「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。

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ほほえみ

堀 妙子

今日の心の糧イメージ

 キリシタンの歴史の中で、堅固な信仰を持ち、「ほほえみ」を浮かべて険しい道を歩んだ人々のことを知る度、私は感動を禁じ得ません。

 福者ペトロ岐部(きべ)と187殉教者のうち、米沢の殉教者は53名。

 彼らは、1627年、1月12日、北山原(ほくさんばら)糠山(ぬかやま)花沢(はなざわ)の3カ所で殉教しています。

 米沢は信徒使徒職が盛んでした。リーダーは、江戸でフランシスコ会のルイス・ソテロから洗礼を受けたルイス甘糟右衛門(あまかすうえもん)です。当時の上杉景勝(うえすぎかげかつ)公に仕えていました。「聖母の組」「ご聖体の組」といった、信心の集まりを組織して、祈りと愛の業に励み、老人や親を失った子ども、病気の人びとの世話、死者の埋葬までしていました。ところが景勝の息子、定勝(さだかつ)公の時代になり、幕府の圧力を避けられず、殉教することになったのです。

 その際、甘糟右衛門らを北山原で斬首する二人の侍は上杉家ゆかりの地酒を持参し、ルイス甘糟右衛門邸に赴き、明朝、北山原で斬首する旨を報告に行きました。残酷な拷問は一切なく、甘糟右衛門らも彼らを歓迎しました。

 一夜明け、順次、六つの組に別れて北山原に向かって出発しました。白装束に象牙のロザリオを首から下げ、雪の降るなか、彼らは晴れやかにほほえみ、行進しました。沿道には多くの米沢の市民が(ひざまず)いて見守りました。

 北山原での殉教者は29名。北山原から遠い者は、それぞれの屋敷の庭で斬首されました。この時の様子は、イエズス会のポーロ神父がローマに送った手紙に書いてあります。

 神様の愛によって、殉教の恵みをいただき、永遠の生命を得られるなら、彼らの行進は天国に至るためのほほえみの道行(みちゆき)だったことでしょう。

 私は、生まれ故郷、米沢の殉教者に思いを馳せて祈っています。