個性『RTA』があまりに無慈悲すぎるヒーローアカデミア   作:ばばばばば

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最速ヒーローRTA_113925時間24分51秒_Part9/11

 

 

 

<それで? 公安は何とかなりそう私?>

 

「全然ダメ、こっちを警戒してる。というか蛇蝎のごとく嫌われてる」

 

<……っていうか殺したいほど恨まれてるでしょ。おかげで向こうの面目は丸潰れ。見たよテレビの話、国が率先して人殺してるなんて。この騒ぎのせいで社会の動揺どころじゃないんだけど……、ヴィラン達の動きも活発になって過労死しそう>

 

「でも、この騒ぎで人死にが出ちゃ絶対だめだから。体を張ったレディ・ナガンのためにも頑張るしかないよ。……特に例の場所の地区、一週間は死守して。現場が出るレベルのヴィランは根こそぎ狩って表に出さないでね」

 

<……オッケーそっちの事情も分かってる。公安は大幅に入れ替えが起きてるから、その隙に何人か潜り込めた……って問題はそっちでしょ。新人ヒーローなのにもう警戒されてる。私達の顔なんだからもうちょっとイメージに気を遣ってね>

 

 

 

 そんな小言を受けながら、私は小さな山をかき分け、寒さの厳しい空気の中、山を登る。

 

 他の私達には悪いが、ヒーローとしての評判について今回もあまり良い報告が出来ないことになってしまうのは非常に申し訳ない。

 

 

「いたいた」

 

 

 春と言えどもまだその山肌は白い衣を纏い、冬山の景色を色濃く残している。

 

 足で踏む霜の音と、せせらぎのみが聞こえる静かな山で、私はとてつもない蒸気を噴き出している場所を目視した。

 

 

「こんなんじゃだめだ……、もっと……!!」

 

 

 川の中ほどで噴き上がる炎と水蒸気。

 

 身を焼く程の炎に巻かれる体を無理やり冷却させるため、極寒の川に身を沈めながら、小さな体の少年が個性を磨いている。

 

 

 この少年の名は轟燈矢(とどろきとうや)

 

 焦凍くんのお兄さんだ。

 

 彼は一週間後、この瀬古杜岳の特訓場で、自分の”個性"による暴走で山火事を引き起こし焼死する。

 

 彼の炎の個性は二次成長期を経て父親であるエンデヴァーの個性「ヘルフレイム」に匹敵する「蒼炎」として発現、その火力の強さにより自身の体すら焼き、現場には下顎部の一部しか残らなかった。

 

 ……と、されてしまう。

 

 その身柄は秘密裏にAFOの手に堕ち、未来では荼毘と名を変え、敵連合へと合流してしまう。

 

 

「もっと……、もっと強い火力を……、そうしたらきっと父さんも俺を見てくれる……」

 

 

 少年の父親、事件解決数史上最多、No.2ヒーローであるエンデヴァーは強い上昇志向から、己を超えるヒーローを生み出そうと、現代倫理上忌むべき手段を採った。

 

 ……それは互いの個性を掛け合わせ、より優れた個性を生む、世に呼ばれる個性婚という方法。

 

 つまり、自身の強力な炎の個性と対を為す、強力な『氷』の個性を持つ女性と子をなし、自身の炎によるオーバーヒートのデメリットを帳消しにする理想の個性を持つ子を作る。

 

 

 轟燈矢は父にそうあれと望まれ、意図的に作られた子供である。

 

 

 子が親に望まれ、彼はその意思を受け継いだ。

 

 

 自分こそがエンデヴァーを継ぎ、いつか超えるヒーローなのだと奮起する。

 

 彼の個性は、エンデヴァーが当初望んだ強力な炎の個性のデメリットを消す氷の個性を備えてはいなかった。

 

 しかしその炎の才能にエンデヴァーは才能を見出し、ヒーローとしての教育を施す。

 

 

 予想外だったのは少年の才能と、その熱意だった。

 

 

 彼の炎と意志は強すぎた。

 

 それはエンデヴァーをいつか凌ぐほどの火力であり、その力に自身の氷の個性を色濃く残す幼い体が付いていくことができず身を傷つける。

 

 その姿を見て、エンデヴァーはようやく己の過ちに気づくが、もう遅い。

 

 彼の意志は強く燃え、自身の憧れのプロヒーロー、エンデヴァーを目指す。

 

 自分を焼きながらも夢に突き進む息子にエンデヴァーは自身の考えが過ちであったことを伝えるが、全ては遅い。己を顧みない行動を止めるためエンデヴァーがいくら諭そうが少年は止まらない。

 

 個性の鍛錬を止めようが、少年は隠れて鍛錬を続ける。

 

 

 それでも少年を止めようとエンデヴァーがした行動は最悪の手段であった。

 

 少年の夢を諦めさせる為、エンデヴァーは新しく子供をつくろうとしたのだ。

 

 自身の夢を継ぐ、完全な個性を持つ子供を新たに作ることで子の夢を諦めさせる。

 

 

 馬鹿げた、本当に馬鹿な選択だ。

 

 出来るかも分からない極小の確率にかけた後ろ向きな最低最悪の行動。

 

 

 

 だが、彼らの元に当初の理想を超えた半冷半燃の“個性”をもつ男の子が生まれた。

 

 

 

 どうして男はそんなことで少年が夢を諦めると思ったのか、当然彼は夢を捨てはせず、むしろエンデヴァーに対し裏切られたと考え、一層無茶な訓練を己に課すこととなる。

 

 エンデヴァーは自身の行いを悔い、その行為の悍ましさから目を背けるため、仕事に逃げてその役目を家族に押し付けた。

 

 

 

「……マジムカつくなエンデヴァー」

 

 

 当然、様々な不運、各々の悪かった行動はある。

 

 あるのだが、どうしても私はエンデヴァーに対する怒りを抑えられない。

 

 

 今すぐ目の前の少年を抱きしめ、エンデヴァーを殴りに行って解決するならそれが一番良いのだが、そうはならない。

 

 彼はエンデヴァーに憧れている。

 

 いやその感情は妄信と言っていいほど、父親に執着している。

 

 彼に普通のヒーローとして接触しても、彼はエンデヴァー以外に何かを教わる気は一切ないため袖にされるだけ。肝心な当のエンデヴァーにどれだけ働きかけても本人は彼から目を背けているためなんの進展も見込めない。

 

 だからこそ、彼の心の氷を溶かして融和的な方策を取ろうにもそれはできない。

 

 

 つまり残された手段は極めて特殊な荒療治しか残されていないのだ。

 

 

 そしてそのカギを握る人物を私は連れてきている。

 

 

「……おい、僕はまだお前を認めたわけじゃないからな。デストロに言われて仕方がなくきてやったんだ」

 

 

 彼は異能解放軍、リ・デストロの子飼いの一人、外典。

 

 その個性は「氷操」氷を自在に操り、遠隔操作で近場の氷や水も操れる。

 

 ある意味、轟家の母である轟冷と近い個性を持つ少年。

 

 

 もちろんこれは偶然ではない。轟冷(とどろき れい)の旧姓は氷叢冷(ひむら れい)

 

 

 元々氷叢家は古くからの名家であり、戦後GHQにおける農地改革後も分家を増やすことで、財と面目を保っていたが、近代化の波には付いていけず、次第に富は散逸し、氷叢家は急速に零落し始めると、血が混ざるのを嫌い遠縁の分家同士での結婚が相次いだ。

 

 しかし閉塞した現状は変わらずに氷叢家の没落は止まらず、残っていた僅かな氏族も離散。

 

 外典少年はそんな氷叢の分家の一人であった。

 

 

 ……つまり轟家との遠縁にあたる人物なのである。

 

 

「お腹減っただろう、アンパンをあげよう……」

 

「モノで釣ろうなんて安く見られたもんだね」

 

 

 そうは言いつつ私の手から高級アンパンをひったくると、パンくずをまき散らしながらガツガツと頬張る外典少年。

 

 

「むぐっ、うま、なんだこれ……、普通のアンパンじゃない、ゴホッ……」

 

「牛乳もあるからたんとお上がり……」

 

 

 持ってきた牛乳を取り出すと、彼はそれを奪い取り、半分ほど一気に飲んでから、今度はチビチビとアンパンと一緒に飲み食いを始める。

 

 

「なんかお前ムカつく。……で、アイツが例の奴?」

 

 

 面白半分で目を細める少年は小川にいる彼の方に顔を向けるが、しばらくして鼻を鳴らした。

 

 

「いいとこのボンボンだね。甘ったれが顔に出てる」

 

「いや、そうかなぁ……。結構顔とか君と似てイケメンだと思うけど、氷叢の人って結構美形ぞろいなの?」

 

 

 外典くんは中性的な整った顔立ちを嫌そうに歪め私を見る。

 

 

「似てるなんて言うなよ気色わるい。……まぁ氷叢の血は濃いんだ。親戚同士で番ってお山の大将を気取ってたんだよ。まぁその本家が娘を金で身売りしてるんだからざまぁないね」

 

「そんな風な言い方は止めな……、いや、なんでもない。家族にもいろんな形があるさ、君とデストロみたいにね」

 

 

 多分アイツがそうなんだろと、顎でしゃくる彼に私は複雑な心境になった。

 

 私は疑いなく両親に愛されたという自覚がある。

 

 だからこそ焦凍くんや彼の家庭の実情を知った時、私は強い憤りを感じたがそれはある種、持てる者の傲慢なのかもしれない。

 

 この思考自体が驕りであるかもしれないが、それでもやるせない気持ちになる。

 

 

「……やめろよなそういう顔。恵まれた奴は心の余裕もあるみたいに見せつけてくるのはさ」

 

 

 スーツの高性能さが仇になっていたことに気づき顔に手を当てると、鼻を鳴らした少年はそのまま小川の方へと歩いていく。

 

 

「ほら、さっさとやるぞ」

 

 

 私は彼を追って清水流れる小川へと向かった。

 

 

 

 

 

「くそっ、だめだ……! こんな火力じゃ……!!」

 

「おい、こんな真冬の川の中で訓練とかバカじゃねぇの?」

 

「……なんだお前」

 

 

 早速喧嘩が始まる予感を感じた私はさっと二人の間に入る。

 

 

「はい、そこまで~、いったん落ち着いて~、外典君もケンカしに来たわけじゃないのは分かってるよね?」

 

「おい、僕が稽古つけにきた。感謝するんだな」

 

「はぁ?」

 

「ん~、言い方ぁ~!」

 

 

 私が困っているのを知ってか知らずか、いや、こちらにほくそ笑む顔を見ればあえてだろう、私は燈矢くんに説明を試みる。

 

 

「いやね、君のご家族からこっそり訓練の依頼をされててね」

 

「父さんが……!!」

 

「いや、お母さんの方だ」

 

 

 私がそう言うと彼の顔が急激に曇る。

 

 

「……ならいい。そもそも俺は父さん以外から教わる気はない」

 

「そうか、じゃあな」

 

「あっ、待ってくださいよ!」

 

 

 私は帰ろうとする外典くんを引き留めると燈矢くんに向き直る。

 

 

「実はこの子、君のお母さんの親戚。つまり君とも遠縁ってことになるんだよね」

 

 

 彼は外典君をジロジロと見る。

 

 

「個性は操氷、同じ方向性の個性因子を持つ彼から学ぶことは多いと思う。君にも同じ力が眠っているんだからね」

 

「……同じ?……俺の個性は父さんの炎だけだ。というかそもそもお前は誰だよ」

 

 

 彼は胡散臭い面でこちらを見るが、実際に胡散臭いので仕方がない。

 

 しかも、彼のお母さんの依頼というのも嘘なのだから、その疑念は全くもって正しいのである。

 

 

「ヒーローネーム“RTA”。手広くやっててね、小児個性のヒアリングやカウンセラーも細々とやってる。つまるところ君の指導者、……の補助役って感じかな」

 

「……知らねぇし、興味ねぇ」

 

「知らない? いいや、知るのは大事だ。自分が何をできるか知らない者が何かを積み上げることの困難さを君は知るべきだ」

 

 

 私は肩に担いだデトネラット社製の新型サーモグラフィーを向けると、彼は警戒したようにこちらへ構える。

 

 

「なんのつもり……」

 

「やはりそうだ」

 

「はぁ?」

 

 

 赤外線の反射による表面温度を測る従来型のサーモグラフィーではなく、その物体の深部が測れるこの共同開発の新型サーモグラフィーは、彼の体内の所々で温度が低くなっている部分を画面に映し出す。

 

 

「今、君の深部体温は重要臓器を避け、一部だけ35度程度の低値な部分がある。異常な所見だ」

 

「……なにを言ってる?」

 

「端的に言えば、君は体内の臓器を冷やす“冷却”の個性が発現し始めている」

 

「なっ!?」

 

 

 彼は驚きの目で、自分の体を見つめる。

 

 

「炎系の個性は多い、何故だかね。そういったエネルギーの放出の個性は個性の初期段階で人類に多く見られ、その個性は世代を経るごとにより強いものへと向かっているが……、それに伴い自身の力を超えた個性を持つ者も増えた……。あのエンデヴァーですらそうだ」

 

 

 私は動揺した彼の傍に忍びより、そっと耳打ちをした。

 

 

「君はそのデメリットを打ち消す個性を持てるかもしれない……、エンデヴァーすら超えるね……」

 

「とうさんを……、こえた……」

 

 

 彼は私のその言葉を反芻するが、ふと我にかえると弾かれたようにこちらから距離を離す。

 

 

「だから何だ。俺は父さん以外からの指導は……!」

 

「このまま我武者羅に火力を鍛えるのかい? 幾つもの個性を診てきた私が断言するよ。君の体の限界が先さ。コントロールできずに焼け死ぬのがオチだ」

 

「関係ない。俺は俺と父さんだけで、父さんを超える……!」

 

 

 硬く焼き締められた鋼の狂信。このおかげで、どのような介入を行おうと、彼はエンデヴァーと袂を分かってしまう。

 

 

「俺が失敗作じゃないことは分かった……。それだけは感謝してる……。だが、俺は俺のやり方でやる」

 

「じゃあ、具体的にどうする?」

 

「それは……」

 

「その答えを私は用意してるよ」

 

「はぁ……、別によくない? アホなヒーロー志望が一人焼け死ぬだけじゃん。なぁもう帰っていい?」

 

 

 私が彼を口説き落とすために用意した肝心なキーマンはどうでもよさそうにそう呟いた。

 

 

「そう! 彼こそ今の君に必要な氷の個性のスペシャリスト! 君と個性の因子の道を同じにする最高の指導者さ!! 実質身内だし! 彼も君みたいなもんだから無問題!!」

 

「コイツに教わるのは絶対に嫌だ」

 

「じゃあねRTA、それじゃあ僕は報酬貰って帰るから」

 

「あっ、おい待てい」

 

 

 止めようとする私を無視して外典くんはそのまま背を向け帰ろうとする。

 

 

「僕じゃなくても母親も同じ氷の個性なんだろ? ボンボンは僕じゃなくてママにでも聞けよ」

 

「はぁ? なんで俺があんな女に教えを乞わなきゃいけねぇんだよ」

 

「はっ、見事に反抗期じゃん。ダッセー、どうせちょっと昔はママにベッタリだったんだろボンボン君?」

 

「あ゛ぁ?」

 

「あぁ! お客様!!困ります!!あーっ!!」

 

 

 外典君の肌を焦がしかねない炎を立ち上らせる燈矢君。

 

 外典君はそれを見て冷たく燈矢君を見下すと足元の水面を凍らせてその動きを止めた。

 

 

「氷が炎に勝てる訳ねぇだろ、バカが」

 

 

 しかし、その氷結の拘束は彼を縛れない。彼の足元の氷を蒸気を発しながら沸騰させ、燃えるような怒気で睨みつける。

 

 

「俺の氷操はそんな生ぬるいモンじゃないんだよ」

 

 

 一方で空気すら止まる超低温。この川の中で氷を操れるとはどういうことか。彼は巨大な氷塊を背に控えさせ、冷たい視線を向けた。

 

 

「凍ったり燃えたりする! アツゥイ! アーツメタイ ああ逃れられない!!」

 

 

 そして当然その間に立つ私は足場を拘束され、その灼熱と氷結の地獄。

 

 その二つの板挟みとなっていた。

 

 

「気が変わった。やってやろうじゃねぇかコート野郎」

 

「あぁ、俺が特別に()()してやるよボンボン君」

 

 

 衝突する両者の間、そのぶつかり合いは20分以上……、30分以下だろうか……、あまりに激しい戦いで時間感覚もあやふやだが、とにかく私にとって長くに渡った。

 

 

「ぜぇ、ぜぇ……、しつこい野郎め……、いい加減燃え尽きろ……」

 

「お、お前こそ、いい加減さっさと氷漬けになれって……」

 

 

 川辺で倒れ込み、どこか青春の雰囲気を感じさせる二人はそのまま幸せなライバル関係を築いて終わ――

 

 

「ぶっ殺してやるよ!!」

 

「死にくさりやがれ!!」

 

「本気で怒らしちゃったねぇ! 私の事ねぇ! おじさんの事本気で怒らせちゃったねぇ!!」

 

 

 すかさず止めに行くと、全身がボロボロになった私を見て、彼らは若干引いた顔をして戦いを止める。

 

 

「君たちの所為でこんな風になってるんだよ? 自分から引いていくのか……」

 

 

 そんな怒りからにじみ出た困惑の声を出せば、流石の二人もやり過ぎたと思ったのか、バツの悪そうな表情を浮かべた。

 

 

「ゴホン……、燈矢君、戦ってる内に気づいたはずだ。君はあの戦いでいつも以上の火力を出したはずだ。彼の個性「操氷」にあてられ、体の中が冷たくなった感覚を感じなかったかい? それだ。それを鍛えろ。教わるのが嫌なら戦いの中で掴み取れ。エンデヴァーならそうする」

 

「……っち」

 

「外典君、君もだ。四ツ橋さんが理由もなくここに君を送り込んだわけじゃない。君の個性を鍛える上で、彼の熱の個性は君にとっての天敵だ。己の不利すら力でねじ伏せられる程個性を磨くチャンスだよ。彼の傍にいる君がその努力を厭うのかい」

 

「……お前があの人を語るな」

 

 

 二人の力を求める原点をくすぐり、断る逃げ道を潰す。

 

 まだ若い彼らにはこんな外道の誘導を跳ねのけられる力はない。

 

 

「じゃあ、今日は君達の根性叩き直してやっから、私が直々に個性を教える」

 

 

 無言で黙り込むが、否定もしない彼らを目の前に、私はようやく計画を再開した。

 

 

 

 

 

 

 

「これが……、訓練……?」

 

「なんだこれ……」

 

 

 小川のせせらぎのその脇に、私は大きめのテントを張った。

 

 その中にはヒーターが置かれ、中に置かれた焼かれた石が狭い部屋を熱している。

 

 ムッとした重い熱気が私達を包んだ。

 

 

「あーいいっすねぇ……!」

 

 

 立ち上る蒸気、体が温まり筋肉の緊張もそうであるが、ストレスや不安感が解消されると言われている。

 

 スーツ内にいる私は最新の熱交換器装置の特殊なチラー液を循環することで内部の温度を保っているため、実はサウナを楽しめていない。

 

 

「ただのサウナじゃねぇか!?」

 

「これ修行関係に必要ある?」

 

「いる」

 

 

 私が確信をもって力強く頷くが、二人はその疑念に満ちた目を向けてくるのを止めない。

 

 

「例えば燈矢君の氷の個性を引き出すには意図的に体に熱を……、つまりオーバーヒート状態を作りださなければいけない訳だけど、それは個性によるオーバーヒートで鍛えるには外側が耐えられない。つまりサウナだよ……!!」

 

 

 私が真面目な解説を行うと彼は黙り込む。そこで畳みかけるように私は力強く宣言した。

 

 

「だからサウナだったんだよ!」

 

「じゃあ別にお前ら必要ねぇじゃん! 邪魔だ出ていけ!」

 

「外典君は君の体がオーバーヒート状態になった時、直ぐに冷却するために必要だ。彼の氷の個性を受けながら、自分の氷の個性の因子を感じる……、そのためには君に同席するのが効率的だ」

 

「じゃあお前は……?」

 

「スゥーー」

 

 

 私は焼かれた石の上にハーブ水をかけると激しい蒸気が立ち上る。

 

 

「キモイ呼吸してないでなんか言えよ」

 

「ん゛ん゛~」

 

 

 私は全身で熱を感じながらタオルを顔に当てて瞑目する。

 

 

「おい!! おっさんみてぇな声出して唸るんじゃねぇ!」

 

 

 そしてサウナに入り、私が持参したサウナ時計の針が一周した時、つまり12分が経過した。

 

 

「……スゥーー」

 

 

 短く息を針の様に吸い込む燈矢君。

 

 冷たい空気を求め、自然と先ほどの私のような呼吸と同じになっていることに気づいているのだろうか。

 

 傍から見れば彼は滝のような汗を流している。

 

 初心者なら無理せず6分程度、慣れたら8~12分で回した方が良いとされるサウナで、これ以上の負荷は危険。だがこれこそが燈矢君に必要な試練である。

 

 

「どうだい? そろそろきつくなってきただろう。一回出るかい?」

 

「…………うっせ」

 

「あーあ、こんなの余裕でしょ? みっともないな、もう諦めちゃえば?」

 

「お前なんでそんなに元気があるんだ……」

 

「僕はむしろ寒がりだからね。確かに暑いけどまだまだ余裕なのさ」

 

 

 外典君がそもそも年中暑いコートを着ているのは彼の体が個性によって冷却されているからなのだろう。この長時間のサウナで汗はかいているが割と平気そうだ。

 

 

「ん゛ん゛~、サウナ、初めてだけど割と……、体がほぐれた気がするかも……」

 

 

 彼も先ほど私が発したような汚い伸び声を出してボーっとサウナ時計を眺め出した。

 

 

「もう限界?」

 

「うるせぇ……、こいつだけには負けてたまるか……」

 

「うわ、うざ、いちいち対抗心むき出しでしつこすぎだろ……」

 

 

「確かに人は勝負事にはつい熱くなっちゃうもの……、そう、静岡県の“SAUNAプロミネンス”もその一つだ」

 

「“SAUNAプロミネンス”?」

 

 

「なんだ急に……?」

 

 

 

「静岡県民のサウナー達が熱い戦いを繰り広げる優良サウナ店、“SAUNAプロミネンス”だ」

 

「どんなとこなの?」

 

「ここは実は公式でエンデヴァーとコラボしたところのあるお店でね、店の売りは日本で最高峰に熱いサウナでその温度は110度」

 

「へぇ……」

 

 

「なぜ急にサウナの解説を……?」

 

 

 

「とくに有名なのがこの店のサウナ常連客にしか参加できない15分耐久サウナ。安全のためにこの店で複数回サウナに入らないともらえないカードを提示して高温サウナに15分入ると牛乳が1本無料になるんだ」

 

「へー、面白そう」

 

 

「おい無視すんな」

 

 

「サウナ後にお勧めのサウナ飯は静岡名産のウナギ飯! 疲れた体に――」

 

「無視すんじゃねぇ!」

 

 

 こうして、私は長時間にわたって優良サウナ店の解説を続けることにより、燈矢君の限界を恣意的に超えさせた。

 

 

「という訳で、“SAUNAプロミネンス”は人々の闘争心を掻き立て、諦めない心とサウナの素晴らしさを教えてくれる施設なわけだね」

 

「なるほど、“SAUNAプロミネンス”のように、そこで瀕死になっているボンボンのように惨めでも足掻かないといけない訳なんだな」

 

「そういうことだね」

 

「………………」

 

 

 すでに限界を超えた燈矢君をサウナから引きずり出す。

 

 そして小川を小石で仕切り、そこで外典君の操氷で氷を浮かべた即席の水風呂につけこむ。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ!!!!」

 

「そこだ燈矢君! 己の内に秘めた氷の個性を掴むんだ!」

 

「うるせぇ!!」

 

「あぁ、そんなに暴れると“はごろも”がなくなってさらに冷えるが……、自身を追い込むとは流石燈矢君だな!」

 

「はごろもって何?」

 

「水風呂で出来る体の表面の温かい水の薄い膜だよ、じっとしてると水風呂でも冷たくないように感じるだろう?」

 

「あっ、ほんとだ」

 

 

 やたらめったら暴れる燈矢君の横で外典君はしっかりと水風呂を堪能したようだ。

 

 それを見た燈矢君は疲れ切った顔で小川から上がると、置かれていた椅子の上に倒れ込むように座ってしまう。

 

 

「なにが特訓だ……。こんなのやって何が変わるんだ……。もうやんねぇぞこんな苦行……」

 

「いや、君がやってたあの効率悪い火力訓練程じゃないから」

 

「うるせぇ……」

 

 

 彼は焦点の定まっていない目で中空を見つめていた。

 

 しばらく、ボーっと椅子の上に死んだように体を放りだしている。

 

 しかし、その時彼の体に変化が訪れた。

 

 

「ん……? あれ?」

 

「……どうだい?」

 

 

 笑みを浮かべながら、私も彼が座るサウナ御用達のリクライニング機能付きインフィニティチェア。その横に置かれた郷愁を感じる安っぽいプラ椅子に座る。

 

 

「あれっ、なんだこれ……、あれ……、なんか……、ヤバイかも……」

 

「何? 暑さで頭でもやられた?」

 

「あっ、これっ……、あ゛ぁ゛~~~」

 

「えっ、な、なんだよ、お、おい! マジでなんか変だぞコイツ」

 

「きちまったようだな……、サウナの向こう側(トトノウルトラ)へ……」

 

「なんだよそれ……」

 

「初めてのサウナ……、それもたった一回目でたどり着くとはやはり天才……。外典君、彼は今サウナで“整った”んだよ」

 

「整った……?」

 

「いわゆるサウナハイ……、サウナと水風呂と外気浴を繰り返した後に休憩することで、身体の奥底から温められ、深いリフレッシュ感を得る……。サウナ最奥の境地……」

 

「僕は別にそんなの感じないんだけど……」

 

「個人差が大きいものだ。普通は今の工程を何回か繰り返してたどり着けるんだ」

 

 

 気持ちよさそうに寝転がる燈矢君をみて、外典君は少し悔しそうな顔をしてサウナをチラリと見る。

 

 

「止めておくんだ外典君、整うためにサウナに入ってはいけない……。サウナの為にサウナに入るんだ。気持ちよく、リラックスするために……。さっきまで君はそれが出来てた。焦るんじゃない……!」

 

「そ、そういうもんなの?」

 

 

「あっ!!」

 

 

 そんな話をしていると横にいる燈矢くんが突然声を出す。

 

 

「な、なんだよ……?」

 

「い、今、分かったかもしれない……。なんか俺の氷の個性のところ……。何となくだけど、少し……、今確かに掴んだ……!」

 

「うそだろ!?」

 

 

 私はしたり顔で頷く。

 

 

「も、もう一度……!!」

 

 

 彼は椅子から立ち上がり、サウナに駆け込もうとし――

 

 

「あっ……」

 

 

 そして膝から崩れ落ちそうになったその瞬間、私は彼を支える。

 

 

「限界だ。初めての長時間サウナによる疑似的なオーバーヒート、その過酷なトレーニングに君の体は追いついていない」

 

「で、でも!」

 

「聞いていなかったのかい? 整うためにサウナに入ってはいけない……。欲した時にそれは手にはいらない。ただ静かに心を落ち着け、自分と向き合うんだ。整いたければまず自分の心を整えろ……」

 

 

 私の言葉に反論しようとする燈矢くんだったが、今サウナに入っても彼の求めてるモノが手に入ることはないと、一度そこにたどり着けた彼だからこそ気づいているのだろう。

 

 

 私は彼を起こし、その目の前に手を差し出す。

 

 

「燈矢君、君今春休みだろ? 今日から7日間、朝5時起きでみっちり二人に訓練をしてもらう。基礎的な体力訓練に合わせて、二人で状況を設定しての実践的な戦闘訓練、……そしてサウナ、どうだい? 私の訓練はうけつけないかい?」

 

「まぁ、僕は個性を鍛えるのなら文句はないけど」

 

「………………それでも俺は、父さん以外から……」

 

 

 ここまでしても、やはり彼はその手を伸ばさない。わかり切った結末だ。

 

 

「いいじゃん来なくても、そしたら僕だけ強くなって、ひとり勝ちだ」

 

 

 その時、横合いから外典君が、意地の悪そうな笑みを浮かべながらひょっこり顔を出す。

 

 そんな彼の憎まれ口に忍び笑いをしながら再度彼の目を見る。

 

 

「言い換えよう、燈矢くん、私の連れてきた外典君と勝負してくれないかい? 君が逃げるなら私は構わないが?」

 

 

 しばらくして、私の手が激しく叩かれる。

 

 

「やってやるよ……。お前らも逃げんじゃねぇぞ」

 

 

 爛爛と目を輝かせる彼は威嚇するように歯をむき出しにしながら笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。エンデヴァー! これでこのヤマも終わり! いやー今日はようやく家に帰れそうですね!」

 

「あぁ……」

 

 

プロヒーロー「エンデヴァー」、その名を轟炎司(とどろき えんじ)はサイドキックの言葉に対し、曖昧に頷いた。

 

 

「最近は例の事件の所為で特にヴィラン共が活発で休む暇もありませんでしたからね。この書類を片付けたら、久しぶりに帰ってゆっくり寝れそうです」

 

「……いい、後の始末は俺に任せて帰れ。体調管理もウチの事務所のサイドキックとしての務めだ」

 

「えっ……、いやいや何言ってるんですか? あなたを支えるのがサイドキックの役割ですよ! エンデヴァーが倒れたらそれこそこの事務所は立ちいかない。むしろ今日こそは家に帰ってください!!」

 

「いや、俺は……、おい、誰か、仕事が残ってる奴は……」

 

 

 あたりを見回すが、誰もが定時で終われると手を振るばかり。

 

 彼自身が選んだ有能なサイドキック達がそう言うのだ。

 

 エンデヴァーは彼らの言うことが曲げられない事実だと分かった。

 

 

「エンデヴァーこそ、ここ1週間は家にも帰ってませんよね? たまには帰らないと! お子さんも生まれたばっかりでしょう? 顔みせないと忘れられちゃいますよ」

 

 

 その一言に何も言えずに彼は久しぶりに家に帰ることとなる。

 

 ここ最近、エンデヴァーの仕事は順調だった。

 

 仕事に没頭し、際限なく湧くヴィランの対応を行い、町の平和を守り続ける。

 

 何かを考えることなどできない程の忙しさ、それに全身全霊でぶつかるエンデヴァーにサイドキック達も奮った。

 

 先日はついにあのオールマイトを抜き、事件解決数史上最多を更新するなどの活躍も目覚ましい。

 

 だというのに今、定時をむかえ、車で帰宅の途につく彼の表情は職場での生気に満ち溢れた顔ではなく、どこか強張った顔をしていた。

 

 

「家か……」

 

 

 何ということもない、ただ彼は怯えているのだ。

 

 子供の、妻の、燈矢の、自分に向けられるあの視線。

 

 どのような恐ろしい敵と相まみえようと揺るがないヒーローが、家族と向き合うことに怯えている。

 

 だからこそ彼は仕事に逃げた。

 

 不都合なことを考える余裕すらない現場で常に働く、都合のいいことにそれだけの忙しさをこの仕事はもたらしてくれる。

 

 彼にとって心落ち着けられるはずの家は断罪の場であり、息苦しさを覚える場所でしかなかった。

 

 

「……いま帰った」

 

 

 帰った。帰ってきてしまった。

 

 我が家の玄関を開けるのにこのようなことを考える自分のおかしさに内心自嘲しながら家に上がる。

 

 

「おかえりなさい、あなた。今日は帰ってこれたのね……」

 

 

 平坦に聞こえるその言葉。

 

 妻がどのような表情でその言葉を言っているのか、彼は見れない。なんで帰ってきたという嫌味? それとも早く自分が燈矢を何とかしろという詰問か。

 

 

「その、ひさしぶりだから……、疲れてるでしょう?」

 

「あっ、あぁ、そうだな……」

 

 

 普通はそうだ。そう考える。

 

 久しぶりに早く帰ってきた自分への労い、そう考えるのが一番自然だ。 

 

 自分はそんなことも分からないのかと、彼は情けなく思いながら、妻の勧めで風呂に入り、居間へと向かう。

 

 そこには家族がいる。 

 

 遅く帰る彼は本当に久しぶりに我が子と夕飯を囲むことになった。

 

 

「あっ、お父さんだ。お帰り」

 

 

 反応したのは長女の冬美だけ。夏雄はテレビを見ているが、どこぞの政治家の醜聞など子供が興味を持つはずもなく、自分と顔を合わせたのが気まずいという表情がありありと見えた。

 

 

「ほら夏も!」

 

「……うん、お帰り……」

 

「あぁ……」

 

 

 そんな家族としては不自然な会話をしていると料理と共に妻と、その後ろにトコトコとついてきた焦凍が居間へ来る。

 

 焦凍はこちらの顔を見た後、妻の陰へ隠れた。

 

 顔を忘れられちゃいますよというサイドキック達の言葉が彼の頭をよぎってしまう。

 

 

「いただきます」

 

 

 箸の進む音と食器が鳴る音。

 

 エンデヴァーは食事時はテレビは見ない家で育った。

 

 食事に集中しろとは厳格な父親の言であり、彼自身も食事中にテレビを点けるなど行儀が悪いと思っていたが、いまその気持ちは揺らいでいる。

 

 家族の会話は一切ない、ただ食事だけが行われる空間。そんなものよりはマシではないだろうかとエンデヴァーは思ってしまう。

 

 

「その……」

 

 

 我慢できずに口を開く。おそらく自分がいなければマシだっただろう食卓に対する責任か。

 

 一気に集中する家族の目線、それを見て彼は固まる。

 

 その後に続く言葉も思い浮かばない彼は彷徨わせるように家族を見た後、現状から逃れようとただ浮かんだ疑問を言った。

 

 

「燈矢は?」

 

 

 彼は自身の愚かしさに舌を噛みたくなった。

 

 

「まだ帰ってきてない……」

 

 

 夏雄の窺うような返事。

 

 

 帰ってきてない。じゃあどこにいる?

 

 それをエンデヴァーは知っている。

 

 知っていて自分は何もしていない。

 

 

 妻がこちらを見ている。

 

 どうにかしろと、いや、助けてくれとこちらを見ているに違いない……。

 

 助けてくれ? いや、そもそもこれは助ける以前の話だ。

 

 何を自分はまるで関係ないような、他人事のようにとらえてるというのだ……?

 

 

 彼はそんな幾つもの逡巡を重ねて口を開く。

 

 

「そうか」

 

 

 そう言って、椀で自分の顔を隠す。

 

 あまりの情けなさに家族の顔が見れないが、それがより情けないことだと彼には分かっていた。

 

 分かってはいるのだ。

 

 ゆっくりと米を食べ、椀を下げた時、皆の目はこちらに向けておらず、各々の食事に集中している。

 

 ホッとしてしまっている自分がいた。

 

 結局、そんな風に食べていれば味も分からず、一番に食事を終えると逃げるように自室に戻った。

 

 夫婦の寝室、体は疲れ切っている。

 

 床につけば直ぐに眠れるほど、体の芯は疲れているはずであった。

 

 

 だが寝付けない。不自然なほどに落ち着かない。自分の家だというのに、この家に自分がいることの違和感を強く感じてしまう。

 

 

 いっそこのまま本でも読んで時間を潰そうかと考えていた時、寝室が開けられる気配を感じる。

 

 それが妻だと気づくとエンデヴァーはそのまま布団をかぶり寝入ったふりをした。

 

 ガキか俺は。

 

 そんな風に考えながら、目を瞑ると、足音はこちらの前で静かに止まる。

 

 そしてしばらくした後、何かを諦めたかのように妻も寝床に入った。

 

 

 寝息も立てないほどの静寂、耳が痛くなるほどの無音に、彼も身を石の様に固めた。

 

 

 どれほどの時間が立ったのだろうか。

 

 その静寂を破り、妻が寝返りを打つ音が聞こえる。

 

 寝てくれたのか……?

 

 そんな考えがよぎる彼は誰にもバレぬよう小さく息を吐いた。

 

 

「……結局、まだただいまとは言ってくれないんですね」

 

 

 エンデヴァーの心臓が跳ねる。

 

 ここまで驚いたことはないという程に、激しい運動と同等か、それ以上に鼓動が跳ねた。

 

 

「あなた、そんなに静かに寝てたことないもの」

 

 

 狸寝入りなど既にバレていた。

 

 最初から全てがお見通しだったと知った彼は、心臓が押し上げる喉の所為で声をつっかえさせながら言い訳をする。

 

 

「ね……、ようと思ったが……、寝付けなくてな……、今日は仕事で呼び出されるかもしれないんだ……」

 

 

 きっとおそらく、その言い訳すら妻は見通しているのだろう。ただそれでも妻はそうですかの一言で床に戻る。

 

 まだ暴れている心臓を押さえつけながら、エンデヴァーは体を動かし天井を見る。

 

 妻の方を見ることはできなかった。

 

 

 そしてそのまま、長い時間が経ち、妻が静かな寝息を立てていることを確認した後、彼はようやく寝入り、妻が起きるより早く床から抜け出すと仕事の支度をする。

 

 

 顔を洗うために洗面所へ向かうと思わぬ顔と出会った。

 

 

「父さん……」

 

 

 思わぬ顔ではない。自分の子でしかもここは自分たちの家だ。

 

 だがそれでも、エンデヴァーは不意にその顔を見た時、咄嗟にあいさつの一つも出なかった。

 

 

「燈矢……、どこに行くつもりだ……、学校か?」

 

 

 

 自分より早く起きていたのだろうか、動きやすい服装に着替え、リュックを担いでいる彼がこれから学校に行くとは思えない。

 

 

「そんなのも知らないの父さん。今、俺は春休みだよ。……いや、興味ないのか」

 

 

 その言葉で、エンデヴァーの追及は止まった。

 

 

「……待っててね父さん。今に、俺の実力、見せてあげるから……」

 

「ま……」

 

 

 待てとエンデヴァーが言い切る前に、燈矢は彼の横を過ぎて玄関に向かって出ていく。

 

 

 何もできない彼は自分もこの家から出るために身支度を済ませた。

 

 

 

 

 

 

 

「おー、今日もこのままなら定時コースじゃないですか?」

 

「呼び出しもある。敵は寝静まった夜に活発になるんだからな」

 

「分かってますよ」

 

 

 おかしい。こんなことは滅多にない。滅多にないが起きているのだから彼は認めるしかない。

 

 あれだけ活発に蠢いていたヴィランがめっきり大人しい。仕事がないわけではないが自分たちのキャパシティー内に収まっている。

 

 

「それにしても先を越されましたね、張ってた凶悪犯のヤマ。それに近くで発生していた連続盗難事件の犯人も……」

 

 

 エンデヴァーは名も知らない若手ヒーロー達に理不尽だと自覚しながらも忌々しさを覚えた。

 

 

「敵が捕まるのは良いことですけど、やっぱり悔しいっすね。……なになに、配信ヒーロー「ジェントル」に断罪ヒーロー「スタンダール」……。へぇ……、最近名をあげてる若手ヒーローだ。確かこの二人……、なんでも最近、自分の金で目を付けたヒーローの事務所立ち上げを支援してる変わったヒーローがいるらしくて……」

 

 

 エンデヴァーはサイドキックの話を聞き流しながら眉間を揉んだ。

 

 

 

 彼は今日も無事に終わった仕事に後ろ髪を引かれながら、自宅へと帰る。

 

 

 

「……ただいま」

 

 

 今日は罪滅ぼしの様にそう唱えた彼は家族と食卓を囲む。

 

 昨日とは違い、居間には燈矢がいた。

 

 冬美と夏雄が燈矢にじゃれついている所で、ちょうど居間に入る。

 

 

「燈矢にい、なんかさっぱりしてるけどもう風呂入った? まだお父さんが一番に入ったばっかなのに?」

 

「ん?あぁ、そういう訳じゃないんだ」

 

「ほんとだ、何か肌も心なしか綺麗……。わたしなんて最近ニキビ出来ちゃったのに……」

 

「冬美はそんなに気にしないでも良いんじゃないか? たまには運動して汗かくと良いらしいぞ」

 

「……ねぇちゃん最近ちょっと太ったんじゃないか?」

 

「えっ、ち、ちがうよね燈矢兄? わたしそんなに太ってないでしょ!?」

 

 

 和やかな家族の時間、そんな様子をエンデヴァーは心のどこかで安心したように眺め、その隅を通って座ろうとするが。

 

 

「父さんお帰り」

 

「……あぁただいま」

 

 

 続けて冬美と夏雄も自分へ自然に挨拶する。

 

 

「めずらしいね、今日帰り早いじゃん」

 

「今日は仕事が早く……、というより平和な日だったんだ」

 

「そっか、それはなによりだね」

 

 

 エンデヴァーは燈矢を恐れている。

 

 だというのにこの家の話の中心にいるのは燈矢だ。

 

 エンデヴァーに対して恐れず一歩も引かないで会話に巻き込むのは、今のこの家庭ではエンデヴァーが恐れる彼だけというのが皮肉だ。

 

 

「おかわり持ってくる」

 

「燈矢にいそれ何杯目?」

 

「3杯目だ」

 

「いいわ、座ってなさい燈矢、お母さんが盛ってくるから……」

 

「いいよ別に……」

 

 

 そんな燈矢ではあるが、子供たち全員が母を慕う中、燈矢だけは反抗期なのか母親に対してはつらく当たる時がある。

 

 それで冬美と喧嘩する時があるのをエンデヴァーは見た時があった。

 

 エンデヴァーは思い返せばなぜ自分でなく冬美が妻を庇うのかと頭を押さえた。

 

 

「そう……」

 

「……そんなにいうなら、じゃあ、大盛……」

 

「え……」

 

 

 燈矢はぶっきらぼうな表情をしながら椀を突き出す。

 

「いちおう……、世話になってるし」

 

「この子ったらもう……、世話って……、家族じゃないの」

 

「そういうことじゃなくて……」

 

 

 

 反抗期真っ盛りの燈矢の珍しい態度に、冬美が“おっ”とした顔を浮かべる。

 

 

 

「じゃあ燈矢にぃと一緒に俺も!」

 

「夏雄も? 順番に……」

 

「おかあさん! 私手伝う!! 夏の盛るよ」

 

 

 バタバタと動き出す家族たちを眺めていたエンデヴァーは自分を見る燈矢に気づく。

 

 

「父さん、……今日じゃなくて、もう少し先……、休みの終わりぐらいなんだけどさ……、山の稽古場にきてくれない?」

 

 

 自分に急に話しかけてくる燈矢にエンデヴァーは、その言葉の意味を考え表情を歪める。

 

 

「最近……、ようやく掴んできたんだ。俺の個性……、その核心。きっと今の俺なら……」

 

「まだそんなことを言っているのか燈矢!!!!」

 

 

 その先を恐れたエンデヴァーは思わず俯いたまま、叫ぶ。

 

 

 驚いたように振り向く妻と冬美、怯えた様子の夏雄と、今まで黙っていたが不安そうな顔を浮かべる焦凍。

 

 そんな中で目の前の燈矢だけはエンデヴァーを見つめていた。

 

 

「……なんでだよ、なんで見てくんないんだよ父さん。……なんで目を逸らすんだ」

 

 

 エンデヴァーはその時でさえ顔をあげていなかった。

 

 しばらくして、目の前で燈矢が立ち上がりその場から去る。

 

 

 ようやく顔をあげた時、他の家族はこちらを遠巻きに眺めていることに気づく。

 

 彼は何も言えずにそのまま夕食をかき込むと居間を出た。

 

 

 何故だ。どうしてだ。

 

 さっきまではあれ程平和だった。

 

 団欒そのものだった。

 

 家族の平穏があそこにはあったはずだ。

 

 これではまるで……、

 

 

「俺がこの家族にとっての(ヴィラン)みたいだな……」

 

 

 一人ごちたその言葉は笑えるほどストンと彼の胸に落ちて、涙は出ないが心が渇く。

 

 明日は、明日こそはきっと忙しいはずだ……。

 

 そんなヒーローとしては最低な、不純な願望をいだき、彼は床に就いた。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし次の日の仕事も何の波乱もなく時間が経つ。

 

 

 

 

 

「意外なところで事件が解決しましたね」

 

 

 この街に麻薬密売組織が現れたという情報、一刻も早く入念な捜査を行う必要があった。

 

 警察の情報提供を受け、いざ、動き始めようとしたその時に届いた一本の電話。

 

 

「まさか敵組織のリーダーが違法駐車を注意しようとした非番のヒーローを捜査官と勘違いして個性で反撃、たまたま通りがかったウチのサイドキックが捕まえるとは……」

 

 

 怒りをぶつける先がない円満解決、エンデヴァーの出る幕はなかった。

 

 

「またオレ何かやっちゃいました? 」

 

 

 その居合わせたヒーローが何故か自分のところのサイドキックと共に事務所に来たのだが、この男がとにかくエンデヴァーの癪に障った。

 

 

「いやね、明らかな路駐を見かけたんで、非番と言えどヒーローとして注意しておこうかとおもったら、綺麗なお姉さんでね、いや、あんな人が密売組織のトップだっていうんだからびっくりしましたよ」

 

 

 おしゃべりなカナリアと見間違うほどの多弁さとその軽薄さ。

 

 

「美人だったんで路駐切符は切らないでおいて、適当に世間話をした後 “気づいてた? 俺ヒーローなんだぜ”って決め顔でナンパしたら、ぶっ飛ばされて気絶しちゃったんですよ。エンデヴァーさんとこのサイドキックに助けてもらったんでマジ助かりました!」

 

「そんな偶然ある?」

 

「あったじゃないですか」

 

 

 ヘラヘラと笑うそのヒーローは無駄に小奇麗な菓子詰め合わせだけは一丁前に持参していた。

 

 

「エンデヴァーさんの事務所とか一度行ってみたかったんだよね! ナンバー2ヒーローの所なんて、こんなことでもないとこれないですからねぇ!」

 

 

 親し気に話してくる若造に、エンデヴァーの怒りはさらに溜まっていく。

 

 

「お、おい、新人、それくらいに……」

 

「たくさん持って来たんで、家族のお土産に持って行くと良いですよ。一人一箱はあるんでどうぞ。エンデヴァーさん怖い顔してるんで子供に距離とか取られちゃうでしょう? ぜひ持って帰ってくださいね!」

 

 

 エンデヴァーは、あまりの怒りに、一瞬だけ頭が空白になる。

 

 しかしその隙に素早く片手をあげて消えゆく新人は既にそこはいない。

 

 

「個性“多動(ハイパー アクティビティ)”……、口先も手足も嵐のような男でしたね。なんでもその好奇心旺盛さで会社もおったてているみたいでして」

 

「きいとらん……! あんな奴の会社なぞまともなものか……!!」

 

「いえ、でも調べたんですけど、大企業ですよ……。なんで今まで俺、知らなかったんだろうってくらい……。うちに卸してる事務用品とか、俺が最近気に入ってるヒーロー道具のメンテナンス用品とか……、その親会社がアイツの会社です」

 

「穀潰しの三代目か……!」

 

「いえ一代目らしいですよ。あっ箱の裏に広告のチラシが割引付きで……! 目ざとい!」

 

「全部捨てろ!!」

 

 

 

 こうして、無事に定時帰宅するエンデヴァー。その夜は3日に1度はあるはずの緊急の呼び出し一つもなかった。

 

 

 こちらの事務所の人数を把握されているかのように、裏方の分まできっちり一箱ずつ渡された菓子折りを仕方がなく家族に渡すエンデヴァー。

 

 

 それを見て興奮気味に箱を開いた夏雄は目を輝かせていた。

 

 

「すっげぇ! これYotubeでやってて売り切れてるビックリ個性菓子だ! ビックリキャンディー!入ってる! 早くコーラに入れようぜ冬ねぇ! メントスもいれよう! ありがとう父さん!」

 

 

 それが、昨日の詫びに貢献したことに内心納得がいかないエンデヴァーは少し苛立った。

 

 

「なんだ一体その駄菓子は……」

 

「えーとね、入れた飲み物全てを吸収して、吸収したペットボトルの飲み物と同じ味になる飴なんだって。仕組みはよくわからないけどなぜかメントスと混ぜた液体にいれると炭酸系の味になって美味しいって、どこかのユーチューバーが見つけてたの」

 

「安全なのかそれは……?」

 

「わかんないけど、いろんな飲み物の会社が自分の飲み物にこのお菓子を入れてPRするのが流行ってるみたい」

 

 

 小さな画面をのぞき込むと、シルクハットを被った男がメントスを入れたコーラに動揺し、ヤケクソ気味に小さなキャンディーを投げ込む動画が映っている。

 

 

「この人ヒーローなんだって。この動画のおかげでスゴイ有名になってる。今子供に大人気だよ」

 

「わからん……」

 

 

 地道に事件を解決するより、ジュースに駄菓子を入れるヒーローの方が子供の人気を集めている事実に彼は唸った。

 

 

 4日目と5日目、今日こそはと向かう事務所。

 

 しかし世は並べてこともなし。鳥はさえずり、春の気配に虫たちはゆったりと草を食む。

 

 余りの平穏にエンデヴァーは愕然とする。

 

 

「明日は久々の休日! エンデヴァーは家族サービスですか? いや、ほんと何もなければいいですけどね」

 

 

 定時で帰り際に言われた一言に、本当に幾日ぶりの休日だということに気づく。

 

 悪人は休まない、となればヒーローも休みはしない。泣く子も黙るエンデヴァー事務所はサイドキックに関しては数でカバーしているものの、その長であるエンデヴァーにとっては休日など形だけ割り振られたまやかし、それが彼の目の前に突然降ってきた。

 

 

 休日だろうと関係なく、事件が発生したら現場に急行してきた。家庭のことの一切を妻の冷に任せてきた男がエンデヴァーである。

 

 突然の家族サービスと言っても、一切思い付きなどしないし、それを子供たちが喜ぶとも思えない。

 

 彼の頭ではせいぜい高い出前でも頼んで大黒柱を気取るくらいしか思いつかなかった。

 

 

 せめて心を落ち着けようとするエンデヴァーは帰り際に、人の疎らな小さな喫茶店に寄る。

 

 これは逃げてるわけではないと自分に言い訳をしながら席に座るエンデヴァー。

 

 エンデヴァーの好物である葛餅があり、ついこの間に菓子類に喜んだ子供たちに葛餅をお土産にするために寄っただけである。

 

 そう心で唱え続けながら、エスプレッソと葛餅という、一見合わないように見えながらも彼個人としては気に入ってる組み合わせを頼み席に着く。

 

 この店は夫婦で営んでおり、主人は元和菓子職人で、コーヒーは奥さんが淹れている。

 

 もちろん彼が聞いたわけではない。他の客と話しているのが聞こえただけであった。

 

 それもたった今聞いたのだ。

 

 仲睦まじそうにする夫婦と話す初めて見た客がそう言ったのを、たった今、馴染みの客である自分が初めて知った。

 

 なぜかそのことにやるせなさを覚えたエンデヴァーは注文した品を待つ。客入りの少ない店は直ぐに商品を持ってきたのか足音が近づいてくるのが分かる。

 

 

「オッス、お願いしまーす」

 

 

 しかし、顔をあげたそこにはつい先日、彼の堪忍袋をちぎり取った人物がいた。

 

 

「貴様は……」

 

「ヒーローネームRTA、覚えなくていいですよ。名前なんて飾りみたいなもんですから」

 

 

 珍妙な名前、すぐさま忘れることを意識したエンデヴァーはその時点で、逆にその名が刻まれたことに苛立った。

 

 

「なんでお前が……」

 

「あれ、事務所で菓子折り持って行った時、菓子類の製造してる会社も持ってるって言いませんでしたか? だからここのマスターと仕事がらみで話してたんですよ」

 

「知らん……! というよりなぜ俺のところに来る」

 

「いえね? 向こうで私がエンデヴァーさんを見かけたんで話しかけようとしたんですけど、向こうのマスターさんが“エンデヴァーさんはいっつも疲れた顔で来るからそっとしてあげてください”って言ったんです」

 

「なるほど……、いや待て、お前いったい何を聞いてたんだ?」

 

 

 自分が認知されていたことに驚いたエンデヴァーだったが、目の前の無礼者にその感情は直ぐに吹き飛ぶ。

 

 

「だったら、我が社の新製品で疲れをふっ飛ばしてあげようかと!」

 

「だったら俺の為にどこぞへと行け」

 

「えー、我が社のお菓子、かなり評判がいいんですよ? 子供たちにも人気だったでしょう?」

 

 

 菓子のおかげで多少は家族との関係が回復したことは事実だが、それは菓子のおかげでこの目の前の男とは関係ないと睨む。

 

 

「俺は和菓子派だ。あんな落ち着かん菓子は好かん」

 

「ウチは和菓子も扱ってますよ。私もおばあちゃんっ子でよく食べてましたから。マスター! 例の新商品お願いします」

 

 

 奥から申し訳なさそうに顔を出すマスターにエンデヴァーの方がいたたまれない気持ちになり、会釈をする。

 

 

「……これは? 私の頼んだ葛餅じゃないか。まぁいい、別に貴様の出したものなど食わん。俺はこれを食って帰るぞ」

 

 

 プルプルの葛餅に黒蜜を弾くほどのたっぷりのきな粉がかかった逸品

 

 苛立ったエンデヴァーはせっかくのその丁寧な作りの菓子を一口で食べようと乱暴に突き刺し口へと運ぼうとする。

 

 

「それです。ウチの新商品、きな粉が一切飛ばない葛餅」

 

「なに!?」

 

 

 その一言で目の前の葛餅をエンデヴァーは凝視した。

 

 

「信じられん……」

 

「舞い散る葛餅のきな粉と戦い続けた我が社はとうとう打ち勝ったんですよ……、このNEO葛餅を作り出すことによってね……!」

 

「し、しかしそれは葛餅と呼べるのか……?」

 

「そこなんですよね! それがネックでして!一応、開発を依頼したこの喫茶店にだけ今日から出してもらってるとこなんです。ここのお客さん勤め人が中心でスーツの人とかが多いですから」

 

 

 それは何か葛餅にとって、とてつもないアイデンティティーの崩壊ではないだろうか?

 

 そのように考えかけるエンデヴァーだが、一拍おいて相手のペースに乗せられた自分に気づき、かぶりを振る。

 

 

「すごいのは分かった。だが、貴様となれ合うつもりはない。……その菓子はお土産に持って帰ってはやるが……」

 

「お子さんのお土産ですか?」

 

「お前には関係ない」

 

「子供ならいっそきな粉が吹き飛びまくる普通の葛餅の方が喜ぶと思います。失敗作ですけど従来の10倍きな粉が散るのもありますよ? 奥さんがキレると思いますけど」

 

「いらんわ! そんなのでうちの子が喜ぶか!」

 

 

 そう言いながら、粉が飛び散らない葛餅を買おうとするエンデヴァーを男はつまらなそうに見た。

 

 

「えー、それ買っちゃうんですか?」

 

「自分で売り込んだんだろ。汚れないのも気に入った。その点だけは褒めてやる」

 

「はぁ、子供心が分かってませんね。お子さんとコミュニケーションとかとれてます?」

 

 

 その言葉に一瞬だけ、エンデヴァーの体の動きが止まる。

 

 業腹ではあるが、まるで子供の様に振舞うこの男を見ると、その言葉には一家言ある様に思えてしまったのだ。

 

 

「……俺は大人だ。子供心など分からん」

 

「子供が好きなモノなんて簡単ですよ。だってあなたも子供だったでしょう? なんでみんな分かんないのかなぁ……」

 

「そんなもの、大人になればみんななくなる」

 

 

 その言葉に、目の前の男は初めて感情に不機嫌さが乗る。

 

 

「違います。都合よく忘れただけだ。幸い私は記憶力がいい方なんで全部覚えてますけどね」

 

「ふん……、それをガキと言うんだ」

 

 

 目の前の男はその言葉にさらに怒りを滲ませた。

 

 

「忘れてもいいんです。でもその気持ちを無かったことにするのはいただけませんね」

 

「何を意味の分からないことを……」

 

 

 この男が何をそんなに怒っているのかは分からない、しかし一方的にこちらをおちょくってきた目の前の男の指摘を受け入れるようなこともエンデヴァーはしなかった。

 

 

「子供らしさが死んだとき、その死体を大人と呼ぶ……、なんて、そこまで皮肉るつもりはありませんがね。あなた子供を見ようとしてないですよね?」

 

「なに?」

 

「別に幼稚な私をバカにしたのなんてどうでもいい。知っているのに分からないと遠ざける幼稚な大人心が気に入らないんですよ」

 

「話にならんな。お前は一体何の話をしてる?」

 

 

 エンデヴァーとこの男の初対面はつい先日である。

 

 しかしこの男はまるで昔から自分を知っているかのような恨みを見せてることを、エンデヴァーは疑問に思った。

 

 

「貴方はなんで葛餅が好きなんですか?」

 

「は? なんだ急に」

 

 

 目の前の男は黙り込む、まるで突拍子のない質問であるのに、迷子の我が子を探す親の様に真剣な眼差しをこちらに向けてきている。

 

 

「ただ食べて美味かっただけだ。好物なんてそんなものだろう」

 

「初めて食べた時は? 分からないなら一番古い記憶でいいですよ」

 

「粉が飛び散ると親が不機嫌そうに見てくるから隠れて部屋で食べてたが……、って何故貴様にそんなことを教えないといかんのだ」

 

「じゃあその気持ちを忘れないことです」

 

「意味の分からないことを……、俺はもう行く」

 

 

 もう付き合い切れないと、エンデヴァーはエスプレッソを一息に飲み、席を立つ。マスターに頼んだお土産のお菓子を手に取ると店を出る。

 

 

 エスプレッソを一息に飲めば流石に口内は苦く痺れてしまう。

 

 

 

 

 彼はまるで早く家に帰れと責め立てるような男の目を背に家へ帰った。

 

 

 

 

 ……家に帰ると夕飯時に燈矢の姿は見えない。彼が叱責してからずっとである。

 

 静かな夕飯時、明日は休めそうだと妻に言うと珍しいと驚かれた。

 

 驚く程かと思いながら彼は夕飯に戻ろうとするが、子供たちも同じような目を向けてくるのだから、自分がいかに休日という日々と向き合わなかったのか思い出す。

 

 渡しておいた葛餅は夕食後に妻が取り分けて出した。

 

 

 ……何時すり替えていたのか、中身は粉の飛ぶ普通の葛餅だった。

 

 

 子供たちは初めは不思議そうに突くが意を決してかぶり付くと、当然の様に粉が飛ぶ、まだ小さい焦凍に至っては口から飛んで頬まできな粉を飛ばしている。

 

 まぁ当然こんな風になるだろうと予感していたエンデヴァーは特段怒ることもせずに、その丸いほっぺに頬紅の様についたきな粉をしげしげと見つめて、そんな様が存外愛らしくみえてしまう。

 

 

 そんな風に子供らを見つめていると焦凍は落ち着きなく、大きな目でこちらをチラチラと見てくる。

 

 何事かと思いそれを見ていると一言。

 

 

「ご、ごめんなさい」

 

「……別に構わんぞ」

 

「わるかったって父さん、でもこれ零れるんだもん、そんなに不機嫌にならなくても……」

 

「いや俺は……」

 

 

 ふと、彼は懐かしさを覚えた。

 

 何か心をくすぐるような感覚、しかし彼はそれを握りつぶす。

 

 きっと、自分のようなのがいると落ち着かないだろう。そう思い立ち上がると居間を出た。

 

 

「俺は部屋に戻るから、焦らずゆっくり食べなさい」

 

 

 

 エンデヴァーが寝室に入った時、妻が不安そうに声をかけてくる。

 

 

「ねぇあなた、燈矢のことなんだけど……」

 

 

 忙しい自分に変わり、アイツのことは、家を任せているお前に頼んだはずだ。

 

 そんないつも使っている最低な言い訳を使おうにも、実際自分は今めずらしく時間を持て余し、明日は休みである。

 

 重い腰をあげてエンデヴァーは妻の方へほんの少しだけ体を向ける。

 

 

「……どうした冷」

 

「その、あの子の特訓のことなんだけど……」

 

 

 エンデヴァーの心が凍る。

 

 この話題で夫婦の話し合いが生産的に終わったためしはない。責任を押し付け逃げる自分と不安を嘆く妻。結局は何の解決策もだせないまま話し合いは終わる。

 

 そんな予感を感じていた彼の耳に入った言葉は予想外のものだった。

 

 

「その、あの子、誰かから特訓を教わってるらしいの」

 

「なに?」

 

 

 驚きは二つ、見ず知らずの人間と燈矢が会っている事、さらにその自分ではない誰かの指導を燈矢が素直に受けている事である。

 

 

「今日、不意に燈矢から言われたの。“ありがとう、母さんの知り合いのおかげで強くなってる”って……、その時は何のことか分からず困惑しているうちにどこかへ行っちゃったけど。おかしいでしょ。だって私そんな人たち知らないわ」

 

「知り合い……? 誰のことだ」

 

「分らないけど二人はいるみたい……。燈矢が言うには親戚だって……」

 

 

 エンデヴァーは内心で舌打ちをする。

 

 

 まず一番に思い浮かぶのは氷叢家だ。

 

 

 彼が娶った妻、冷は氷叢家への多額の金銭により婚姻が認められた。

 

 自身の所業を棚に上げる様ではあるが、そんな娘を売るような真似を率先して行う氷叢家に彼は良い印象を持っていなかった。

 

 よって、たった一度の支援、自身の財の8割の金で話を付けた。

 

 一度きりの支援と言うが、妻の実家は援助の後何年か経つと時節の挨拶がかかれた文と共に季節の折りの品や中元を急に送ってくるようになる。

 

 何かにつけてエンデヴァーの活躍を褒めると同時に、ワザとらしく自身の家の先行きの細さなどをしたためた文が送られてきていた。

 

 

「たぶん、ただ浅ましいだけなら直接こっちに挨拶にでも来るんでしょうけど、こちらから顔を出せと考えてる。きっとあの人たちのプライドが許さないんでしょうね」

 

 

 そんな悲しそうな顔をする妻の言葉を聞き、最低限の返礼品のみにとどめ、冷の実家とは距離を置いてきた轟家ではあったが、しばらく経ってとうとう妻の実家から文の便りも来なくなった。

 

 遠い噂でとうとう金に困り、土地も売ったと聞いたが、彼は妻にはそのことを伝えてはいない。

 

 

「だがなぜ燈矢を……」

 

 

 直接自分の所に来れば断り一つで斬って捨てると考えたが、それこそが向こうの思惑なのではと彼は考える。

 

 なにせこの情報で二人は酷く揺さぶられている。

 

 何を思っての行為なのか、その計画の全容は全く分からない。だが燈矢を利用し、その不安につけこんで金銭を揺するつもりならどうすればいいか。

 

 

「どうしましょうあなた……」

 

 

 唐突に渡される選択権。

 

 どうにかしなければならない。これはこの一家の長である自分が動くべきことであると彼は考えた。

 

 

「……分かった。俺が明日話す」

 

「けど、あの子、多分だけどその人たちと特訓してから少し元気が出てきて……」

 

「それも聞く。まずはアイツの話を聞いて、止めさせる」

 

「そう……、そうよね」

 

 

 曖昧に頷く妻を心配させまいと彼は少ない言葉を駆使して、ようやく落ち着いた妻を見てから床に就いた。

 

 

 次の日、彼は夜明けと同時に起き、燈矢を待つ。

 

 

「あっ、父さん……」

 

「燈矢、朝食の後に話があるから座りなさい」

 

「……わかった。俺も父さんに話したいことがあるんだ」

 

 

 反発はなく、彼は素直にエンデヴァーの前に腰を下ろす。

 

 宣言のまま黙々と朝食を食べる息子を前に、むしろ緊張しているのは彼の方だった。

 

 燈矢のしたい話とは何か、彼の脳で行われる様々な想定はどれもあやふやであるが、この子が言い出したらそれを曲げないだろうという予感だけが彼にはあった。

 

 

 朝食を食べ終わった両者は向かいあう。

 

 

「いいよ父さん、話って何?」

 

 

 話の切り出し方を考えあぐねていた彼に向かって真っすぐ見据える燈矢。

 

 そんな情けなさを隠すため、彼は至極厳格な声色で話をはじめる。

 

 

「燈矢、お前が個性の訓練をまだ続けていることは知っている。……そして母さんからはお前が誰かから特訓の稽古をつけてもらってることも聞いた」

 

「……うん、そうだよ。俺は特訓を続けてヒーローを目指してる。それなのに父さんじゃない誰かから学ぼうとしてる。で、でも! それは父さんが教えてくれないからとかいう当てつけじゃなくて……」

 

 

 エンデヴァーは燈矢の言葉の頭半分で真っ白になる。

 

 

「聞きなさい燈矢! 訓練は止めろ!!」

 

「待ってよ父さん!」

 

 

 なぜ自分のようなヒーローを目指す。

 

 こんなにも若い我が子が、その目の前の広がった景色の中で自分を傷つけてまで、ヒーローをめざす?

 

 自分はただ、お前が健やかに、幸せになって欲しいだけだというのに何故それが分からないのか?

 

 そんな考えをエンデヴァーは腹の怒りをぶつける。

 

 

「もう一度言う。特訓をやめてくれ燈矢、そしてそいつらとの縁を切れ。そいつらはきっとお前に余計なことを吹き込むだけだ」

 

 

 すれ違う親子の言葉。

 

 だが、先に折れた大人は燈矢だった。

 

 

「……分かった。もうアイツらとは付き合わない。約束する」

 

「燈矢……! 分かっ――」

 

 

 エンデヴァーは安心した顔をしようとした。

 

 

「でも訓練は続ける」

 

「燈矢!! まだおまえは――」

 

 

 しかしその言葉にまだ自分の言葉が届いていないと彼は声を荒げようとするが、それは彼以上の感情の高ぶりに支配された燈矢に阻まれる。

 

 

「俺は、父さんみたいなヒーローになりたいんだ! どうしてわかってくれないんだよ!」

 

 

 張り裂けそうな心をそのまま破裂させたかのような絶叫。

 

 

「 可笑しいかよ! 俺は失敗作か!? だから俺を見てくんないのか!! なぁ!? 見てくれよ! 俺を見てくれよ!!」

 

 

 ただ一つの願いを乗せて叫ぶ目の前の血を分けた息子に、エンデヴァーは押し負けた。

 

 

「俺はヒーローだろうがなかろうが、息子としてお前のことをちゃんと見て……」

 

「じゃあなんで目を逸らすんだよ!!!!」

 

 

 いつの間に顔だけ向け、その目が泳いでいたエンデヴァーは、燈矢を見ようとする。

 

 だが見れない。

 

 息子ではない、自分の罪を、弱さを、醜悪さを。

 

 その結果を認める強さが自分にはないのだとどうしようもなく心が理解していることにエンデヴァーは気づく。

 

 

 しばらくの沈黙、終ぞ燈矢を見ることのできなかった彼に対し少年は幽鬼の様にふらふらと玄関に向かった。

 

 

「どこへ――」

 

「あいつらに言ってくる。もう俺と関わるなって。それでとりあえずは現状維持……。よかったねエンデヴァー、またいつもの生活に戻れるよ……」

 

 

 その背中を追いかけようとするが、彼の足は動かない。

 

 

 いや本当にそうか?

 

 内心ではホッとしてるんじゃないか?

 

 現状維持、その通りだ。

 

 誰もがボロボロで、最低限家族の形を保っていたという形が歪なアレだった。

 

 

 自分がただ家にいるのが多少多いだけでこのざまだ。

 

 ならば燈矢の言う通り現状維持、自分はただヒーローとして仕事に明け暮れていれば良かったのだ。

 

 そんな風に自分をあざ笑ってもむなしいだけで、次第に白くなる景色を前に、彼はただ項垂れることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 そして、この日の夜、燈矢は帰ってこなかった。

 

 

 

 

 

「あなた……! 燈矢は……!! も、もしかしてなにかあったんじゃ……」

 

 

 空が赤く焼けた時、帰ってこない燈矢に苛立った彼だが、外が暗くなり、夕飯時になっても帰ってこない息子に対して次第に不安の心が大きくなる。

 

 

「燈矢にいは? まだ帰ってないの?」

 

「……大丈夫だ。お前達は先に寝ていなさい」

 

「で、でも……」

 

「ほら夏、今日は私が一緒に寝てあげるから……、焦凍も」

 

 

 そんな時、彼がいつも持ち歩いている緊急連絡用の電話に連絡が入った。

 

 それは敵が現れた時に彼の元に連絡がくる様にされていた専用の携帯電話である。

 

 何度目かのコールの後、彼はそれに手をかけようとし……、傍にいる妻に信じられないような目を向けられていることに気づいて止まってしまう。

 

 

「あなた……、まさかいくつもり……?」

 

「いや、俺は……」

 

 

 非常時のため、大音量で設定されたコール音が家に響く。

 

 何故よりにもよってこんな時に鳴るのか。

 

 ……しかし、行くにしても行かないにしても報告は必須だ。

 

 そう判断したエンデヴァーは妻の視線を振り切り、電話に出る。

 

 

 

 結果として、この電話によりエンデヴァーが家族かヒーローかという二択を突き付けられることはなかった。

 

 

 

 

「なんだ、すまないが今どうしても……」

 

<やぁ、エンデヴァーさん、君の愛息が帰ってなくて不安だろうと思ったから、電話を一本入れに来たよ>

 

 

 結果は最悪のモノ。

 

 彼の顔から血の気が引いた。

 

 

<家族も心配してるでしょう? みんなに聞かせてやらなきゃ……、よっと、あーあー聞こえるかい?>

 

 

 がさついた音が拡散する。

 

 突然端末の音声の設定が変わりハンズフリーとなり、その間抜けな合成音が響く。

 

 

「お宅の息子の燈矢君を預かっている者なんですけどね、彼ちょっとウチの子とヤンチャしてね、本当に申し訳ないんだけどさ、迎えに来てくれない?」

 

「あぁ……! そんな……!!」

 

 

 その声を聴いた冷はその白い肌からでもわかる程に顔を青ざめてみせる。

 

 

「……何が望みだ。金か?」

 

 

 端末を握り潰さないよう、エンデヴァーは至極努めて端末を掴む。

 

 

<金? いやいや、そんないきなり困るよ。迎えに来て欲しい、ただそれだけ、本当にそれだけさ>

 

 

 相手がかけてきたこの端末は、個性による工作を防ぐため、最新技術をもって作られた高級品。彼の事務所とこの電話を繋ぐ事実上の糸電話のようなものである。

 

 直接この電話になにかを仕掛けるか、それとも、それらの想定を超える個性を使わなければ、この現状はあり得ない。

 

 

 彼は大きく深呼吸をする。

 

 これは誘拐事件だ。

 

 初動を間違えるなと彼は自分に言い聞かせる。

 

 

 まずは最悪を想定しろ。

 

 むしろこの場合一番都合のいいものは身代金目的の誘拐。被害者の身の安全が高い。

 

 そして最悪なのはこれが自分を狙った襲撃の一環だという可能性。こちらを無力化することが目的であり、このケースの場合、過去の誘拐被害者の多くは――

 

 

<歯が鳴ってるが震えてるのかいエンデヴァー? 春先とはいえまだ冬の終わりみたいなもんだ。あったかくした方が良い>

 

「燈矢は……、息子は無事か? まず声をきかせろ。話はそれからだ……」

 

 

 声はまだ震えていないのが奇跡なほど、彼は最悪の想定に恐怖した。

 

 

 

<あぁ! もちろん! ほら燈矢くんお父さんから電話だよ>

 

 

<父さん! 来ちゃダ――>

 

 

 何かが引っ張られる音と殴打の音、しばらく何か争うような物音がした後に静かになる。

 

 

「燈矢!? 貴様ぁッ!」

 

「あぁ!! やめてください!! 燈矢を返して……!」

 

<すみません、ウチの子とまたケンカしちゃって……、後で謝ります。私も彼を帰したいんですが私も多忙でね……、本当にお手数ですが迎えに来ていただいても?>

 

 

 電話越しの声は慇懃無礼に振舞う。

 

 

「貴様……今どこにいる? そこに燈矢はいるんだろうな?」

 

<言いませんでしたか? 私は燈矢君と一緒にいますよ。知ってるでしょう? 彼がどこにいるかなんてことは>

 

「瀬古杜岳か……」

 

<えぇ、そうです。待ってますよエンデヴァー>

 

「……分かった」

 

 

 その場所をエンデヴァーは知っていた。

 

 場所を聞き出したエンデヴァーはすぐさま応援を求めるため、私用で使う端末に触れる。

 

 

<仕事熱心ですねエンデヴァー、まさかこの後、仲間と仕事の話でも?>

 

「……なんのことだ?」

 

<わかりませんか?>

 

 

 相手の一言にボタンを押し込もうとした指が止まり、彼は居間の外へ目を向けるがそこには何も見えない。

 

 彼は慎重に言葉を選んだ。

 

 

「……そんな気はなかった。だが俺が留守にした時の家が心配でな」

 

<まさかそんなちょっとした外出で会社の()()()()()()()()()()()()()? >

 

 

 電話先の人物はどこからか自分を監視している。

 

 それが個性による遠隔的なものなのか、それともこの家の周りに潜ませているのかは分からない。

 

 絶望的な状態に彼はただ喉を鳴らす。

 

 

<すぐ済みますよ。あなたが迎えに来てくれればいいんです。私の望みはそれだけです>

 

 

 そんな言葉が信じられるわけがない。

 

 だが、選択をしようとしまいと彼に選択肢などなかった。

 

 

<では待ってますよエンデヴァー>

 

 

 切られた通話、電話口からなる冷たい電子音。

 

 

「あ、あなた! 燈矢! 燈矢が……!」

 

「落ち着け冷……!」

 

「できるわけがッ……!!」

 

「それでもだ!!」

 

 

 取り乱す妻の肩を強くつかみ、エンデヴァーはその目を見る。

 

 

「お前は家を守れ。家に鍵をかけて回って奥の書斎に隠れろ。何かあったり、俺が30分で帰らなければすぐ助けを呼べ」

 

 

 家を守れ。

 

 今まで逃げるために何度も繰り返してきた言葉を、エンデヴァーは伝えるしかない。

 

 それでも、今回は逃避ではなく、真正面からエンデヴァーは妻に頭を下げる。

 

 

「頼む……、今はお前しか頼れない……。絶対……、絶対燈矢は連れ戻す……!! だからお前は冬美、夏雄、焦凍を守ってくれ……!」

 

 

 その言葉が通じたのか、次第に落ち着きを取り戻していく妻は、覚悟を決めたように彼の目を見た。

 

 

「分かったわあなた。燈矢のこと、お願いします」

 

 

 二人は直ぐに動き出す。

 

 

 冷が家に鍵をかけ、子供たちを連れて隠れる間、彼は直ぐに最低限のサポートアイテムを身に着け、家の周りに不審なものが無いかを確認しすぐさま、瀬古杜岳へ飛ぶ。

 

 

 炎の個性を用いた爆炎による移動はこの街燈の少ない郊外の夜空の中を煌々と輝きながら飛んだ。

 

 あれだけ遠ざけていた山道を一瞬で駆けた彼は5分もかからずに目的地へとたどり着いた。

 

 

「燈矢ッ!! 来たぞ!! 俺だ!!!!」

 

 

 瀬古杜岳の特訓場、そこには二人の人影がいた。

 

 一人は見慣れない少年……、しかしその顔立ちは身に覚えがあった。

 

 

「なんだ。来ようと思えばすぐにこれたんじゃん」

 

 

 涼し気な顔を見せる少年はこちらを見下すように立っている。

 

 

「意外と早く来たな~、エンジン全開じゃん」

 

 

 そしてもう一人にも見覚えがある。

 

 

「貴様……、RTAだな……? そうか、そういうことでいいんだな……?」

 

 

 憤怒の炎と化したエンデヴァーは地面を融解させながらその場に降り立った。

 

 

「すっげぇ怒ってる……。はっきりわかんだね。君が燈矢君に乱暴するからだよ? 謝罪してくれよな~、頼むよ~」

 

 

 どおりで周りをうろちょろしているかと思えば、自分の端末か事務所のものか細工をしたのはあの時なのだろうと考えるエンデヴァー。

 

 だが、そんなことは今どうでもいい。今の彼にとって大事なのは一つだけだ。

 

 

「燈矢はどこだ……!」

 

「おまえここ初めてか? 力抜けよ」

 

「二度は言わん……、燈矢はどこだ……!」

 

 

 

 まるで昼間のような明るさ、それも灼熱の夏場など優に超える光量にその場が照らされる。

 

 

「ここだよ、父さん」

 

「燈矢! 今助ける!! 安心しろ!!」

 

 

 目の前の二人の背後、その遠くに縄で縛られ座らされている燈矢が見える。

 

 

「だからいったじゃないか。ほらほら、早く連れて帰ってくれよなー、頼むよ」

 

 

 目の前の二人組の目的はさっぱり見えない、だがそんなことを考える前に、彼は燈矢に向かって走り出す。

 

 

「父さん……、俺は……」

 

「おっと、ちょっと待った」

 

 

 直ぐに手を伸ばそうとするエンデヴァー、しかしその二人のあいだに壁になる様に少年は立った。

 

 

「ククク……、泣かせるじゃん。アイツ、マザコンじゃなくてファザコンだったのかよ。男でそれはキツいだろ」

 

「おまえは、やはり氷叢の……」

 

「あぁ僕? やめてよね、そのクソみたいな名前出すの。もう関係ない家さ。僕はただあんなクソガキの親がどんな顔してるか見たかっただけ」

 

「何……?」

 

 

 少年はこちらの顔を見ると、暗い笑い顔を浮かべながら言葉を吐き捨てる。

 

 

「いや、家畜みたいに同じ血で増えたあいつらといい勝負してるよエンデヴァー。サラブレッドの失敗作は馬肉に挽くか、愛玩用か? はっすごいな、ヒーローはそんなことしても許されるんだね」

 

「……燈矢は俺の息子だ。そこを退け。今なら火傷一つで許してやる」

 

「許す……? なんで僕がお前なんかに許されないといけないんだ? お前みたいな人でなしに?」

 

「貴様には関係のないことだ。邪魔するなら……」

 

「あぁそう、お前らみたいな大人はいっつもそうだよね。いつだって弱い奴を身勝手に自分の都合で振り回す」

 

「家族の形はそれぞれだからしょうがないね。子供の緊急事態に駆けつけるエンデヴァーは親の鑑、本当は息子の事が好きだったんだよ!」

 

 

 

 はっきり言えば、エンデヴァーにとって今この状況で、目の前の二人を消し炭にするのは容易い。

 

 どんな目的でこんなバカげたことをしでかしたのか知らないが、何もしないならそれでいい。

 

 そう考えたエンデヴァーは言葉が通じる様子ではない少年から目を外し、燈矢の方へ向かおうとする。

 

 しかし、少年はエンデヴァーの行く手を遮るように歩くと立ち止まる。

 

 

「邪魔すれば容赦はしない」

 

 

 エンデヴァーは目の前の障害を睨み、炎を纏わせて腕を振り上げ睨みつけるが、少年は一切引かずに逆にエンデヴァーを静かな怒りを湛えた視線で返す。

 

 

「お前みたいな奴の本性を知ってるよ。こいつが追い込まれて子を思う親だって? 違うね。人間の本性は追い込まれた時なんかじゃない。自分が何をしても許されると分かった時……、弱者に接する時に出るのが人間の本性さ」

 

 

 彼の息子程の年嵩の少年から言われたその言葉に、エンデヴァーは振りかぶろうとした手が一瞬緩む。

 

 

「僕は弱者を無視する。お前がキライだエンデヴァー」

 

 

 突然巨大な氷塊が足元から生まれ、エンデヴァーを飲み込んだ。

 

 その周りから生えた幾つもの氷柱がエンデヴァーごと氷を轢きつぶす。

 

 

「あーもうめちゃくちゃだよ……」

 

 

 常人など容易に死に至らしめるその一撃に男はため息をつきながらそう呟いた。

 

 

「氷の個性の天敵に勝つのが俺の特訓なんだろ?」

 

「相手はナンバー2ヒーローなんですがそれは……。大体の生き物は火属性が弱点ってそれ一番言われてるから……」

 

 

 男は少年の首根っこを掴むとその場から瞬時に掻き消える。

 

 そしてその場に炎の柱が通り過ぎた。

 

 男は離れた場所にいる燈矢も抱え込むと、その重量の負荷を感じさせない速度で山の上の木々を伝って逃げてゆく。

 

 

 

「燈矢を放せッ! 逃げるな!!」

 

「はっ、逃げ続けているのはお前のクセに何言ってんだコイツ?」

 

 

 地面に取り残されたエンデヴァーの四方から物理法則を無視し、氷の津波が押し寄せた。

 

 それを全く気にせずエンデヴァーは男たちの身を睨む。

 

 

 

「……一体貴様らの目的は何だ。なぜ燈矢を狙う」

 

「コイツがアイツをボコボコにすれば報酬をやるって言ってた」

 

「ちょっと……、ちょっとズレてるかな……」

 

「やはり金か」

 

「べつに? 今はその顔をぶん殴りたくなっただけだね」

 

 

 エンデヴァーへと押し寄せる氷の波濤。

 

 エンデヴァーは歯を食いしばり叫ぶ。エンデヴァーを中心とした爆発に氷の波の一切は蒸発し、その爆風に吹き飛ばされる。

 

 

「すっげぇハリケーン……!」

 

「もっと早く動けポンコツ!」

 

「貴様らのような(ヴィラン)の言葉など聞くに値しない。邪魔立てするなら先に静かにさせてやる」

 

 

 少年は悪あがきの様に残った水をかき集め、浮かべた雹を吹雪の様に相手にぶつける。

 

 常人ならおろし金にかけられたようにバラバラになるはずの攻撃は、エンデヴァーの身には一切届かない。

 

 速度だけはエンデヴァーを上回る相手は氷の礫でこちらの妨害を行い、上へ上へと逃げた。

 

 

「ハハッ、ほんと笑わせる。いいぜもう逃げない」

 

 

 

 だがその鬼ごっこも終わりのようだ。

 

 体力が切れたのか、とうとう立ち止まった男たちはエンデヴァーのはるか上でこちらを見下ろしている。

 

 

 

「だけどな、僕達を倒して、それでどうする?」

 

 

 エンデヴァーはそれに答えない。

 

 

「お前はどうせまたコイツ……、燈矢から逃げるんだろ? だったら僕がさらって何が悪い?」

 

 

 それでも無言でいるエンデヴァーに、少年は叫んだ。

 

 

「どうせ見ないなら居ないと一緒だろうがよッ!!」

 

 

 

 

 

 腕を山肌に突き立てる。

 

 正確にはそこから湧き出す清水。

 

 春を迎え、溶け始めてたこの瀬古杜岳の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「なっ」

 

 

 轟く雪嶺

 

 初めてエンデヴァーの顔に焦りが浮かぶ。

 

 

 

「親なら息子の顔ぐらいまともに見てやれよ馬鹿ヤロウ……!!」

 

 

 

 その桁外れの個性を使用したのか、彼は口から洩れる空気に霜が降りるほど冷たい息を吐くと、意識を混濁させたまま中空をぼんやりとみている。

 

 

「ありがとう、外典君」

 

 

 男はそう言って少年の首筋に手を当てて温めている。

 

 

「貴様らは……」

 

 

 その前にはすべての障害を燃やし尽くし、両の足で立つエンデヴァーがいた。

 

 

 赤熱する大地すら溶かし貫き目の前に立つヒーローの質問に答えず、男は自身の後ろを指さす。

 

 

「轟炎司、私の言葉は変わらない。彼はずっと待っている。早く迎えに行きなさい」

 

 

 此の期に及んでは、エンデヴァーは彼らが悪意を持って息子を誘拐した訳ではないと気づいていた。

 

 なぜこんな紛らわしいことをしたのかは、分らない。

 

 だが、こんなことまでされなければ、ここには来なかったのも確かであった。

 

 

 

 燈矢はただ静かに佇み、エンデヴァーを見る。

 

 もう逃げられない。

 

 

 

「父さん、俺の話を聞いてくれ」

 

 

 

 エンデヴァーの目が揺れる。

 

 息子の目を見て話すなんて、そんな簡単なことができない。

 

 あれほどまでに力に満ちていた姿は萎び、水と泥にまみれた中年がただそこに立っている。

 

 

 

「俺を見て欲しい……。俺も言葉が足らなかったかもしれないけどさ……」

 

 

 息子の真っすぐな言葉を受け取りながら、それでさえ彼の目線は上がらない。

 

 これほどまで歩み寄り、差し伸べる手を自分は掴めない。

 

 

「俺を見るたびに辛そうだったり、怖がるんじゃなくて……、ただ見て欲しいって思ってた」

 

 

 その一言に彼は我慢できず、膝を屈する。

 

 

「違う……、違うんだ燈矢。俺はお前と向き合うことが……、お、おれは俺の所為で狂わしたお前を……、俺の罪を……! 弱さを見ることができないんだ……!! ゆ、許してくれ燈矢、俺を! 愚かな俺を……!!」

 

 

 

 

 それでも、エンデヴァーは彼を見ることができない自分の弱さに勝てなかった。

 

 

 

 

 

「やっぱりできないよな。俺さ、最近自分がすげぇ頑固だって気づいてさ、……父さんにそっくりだ」

 

 

 そんなエンデヴァーに燈矢は微笑みかける。

 

 

「エンデヴァー、俺と勝負してください」

 

 

 燈矢を縛る縄が焼け落ち。

 

 その身に蒼炎を纏わせる。

 

 吹き荒ぶ蒼い炎の嵐、その炎はエンデヴァーの咄嗟に出した獄炎を突き抜けて、彼の身を焦がした。

 

 この日本で最も強い炎を身に宿す、エンデヴァーのその身を焼いたのだ。

 

 焔に押され山下へと落ちるエンデヴァーを追いかける燈矢。

 

 

「多分、父さんが俺を見てないように、俺も父さんを見てはいなかった。だから……、全力でやろうよエンデヴァー」

 

 

 

 今、轟家史上最大の親子喧嘩が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おれおれおれおれ、うるせぇよ、あいつらオレオかよ」

 

「持ってるけど食べる? オレオ、エンデヴァーと燈矢君の炎で温めたココアもあるよ」

 

「ココアくれ」

 

 

 体を起こした少年は、温かいココアをすすりながら、カメラを構える男を訝し気にみる。

 

 

「さっきから何やってんの」

 

「家族アルバムを厚くしてやってるんだよ。いまエンデヴァーの奥さんにさっきの会話から全部流してる。じゃないと私達、ただの(ヴィラン)だよ」

 

「別に僕はヒーロー共にどう思われようといいけどね」

 

「四ツ橋さんが悲しむよ」

 

 

 嫌そうな顔をしながらココアにオレオを浸して齧る少年は、山の上から見える光景を見て、さらに顔をしかめた。

 

 

「気持ちは分かるけどねぇ……。いや本当に気持ちはすごい分かるというか、わたしが一番知っているまであるから。あの二人、マジで限界までぶつかり合わない限り理解しあえない石頭なんだって。……だから、その、あの……、はい……、多分これが一番マシだと思います」

 

「この光景で……?」

 

 

 

 瀬古杜岳山は彼らの目の前で抉り取られていた。

 

 眼下にはドロドロに溶けた大穴が広がり、地獄のような様相を呈している。

 

 

 

 その中心に倒れ込む二人、そこへ必死に地面を冷やしながら駆け寄る女性の姿が見えた。

 

 

 

「あっ殴った。ざまぁないなエンデヴァー、おっそのまま燈矢にもいくか……? っていかないのかよ……」

 

 

 女性に抱きしめられる二人を見て、少年はつまらなそうな、それでいて少し羨ましそうな表情を浮かべる。

 

 ふと少年がこちらを見ている男に気づくと顔をあげてそっぽを向いた。

 

 

「別に羨ましかないよ。……僕にはあの人がいる。ただ生まれたから結びついてる家族とは訳が違う。選んで並び立とうとしてるんだ」

 

「分かってるよ」

 

 

 少年は汚れを払うと立ち上がる。

 

 

「僕、もう帰るよ」

 

「そう、ちょっと連れまわして家が恋しくなっちゃったかな」

 

「そんなんじゃないからな」

 

「はいはい、じゃあ四ツ橋さんによろしくね」

 

「クソ……、だからそんなんじゃないってば……」

 

 

 

 その場を後にする少年。

 

 

 

 残った男は最後に皆で抱き合う家族を映した後に映像を切った。




Q.なぜエンデヴァーおじさんの作品だけこんなに長いんですか?
A. なんか濃い(作品)のがでるから
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