「引きこもり40年」57歳で社会復帰も…仕事や人間関係など試練の連続「働かんで不安になる。働いても不安になる」
■仕事や人間関係などの試練、将来への不安
ハウスクリーニングの仕事を続けている国近さん。ある日の日記には、上司とのやり取りについて書かれていた。 「同僚と仕上げ作業のとき、何が気に食わなかったのか、私があなたの上司、私がここの仕事を取ってきた、あなたはただのアルバイト、社会保障も払ってないでしょ。今まで一緒に仕事をしてきた仲間に対してひどいね。言葉もない」(国近さんの日記 2024年2月26日) そんなある日、ふらっとコミュニティに来ていた国近さんに山根教授が声をかけていた。 「どうですか?5年勤めてみて?」(山根教授) 「そうですねぇ、どうだろう?危ないとき(辞めようと思うとき)もあるし」(国近さん) 「『できんやったら、どうにかせいやあ』とか、キャッキャッキャッキャ言われたんよ。僕ももう頭に来てね、『もう辞めます、今から辞めますって』って言って、帰ったんよ」(国近さん) 「初めてじゃない、そんな『辞めます』って国近さんが言い返したのは、今まで我慢していたのに」(山根教授) 「そうやねえ、ないね。また新しい所に勤めるわけにもいかんしね」(国近さん) 「人間関係も仕事も。もう気になることばっかりじゃけえ。だいぶ前から嫌なことばかり」(国近さん) 「嫌なことという出来事に対して感じるのか、先々の不安でそう思うのかはどっち?」(山根教授) 「両方やね…。先々どうなるか分からんし、もしケガでもしたら、どうなるんだろうと」(国近さん) 「まあ、でも一人だからね。不安になるよね。とりあえず困ったときは言ってきてね。なんか一緒に考えられるし。何とかなるから、何とかするから」(山根教授) 「不安は付き物ですから仕方ないですけどね。働かんで不安になる。働いても不安になる。まあ、それは仕方ないですわ。それは折り合いを付けないとね」(国近さん) 2024年春、国近さんはこれまで勤めた会社を辞め、別の清掃会社で働き始めた。就労から5年、国近さんは自身の心境の変化について「生きていてもいいんだとか、そんな感じですかね。社会の一員として、底辺でもいいから引っかかっておきたいな」と語った。 2024年7月、宇部市では花火大会が行われていた。「午前中は昨日の仕事の続きでまた汗びっしょり。そのご褒美って感じで今夜宇部の花火大会で大きな花が咲いているのを部屋の窓から見ることができた。また来年もその先もこんな感じで見続けられたらいいと思う」( 同 2024年7月27日) 2024年8月、国近さんに新たな変化があったという。「7月21日、お寺さんが来た。お父ちゃんの法要、お母ちゃんのも一緒に合わせて。年にいっぺん来られるんですよ。その時にね、僕は身元(引受人)がいないからと言ったら、うちがなってもいいですよと言ってくれました。そういうことになりそうなときはお寺さんに頼みますわ」(国近さん) (山口朝日放送制作 テレメンタリー『独白 ~引きこもり40年、それから...~』より)