奔 流 -1-
月の光が差し込む宿の一室で、酒を飲む二人。二人で旅を始めてから、日常的になった風景。
しかし、「酌み交わす」と言う雰囲気には程遠い。
ウルフウッドは手酌で一人好きに飲み、ヴァッシュはと言えば、申し訳程度に注がれたそれを舐める様にして、
向いに座る男の顔を覗き込んでいる。
「ねぇ、昼間…さ」
ヴァッシュはおもむろに切り出した。
「? なんや?」
返事を返しながらも、ヴァッシュの方を見ようとはしない。
そんな連れの様子に微かな苛立ちを覚えて、ヴァッシュは強めの口調でその名を呼んだ。
「ねぇ、ウルフウッド!」
やっと、その瞳がヴァッシュを捕らえる。しかし、それもほんの一瞬で、すぐにまた、手にしたグラスに視線を落とす。
まるで、視線を向けるのさえも億劫だと言わんばかりだ。
「だから、なんなんや?」
その抑揚のない声の割に、やはりこちらも苛立ちが混じっているように聞こえるのは何故か。
少し引っかかるものを感じながら、ヴァッシュは聞きたかったことを口にした。
「…昼間言ってたの。何のこと?」
「昼間?」
「あの子のお墓の前で、祈りの言葉の後」
ヴァッシュは瞬間、ウルフウッドの顔が強張ったのを見逃さなかった。
ウルフウッドは一旦俯くと、ゆっくりと顔を上げ、初めてヴァッシュを正面から見る。
その口許には、貼り付いた様な、笑み。
ウルフウッド本人が言うところの『空っぽの笑顔』の見本の様だと、ヴァッシュは言ってやりたくなった。
分かっててやっているのだろう。笑顔を向けられた相方の柳眉が、微かに歪むのに気を留めた風もなく。
「昼間て…ワイ、なんぞ言うたか?」
-----知らないフリかよ…
ヴァッシュはあからさまなその態度に、砂を噛んだ様な気がした。
昼間。立ち寄った廃虚の街で、二人は幼い子供の亡骸を見つけた。
かつて街だったその外れに、白骨と化した骸の一部を埋め、墓標を立てた。
牧師は死を送る祈りの言葉を詠み、ヴァッシュは跪き、ひたすら祈った。
やがて祈りの言葉が終わり、ヴァッシュがその余韻に沈んでいた意識を浮上させた時、それは聞こえたのだ。
「…仕方あらへん。そんな簡単なもんちゃうで…」
その、どこか遠くにいる様な呟きに、ヴァッシュは不安を覚えて振り返った。
「…ウルフウッド…?」
問い掛けに名を呼ぶと、牧師はゆっくりと顔をこちらに向ける。その、感情を削ぎ落とした様な面に、一瞬息を呑むと。
微笑んだのだ。
場違いなほどに明るく。
心臓を鷲掴みにされた様な気がした。
それは、決して喜ばしい感情を伴った笑みではなかったので。
あくまで、ヴァッシュによる内面への干渉を閉め出すために作られた笑みだったので。
はたして、ヴァッシュは何も言えないままに、二人は街を後にした。
そして今、ウルフウッドの口許が形作っている笑みも、昼に見たのと同種のものだ。
ヴァッシュは、先程までの苛立ちが、暗い色を帯びて腹の底の方に澱んでいくのを感じた。
「『仕方ない』。あの時、そう言ったんだよ、君」
意外そうな顔を作る。
「死んじまったもんは仕方あらへん…そないな意味で言ったんとちゃうか?」
いちいち覚えとらんわ。
面倒臭そうに頭を掻きながら、さも、思い返している様な顔をする。
嘘だ。こいつは一字一句覚えてる。
何故この男に関しては、こんなに嘘が気になるんだろう。
自分はむしろ、敢えて人を疑うことをせずにこれまで来たはずだ。いや、たとえ相手が嘘をついていると
気付いたとしても、それを許してきた。
それなのに、目の前のこの黒衣の男が発するそれには、いっそ過敏な程に反応する自分がいる。
しかも、その嘘を受け容れられないでいるのだ。
自分についている嘘の隅々まで暴いて、その中の真実(ほんとう)を引き摺り出してやりたくなる。
ヴァッシュが、先刻から自身の奥深くで渦巻き出した暗い色の衝動を意識した刹那、それは言葉になって飛び出した。
「違うでしょ?なんで嘘つくのさ」
ウルフウッドに対抗して、渇いた笑顔を作ってやる。そんなヴァッシュの断定的な物言いに、ようやくウルフウッドも
ヴァッシュに向き直った。剣呑とした光を帯びた黒い瞳が、蒼碧色のそれに対峙する。
「なに、絡んでんねん。酔っ払いの相手やったらごめんや。とっとと寝え」
「君が嘘つくからでしょ?あの時、何か別のコトでも考えてたの?」
「愚にもつかん質問やな」
「そんな身の入らない祈りで送られちゃ、あの子もかわいそうにね」
「なんやと!?」
怒声と共に立ち上がると、椅子が倒れて派手な音を立てた。
ウルフウッドの怒気を一身に受けながら、ヴァッシュは顔色ひとつ変えない。
もっと怒ればいい。怒って、自分を失って、壊れて、そうしてこの手に墜ちてくればいい。
自身の展開する思考に嗜虐心を煽られて、ヴァッシュは牧師をえぐる言葉を探す。
「テロ牧師にうわのそらで祈られちゃあ、開く門も開かないんじゃないの?」
反射的に目を閉じた瞬間、強い芳香が気管を満たした。顔を覆った冷たい液体が滴り落ちるのを拭いもせずに、
目を開ければ。
空になったグラスを手に、中身をぶちまけた時のまま、俯いて立ち尽くすウルフウッド。
「…それでも死ねたんや」
絞り出す様なその声。
「…え…?」
「死ねたんやからええやん」
ゆっくり視線を上げて、ヴァッシュを正面から見据えて。口許には、どこか狂気じみた、笑み。
「ワイかて、ああなるチャンスは幾らでもあった」
「!」
その言い様に、ヴァッシュは自身の中の重い塊が、はっきりした形を取ろうとしているのを感じた。
それは、『怒り』。
この気配に敏感な牧師が、ヴァッシュの変化に気付かないはずもないのに、構わず続けて言い放つ。
「幸か不幸か、今はこうしてオドレと肩並べとるけどな」
「…『チャンス』なんて言うな」
「なんでや?『チャンス』やん。このけったクソ悪い世の中におさらば出来たんやで?」
少し高ぶった声で、ヴァッシュを見下ろして。
「それでも、あの子は生きたかったかも知れない」
「…!」
「誰も、たとえ自分の人生であろうと、『死んだ方が幸せだ』なんて言っちゃいけないし、言ったり出来ないんだ」
見合ったまま、時が止まったように動かない二人。
ふと、ウルフウッドの視線が足元へ落とされ、強張った体の力が抜ける。
喉の奥で笑う音に、ヴァッシュが訝しげに見れば。
ゆらりと顔を上げたその口許は、嘲笑の形に歪んで。
「死にたくてもそのチャンスを逃して来た気持ちなんざ、『正しい』オドレには、わからへんやろなぁ」
諦めた、その黒い瞳は、ヴァッシュを通り越して、どこか暗い穴を映している様で。
次の瞬間、ウルフウッドが身を翻す間もなく、ヴァッシュはその体を捕らえていた。
「…離せや…っ!」
抗議の声を上げるその口許を片手で押さえ、残る片腕と体全体でウルフウッドの動きを封じると、壁際まで押しやる。
手加減せずに黒衣の背を壁に叩き付けると、息を詰まらせ大きくむせた。
「『死にたかった』って言うの?」
むせる口許から離した手で、すぐその尖った顎を掴む。まだ、呼吸の整わないその目尻には、生理的な涙が浮かぶ。
ヴァッシュはそれを舌ですくい取ると、不自然な形に軋む体を容赦なく押さえ込み、そのまま耳許で囁いた。
「許さないよ」
君が死ぬなんて。
一番近い位置で黒い瞳が限界まで見開かれるのを認めると、その口を塞いだ。
顎を捕らえた手に力を加え、無理矢理に歯列を開かせる。舌を差し入れると、奥で縮こまっていたウルフウッドの
それを吸い上げ、噛んだ。
-----喰われる-----!
ウルフウッドは形にならない思考で、ただそう感じた。
気道を塞ぐ程まで舌を差し込まれて、思うままに口腔を嬲られる。
「…っ…!」
酸素を求めて顔を背けようとすれば、万力の様な力で顎を固定され、骨が軋んで悲鳴を上げる。
抵抗する気力さえ根こそぎにされて、ただもう、この噛み付く様な口接けからの解放を待つ。
目の前が真っ赤になって、体が小刻みに震える。
押さえ付けていた体が抵抗の色を失ったところで、ようやくヴァッシュは口唇を離した。
「…っは…!」
突然流れ込んできた大量の空気に、痺れた舌が対応しきれず、大きく喘げばひゅーひゅーと音がする。
ヴァッシュはそのまま息の整わない体を突き放すと、足を引っかけ床に倒した。
その衝撃に顔をしかめるのにも構わず馬乗りになって、両腕を一括りにすると、外した黒衣のベルトできつく縛る。
「ダメだよ。キミ、ちっともおとなしくしないんだもん」
やっと落ち着いてきた呼吸の下、呑気な声の主を睨み付けようとして。
人間の持ち得るはずのない瞳。
体が、硬直する音を聞いた。目を逸らすことさえ、出来ない。
黒い布の様に思考に覆い被さってくるそれは、どうやっても抗えないものへの、原始的な、恐怖。
そんなウルフウッドに、ヴァッシュはちょっと笑みを浮かべて、首を傾げる。
しかし、体の芯まで凍らせる様な空気は、その身にまとったまま。
「へぇ、コワイの?死にたがってるんだろ?いまさら何に恐怖するのさ」
自分へ向かってゆっくりと伸ばされる右手に、ウルフウッドは小さく喉を鳴らして身を引く。
「あ、そーか。僕が怖いんだ」
伸ばされた右手はそのまま黒い髪を掴んだ。強引に上向かせ、触れるくらいに顔を寄せる。
もう、隠しようもない恐怖に彩られた輪郭。
「『死』よりも怖いの?僕のコト…」
貼り付いた様な笑みのまま、ほとんど息だけの声で囁く。瞬きさえ出来ないウルフウッド。
「ひどいなぁ…」
髪を離れた掌が、そのまま頬を滑る。何度か愛おしげに撫でるその仕種は。それでも、恐怖を煽るものでしかない。
「…君は、いつだって、ひどいんだから…」
頬から喉元へ、手を滑らせる。そして喉元から、鎖骨へ。
「だから…」
布の裂ける音に続いて、パラパラとボタンが床に散らばる。
「これぐらいは、我慢してくれるよね」
明らかに恐怖に見開かれた黒い瞳に、笑いかけて。
露になった、首筋より灼けていない肌に、金色が沈んだ。
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