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其の三十九
チカの計らいで、後宮に役者を呼び寄せる。
目の覚めるような逞しく魅力的な男。
異国の大将軍といっても、きっとと誰もが頷くような輝きを持っている。
儚げでそれでいて艶やかな美しい女。
大王様の興味を、いえ、男達の興味を引かざるを得ないほどに愛らしい。
「あなたたちは、お口は固くていらっしゃるかしら?」
「はい、このような生業でございますれば。」
「では、大芝居を打っていただきたいの。
それも内密に。」
「内密な大芝居、随分と面白そうでございますわね。」
静かに呟くように女は男に顔を向ける。
「・・・んん、それはそうだろうが。」
用心深いのだろう、男は言葉を選んでこちらに問いかける。
「 りか様・・・と仰いましたか?後宮第一のお妃様。」
「そんなご大層なものではないことよ。」
「いえ、そちらはなにかこの者に危険が及ぶようなことには・・・」
言いにくそうに、言葉を濁す。
恐らくは恋人か夫婦、そんなところかしら。
気遣わしげに、傍らの女を見やる。
「・・・そんなことには、ならないでしょう。
大王様の宴の余興の一幕よ。」
「まあ、そんな大変な場に、わたくしたち如き旅芸人が・・・
宜しいのでしょうか?」
「ええ、美しくてお芝居に長けた、あなた方の助けが必要なの。」
「わたくしたちの芝居が、りか様にとってなにかの助けになると。」
「恐らくね、わたくしだけではなく大王さまにとっても。」
不思議そうにしていても、女の顔にありありと興味が沸いてくる。
涼しげな瞳が見開かれる。
「ねえ、お引き受けしても良いのではなくて?」
小首を傾げるようにして、艶やかな笑みを男に投げかける。
それがこの男には一番の薬のようね、
その微笑ましい様子に、わたくしは笑みが浮かんでしまう
「う・・・ん。お前がそう言うならば・・・」
ことらに向きなおし,打って変わったようなきりりとした表情で。
「お引き受け致しましょう、りか様。」
わたくしは胸を撫で下ろす。
この二人ならば、まさにうってつけ。
事がうまく運んだならば、
大王様だけでなく、きっと・・・皆が幸せになれるはず。
「では、細かい事をお聞かせ下さいませ。」
月明かりの下、馬車の轍が伸びてゆく。
「お前、本当に大丈夫なのか?」
男は心配気に、寄り添う女に言葉をかける。
「ええ、なんで?」
「なんでって、・・・いや・・・そりゃあ・・。」
男の言いたい事などはなから分かっているとでも言いた気に、
女の濡れたような黒い瞳が微笑む。
「そんなに心配しなくても、大丈夫よ。
あのりか様ってお后様の仰る事、信用してもいいんじゃない?」
「んん、でもなあ。もしかしたら・・・。
大王様にお目をつけられるってことだってあるかもしれないぞ。」
伏せていた睫を上げて、面白そうに女は仰ぎ見る。
「やあねえ、そんな事心配してたの?」
「いや、そういうわけではないけれど。」
唇を尖らせて拗ねたような男の鼻を指で弾く。
「平気よ。大王様はりか様のようなお方を見慣れているお方よ。」
「なにが大丈夫なんだよ?」
「あんな匂いたつように美しく色っぽい方を見ていれば、
私なんかにそんなに心配するような事は、ないってこと。」
「そりゃあ、あの方はお美しいかったけどさ・・」
「けど・・・なあに?」
「俺は・・その・・・・。
お前の方が・・・」
「まあ。
じゃあ、せいぜい綺麗にしなくっちゃ!」
「・・・お前、案外楽天家か?」
「このお国の為になることでしょ。」
「まあ、ある意味・・・そうかもな。」
馬車の揺れに酔うように、夢見るように女は言葉を続ける。
「その上、ご褒美だってうんと弾んでくださるわよ。」
「結構面倒な話だからな。」
「そうしたら、私たちもっと好きなお芝居を沢山できるわ。」
「まあな。」
「自分たちで劇場だって持てるかもしれないわ。」
「まさか。」
「・・それにね、あなたの演じる姿を見たいの、私。」
開こうとする男の唇を、指で押さえる。
「きっとね、とても素敵よ。
ああ、どれほどに凛々しいことかしら。」
そう言いながら、うっとりと男の胸に頬を寄せる。
「ちょっと・・・ね、楽しくてお酒のみ過ぎちゃった
・・・みた・・・い 」
言葉は小さくなり、そして路に刻まれる車輪の音に吸い込まれた。
こいつが言うなら仕方ないか。
胸で寝息をたてる愛おしい女を見つめながら、
男もいつしかまどろんでいった。
わたくしは窓辺に座りぼんやりと天を仰ぐ。
口唇を濡らす程度に、杯を傾けながら。
王子様、あなたも同じ星を見ているとしたら、
それはとても素敵なことね。
些細な事も、つまらぬ事も、
全てがあなたとわたくしに収束していくのなら。
人生はどれほどに晴れやかなものになるのかしら。
秀でた額、輝く瞳、柔らかな髪、
そんないろいろなものをひとつひとつ思い出してみる。
あなたの声がわたくしの名を呼ぶのが聞こえてくる。
わたくしはこんなに幸せで、本当にこれでいいのかしら。
あなたの前で、わたくしは強がっているだけではないのかしら。
甘やかな幸せを噛みしめるたび、ほんの少しの苦味が残る。
まだお若いあの方の、些細な気紛れかもしれない。
これから広がる世界では、ほんのちっぽけな女に過ぎないかもしれない。
切ない思い出の一幕になるのかもしれない。
心とはうつろうもの?
それとも信じるもの?
どのようなことになろうとも、もう後悔するのは沢山よ。
わたくしは頭を振った。
今、出来る事をやらなくては。
月が満ち始める。
宴まではもう、いくらも無い。
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