TOP 






まるで只一人であるかのように、その人は裾を翻し歩く。
一瞥もせずに通り過ぎるかと思うと、遠い空でも眺めるように立ち尽くす。
好きか嫌いか、すぐ分かる。

セピアのマニキュアの爪を、艶めいた唇にあてる。
長すぎる睫の下、瞳が眠るように潤む。
時折漏らす言葉に、気のきかない相槌を返す。


「そろそろ、閉館ね。」
目が、覚める。




すたすた階段を降りてゆくのを追いかけながら、今まで死んでいた頭を動かす。
なんか、聞かなくちゃ。
名前は? ってJUNKOさん、だったよな。
住所は? 唐突過ぎて、聞けるわけ無い。
携帯は? かける勇気、あるのか。
でも、も1度会いたい。


表にはまだ、薄く陽が残る。
華奢な背中が、急に振り向いた。
同じ位の高さの瞳が、真正面からこちらを射抜く。

「あ、のっ。」
考える前に、言葉が出てしまった。
ゆっくりと瞬くと、薄紫のシャドーがほんのりと色を刷く。
「なあに?」
なんか、聞かなきゃ。
一秒も考えず、口を動かした。

「その、匂い、なんですか。」

あの彫刻に突っ込んでしまいたい気分。
驚いたように見開いた瞳が、ピアスより光る。
「あ、のっ、すっごくいい匂いで、蜂蜜みたいな、
 えと ――――――――― すっごく、美味そうな。」
突っ込んで舌噛み切ったほうがいいかも、俺。
正気に戻った目の前で、あの人は可笑しそうに口元を押さえていた。
何にも云う気力も無く、ひたすらにあの人の尖ったハイヒールを見つめる。

「ええと、今度会ったときにお教えするわ。
 楽しみが一つ増えるでしょう。」

酔っ払いみたいに、がくがくと頷く。
蜂蜜みたいな口唇が、蕩けそうに微笑んでる。
「じゃあね、来週の今頃、あの彫刻の下ね。」
ゴテゴテしたグロテスクな門を指す。


後ろを振り返る間に、又、音もなくあの人は歩いてゆく。
街灯の下に、オープンカーが止まっている。
象牙色のスーツの青年が、左の運転席で手を上げる。

俺より年上、彼女より年下、そのくらいしか分からない。
カーキのパーカーの裾を、いつのまにか握り締めていた。











「埃っぽいわね、街中は。」
皮張りのシートに深く腰かけて、誰にともなく呟く。
「この車は嫌い?」
信号待ちしながら、青年が目を細めて尋ねる。
「わざわざ、いらして下すったのですもの、好きよ。」
「理由付きの好き、って珍しいね。」
信号が変わり、ブルーブラックのSLは緩やかに加速する。
「珍しいことが、好きなのよ。」
「さっきの彼も、珍しかったの?」
「だあれ?」
「一緒に出てきた、ベージュのカーゴパンツの彼。」
「気になって?」
「そうでもない。」
「じゃあ、聞かないで、ゆうひ。」

拗ねたような表情を絡ませながら、青年が面白そうに言葉を継ぐ。
「わざわざ、リネンのスーツおろしてきたんだけど、分かった?」
「ウィンザー・ノットは、あなたの首には太過ぎてよ。」
「今日は、英国紳士でまとめてみただけ。
 JUNKOさん、好きでしょ、イギリス?」
「車はドイツなのね。」


流れるライトとイルミネーションの中を漂うように、彼女が肘をつく。
「ねえ、途中でお花、買いたいの。」
「あの子、ずっと立ってたね。」
「どの子?」
「美術館の、彼。」
「気が付かなかったわ。」
並外れて長い指を伸ばし、マニキュアを確認するように眺める。

「見えなくなるまで、ずっと芝生のとこにいた。」
「だから?」
「俺くらい、可哀相。」
「なんで。」
「だって、染色体が違うから。」
聞きたかった答えがやっと出てきたような顔に、バックライトが照り返る。
蜂蜜色の唇を膨らませて、彼女は笑ったような顔をした。




都会の花屋は、遅くまでやっているので好きだ。
芍薬の束を無造作に後ろに置く。
「束になると、なんかグロテスクな花じゃない?」
「でもね、好きなの、理屈なんか無いの。」
「あーあ、俺もいわれてみたいんですけど。」
「云うだけなら、いくらでも云えてよ。」
「俺と、おんなじ。」
「そういう処は、好きよ。」


何となく続いている、乾いているけれど優しいゆうひ、
それは、お互いに分かっている。
だけど違う、わたくしの思いはあなたではないの
それも、お互いに分かっている。
今日のあの子も、多分違うはず
でも、あの瞳の奥に、何処かで出会った。




タニ、って云っていたっけ。





← Back   Next →





SEO