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其の三十八
一番鳥が鳴く頃に、わたくしは飛ぶように。
薄い光の中で、お寝みになられていた王子様。
その端正な横顔に、しばし見とれ。
軽く寝息をたてている優しい唇にそっと触れ。
黙って出ていったわたくしを、怒っていらしゃるかしら。
お目覚めになったときに、どんなお顔をなさるのかしら。
わたくしときたら、そんな思いまで無邪気に楽しんでしまっている。
陽の光が、木々の葉を照らし出し。
朝露が煌く、後宮への路で脚を早める。
軽やかな足取り、踊りだしてしまいそう。
王子様のお声は、今も甘やかに耳を擽るの。
わたくしの名、愛の囁き、切ない吐息。
なにもかもに、わたくしの心臓は高鳴りっぱなし。
マントに顔を隠しながら、わたくしは少女の顔に戻ってゆく。
微笑みながらこの一時、ばら色の未来を信じられる。
「ん、・・・りかさま、・・・・」
自分の寝言で目が覚める。
もう、寝台はからっぽだった。
少し窪んだその名残に俺は腕を伸ばし、
架空のお義母さまを抱きしめる。
お義母さまらしい、甘い異国風の残り香に包まれて。
朝の清涼な光の中で、俺は寝台で余韻を楽しんで。
離れていることで愛おしさがつのる、それはいつものことだけど。
なんとなく気持ちが固まってゆく。
あの方に相応しくなろうとの思いに、力が湧いてくる。
ああ、俺ってなんて単細胞。
単純だから信じられる、もうじき来るはずのばら色の未来。
昨夜の余韻を確かめるように、身体をそっと確かめる。
唇、首筋、胸にも脚にも
あらゆる処にあの方の感触が残ったまま。
わたくしは幸せに浸りながら、寝台で大きく伸びなどしてみる。
枕元の鈴に、手を伸ばす。
「お呼びですか?りかさま。」
チカが飛んでくる。
「ちょっと、お願いしたいことがあるのだけれど。」
「まあ、なんなりと仰ってくださいませ。」
大きな瞳をきらきらさせながら、
その愛らしさにわたくしは我知らず微笑んで。
「ええ。先日あなたのお家に呼んでいたという、旅芸人の一座。
その者達はまだ、いるかしら。」
「はい、先日の芝居を父も気に入りまして。
しばらく滞在させる予定でございすわ。」
「では、その者たちを呼んでもらえない?」
瞳が丸く開いて、楽しげにチカが答える。
「まあ、後宮でお芝居を打たせますの?」
「いえ・・・そうね。
大王様の宴で、秘密の余興をお願いしたいのよ。」
「秘密の・・・でございますか。」
唇を尖らせて思案するような顔に、わたくしは人差し指を唇へ。
「ええ、わたくしたちだけでね。
大王様もきっとお慶びになるでしょう。」
「なんだか分かりませんが、面白そうですわね。」
チカは胸の前で指を組み、弾むような声音で答える。
「わかりました、早速連れて参りますわ。」
「そうね、できるだけ急いで。
宴は、もうすぐだから。」
「はい。」
「そして、これは・・」
「はい、内密に。でございますね」
人差し指を丸い唇に当てながら、チカは微笑んで頷いた。
「りかさまとの、秘密。
なんて素敵なのでしょう。」
そういって、跳ねるように出て行った。
やれやれ、と以前のわたくしならば溜息をつくところ。
なのに今のわたくしときたら、チカと同じように、
いいえ、それ以上にときめいててしまっている。
わたくしたちの未来を、自らの手で押し開いてゆくことは、
なんと刺激的で面白いことなのかしら。
未来を夢見るやり方は、まだ上手く思い出せない。
本当はまだ、心のどこかが臆病なわたくし。
だから立ち止まれない処まで、自らを追い込んでしまわなければ。
わたくしらしからぬ性急さに、思わず微笑みが洩れる。
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