5000人が集まり提灯で奉迎

初日は、奉迎のために多くの県民が沿道に並ぶ中、平和記念公園を訪れられた。公園にある広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に白いユリなどを供え、34万人あまりの死没者名簿を納めた碑に、両陛下はおそろいで深々と拝礼された。

慰霊碑の近くにある火台「平和の灯」についても、説明を受けられた。この灯は昭和39年8月1日に点火されて以来、燃え続けている。世界の恒久平和を願い、核兵器が廃絶されるまで燃やし続けるという。

令和4年(2022年)に新設された被爆遺構展示館や、広島平和記念資料館(原爆資料館、昭和30年[1955年]に開館)を訪れられた。同館では90代の3人の被爆者などと懇談される機会も設けられた。

お泊まりのホテルの近くの公園には約5000人の県民が提灯を持って集まり、国歌「君が代」を歌い、提灯を振って奉迎の気持ちを表した。両陛下もお部屋の明かりを消し、浮かび上がる2つの提灯を揺らして人々にお応えになった。

「君が代」がタブー視されていた時期も

広島ではしばらく、学校教育の中で「君が代」がタブー視されていた時期があった。平成11年(1999年)2月には、県立世羅高校の校長が、卒業式で国歌の斉唱を求める文部省(当時)の指導に従う教育委員会と、それに反対する教職員組合との板挟みになって、ついに卒業式の前日に自殺するという痛ましい事件があった。

それまで慣習法として定着していた国旗「日の丸」と国歌「君が代」について、あらためて成文法として根拠を明確化した国旗・国歌法が施行されたのは、同年8月だった。この事件は同法制定の一つのきっかけになったとも言える。

そのような時期もあった広島において、両陛下への奉迎行事として、多くの県民が声を合わせて「君が代」を斉唱した光景は、印象深いものがあった。

一方で、少数のヘルメットをかぶった左翼セクト活動家などによる反対の動きも報道された。だが、一般の市民からは浮き上がっているように見えた。