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  其の四十八










重い裾を引きずりながら、辿りついた広間はもう宴もたけなわだった。
笑いさざめく花々のような后たち。
洋装の軍服を纏う王子様は一際目立つりりしさで、
次代の王の貫禄すら漂わせ。
わたしは迷い子のような気持ちに襲われる。
ああ、どうしてこんな赤いドレスなど選んでしまったのかしら。
家庭教師なら家庭教師らしく、
もっと地味で落ち着いたドレスがいくらでもあったのに。
最後くらいは少しでも、華やかに自分を見せたかったのかしら。
そう、あの方に。
足を踏み入れる勇気がでない。
わたしの手は知らずにロザリオを握り締める。



ぼんやりと上座に目を向ける。
思いもかけず、真っ直ぐにこちらへ視線が向けられていた。
止まりそうになる心臓を押さえ、精一杯の優雅な会釈を。
少しでも美しくわたしを心に残して、そんな気持ちは何年ぶりかしら。


いきなりあの方が片手を上げられる。
音楽が止まる。



「ワルツを。」



そして、わたしの視界の中、あの方のお姿が大きくなる。
これはどういうこと?
すらりと手が差し出され、彫刻のようなお口が開かれる。
「ぶん先生、私とワルツを。」
からかわれているのかしら。
でもこの方の口元に浮かんでいるのは、
いつものようなあの皮肉めいた笑みではない。
魔法にでもかかったように、わたしは答えていた。


「謹んで、お受けいたします。」


手をそっとのせる。
少し熱いような気がするのは、きっと気のせいね。


「皆も踊るように。」

よく通る声が響く。









ああ、先生が戻ってきてくれたよ。
ほっと息をついたのも束の間、今度は父上がいきなり先生の方へ。
手に手をとって踊り始める。
この調子で先生を止めてくれりゃあ、言う事ないんだけど。
俺から見てもお似合いだと思うよ、あの二人。
でもな、父上の性格から言って絶対折れるなんてことないだろうし。
あああ、口喧嘩とか始めないでくれりゃあいいんだけど。




「王子様、お相手をお願いできませんこと。」




ぐるぐる考えてた俺に、いきなりお言葉がかかる。
深くて柔らかな声音、甘い香り。
振り向くとお義母さまがにこやかに右手を差し出していた。
俺だけに分かる、いたずらそうな笑みを口の端に湛えながら。
ここで相手してもおかしくないよな。
父上は先生と踊ってるし、俺は第一王子だし。
瞬きするほどの合間に、一応俺は考えて。

「わたくしでお相手がつとまりますか?」
「ええ、もちろん。」

久しぶりに重ねる細い指、踊りの輪にお義母さまと加わる。












腕の中で、わたしは回りつづける。
柔らかな笑みに包まれているのは、気のせいなのだろう。
大王様が低く囁く。
「最後のダンスか・・・・先生と踊る。」
わたしは緩やかに微笑みを返す。
「大変上達されましたわ。もう先生無しで充分踊れましてよ。」
微笑みは微笑みで返される。
「先生のお国の方々とも、対等にかな?」

「ダンスだけではございません。
 私の知るどのお国の指導者よりも、ご立派にいらっしゃいます。」
皮肉などではない、いつになく素直に言葉が口をついて出る。
わたしが見上げた先にはこの方の眼差しがあり、
わたしはまだそれに包まれたいという気持ちが振り切れない。
「初めて、誉めていただいたのかな?」
口元が楽しそうに上がられる。
わたしもつい軽口になってしまう。
「私、そんなに生意気な女でしたでしょうか?」
大王様は少し考えるふうをしながら、口を開かれる。
「生意気で、活きが良くて・・・・愛らしい。」
どのような意味合いであれ、素直にわたしは受け取ろう。
「初めて、誉めていただけたのでしょうか?」
「ほら、そのように・・・・」
わたしたちは、声を上げて笑った。
ああ、どうしてこのようにわたしは話すことができなかったのかしら。
怒鳴ったり、騒いだり、この方の前ではいつも泣き顔か怒り顔だった。
歩み寄ることを考える前に、
その距離の遠さに苛立ってしまっていたのかもしれない。
遠すぎて見えない、そのお心に。










お義母様の華奢な身体が、俺に委ねられる。
ふわふわと風のように軽やかに、ドレスの裾を揺らしながら。
「お義母さま。」
「なあに。」
又、あの虹色に煌く瞳。
睫が豊かに縁取る瞳をぱっちりと見開き、俺を覗き込む。
「お会いしたかった。」
ああ、俺はこういうときに限って絶対気のきいた事が言えやしない。
「わたくしもよ。」
くすくすと笑いながら、俺たちは緩やかにターン。
「王子様、随分と上達なさったわ。」



王子さまは困ったような、でもまんざらでもなさそうな笑みを浮かべる。
でも、これは心からの言葉。
踊りだけではないのよ、分かっていらっしゃる?
柔らかく、時には強く、相手の呼吸に合わせてリードして。
あなたの腕の中で、わたくしの胸にふと寂しい陰がさす。
お逢いするたびに、この方は成長してゆかれる。
まるで若い樹々のように、太い幹を張り青々とした葉を広げてゆく。

わたくしはわたくしでしかない。
わたくしはこの方にとってどれほどのものになれるのかしら。
わたくしが思う以上に大きく豊かになられる王子さま。
今の、この刹那だけでも幸せと思わなければいけないのではないのかしら。


幼い頃に夢見ていた、わたくしを迎えに来てくださる幻想の王子さま。
この世は移ろうもの、そして人の心も。
わかったつもりで、わたくしは大人になり、
そしてまた、幻想を追い求めているのかもしれない。



王子さまの腕の中、
夢はいつまで続くのかしら。






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