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『 37 』
日暮れ前の光は、水面を受けて緩く弾けるように。
薫ちゃんは腕の中で、あたしに必死にしがみつく。
「転ぶから。・・・気をつけなきゃ。」
腕の中で、小さくうなずく。
ウエーブのかかる前髪が、夕日の中で縁取られるように煌く。
「ちょっと、具合悪い?」
ううん、って小さく首を振る。
「ベンチ、座る?」
また、ううん。
「じゃあ、こうしてよう。」
うん。
涼やかな香りを纏った潮風が、顔を嬲ってゆく。
あたしは、薫ちゃんを抱きしめたまま、立ち尽くす。
「・・・・・じゅん・・・・さ・・ん。」
まだ、旦那と混乱してるのね。
見上げる瞳が煌いて見えるのは、夕日のせいなのか、
潤んでいるからなのか、あたしにはわからない。
そして、湧きあがったものも、ただの悪戯心だったのか、
あたしにはわからない。
ただ、どうしようもなくいとおしいものが腕にいる。
そんな気持ちだけが胸を刺すようだった。
軽く唇を振れる。
薫ちゃんが、そっと目を閉じる。
あたしたちはそうやって、沈んでゆく光の中で。
「ん ~~~~・・・・・」
「薫っ?!」
いつのまにやら、腕の中で安らかな寝息。
あの旦那のキスで眠った夢をみてるのね。
それが一番。
あたしのアバンチュールも、これで、ジ・エンド。
薫ちゃんを抱いて車の助手席へ。
くうくう小さな寝息がBGM。
なんとなく苦笑いを浮かべながら、高速へ。
団地まではもうすぐ。
悠河クンの帰るまでに、戻っておかないとまずいわよね。
アクセルを踏み込んだ。
「薫ちゃん、着いたよ。」
「え~・・・」
ちょっとぼんやり目を開き、あたしの顔見てぱちくりしてる。
「お、送ってもらっちゃったんですね、すみませんっ!」
焦って頭を下げる。
「ううん、たいした距離じゃなかったし。」
薫ちゃん、ちょっと上目になってこちらを向く。
「あの・・・」
「ん?」
「あの・・・・今日って・・・」
「今日?」
赤くなって、言いにくそうに。
「純喫茶までは覚えてるんですけど・・・・」
「あ、ちょっと具合悪かったみたいだから。」
「なのかな、ぼうっとしちゃってて・・・・よく覚えてなくて。」
「うん、のんびりドライブしてたよ。」
あたしはこともなげに言ってみる。
それが大人の礼儀ってもんよね。
「すみません、助手席で寝こんでたなんて。」
「可愛い寝顔が見られたから、役得。」
そういって、軽く笑う。
あれはちょっとした日暮れの幻、逢魔ヶ時。
引きずるなんてただの野暮。
「じゃ、今日はありがとね。」
「いえっ、こちらこそ。」
そう言ってぺこりと頭を下げる。
「あ、荷物。
ご主人へのプレゼントだろ。」
何度もお辞儀をしながら、駐車場を横切ってゆく薫ちゃんを、
あたしは久しぶりの煙草をくゆらせながら眺めてた。
本当はまだちょっと身体が、ううん唇が熱いの。
淳さんじゃない淳さんだって、わたしぼんやり分かってた。
どうしてなんだろう、あんな気持ちちょっとだって今まで持ったこと無かったのに。
だけど凄く嬉しくて、ううん今も淳さんとの毎日は幸せで嬉しくて。
だけど、時折、わたしは子供過ぎて歯がゆくて。
あの時、お酒でぼうっとなって、淳さんじゃない淳さんだから言えてしまった。
本当は淳さんに甘えてた、言っていた。
行きずりの、幻みたいな淳さん。
わたしの淳さん位かっこよくて、素敵な淳さん。
優しい夕暮れを、ありがとう。
幸せな一日を、ありがとう。
団地の階段を上る。
「ただいま。
遅くなってごめんね~、淳さん。」
あちっ!
短くなった煙草で危うく火傷。
やっと我に返るあたし。
まずい、日が暮れてるわ。
悠河クン、仕事大変なはずだから抜けて帰っては来てないと思うんだけど。
駐車場を大きなストライド。
階段二段飛ばし。
鍵差込んで、ドアを開ける。
「りかちゃん・・・・・・・どこいってたの?」
玄関には仁王立ちの悠河クン。
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