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細い路地を、はみ出しそうなビームライトが照らし出す。


「お腹、一杯。」
「・・・ん。」
「あ、ごちそうさま、でした。」
「いいえ、付き合ってもらったのですもの。」


こちらを振り向きもせずに、口の中で云う。
陰になった顔は、わからない。
俺は何を、わかりたい。
冴え冴えとした表層の、奥に潜むあの息付きが気にかかる。



孤島のようなエントランスの前に車が止まる。


「降りて。」
「え。」
「地下鉄は、すぐそこよ。」
白い街灯に照らされて、蝋のような口唇が薄っすらと開く。


「車、・・・入れてくるわ。
 帰りたければ、帰りなさい。」


錆びついた安逸の中、
わたくしは、少しずつ狂いはじめているのかもしれない。






車のキーを回す。
エンジンが冷めるまで、ステアリングに突っ伏して頭を冷やす。
我侭にもほどがある、大人気無い、口の中で百万回も繰り返す。
繰り返しても、かわらない、もうこの手から離れてしまった。
思いきり爪を立ててみたい、思いきり引き裂いてしまったら、
いきなり色が変わるのかしら。
知らぬ間に、爪を噛む。
これも、悪い癖。




漂流したかのような顔で、俺は膝の間に頭を埋め、
暗い海で置き去りにされたかのように、あの人を待つ。
漂流しているのは、多分俺だけじゃない。
大多数の人々が決して感知できない波に、足元をとられてもがいてしまう。
繊細とか敏感とかじゃなく、そう云う風に出来てしまった人間がいる。
溺れてしまわないように、誰かを見つけ出し、泳ぐ術を探し出し、
そうやって乗りきって、生きてゆく。
あの人は自ら手を離し、漂う。
暗い海の底を求め、静かに沈むことを祈りながら。

波間で揺れる爪の先だけ、微かに見えた。








ロビーの照明に、彼女は迷いこむように脚を踏み入れた。
同じ足取りで、俺はエレベータに乗り込んだ。
蒼白いライトの下、目が合って笑うように顔を歪める。
息が詰まるような狭い箱が機械音を立てて上がりはじめる。
深海に潜るような感覚が、ぞわりと背中を這いのぼる。




容貌からかけ離れた、無機質な空間で彼女は息をつく。
俺はソファに、少し固くなったまま座る。
冷蔵庫から取り出してきた、ペリエを長い指に挟んだまま、
泳ぐような足どりで、彼女もソファに倒れるように座る。
低い背に沈むようにかけながら、瓶に口をつける。
細かな泡が、碧のガラスの向こうで散ってゆく。


「行儀、悪い?」
「 ・・・・え。」
「悪くない?」
「 わるい、かも。」


口の端についた水の欠片に、嬉しそうに指を滑らせる。


「悪いのは、嫌い?」
「 ・・・え。」
「好き?」
「 きらい、じゃない。」


飲みさしの瓶が、いきなり突き出される。


「あげるわ。」
「 ・・あ、と。」
「いらない?」
「い、頂きます。」


瓶の口に、彼女の体温が残っているようだ。


「どうして。」
「 ・・・え?」
「どうして、敬語使うの?」
「えっと、癖で。」


どんな癖なの。
もっと、癖はあるの。
何もかも剥ぎ取って、あなたの反応をもっと見たい。
わたくしはどんどん、剥き出しになってゆく。
ソファの弾力の中に、ずるずると沈みこみながら不躾な視線を投げる。
下司な翳りが微塵もない眸ね。
何に守られたなら、そんな色になるのかしら。



あの子の眸に、誰よりも近い。









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