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  『 30 』












『りかちゃん、戸締りした?』
『うん。』
『ガスの元栓締めた?』
『うん。』
『ちゃんと眠れる?』
『うん。』
『知らない人が来ても、開けちゃだめだよ。』
『うん。』
『じゃ、俺、明日かえるからね。』
『うん。』
『お土産はなにがいい?』
『うんと・・・稚加栄の明太子。』
『了解。』
『じゃ、お休み。』
『うん。』


電話が切れる。
今夜はあたし、一人だけ。
悠河クンは、海外出張。
っていっても博多なんだけどね。



仕事大変みたい。
さっさと寝るのね。
あたしはなんとなく寝付けない。

そういや、今日はロクなもん食べて無いわ。
パン齧って、適当に缶詰あけて、コーヒーで流し込む。
悠河クンに怒られそうなメニュー。
でも、いないんだもん。
あたしのせいじゃ、ないわよね。



ベッドに行く気にまだなれない。
出張の時はいつもそう。
そういうときだけは嫌いなの、
ダブルベッドのあの幅が。
だからとっておきのワインを引っ張り出す。
チーズを削って、ソファに横になる。
リモコンで外国映画を映し出す。
字幕は見ないで、その言葉の響きをBGMに。



仕事でばりばりしてる悠河クンは、きらきらしてる。
そんな彼は眩しくて大好き。
お高いワインを一気に流し込む。
見栄っ張りのあたし、
絶対見せられないわ、こんな姿。
ソファでごろごろしながら、あたしは考える。
膝を抱えて小さくなって。
何にも不安なんかありゃしない。
ただ、なんとなく寂しいだけ。
いつも側にいてくれることに慣れちゃったから。
いつも側にいることに慣れちゃったから。


今夜は、すこし肌寒い。
耳元であなたが囁いて。
そしてあたしが囁き返し。
温めあう肌の感触が、微かに蘇る。
囁くようなフランス語に浸りながら。


こんな気分じゃ寝られない。
なんか素敵な気分転換はないかしら。












悠河クンのクロゼットを開ける。
彼の一張羅のスーツを一セット。
悠河クンにこの上もなく似合うスーツ。
あたしは素肌に彼のシャツを羽織る。
実はサイズは結構ピッタリ。
彼のパンツをはいて、彼のネクタイを結ぶ。
彼のジャケットをひっかけて、出来上がり。


鏡の前で、ポーズをつけて、
ネクタイなんか緩めてみて。
まだまだ色気はあたしの方が上。



悠河クンに包まれてるみたいね、あたし。
ちょっと倒錯気味だけど、これはあたしの密やかな愉しみ。
奥様の密かな夜の愉しみ。


今夜はこのまま寝てしまおう。
悠河クンの匂い、悠河クンのシャツに包まれて。
その位、あたしの中で馴染んでしまった匂い。
博多の誰かさんは、知る由もない。
だけど教えてあげないわ。


これも密かな愉しみだから。








あたしはカレのシャツのまま、広いベッドに横になる。
ちょっと大きめ、でもしゃりっとしてる。
そんなとこまで悠河クン。
身体をぎゅっとだきしめて、まるであなたに抱きしめられてるみたい。
ほんの少し、あったかくなる。
ほんの少し、寂しくなる。
一人で眠るのが好きだった。
どうしてこんなに、あの腕が恋しいの。
馬鹿みたい、馬鹿みたい、
心で百万回唱えても、やっぱり馬鹿みたい。



緩やかに睡魔に襲われる頃電話が鳴る。


『はぁい?』
『りかちゃん、・・・・・俺。』
あら、いやに慌てた声。
『ん、どしたの?』
『いや、あのさ・・・忘れ物・・』
『え・・?』


そしていきなり,

『 ちゅっ! 』



『おやすみの・・・・・』
『ん。』
現金なあたしは、じんわりと胸からあったまる。
『よく寝るんだよ。』
『ん、悠河クンもね。』
『明日は帰れるんだもん。
 頑張って早く寝る。』
本気の口調に、胸がもっと熱くなる。
『じゃ、今度こそお休み。』
『うん、お休みなさい。』


さっきまでの気分が、溶けてゆく。
奥様の密かな愉しみは、
あえなく悠河クンのちゅうに白旗。


だけど、いいの。
あたしがあなたに白旗だから。





いつまでも、どこまでも、ちゅうしてね。
あたしの素敵な旦那様。













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