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薄く、仄かに血の色を纏わりつかせた花が今年も又開く。
もう何回も、巡りきた季節。
いつか会える日が、くるのかしら。
明日の爪はセピアにしよう。
古ぼけた写真を指でなぞる。
ふんわりとした花弁が、笑うように震えた。



あの人。
どんな声だったのか。
どんな顔だったのか。
どんな薫りだったのか。
緩やかな記憶は、日々に忙殺され擦り切れてゆく。
穏やかな夜の合間に、切れ端をそっと抱き締める。







石造りの美術館は、それまでの初夏の熱気を取り去るように沈みこんでいた。
人の疎らな展示室を、兎も角も順路にしたがって歩く。
一番ご縁のなさそうな奴、とかいわれて回ってきた招待券。
その辺の神経、無いと思われてんのかな。
なんとなく悔しくて、誰にも言わずにやってきた。
帰りは浅草にでも寄って、蕎麦食ってもいいかな。


とはいえ、面白くないことも無い。
好奇心は、かなり強いほうなのかもしれない。
知らないものには、とりあえず触れてみたくなる。
異国の油彩をのんびりと眺めてゆく。
描いた人達はどう思ってんのかな。
テンペラ画のキリストの前で立ち止まる。
自らの現世を飛び越えて、込めた思いが、尚ここ迄残りつづけることに。
掴めないものの形を結ぶ、本当に一握りの恵まれた人々。
幾億もの思いが、日々浮かんでは消えてゆく。
だけど消えないものもある、土に還っても尚残る思いがある。
そんなに長くなくてもいい、でもまだ消えて欲しくない。
握る手からこぼれても、尚もがく者もいる。


考えているうちに、息が詰まってきた。
らしくないかも、少しアタマを冷やそう。
椅子に座って、思いきり仰け反ってみる。
鼻を柔らかい薫りがついた。
どうかしてない?俺。
不意に思い出した薫りを頼りに、首を回す。

長いストライドを、ゆったりと運ぶシルエットがこちらを向く。
鈍く光る黒いロングジャケットの裾が、緩やかに揺れる。
複雑な刺繍に石をあしらったカフスから、セピアの爪が覗く。



「あ。」


バカみたいに半開きになった口元に、大きな瞳が微笑を投げる。
弾かれたように椅子から飛び上がり、駆け寄る足音に、
係員が訝しそうに目を向ける。

駆け寄ったはいいが、なんていったらいいんだろう。
驚いたように眉を上げて、不思議そうに見つめられる。
悪戯でも見つけたように、口唇を少し突き出しながら。

「あ、あの時はありがとうございましたっ」

今度は疎らな人々まで、見るとも無く此方を見る。
声のボリュームが調節出来ない。
耳に上る血が止まらない。
瞳から目が逸らせない。

「まあ、お役に立てたのならば、よかったわ。」
「あのっ、お礼云おうと思って、何度か行ったんですけど
 ・・えと、あの、スーパー。」
「それは・・・・、たまたまドライブの途中に立ち寄っただけだったのよ、
 わたくし。」

話が続いているのか、それすらもわからない。
とにかく、俺はバカみたいに声を上げっぱなしだ。

「あなたも、お好きなの・・・・絵?」
「あ、いえ、たまたま招待券貰って、ともかく見てみようかな――って。」
くすりと目じりに皺が寄るのが、やけに可愛く見えた。
「えっと、でも、全然分からないから、こういうの。」
「感性の領分に、分かるも分からないもないことよ。」
女性にしては低めの声で囁くように、その人は言う。
「わたくしだって、わからない。
 ただ、好きか嫌いかそれだけだわ。」




そしてそのまま、ゆったりとした歩調にあわせて回廊のような展示室を回った。
回りっぱなしのアタマで、俺は後を追いつづける。





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