【前提】
『月宿物語』とは、2011年のイベントにて販売された
『カエル畑DEつかまえて・本』に収録された書き下ろしストーリー。
【公開時期について】
※公開は本日いっぱいです
■ネタバレ注意
生命力に満ち溢れた大きな大きな葉は辺り一面を覆い隠す。
そこにぽつぽつと点在する、美しく巨大な薄桃色をした蕾。
華。
それらを優しく包み込み、護る様に池の辺りに生えた木々。
そして楽しげに笑い合う僕ら。
どれもこれも、主様が愛した風景だった。
月宿物語1
僕らの主様は偉大な御方だ。
何が偉大か説明できないくらい偉大だ。
だから僕らは主様に仕える。
それが極当たり前のことだからだ。
主様はとても聡明な御方だ。
僕が悩んでいることをいつも見抜いて下さる。
寂しい時は声を掛けて下さるし、頭を撫でて下さる。
子供扱いをされるのは少々困るのだが、
でも不思議と主様にされるのは嫌いじゃなかった。
池には主様と僕と片割れの創一と、月蓮蛙達が暮らしている。
元々は主様が一人で住んでいたそうだが、
その後月蓮蛙達が住み着き、そして僕と創一が生まれた。
創一。
僕の半身なのだがこいつが何をするにも鈍臭い。
そしてちょっと殴ったくらいで直ぐ泣き出す。
何でこんな奴が僕の片割れなんだろう。
視界に入るだけで忌々しい。
イライラして殴ったり罵声を浴びせると泣かれる。
日々はそれの繰り返しだ。
其の度に主様はちょっと困った顔で僕を見た。
僕が悪いんじゃない。
創一が馬鹿でとろ臭くてどうしようもないからいけないんだ。
優しく創一の頭を撫でる主様。
すると創一は直ぐに泣き止む。
あいつ、きっと嘘泣きなんだ。
主様はとても心優しい方だから、疑うということをしない。
見る度いつもお護りしないといけないという使命に駆られた。
大体に、創一も自覚が足りなさ過ぎる。
お前だって主様を護る為にいるんだぞ。
今も目の前で主様に頭を撫でられている創一。
主様はとてもお忙しい方なのに、あいつはいつも主様を独り占めにする。
土地の浄化で疲れ果てているはずなのに。
そうやって頭を撫でられている暇があるなら、少しでも土地を護る為に修練しろよ。
あいつの笑顔がいつも腹立たしい。そう。僕はあいつが嫌いだった。
「そうやって見てないで、アンタもアイツの側に行きゃいいじゃないさ」
「!」
声に驚き振り返る。
そこには黒々とした毛並みの、二股の成猫がいた。
“半助”という名の猫又だ。
僕らが主様に仕える前からの友人なのだと聞かされた。
でも僕はこいつも嫌いだ。
喋り方はねちっこいし、何より生理的にいけ好かない。
主様にも馴れ馴れしいし。
「ここは相変らず平和だねェ」
「…………」
「アンタに言ってるんだよ。返事しな」
「……知らない奴と簡単に話すなと言われている」
「知り合いだろ。何度顔合わせてるんだい」
「まだ50回にも満たない」
「…………」
黒猫はやれやれと溜息をつくと、主様がいる方へのったりのったりと歩を進めた。
僕はそれを横目で見やりながら、池に架かる橋の上に腰を下ろす。
表には出さなかったが、猫の気配を感じ取ることが出来なかった。
あれがもし敵だったら如何する?
僕は主様をお護りすることが出来ないまま、命を落としていたんじゃないだろうか。
欲しい。力が。主様と土地と仲間達を護ることが出来る、強い力が欲しい。
『どうしたの?』
『ねえどうしたの?』
『お腹がいたいの?』
『そうなの? たいへんだー!』
「?」
目の前の蓮の葉の上、数体の月蓮蛙がいた。
一様に不安そうな瞳をこちらに向けている。
「大丈夫だ。心配ない」
『本当に?』
『本当なの?』
『じゃあどうしてそんな悲しそうな顔をしてるの?』
「考え事をしていただけだ。お前らこそ心配そうな顔をするな」
『そうなんだ』
『じゃあ安心だ!』
『ねえカズヒ、お歌をきいて!』
『主様から教えてもらったんだよ!』
「ああ……いいな。聞かせてくれ」
月蓮蛙はあまり知能が高くない種族だ。
だからこそ前向きで底抜けに明るくて、愛しい存在でもある。
彼らが丸い体を左右に揺らしながら歌い始めた。
足元の葉が若干不安定に震える。
いつもの風景。
『カズヒ、笑ってるね』
『うん。笑ってるー』
「……お前達のお陰だよ」
僕が護るべき、風景。
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「そんなしち面倒臭いことしないで、排除しちまえばいいじゃないさ」
「半助……お前はいつもそれだな」
知らん振りをして蓮の世話をしながら、僕は二人の会話に耳を欹(そばだ)てる。
月宿物語2
猫又は割と発言が穏やかじゃない。
何時だか“人間はあんまり好きじゃない”と主様に語っていたのを思い出す。
その言葉を放った際の渋面からは、
“あまり好きじゃない”で済まされない何かが感じ取れた。
……あれは一人二人は殺っている顔だ。
対照的に主様は“人”がとても好きだ。
というより、ありとあらゆるものを愛している御方である。
そんな二人の話題は、最近隣の土地に居座った“自称土地の主”に終始していた。
不思議な地質をしている場所には、そこをコントロールできる主が配置される。
この月宿の土地も、その一つ。
隣の区域は別段変わった地質はしていない。
だから僕らの主様のような“特別な能力”を持った奴ではないのだと思われる。
本当に“自称”なのだ。
だが、それにしても他を従えるくらいの力はそこそこあるらしい。
そいつは主様が大人しいことを良いことに、
こちらにちょっかいをかけているらしかった。
きっとそいつにはこの美しい蓮の花が咲き乱れた池がとても魅力的なのだろう。
猫又はその“自称主”を力でねじ伏せれば早いと言っている。
だが主様は頷かなかった。
いつもそうだ。対話でどうにかしようとする。
主様は争いごとが嫌いなのだ。
主様の崇高なお考えは、僕なんぞには到底だが考えが及ばない。
僕だって確かに打ちのめしてしまった方が早いとは思う。
でも、そんなことをしたら主様が悲しそうな顔をするだろう。
だったら少し時間が掛かっても誰も不利益を被ることがない明日の方が良い。
そうすれば、主様が笑ってくださるから。
「かず、ひ」
「……何だ」
「あの…………」
創一が珍しく僕に話し掛けてくる。
腹回りの帯をもじもじと弄りながら、こちらの顔さえ見ない。
腹が立った。
「……何だ! 用事があるなら言え!」
「ひっ……ぅっ……」
「泣くな!」
「ご、ごめんなさい……!」
目の端いっぱいに涙を溜め、創一は僕の下から走って逃げる。
何なんだあいつは。
用事があったんじゃなかったのか。
そのまま奴の動向を見守ると、その先には主様がいた。
主様のお召し物に飛びつき、奴は顔をうずめて泣いている。
その頭をなでながら、主様はいつもの少し困った笑顔を僕に向けた。
僕ばかりが貧乏くじだ。
なんで僕らは分かれたのだろう。
……僕一人でも、充分主様を護れるというのに。
それから少しして。
頻繁に顔を見せていた猫又がパタリと来なくなった。
人間嫌いだったはずの奴は、今ではその人間様に仕えているという。
その人から片時も離れたくないのだろうねと主様は笑っていた。
そんな、なんでもない風を装ってはいるがやはりどこか寂しそうな主様。
僕は嫌いで仕方なかったが、
主様にとってあの猫又はとても大切な存在だったのだろう。
それがとてつもなく歯がゆかった。
そして主様にそんな想いをさせる猫又は、やはり大嫌いだ。
僕の存在意義。
それは主様とこの月宿の土地と、そして同朋達を護ること。
そのために生まれた僕は、
主様を悲しませる奴を絶対に許さない。
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一陽は僕を嫌っている。
原因は僕が直ぐ泣くからなんだと思う。
分かっているけど、涙は容易には止まってくれない。
そうして、僕と一陽の間の溝は深くなる一方だった。
月宿物語3
主様はとても優しい。
泣き虫な僕を優しく撫でてくれるし、
怒りんぼな一陽の長話をずっと笑顔で聞いている。
池に住む沢山の月蓮蛙のこともちゃんと把握している。
とても優しくて、争いごとが嫌いな人。
それが僕らの主様だ。
前に主様と猫又の半助さん(今は十夜さんだけど)が話していたのを、
僕は主様のお膝でうとうとと微睡(まどろ)みがら聞いていた。
主様は僕や一陽や月連蛙達よりもずっとずっと前から池に一人でいた。
土地を離れられない主様は、とても長い時間この池で一人ぼっちだったという。
そういう寂しい想いをしていたから、
例えどんな相手でも仲たがいをするのは寂しいことなのだと。
皆が笑顔でいられるようにしたいのだと。
僕の頭を撫でながら主様はとても優しくそう言っていた。
僕も見習わないといけないと思った。
苦手な一陽とも、仲良くしなければ……
何とか声を掛けようとするけど、睨まれると声が出なくなる。
そうして逃げ帰ってしまう。
一陽はいつも、月蓮蛙達と話をしている。
彼らに見せるような笑顔は、僕に向けられたことはない。
「くだらないことで悩んでるんだねェ、アンタ」
「……そう、でしょうか」
「怖がらなけりゃいいんだよ」
「僕も、そう思おうとはしてるんです。だけど、睨まれるとどうしても」
「……目は決して逸らすんじゃないよ?」
「え……?」
「アンタはアンタの大好きな主様が、アンタの目を見ないで話を進めたらどう思う?」
「それは……嫌われてるのかなって」
「じゃあカズヒもアンタがあの子の目を見ないから、同じ思いをしてるんじゃないのかい?」
「…………」
「アンタ達の大切な“主様”がアタシに良く言ってるよ」
「何をですか?」
「まずは相手の身になって考えろってね」
「主様が……」
「アタシゃそんなの御免だけどね。しち面倒臭い」
「あの……だったら、どうして今の話を?」
「アンタは仲良くなりたいんだろう? カズヒと」
「はい」
「だからさ。教えてやる義理もないけど教えない義理もないし」
「はあ……」
「ま、分からなけりゃいいよ。じゃあね」
「はい」
そう教えてくれた後、十夜さんは顔を見せなくなった。
元々各地を点々としているから、時たま長く会わないこともあるという。
今はどうやら、人と一緒に住んでいるらしいけど。
主様は寂しそうだった。
僕らがいるから、僕らの前ではいつもニコニコしているけど。
だけど、夜。皆が寝静まった後。
金色に光る月の下で、いつも物憂げに空を見上げていた。
それを見て、一陽とケンカなんてしてる場合じゃないと思った。
主様の笑顔が見たい。
それには僕らが仲良くするのが一番だと。
頑張って一陽の目を見よう。
一陽が恥ずかしがるくらい見つめよう。
そうして、笑いかけられれば。
きっと、主様に笑顔が戻る。
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「主様に……?」
「ああ、そうだ。いい案じゃないか?」
「でも土地を……池を離れていいの?」
「何の為に僕らがいる? 主様不在の所を僕らが護るんだろう?」
「…………」
月宿物語4
一陽との関係は、相変らずだったけど睨まれることは少なくなった。
相変らずポコポコ殴られるけど、それも痛さは昔のようなものじゃなかった。
「おい創一」
「うん……聞いてるよ」
「月蓮蛙達も賛成してくれたんだぞ」
「……僕より先に、彼らに相談したんだ」
「…………」
「…………」
「……な、何が悪いんだっ」
「別に……」
何日か前だった。
一陽が架牡蠣の山から来た若輩の烏天狗に怪我を負わされた。
売り言葉に買い言葉。
からかわれた一陽が怒って烏天狗に攻撃を仕掛け、それに対する制裁だとか。
幸い怪我は軽症だったが、それよりもまずいことが起こった。
その烏天狗を追い払う為に、主様は彼らに威嚇だが攻撃を仕掛けてしまったのだ。
その行為は、いかなることであれ許されることではない。
だが、何時まで経っても彼ら側からの動きはなかった。
……見逃してもらえたのかもしれない。
確かに彼らのような誇り高き種族が、力があるといえど土地の主に攻撃され、
逃げ帰ったとあれば同族達に申し開きが立たないだろう。
一陽は当初、随分と落ち込んでいた。
だけどお咎めなしかも知れないと分かると途端にいつもの一陽に戻った。
そして、今日のこの話を僕にしている。
いつも主様に迷惑をかけてばかりだから。
だから少しは骨休めに気晴らしして欲しいのだと。
結局、一陽の案にしぶしぶだけど了解した。
不安だったけど、主様にゆっくりしてもらいたいという思いは一緒だったから。
見送りの時、引き止めるようなことを言ってしまったけど。
皆笑顔で……僕は結局少し泣いてたけど、主様を送り出した。
主様も笑ってた。
それなのに。
『主様かえってこないよー』
『えーん、僕らのせい?』
待っても待っても。
主様が帰ってくることはなかった。
月蓮蛙達は、歌うように泣き始めた。
僕と一陽は泣く訳には行かなかった。
「だ、大丈夫だよ! きっと、人の世界で見るものが多くて……だから」
「……そうだ。だから心配する必要はない」
『本当?』
「ああ、本当だ。僕がお前達に嘘を言ったことがあるか?」
『ない!』
『そうだよね!』
『じゃあ大丈夫だ!』
「……ああ」
「一陽……」
彼らを励ましながら、それから暫く主様を待ち続けた。
しかし、何時しかそれにも限界が訪れた。
土地が汚れ始めたのだ。
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月宿物語5
『みんながんばろー』
『おー、がんばるぞー』
朝目覚めると、池では月蓮蛙達が禍玉を作っていた。
そして、それを飲み込もうとしていた。
「止めろ!」
一陽が必死でそれを止めている。
「ど、どうしたの……?」
「創一。お前もこいつ等を止めてくれ!」
「何をしようとしてるの?」
『禍玉を作ってるのー』
「……?」
『それを飲むんだー』
「飲む? 飲んで大丈夫なの?」
「駄目に決まってるだろ! こいつ等僕らに隠れて今まで禍玉を――」
ぱあん。
何かが弾ける音がした。
音のした方向に、キラキラ光る緑色のものがある。
それが、すっと一筋空へ向かい、消えていった。
「え……」
「止めろ! お願いだから止めてくれ!!」
『だめだよ、いくらカズヒのおねがいでも聞けないよ』
ぱあん、ぱあん。
いたるところで同様の音が鳴り出す。
漸く理解できた。
自分の頭の回転の鈍さを呪う。
彼らは、自ら生み出した禍玉をその命を削って消滅させていたのだ。
先ほどの音と光は、彼らの命が消えた瞬間――
「や、止めてよ皆!」
僕は近くの、禍玉を飲み込もうとした月蓮蛙からそれを取りあげる。
指先に痛みが走る。
素手で持つには有害すぎるが、そんなの構っていられない。
『ソウイチだめだよ、返してよー』
「返さないよ! 皆も止めて! お願いだから!」
『どうしてー?』
「どうしてって、そんなの――」
『だって、そうしないと土地がしんじゃうんだよー』
「あ……」
返す言葉がなかった。
一陽は下を向いて、唇を噛み締めていた。
「他に……他に、方法が……ねえ、一陽」
「…………」
「一陽……何か……言ってよ……」
僕らに土地を浄化する方法がないことなんて、
火を見るより明らかだった。
その能力を持つのは主様だけ。
だから誰かにおいそれと簡単に頼めるものではない。
烏天狗に言えば現状を回避できるだろう。
しかしそれは主様が処罰されるということに繋がる。
黙り込んでしまった僕らを、月蓮蛙達は慰めるよう歌い始めた。
「……これは、前に聞いた……」
一陽が顔を上げる。
同時に歌が止んだ。
『一陽と創一は、僕たちを励ましてくれた』
「……?」
『だから今度は僕たちの番なんだよ』
『僕たちは主様と違うから、むずかしいことは良く分からないけど』
『でも、一陽と創一が暮らしていく場所は護りたいんだ』
「お前達……」
ぱあん。
再びあの音が、彼らの歌とともに始まる。
キラキラとした光が、空へと昇っていく。
僕らは成す術なく彼らを見守った。
主様が戻ってくるまで、この土地を護らないといけない。
彼らが言った言葉は正論だ。
……だから。
来る日も来る日も同胞達が弱り消滅していく様を見続けなければならなかった。
「一陽……」
「…………」
「ねえ一陽……」
「…………」
「……一陽!! ……皆が!!」
「分かってる!!」
「一陽……」
「分かってる……そんなこと分かってるんだよ!!」
一陽は、一際大きな声で泣いた。
最後の月蓮蛙が消滅した直後だった。
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出来ることをしようという話になった。
だけど僕達はこの場から出て行くことが出来ない。
そんなことをしたら、不届き者に土地をのっとられてしまう。
創一と何度も何度も話し合った。
いろんなことも試してみた。
しかし、結論が見えないまま幾日も過ぎた。
……暫くして、創一が身体を壊し始めた。
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月宿物語6
「こほこほっ……」
「……大丈夫か?」
「ん……なんでもないよ」
弱々しく笑う笑顔に覇気がない。
創一を無理やり休ませた。
それまで口やかましく言っていた割に、
横になるとすぐさま寝息を立て始める。
疲れていたのだ。
僕は、唯一残った仲間も思い遣れていなかった。
池を眺める。
そこはいつも通り美しくて、涙が出そうになる。
池には見慣れぬ蟲がいた。
多分、どこぞの同類が放った密偵のようなものだろう。
手からかまいたちを放つと、蟲はバラバラになり池に堕ちて行った。
自分の手を見る。
僕の能力は『攻』。
誰かを傷つける能力。
創一の能力は『守』。
誰かを包み込む能力。
そして、『受け皿』になることが出来る力。
僕は気付けなかった。
創一が一人で何もかもを抱え込んだことに。
この土地は悪いモノ、“瘴煤”を吸い寄せる作りになっている。
理屈も原因もわからない。
だけど、そのままにしておいたら吸い寄せ先にも限度があるから、
いつか肥大化したまま爆発してしまう。
それを食い止めるために主様がいた。
月蓮蛙達がいた。
そしてそれを護るために僕らがいた。
主様も月蓮蛙もいなくなった後、創一は考えたのだ。
自分の能力を最大限に生かせないかと。
そうして『守』である創一は文字通り土地を護った。
土地が吸い込む筈の瘴煤を、自分の身に流し込み始めたのだ。
『攻』の僕には真似できない。
最初の内は吐きそうな程にむせていたが、
最近はそれにすらなれたのか、ふらふらとするのみに止まっている。
創一は言う。
多分、その内普段通りに暮らすことが可能であろうと。
然し、自分の身が何時まで持つのかなどは一切語ってくれなかった。
僕には代わる事も手伝うことも出来ない。
悲観的なことなど言いたくもないが、
このまま何も解決策が見つからなければ創一はいつか命を落とすだろう。
救えなかった月蓮蛙達のことを思い出す。
主様。
僕らのことを一番に考えていてくれた主様が御戻りにならない理由。
きっと人の世界で何か遭ったに違いない。
昔猫又が言っていた。“人間は油断のならない連中だ”と。
何時しか僕の中には奴等に対する憎しみしか残っていなかった。
……主様を探しに行こう。
何十年、何百年かかるか分からない。
見つからないかも知れない。
でも、何もしないよりは断然いい。
創一が目を覚ましたら、相談してみよう。
……いや、伝えない方が良いのかもしれない。
変に期待をもたせて裏切るようなことをしたくない。
僕は月蓮蛙達に根拠のないことを言ってしまった。
“主様は戻ってくる”
それは結果的に彼らにとって“嘘”になった。
彼らがいるうちに、主様はとうとう戻らなかったから。
それなら、僕一人が悪者になろう。
この土地を捨てると、創一に言おう。
創一はしっかりした奴だ。
あんなに泣き虫だったのに、こんなに頼り甲斐のある奴になった。
きっと創一なら耐えられる。
だから。
だから僕が、主様を連れてくるまで待っていてくれ。
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分かり合えたと思った片割れは、
土地を捨てると言って来た。
低く、穏やかな声で告げられた事実。
だけど不思議と僕は落ち着いていた。
こういう時、泣いてすがればいいのかも知れないけれど。
月宿物語7
でも一陽が頑張っていたことを僕は知っている。
何も出来ないと、自分自身をいつも責めていたことも知っている。
だから思えた。
自分ひとりが辛い訳ではないんだと。
僕も一陽も土地も、辛い思いをしているんだと。
くじけそうになっても、
弱音を口に出しそうになっても、
僕は堪えることが出来た。
だから、きっとこれからも大丈夫。
一人になってしまっても、
今までの思い出が全て消えてしまう訳じゃない。
丸い月が浮かぶ夜。
昔、よく主様がしていたように池に架かる橋の中央に立つ。
見渡す限りの蓮の花。
一人じゃないと思える風景。
後、どれくらい見ることができるだろう。
風が吹く。
そう言えば前に一度だけ烏と会った。
こんな風の強い日に。
烏天狗の力をもってすれば、ここに主が不在だということは明白だろう。
だけど、僕達は何故か見逃されている。
何か意図があるのかもしれないけれど……
だけど、それはもし僕が駄目になってしまった時でも
土地だけはどうにか救ってもらえるかも知れないということ。
新しくここに“主”を据えてもらえるかも知れないということ。
僕には漠然とした思いがあった。
それは『もしかしたら主様は御戻りにならないかも知れない』
でも一陽はそれを今まで一言も口にしなかった。
それは、主様のことをとても信じているから。
だから最悪の状態を想像していない。
……いや、出来ないのかもしれない。
無意識に避けているのかもしれない。
そして疲れてしまったのかもしれない。
彼が何を思ってここを出て行きたいと思ったかは
彼にしか分からないけれど。
だけど、
やはり今の僕には彼を責めることは到底できそうになかった。
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月宿物語8
『ねえ、本当に行ってしまうの?』
(ふふ、女々しかったかな。でも一陽を止めることはできないって分かってるから)
『ああ』
(……創一。やはり寂しいのか)
『…………』
(ほら、やっぱり。一陽は一度決めたことは曲げない頑固屋だもんね)
『お前はどうする? 僕と一緒に来るか?』
(来るはずがない。創一はこの土地を愛している)
『……ううん』
(ありがとう一陽。でも僕は最後までこの土地を護るよ)
『……心中でもする気か?』
(創一は何を考えているのだろう)
『…………』
(もう、一陽ってば聞き方が意地悪だなぁ)
『生きているのはもう僕らだけだ。……僕はお前を無駄死にさせたくない』
(でも、創一の考えは変わらないはず。一度決めたことは最後まで遣り通す石頭だからな)
『ありがとう。……でも、ここを見捨てる事なんて出来ない』
(それに、何かの拍子でここを浄化する方法が見つかるかもしれないし)
『馬鹿な……それで皆、死んでしまったんだぞ』
(創一……やはり、何が何でも主様を見つけて戻ってこねば)
『それでも……』
(これから別れが待っているのに、一陽の言葉が嬉しい。……変なの)
『…………』
(僕らが戻るまで絶対に待っていろ、創一)
(今まででありがとう、一陽。僕、できるところまで頑張るよ)
『…………勝手にしろ。僕は行く』
(だからそれまで……)
『うん。……元気でね』
(さようなら、一陽)
『……お前もな』
(さよなら、創一)
END.
🐸