吉川晃司さんと組むユニット「Ooochie Koochie(オーチーコーチー)」について語った、奥田民生さんとの一問一答は次の通り。

 ―高校時代の吉川さんの印象は。

 俺らの年ってすごいバンドがいた豊作の年。その中心人物の家がたまり場になっていて、そこで見かけた。当時、広島郵便貯金会館ホール(現上野学園ホール)や見真講堂のコンテストで見かけることもあったが「(修道高の)水球部の吉川君」という認識で、話はしてない。

 ロックバンドが多い中で吉川のバンドはおしゃれだった。フュージョンぽくて、演奏力がすごくて。それに吉川は個人的に人気があり、私設ファンクラブもあった。

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奥田民生さん(ソニー・ミュージックレーベルズ提供)

「広島で2人でやるのもあり」がきっかけ

 ―デビュー後、再会のきっかけは。

 50歳くらいのときかな。「ユニコーン」の川西幸一さんの紹介で一緒に食事をした。いつかは交流の機会があると思っていたが、その後あった音楽フェスでも一緒になり、懐かしい話になった。

 還暦に合わせて「広島で2人で何かやるのもありよね」と俺から言い始めた。それで、やるのならちゃんとしよう。アルバムも作ろうということになったんですよ。

とんでもなく混ざり合ってない。聴く人には面白いかも

―そのアルバムが今月発売になります。

 あの人はきちんとした性格。俺とは正反対。音楽へのアプローチも全然違う。吉川はすごい準備をしてくるけど、俺、どちらかというとしない方なので。ぼんやり考えていたことをスタジオに入ってその日、形にするタイプ。ユニコーンの若いときは、