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  其の四十









「先生、で、こちらの時代は・・・」


王子が分厚い書物を開き、指で差す。
時には私と討論めいたものまで交わすほどに、王子の知識は深まってゆく。
剣の腕もかなり上がられたそうで、
もう剣術の教師とも対等にやりあっているらしい。



わたくしなどいなくても、ええきっと大丈夫。
あとはご自分で、全てを豊かに学ぶ事の出来る方。
私は安堵にほんの少しの寂しさを滲ませて、思いを馳せる。
そして、わたくしはあの人を後にして、どうしようと言うのだろう。
国に帰ったら、わたくしは何処かに嫁がなくてはならないのかしら。
ううん、多分我慢できないわ。
それならば、修道院にでも入った方がずっとましね。
そこで、一生大事に思い出せばいい。
ノル様と、そして夢のようなお伽の東の国での日々を。




「先生、聞いてる?」
こうやって小首を傾げて口を尖らせるのは昔のままね、王子様。
「やだなあ、何笑ってるの?」
口調までもが戻ったみたい、
私がまだ自分の気持ちに気が付く余裕が無かった頃に。
なんだか瞳が熱くなる、潤みそうな瞳を必死で押さえる。
「いいえ、少し・・ええ、少し昔を思い出していただけですわ。」
「ふうん。」
「王子様が、やんちゃでいらした頃などを・・・・」




あのお方の勘違いにこれほどに傷つくなんて、
私は相当に臆病になっている。


だけど、それは、それほどに好きだということ。
そして、あの方は余りにも相容れない相手だということ。


だから、逃げてしまおう。
私らしくないと、心の何処かから聞こえる声に蓋をして。
離れたならば逃れられないかしら、この切ない想いから。











ぶん先生のご様子は、上の空もいいとこで。
お義母様の計画を思い出し、俺は気が気ではない。
うん、やっぱりお義母さまだけあって、完璧じゃん!とか思ったんだけど、
先生がいなくちゃ、お話にならないからな。
畳み掛けるよう質問して話しまくって、
とりあえず気を逸らしてもらわなくちゃ。





芝居の幕が上がるまでは。



















部屋に戻ると、小さく畳んだ紙片が隠すように挟んであった。
この甘い香り、紛れも無いお義母さまの香り。


『準備は整いつつございます。
 今宵はわたくしの元へ。』

たったそれだけの、覚書のような紙片。
そういや俺、お義母さまから手紙もらったの初めてかもしれない。
ふわりとしたお義母様の手が伸びて来るようで、
俺は紙片を抱きしめて寝台でごろごろころがったりしちまう。
一日頑張った自分の為に、ぼんやりと寝台であおむけに。
こっそりと隠してた、胸元の細い鎖を引っ張り出す。
通してある指輪をつまんで、眺めてみる。
お義母様に初めて頂いた、金の指輪。
小さいながらも、きらきらと。
まるでお義母様の瞳みたいだ。
今んとこの俺の一番の宝物。


もう来るなって言われたのに、俺ってば未練がましく持ってたんだ。
女々しいって言われても、構わないよ。
ほんの些細な事でもいい、あの方に繋がるものならば。
今だってその気持ちは変わらない。
あの浜辺と同じように、俺はいまだにお義母様を追いかけ続けてる。


で、今夜はお目にかかれるんだ・・・・!
思い切り勢いをつけて寝台から飛び起きた。
こないだお目にかかった時は、あんまりいきなりだったから。
ぼさぼさのどうしようもない格好だったもんな。
ちゃんとした格好でいかなきゃ。
夕飯の残りとか、つけてないだろうな。
鏡を覗き込んで、櫛を探す。
とことん呑気な事を考えながら、衣装棚の扉を開いた。






・・・やっぱ俺って、どっか抜けてんのかもしれない。














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