが掌返し
で、これは悪意の行動その
ものだ。
厄介なのが、世間に結構多
いが、悪意見え見え
の風で
ない人物、普段人の
良さそ
うな人間が、それをポンと
平気で何度もやる事だ。
けだしこれは、突発的な事
ではなく、元々元来がそう
した気質、資質だったのが
現出化していなかっただけ
なのかも知れない。
つきつめて考えると、自分
の事だけしか考えていない
人格、という事に行きつく。
それはあまりにも人として
不甲斐ない。
「外してはいけない一線」
というのはある。たとえば
自分の家族や友人が侵害さ

れ凌辱を受けた時などは、
身を挺してそれらを守る
だろう。自分を守るよりも
優先して友や家族を守る。
人間として。
だが、自分に刃が向かない
者は、常々その人の人生の
中で裏切りと掌返しと悪意
の遺棄を何度も何度もくり
返す。そうした現象は社会
において非常に多く見られ

る。スコット・ペックの指
摘するところの「平気でう
そをつく人たち」の類だ。
そこで紐解かれる「うそ」

とは法螺や虚言の類の嘘
の事ではない。
救われない魂はどこに行く
のだろうとは思うが、得て
してそうした業をやっての
ける人間は、世間を見回す
と、どうやら屁の河童だ。

特徴としては、いざこざや
人的関係性上の行き違いが
あった場合、常に自分以
のせいにする。これもまた
ペックの指摘する通り。

彼はその人たちを「邪悪な
人たち」とまでも言い切っ
た。

かつての日本の戦後の新左
翼運動
の中では「自己批判
と相互
批判」という珠玉の
文化が
あったが、それとて
その運
動の経験者たちをし
てさえ
も、自己に刃が向か
ず総括
を投げ出すのが実態
となっ
ているケースが非常
に多くみられた。これは現
象として。

あれは嘘だったのか、と思
うと同時に、本当にその文
化的思潮の真髄に自ら向か
って肉迫せんとする姿勢が
不在であったのを痛感する。
かつて夢想された新左翼の
そうした自己及び相互検証
の文化は、実は日本武士の
価値
観と非常に似ていた。
それゆえ、日本の新左翼は
右派以上に「日本的」であ
った。
その内実は「自分に刃を向
けて自問自省する」という
人間の勇気を湛えていた点
でピタ
リと合致する。
この思想性は西欧にはほぼ
無い。日本以外のアジアに
も無い。特に大陸半島にお
いては。
極めて日本的な思想性がそ
れだった。

かつて20年程前、仕事仲間
が「自分の子を見ていて、
最近の子はすぐに『友だち』
としていた相手をポンと捨
てるように切る」と言って
いた。
日本における離婚率の増加
とそうした社会風潮は同軸
で進行しているようにも感
じる。
離婚事案が異様に増えてい
るのも、男女同権や価値観
の多様化などではなく、自
己の欲求のみを満足させる
ような「切り捨て」=悪意
の遺棄が横行するようにな
っているからなのではなか
ろうか。

旧時代の男権優先時代の残
滓や遺留せる弊
害としてで
はなく、現代は人と人
の関
係性がどんどん本質的
なと
ころで希薄になってき
てい
るように日本全体が変質し

ているのではなかろうか。
とはいえども、元々日本人
は戦国期から武士において
も裏切りと
寝返りと騙しと
掌返しと
奸計を専らとして
いたが、
今の現代社会では、
それら
とは人的価値観の背
景を別
にした「薄っぺらさ」
を人
が好んで求めるように
なっ
ているのではなかろう
か。

そうした知覚は、私のあく
まで個人的な感性による社
会世相を俯瞰しての感知で
しかないが、実相、実態は
実際にそのようになってい
るよう
に思える。
犬猫も平気でポイ捨てする
人間た
ちだが、人に対して
も自分
大事のみの根底に基
づいて
自分の欲望可愛さで
ポイ捨
てする現代人。
なんだかなぁ、と思うのだ。
本当の事を指摘されたり、
注意されたり、警告された
りしたら逆切れで排除行動
を取ろうとする人たちが今
の社会には溢れすぎている。
それらが「凡」になってい
る。
社会全体が病んでいる。

だが、処方箋はある筈だ。
不動の機械的な仕組みでは
なく、人なのだから。社会
の構成員は。


 
 

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