社長だったが究極の田舎暮らしを夢見て離島に移住、「スーパーマン」と重宝され…島になかった飲食店開業へ
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玄界灘に浮かぶ福岡市西区の離島・小呂島。同区の姪浜渡船場から船で65分の距離にあり、定期便は1日1~2便しかない。人口約160人の島で、地域おこし協力隊として活動する湖口敏男さん(45)は、今まで島になかった飲食店を7月にオープンさせようと準備を進めている。建築業の経験を生かし、建物の設計・建築は自ら手掛け、地元漁師も手を貸す。島の産品を使った「ブリカツバーガー」を目玉商品にし、「島を知ってもらうための起爆剤になれば」と願う。 【写真】小呂島の港付近に沈む夕日
茨城県北茨城市出身。家が貧しく、幼い頃から魚を釣ったり、料理をしたりして、家族を支えてきた。16歳で工務店に就職。土木関係の技術を身に付け、19歳の時に型枠工事の事業を始めた。20歳を過ぎ、知り合いのいないところで起業しようと、岐阜市で建築会社を設立。居酒屋やラーメン店にも手を広げた。
2011年の東日本大震災と原発事故時には、福島県内の高速道路の建設や除染作業に携わり、それからは被災地に入ることが増えた。16年の熊本地震でも全半壊した家の解体作業などに関わった。
転機は18年の西日本豪雨。被災現場の岡山県で出会った優季さんと交際を始め、21年に結婚。同時に優季さんの地元の山口県宇部市へ移り住んだ。この頃、自身の事業を整理し、長距離トラックの運転手などをしていた。ちょうど2人目の娘が生まれたこともあり、「田舎でゆっくりと家族との時間を大切にしたい」と思うようになった。
「究極の田舎暮らし」を夢見て、都会と隔絶した離島を調べて見つけたのが小呂島だった。実際に足を運んでみると、気さくに話しかけてくる島民の温かさに触れ、「移住したい」との気持ちが強まった。ちょうど島の協力隊が募集されており、福岡市初の協力隊員として23年11月に着任した。肩書は市の会計年度任用職員。「高校にも通っていない自分が、まさか公務員になるなんて」と笑う。
食堂の店名は島の伝統行事である山笠での掛け声「よんじょい」に決めた。来年には、これまで島になかった宿泊施設も建てる予定だ。親交が深い島旋網組合の島田親次組合長(61)は「島は人口が少なくなり、昔よりだいぶ寂しくなった。店や宿ができれば雇用も生まれ、お客さんも来て、にぎやかさが戻るのではないか」と期待する。
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