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其の五十
目くるめく様なダンスは、ぱたりと終わった。
広間にさざめく声は相変わらずで、
むせ返るような花の香は宴を祝するように一層強い。
「楽しゅうございましたわ。」
するりとお義母様の細い指が、離れかける。
仄かに真珠の色に染められた爪に、光が散る。
なぜだろう、俺は本当に無意識についその指を握り締めてしまった。
この美しい方を、放したくない。
そんな気持ちがふと過ぎった自分に、自分で驚いた。
お義母様がぴくりと手を止める。
「王子さま。」
静かに、諌めるように囁く。
俺はその瞳を見つめる。
そこに何を見つけようとしたのか、自分でも分からない。
お義母様の瞳はやはり虹のように煌きながら、
穏やかに俺を見つめ返す。
「ダンスは終わりましてよ。」
口元に微笑みを浮かべ、ゆるりと身体を離す。
重ねた手が離れた時に、微かに影が落ちたのは光の加減だろうか。
そして父上は玉座へ向かい。
お義母様は後宮の后達と共に周りで控え、謁見を受ける。
俺は少し疲れているようで、椅子に腰を下ろす。
これはぶん先生のための宴のはず、
いやもちろん父上のための宴なのだけれども。
さっきまであんなに高揚した気分だったのに、
俺はどうしてしまったのだろう。
賑わしい音楽も、甘やかな香りも、全てが厭わしく思えてきた。
お義母様と離れた途端にこんなになっている自分に、今更呆れてしまう。
祝いの席で、それとは分からぬようににこやかな笑みを顔に貼り付けたままぼんやりと座っている。
振舞われる酒に、珍しく自分から手を出してみた。
緊張しすぎたのかな、なんだか俺やっぱりガキみたいじゃん。
深く息を吸って、背凭れに沈み込む。
宴は一層華やかさを増し、人々は絶え間なく唄い踊り、父上を祝福する。
そして俺は見るとも無く、父上の方に目が向いてしまう。
父上を取り囲む人々は引きも切らず、
そしてそれをあしらってゆくのは、お義母様。
にこやかに、あでやかに、時には軽口を挟みさえして。
その微笑だけでいい年をした親父どもがやにさがっているように見えてくる。
そんな事は当たり前のことだったはずなのに、俺はいつの間にか目が離せなくなる。
まるで父上の第一夫人のように、いや客たちから見ればそれ以上にお義母様は見事にその役割を果たしている。
お義母様がなにやら父上に屈みこみ、耳打ちをしている。
それを聞いて父上が笑われる。
そのお二人の様子が、まるで周りから切り取った絵のように俺の瞳に焼きつく。
父上の大王としての威厳、大人の男の余裕、そんなもの分かっていた。
もし今、あそこに俺が座っていたならば、
はたから見ればお義母様に面倒をかけながら世話されている王子にしか見えない。
俺はあのように座ることはできない。
そんな事もよくわかっていたはずなのに、いきなりさっきの想いが蘇る。
父上を越えたい。
頭の中でその想いだけがぐるぐる回りだす。
音楽も、人声も、どこか遠くに置き忘れて来たように。
お義母様が素晴らしければ素晴らしい程に、
それに見合う男は俺にはまだまだ遠いんだ。
今更のようにそんな事を、眼前の光景を見て思い知らされる。
酒がゆるやかに回っているのか、
周りの世界はその境界線が滲むようにぼやけ、
ただ父上とお義母様だけが、くっきりと浮かび上がる。
椅子に沈みながら見つめる俺とお義母様の瞳が、不意にぶつかる。
酔いのせいも手伝って、咄嗟に逸らすことができなかった。
お義母様の瞳が、ゆるりと俺から離れる。
それは、微塵も揺らぐことなく。
「王子様、お加減でもお悪いのですか?」
気がつくと、傍らに先生が立っていた。
「お水をお持ちしましたわ。」
ああ、いつかもこんな事あったよなあ。
あれから、俺やっぱり変われてないかもしれない。
だめだよ、今は、ともかく先生を引き止めておかなきゃあ。
俺は頭を振って立ち上がる。
「大丈夫ですよ、先生。」
ぶん先生はそれでも心配そうなお顔。
先生からみても、やっぱり俺って変わってないんだろうな。
ちょっと笑って人の輪に入る。
喉の奥で苦い味がした。
王子様と目が合ってしまった。
このようなわたくしを、あの方はどのように思われたのかしら。
正式な第一夫人のいらっしゃらない大王様には、それに代わる者が必要。
物事を滑らかに進めるには、時には脂粉の香りと微笑が役に立つ。
それは単なる社交術にすぎないのだけれど、あの方の目にはどう映っているのだろう。
媚すら含んだ口元で時にはおだて時には威嚇するかのような、心無い言葉を操るわたくし。
大王様のお耳に口を寄せ、仲睦まじげに振舞うわたくし。
王子様の目は何か物問いた気で、まるで責められでもしているかのように目を逸らすわたくし。
あの方は驚くほど変わって来ている。
初めてお目にかかった日。
あの中庭で埃にまみれ。鼻の頭に泥すら付けて。
少年といってもいいお姿だった。
なのに、いつしかわたくしの胸を締め付けるような青年へと。
このような席だから気がついたのかもしれない。
この方はもう子供ではなく、未来の大王にふさわしい威厳すら備え始めている。
後宮の后の一人にすぎず、あまつさえお父様の后であったわたくし。
胸の奥に、ほんのわずか苦いものが浮き上がる。
「りかさま、いかがなさいましたの?」
後ろから声をかけられ、覚醒する。
あの隣国の姫が心配気に見つめている。
そうね、こんなふうにしている場合ではないはずだわ。
砂漠の夜のような、漆黒の瞳の姫にうなずく。
「大丈夫、なんでもないわ。」
そっとヴェールの下から手を握り、小さな声で囁き返す。
「だから、お約束通りお願いね、コム姫様。」
わたくしが今しなければならない事は、この大きなお芝居を成功へと導くこと。
うまくいった暁には、大王様にも王子様にもよい道が開けるはず。
そう思いながらもわたくしは、まだ、王子の瞳が頭に焼きついたようになっている。
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