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風が夏を匂わせながら、足に纏わりつく。
うだるようなそれに変わる前の、ほんの一時の蜃気楼のような季節。

街の僅かな緑に、光は照り返り、風を転がしてゆく。
葉を渡る千切れるような煌きに、サングラスで車を駆る。








結構早く着いてしまった、と思う。
バカみたいなので、時計は見ないようにする。
カーゴパンツはあんまりだし、スーツだと余計幼く見える。
さんざん考え込んだ末、なんてことないパンツと麻のジャケットに落ちついた。
ジャケットが光の加減で、象牙色に映る。
あの日への意識があったのか、そんなことももう思い出せない。
ぼんやりベンチで仰け反ると、午後の陽が重なり合う葉の間を渡ってゆく。
緑の香りが鼻を擽り、心の澱まで運んでしまう。



そういやあんまり寝ていない。
うつらうつらと昨夜は過ぎていった。
耳をくすぐる風が、りかの寝息に重なる。
瞼が緩くなる。





蜂蜜の香りが、鼻腔をくすぐった。





「やっと、お目覚め?」

息が止まりそうに大きな虹彩、だるそうにこちらを眺める。

ベンチの背に頬杖をつき、ゆったりと長く脚を組んで、彼女はまた微笑む。
目が笑って、小さく寄る皺がやっぱり可愛らしい。
光を弾くように白い開襟のブラウス、シルバーグレーのタイトな長いスカート、
開いた胸元に光が散ったような、細かい石のネックレス。
締まった足首を飾る、細いストラップのピンヒール。
そして、とんでもなく深いスリット。

自己主張、なのかな。
張り詰めた糸の上で、なにげなさを装って。
少しでもバランスを崩したら、わかっていてもやってしまう、
りかさんと似てるかも。

「口、開いててよ。」
すっごくバカっぽい顔してた?俺。
「で、どうしましょう、わたくしたち。」
なんにも、考えてなかった。
ともかく、会わなきゃと思っていた。

会ったら、そうしたら、どうしたら。



「こちらでお昼寝でも、よくてよ。」
「・・・ あ、それは。」
「冗談だけど。」


この子が言葉を、飲んでしまった。
もう、だめじゃない、わたくしったら。
変に気安い言葉になってしまうのは、きっとこの子の面差しの所為。
「そうね・・・・・・お腹は空いていて?」
子供扱いしているわけではないのだけれど、いつものような言葉が出てこない。

「え、と、少し・・・でも、そんなにすごく空いてるってわけじゃ。」
「とりあえず、車で流しましょうか。
 そのあと、お食事で、いいかしら?」


口を開こうとした時には、もう後ろ姿になっている。
細い腰に繋がる形の良いヒップ、引き寄せられそうな目を逸らし、
慌てて立ち上がる。
財布と携帯だけは、忘れてないよな。
気持ちを逸らせながら、彼女の後を追っていく。






光を孕んだ季節の緑と対照的に、東欧の沈む森のような、
ディープグリーンの車体が、心地よく流れる。
キャメルのシートが、柔らかく身体を包み込む。
「どこか、行きたい処は、あって?」
「あ、どこでも、JUNKOさんにお任せします。」
「なにか、食べたい物は、ある?」
「あ、と、なんでも、JUNKOさんの好きなもので。」



なんか、すごくバカに拍車かけてる。
でも、この人に迂闊に踏みこんじゃいけないように、思えてしょうがない。


その容貌を印象付ける黒目がちの眼は、物憂げな翳りを帯び、
大人の艶めきと少女の弾力を併せ持つ口唇は、仄かに微笑むように重なる。
一見穏やかで優しげに、たおやかさすら感じさせる物腰。
その表層を感じとらせるよう、細心の注意を払い寛ぎを装う。


でも、少しだけ感じとってしまったのは、
恐らくりかの、魂の底に触れてしまったから。


それと汲むつもりは無くとも、微かな温度差が肌をひりつかせる。
乾いた冷たいその僅かな隙間を、埋める何かを求め続け、
焦燥に突き動かされ、渇望に弄ばれる。
そんな自らを何処かで見つめる自分に、震えるほどの嫌悪を覚え、
いつか澱んだ沼のような重い虚無に沈みこむ。
少しずつ息の吸い方を忘れ、
その彼方にある緩慢な屍を、目の端に止める。

手を伸ばすような、おこがましい真似をするつもりもなく。
感じるものがあるのかすら、定かではなく。
引き寄せられる思いは何故なのかなど、形になるはずもなく。
所謂、恋とか愛とかと云うものとは、どこか異なる引力が作用する。
あえて云うならば、融和とでも形容するような。





緊張しているわけでもなさそうな、この子。
とはいえ、ずかずか踏み入らない繊細さはあるようね。
踏み入っているのは、わたくしなのかもしれない。


「あっ・・・と、なにかヘンなこといいました?俺。」
「どうして?」
「いや、急に笑い出したから。」
「う・・ん、急に可笑しくなったのね。」




流れる黄昏に、浮き上がる大小のビル。
寄せる波のように変わってゆく空気に、
たゆたうようにわたくしたちは、取り残される。
少しだけ現実とずれた浮遊感が、感応を呼び、
心地よい官能が、静かにうなじに寄せて返す。

足早な雑踏が、徐々に数を増してゆく。
少しずつ気ぜわしく、少しずつざわめき立つ群集に巻き込まれる。
もうしばらくこの現実から、足を離していたい。
足元に目が向かないよう、遠い景色を眺めるよう、
影絵に紛れだす街並みを、指差して笑いあう。






幾つもの信号を抜け、数え切れないくらい左折して右折して、
赤坂に続く緩い下り坂の青信号で、ハンドルを切る。
緑が鬱蒼と生い茂る、住宅街に入る。


「いきなり、変わっちゃうんだね。」
「一本、路を違えただけでシャットアウトしてしまう。
 だから安心できるのかしら。」
「塀から、見えない家ばっかだ。」
「そうね、このあたりには、大きな家か低いマンションしかないわね。」
「こんな処に、こんなに緑があるなんて、知らなかった。」


又、口を開けている間に車は止まる。
外観からはそれとは分からない、洒落たレストランがひっそりと佇む。





「で、お腹は空いたかしら?」




 




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