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  其の五十一











ばさりと上着を脱ぎ捨てて、部屋の窓を大きく開く。
緑の木々の向こうに覗く宮殿からは、
宴の楽しげな音楽が微かに洩れてくる。
大きく溜息をつきながら、俺は寝床にひっくりかえる。
酒は強い方だと思っていたけれど、あれから気分が乗らなくて。
まだまだ宴は続くのだけれど、少し部屋に引き上げさせてもらった。



なんで頭がぐるぐるしているのか、自分でもよく分からない。
寝返りを打って、なんとなく枕を抱きしめてみる。
そんな風にじっとしていても、頭の中に浮かぶ姿はとめどなく。
ひたすら、ひたすらにお義母様。
美しく着飾って、微笑みを浮かべながら宴の真ん中であでやかな。
今まではそれだけで、にやにやして幸せな気持ちになれたのに、
なんだか今日は違う気がする。
もちろんお義母様は美しくて、いとおしくて。
なのに、なんだか喉の奥がざらざらした感じがする。
なんとなく頭がもやもやする。

部屋の隅の水差しで水を汲む。
酔いのせいかもと、一気にあおってみる。
宴の熱気にあたったのかな、俺。
少し頭冷やしたほうがいいかも。









もう日もとっぷり暮れている。
海からの風は、湿った潮の香を含んで心地よく頬を滑ってゆく。
波の音にかき消され、ここまでは宮殿の音も聞こえてこない。
真っ白くて大きな月が、ぽかりと浮かんでる。
月の翳を受けて、波が暗い水面に緩やかな文様を描く。

このもやもやを整理したくて、俺は砂浜に膝を抱えて座り込む。
遠くに広がる水平線の、もっと遠くにあるというお義母様のお国。
どんなに瞳を凝らしてみても、俺には想像もつかなくて。
降るような星の空の下、自分がとてつもなくちっぽけに思えてくる。
首を回して夜空を仰ぎ見て、なんだか涙さえ出そうになってくる。


「・・・・・王子様?」
不意に後ろから声をかけられる。
「先生。」
驚いたように、ぶん先生が立っている。
珍しい赤いドレスのままで、だけどちょっと疲れた顔をして。
「どうなさいましたの?」
「あ、ちょっと・・・・疲れたみたいで。」
「先生は?」
「わたしも、少し疲れたみたい。」
そう言って、俺の横に座り込む。


「凄い、空ね。」
大きな月を眺めながら、先生はぽつりと口を開く。
「ええ。」
俺もぽつりと答える。


そうして俺たちは並んで座って、ぼんやりと空と海を見つめていた。
「ねえ、先生。」
無意識に口が開く。
なんだか頭のなかのもやもやが、いい加減出どころを欲しがっているとでもいうかのように。
「あのさ・・・・・・先生は、もやもやすることって、ある?」
「は・・・?」
先生なんて言っていいのか、わからないって顔でこちらをみる。
自分の質問の馬鹿さ加減に気がついて、慌てて言いつくろう。
「あ、いや、なんていうか・・・・
 自分で自分の頭の中がわからなくなったこと・・とか、ありますか?」
さらに間抜けな俺の言葉に、先生はくすりと笑う。
「あ、と・・・別に、無理に答えていただくようなことじゃ、ないですよね。」
俺はなにが言いたいのだろうと、思わず口を尖らせて海のほうに向きなおす。
先生はゆっくりと、ご自分の膝に頬を乗せる。
「そうね・・・・いつでも、なにか、わからなくなっているかもしれないわね。」
微笑みとも哀しみともつかないような瞳をしながら、先生が答える。
「俺も、なんとなくわからないなあ、って気がしてきちゃって・・・・
 いや、だからどうこうして欲しいとかじゃないんですけれど。」
なんだか余計に混乱しながら、俺は答える。
「なんかさ、今までってもっとはっきりしてた気がするんですよね、俺。」
「そうね、王子様ははっきりしたお方だと思いますわよ。」
先生はいつの間にかまっすぐに、水平線を見ている。
「嬉しいとか、悔しいとか、悲しいとか・・・・・
 でも、なんか今は違ってて。」
こちらを見られていないと思うと気持ちが軽くなるようで、
俺は独り言のように続ける。
「じゃあ俺が至らないせいだな、って割り切ることもできなくて、
 なんだかもやもやになっちゃってる気がして。」
とりとめのない言葉を吐き出してしまう。
「素直に諦めちゃえばいいのだろうけど、それもできないし。」
ああ、なんだかものすごく情けない愚痴を垂れ流してる気になってきた。
もうやめよう、と思った時に、先生が口を開く。

「そういう気持ちになってしまうことは
 ・・・・あるかもしれないわね。」
「・・・そういうものですか?」
先生は海を見つめ、そしておれも海を見つめながら。
まるで、自分の心を映すなにかを探しているかのように。
「たとえば、なにかに心奪われてしまった時は・・・・」
独り言のように、先生は呟く。
その瞳に映っているものは、なんなのだろう?
「子供ならば欲しければ泣いて、手に入れば喜んで、失えば悲しんで。
 それでお仕舞いになるでしょうね。」
「・・・・子供でなければ?」
「きっと、だから、厄介なのね。
 そういう感情は。」
「厄介ですか。」



わたしはいつしか自分のことを語り出している。
わたしのこの、行き場の無い大王さまへの想い。
王子さまの心の行く先はわからないけれど、
わたしはわたしに整理をつけるため言葉を継ぐ。
「ええ、自分がどうだとか、相手がどうだとか、考えなくてはいけないことが多すぎて。
 真剣であればあるほどに。」
「あるほどに・・・・」
噛み締めるように王子様が呟く。
この方は何を悩んでいらっしゃるのかしら。
美しく気高く、全ての人に愛され慈しまれる星の元に生まれてきたような方なのに。
わたしは自嘲を込めて、答える。
「心奪われたものが、大切であればあるほど、自分だけを貫くわけにもいかなくなるでしょう。」
「だけど、それならば、自らが引けばいい話でしょう。」
「それができるならば話は早いけれど・・・・
 でも、感情が言うことをきかないから悩むのではなくて?」
ああ、まるで、わたしの事ね。
この国を去ると決めたのは自分なのに。
まだ、心の何処かで抗う声がする。
「そりゃそうなんですけど・・・・
 じゃあ、どうしたら?」
「どうしたらいいのかしらね?
 わたしにも、わからないわ。」
「でも、少なくともその自らと向き合ってみなければいけないような気はするわ。」
これは、わたしへの言葉。
わたしは本当に自分に向き合うことができたのかしら。
わたしはノル様の面影から逃げ、そして今、大王様からも逃げようとしているのかしら。
「なんか、情けなくなりそうだ。」
王子さまは小さく微笑まれる。
横顔に浮かぶのは、かつての王子さまにはなかった陰り。
「でも、それも自分ですもの。
 そ知らぬ顔をするよりは、よほどいいのではないかしら?」







「ああ、風が冷たくなりそうですわ。
 わたしは部屋に下がります。」
先生はなにか思い切りをつけたようなふうに立ち上がり、ドレスの裾をはたいて去っていった。


そして、俺は、まだ空を眺めながら考えている。
お義母様のこと、そして俺のこと。


初めてあの庭でお会いした時、嬉しくて、眩しくて。
初めて夜を共にした時、やっぱり嬉しくて。
そして拒まれて、ひたすら悲しくて、それでもいとおしく。
ともかく、お義母様が欲しくて欲しくてたまらなくて。
お義母様がこの腕に飛び込んでくださった時は、もう有頂天でしかなかったのに。
だけど今夜はどうしたことだろう。
お義母様がいとおしいのは変わるわけはないのだけれど。
誰かと自分を比べるなんてこと、今まで考えもつかなかったのに。
なのに、よりにもよって俺は父上と自分を比べていて。
それだけじゃない、お義母様の周りにまとわりついてた連中の全てと比べてて。
お義母様の微笑みのひとつひとつが、眼差しのひとつひとつが、
すべて心をかき乱す。
どうして、ただ幸せじゃないんだろう。
あの微笑みも、あの眼差しも、それだけであんなに幸せだったはずなのに。






空から海へと目を落とす。
波間に夜光虫がゆらめき、この心のざわめきを映すように浮かんでは消えてゆく。
火照った頭を冷やすように、潮風がそよぐ。
心奪われたものへの想いが大きければ大きいほど、自分を見つめるのは容易い事じゃない。
それがなんなのか、やっと見えてきた気がする。

嫉妬、なんだ。

自分の中に、そんな感情があることに初めて気がついた。
悔しさと、惨めさと、そしてお義母様へのいとおしさがないまぜとなり、
多分これが自己嫌悪、ってやつなのかもしれない。
俺は頭を膝に埋めた。


風をうけ、波の音が大きくなる。












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