ノンフィクション
陽だまり
1本の動画を投稿しました。
歌と踊りはわたし
振付の本家は安藤未知さんです。
活動者としてプライベートを表に出しすぎるのはどうかと何度も悩みましたが、
今日はこの動画に込めた想いと、皆さんに伝えたいことを綴らせてください。
※ここからの文章は、読む人によっては辛く重い内容(希死念慮や自死等について)が含まれます。気分が落ち込む可能性のある方は、無理せずブラウザバックしてくださいね📚
今年の2月、弟が自らこの世を旅立ちました。
私は昨年体調を崩して入院しており、今年の1月末に退院したのですが、「やっと家族と過ごせる!」と喜んだ日からちょうど2週間後の出来事でした。
弟は常に自分より周りを優先する優しい人でした。
優しすぎました。
周りに与える優しさを、自分に向けることは絶対に許さなかった。
自尊心が限界まで削られていた彼は、本当は自分が享受したかった優しさを他者に向けることで、心を保っていたのかもしれません。
彼がくれた温かい言葉たちは、本当は彼自身が欲しかった言葉だったのかもしれません。
私はそのことに最期まで気付けませんでした。
そばにいたはずなのに、
近い気持ちを抱いていたかもしれないのに、
何もできなかった無力な自分。
今更そう思うことの傲慢さ。
弟を追い詰めてしまった心当たり。
ああしていれば。こうしていれば。
後悔は尽きません。
フィクションであれと、これは夢であれと、
自分の全てを捧げるから弟を助けてくれと神様に願いましたが、その願いは届かなかった。
弟の部屋に行くと、今でもそこに居てくれているような気がします。
私が夜に散歩に行きたいと言えば心配だから着いて行くと言い、
トランプしよう!ウノしよう!switchしよう!と子どものように誘う私にいつも付き合ってくれて、
内定祝いのプレゼントをくれたのでなにかお返ししようとすると「ひかるの喜ぶ姿が見たかったからもう満足」と微笑み、
人が多い場所が苦手なのに私のライブを観に来てくれて、感想を長文でスマホのメモに残し、
最後を「姉には幸せになって欲しい」と結ぶ、
そんな陽だまりのような優しさを持つ弟のことが、私は世界で1番愛おしく、世界で1番大切でした。
今もそうです。
本物になる
弟がこの世界からいなくなり数ヶ月、
希薄な現実感に包まれたままぼんやりと生活に戻っていたある日、安藤未知さんの1本の動画が目に止まりました。
『ノンフィクション』は、歌手の平井堅さんが、自死で亡くなった友人に向けて書いた楽曲だそうです。
私はこの動画を再生するたびに涙が止まらず、心を激しく揺さぶられ、苦しくて寂しくて、それでもたしかに、救われました。
この記事を書きながら思い出したのですが、
2年ほど前、未知さんがステージで踊っている姿をはじめて見た時の演目もノンフィクションでした。
とても感動して、ご本人に感想を伝えに行ったのを覚えています。
あの時は自分がこの曲を踊ることになるとは思っていなかったけれど、これも何かの繋がりだったのでしょうか。
私も会いたいだけでした。
もう一度きりでもいいから、ただ弟に会いたいだけでした。
この動画は大切な弟と、弟のように、
「死にたい」「生きていたくない」と思ったことがある人に宛てて作りました。
弟が見ていた人生を、
私から弟への叫びを、
画面の向こうのあなたに対する思いを、
歌と踊りで届けたかったのです。
生きていたくない君と
全てを終わらせてしまいたいと思う時は孤独です。
誰の声も届かず、それ以外に楽になれる方法が思いつかなくて、全てがどうでもよくて、世界で1人ぼっちにされているような感覚になる。実際にはそんなことはなくても、心がひとりになる。
周囲の「生きていて欲しい」という思いは大きくて、大きすぎて、それはすごくありがたいことである一方、「消えたい」という思いは良くないものとして扱われる。希死念慮が肯定されることはなく、
「生きたいと思わなければいけない」という圧力さえ感じてしまう。
心が沈むと、ついそんな風に考えてしまう。
頑張りたいのに頑張れなかったり、
学校や仕事に行く途中で泣いたり、
家にも学校にも職場にもどこにも安心できる居場所がなかったり、
学ぶことも働くこともできない自分を周りと比較してしまったり、
それ以前にベッドから動けなかったり、
そんな自分が情けなくてまた泣いたり、
ある日突然糸が切れて、
検索履歴が方法でいっぱいになったり、
駅のホームで電車を何本も見送ったり、
ロープ売り場で立ち尽くしたり、
建物の最上階に上がってみたり、
目の前にあるだけの薬をかき集めてみたり、
もう、そうすることすら面倒だったり、
そうやって毎日戦って、たくさん傷付いて、死にたいを何度も何度も乗り越えて、今日をなんとか生き延びているひとたちのそばにいられたらいいのに。
抱える苦しみを誰にも悟らせずに日常を送っているあなたが、ありのままで守られる場所があったらいいのに。
タブーとされてしまう「死にたい」を、
もっと言いやすい世の中になればいいのに。
死にたい日を必死で乗り越えている人たちに私は会いたい。
動画でもSNSでも生放送のコメントでもDMでもイベント現場でもオフ会でもなんだっていい、
どんな形式でも、名前や姿がわからなくてもいいから、会いに行きたいのです。
私は、いつか自分の歌や踊りが誰かの心の居場所や避難場所になれたらと思っていて、だからこの活動を辞めずに続けています。
(ぜんぜん動画出せてないけど…)
(今年は頑張るね…)
あなたはひとりじゃないと約束します。
そんなこと言ったってお前が助けてくれるわけではないじゃないかと思うかもしれないけど、
実際、私が直接的に手を差し伸べることはできないのかもしれないけど、
あなたと一緒に泣きたいと思う人間がいることを、ほんの少しだけ覚えていて欲しいのです。
この世界には死ぬことよりも生きることの方が難しいと感じている人たちが沢山いて、私もその中の1人です。私の死にたいは随分前から、ずっとそばに居てなかなか離れてくれません。
好きなことや楽しいことはあるけれど、大切に思う人も大切に思ってくれる人もいるけれど、言いようのない生き苦しさがそれら全てを上回ってしまう日って、ありませんか。
私は先週そんな日がありました。でも、
薬も好きな音楽も睡眠も何も効いてくれなかったのに、友達がインスタのDMでポンと送ってくれた「だいすきだし」という一言にふっと救われました。
誰の言葉も届かないような状況でも、たった6文字の一言がどん底から引っ張り出してくれることもあるんだと、自分でも驚きました。
だからね、何がその人の救いになるのかなんてきっとその人自身にもわからなくて、
自分にとってのそれが何なのかを探すためにもう少し生きる、というのも悪くないのかもしれないなと最近は思います。
私は悲しみも苦しみも喜びも全部背負ったそのままのあなたが好きです。弱くて、その弱さと同じ量の優しさを持つあなたが好きです。
自分や周りを傷付けないと生きられないほどいつも戦っているあなたをハグしたいです。
あなたがどんな年齢・性別・顔・髪・体型・学歴・特性・病気・立場であってもあなた自身の存在価値は変わらないことを伝えたいです。
あなたの死にたい気持ちを尊重したいし、その気持ちごと、あなたを大切に守りたいです。
だから、一緒に泣いたり落ち込んだりもがいたりしながら、これからをもうすこしだけあなたと過ごさせて欲しい。
その想いが、今回の作品やこれからの作品を通して、ほんの一欠片でも誰かに届くことを願います。
最後に、
身近に希死念慮を抱えた人がいる方に向けて少しだけ書かせてください。
希死念慮は、専門家の方でさえ心を揺さぶられるような強い力を持っています。
家族や友人や恋人など、周りから死にたいと相談を受けた際、少しでも「辛いな」と感じたら、自分自身の心と身体の健康を第一優先にしてください。
相手とすこし距離を置いてみたり、ほかの人と話したりする時間を作ってください。相手を救う一歩前に、自分のことを休ませてあげてください。自分に優しくしてあげてください。
それが、きっとお互いを守ることにも繋がります。
もしその先に何か起きたとしても、それはその人自身が選択した道であって、絶対にあなたのせいではありません。
長く語りすぎてしまいました、、、
大学のレポートでもこんなに書いたことないぞ、、、
ここまで読んでくださってありがとうございます。眼や心が疲れてないかな。大丈夫かな。
どうかあなたが今夜を穏やかに過ごせますように。
この動画は、ノンフィクションです。
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