個性『RTA』があまりに無慈悲すぎるヒーローアカデミア 作:ばばばばば
「なぁ嬢ちゃん?
薄暗い部屋で、男は卑屈な笑みで少女に問いかけた。
「わたし知ってるよ! お母さんがこのまえパン屋さんで買ってきてくれたの。かたくてながいやつ」
「そいつはたぶんフランスパンだな。さすが最近のガキはシャレたもん食ってんだなぁ……」
「うそだ~、おじさんもほんとはパン大好きなんでしょ」
「あ?」
「だってその茶色い袋、パン屋さんの袋と一緒だもん!」
部屋に連れ込み、自身のことをまだ信じ切っている幼子に紙袋を頭に被った分倍河原仁は子供の想像力を鼻で笑う。
「くく……、コイツはちげぇよ。そこらにあったパチンコの景品用紙袋……、まぁそれはいい。まぁなんだ、さっきも言ったが、しばらく嬢ちゃんはおうちに帰れなくなった。お父さんとお母さんに頼まれたんだ。静かにできるか?」
「そうなの? お家にでんわもできない?」
「あぁそうだ……。いや待て、家の番号知ってるのか?」
「うん! でんわ番号も知ってるよ!!」
「お前子供だろ、本当に知ってるのか? あやしいなぁ?」
「うそじゃないもん! しってるもん!!」
両親に頼まれたのに彼らの電話番号も知らないという自分を疑いもせず、脅迫のための連絡先を書きだす子供を見て、分倍河原は無性に心がささくれ立つ。
彼はどっかりとソファーに腰を据え、つい1時間ほど前からのことを思い出した。
彼の人生はとにかく運がなかった。
中学生で、両親はヴィランが起こした犯罪に巻き込まれ死んだ。
親戚もなく一人で生きるしかなかった彼は、ある会社で住み込みで働く様になった。
安い賃金に、過酷な労働。しかし彼のような学もなく家もない少年に選ぶ権利なんてものはなかった。
己の身一つ、まともに生きられるギリギリの生活を送る彼。
ある日彼はそのきわから落下する。
ある日、突然走行中に横合いから飛び出してきた相手を轢いて骨折させてしまった。轢いたのは彼だが、明らかな過失はない事故である。
しかし、飛び出して怪我をさせた相手は勤め先の取引相手の役員の親族。彼は会社から追い出され職と住処を失う。
彼に自分を支える家族や仲間がいれば、あるいは若い自分の身を立てる教養があれば、せめてどちらか一つを持っていれば、彼はなんとかまともに生きることができただろう。
だが、運を持たぬ彼は落ちぶれ、犯罪者に落ちた。
彼の個性は「二倍」。
一つのものを二つに増やすシンプルな個性。
初めはただ孤独に耐え切れず、話し相手の為に自分をもう一人増やした。
自分と同一の感性をもつ分身はよく彼の話を聞き、互いの身の不幸を嘆き、そしてその嘆きが醸造され社会への恨みへと変わるのに時間はかからなかった。
自他共に無意識下すら同一存在の組織だった犯罪。
彼の個性は、余りにも犯罪に向いていた。
というよりも本気で使えば社会を動かせるほどの潜在能力を秘めていたという方が正しいだろう。
決して裏切らない己のみで構成された集団を瞬時に作り出せる埒外の能力。
犯罪において最も難しいことは信頼に足る共犯者を用意すること。それをリスクなしで無尽蔵に生み出せる彼の犯罪は猛威を振るった。
彼は自分を見捨てた社会に反抗し、数々の強盗や窃盗事件をおこした。
やがてある程度の犯罪のノウハウを得た彼は気づく。そもそも自分は安全な場所で指示するだけで金を手に入れることができるのだ。
この犯罪すら生み出した自分にやらせた方が合理的だ。
もはや自分が危険を冒す必要もない。増やした自分に命令させ、金を貢がせて大金で豪遊しながら日々を過ごす。
そのころから悪名をはせ、裏のブローカーともつながり、人材の派遣すら始めるようになった時、彼はまるで王のように振舞って遊び惚けた。
しかし、その人生の絶頂は長くは続かない。
ある時、分身による反逆が起きた。
自分が生み出したはずの分身に突然頭を殴られ、椅子に縛り付けられる。
その目の前で自分こそが“本物”だと言い合う分身たちはお互いの個性で分身を生み出し、そのまま彼の目の前で殺し合いを始める。
殺し合いの末に分身はすべて消え、一人残された分倍河原は分からなくなってしまった。
無秩序に増え、殺しあう自分。獣のような暴力、理性を失ったかのような罵声、それが延々と続き、自分を殺す。
自分の本性、彼らと自分の違い。
本当にあいつらは俺なのか? 俺は俺なのか? 俺は本物の分倍河原仁なのか?
自己同一性の崩壊、自分が自分であるという当然の考えが出来なくなった彼の精神は急激に荒廃していく。
自分を映す鏡を穴が開くほど見つめながら、彼は神経質に己の体を抱きしめる。
目の前に立つ自分、頭の中で考える自分、自分を見る他人の区別すら彼は分からなくなった。
そんな日常生活すらできない精神状態で裏稼業を続けることなどできず、急激に身を崩していく。
あれだけあった金は分身の奪い合いのせいでほぼ底をつき、身の回りの金品を売ろうにも他人の目すら恐れた彼は部屋のカーテンの切れ端にくるまって震え続けた。
人材の斡旋も滞り、彼の元に電話がひっきりなしに鳴る。
<おい、約束の人材が来てねぇぞ!>
「しらない……、電話も他の俺にやらせて……、俺? 俺じゃないのか? 俺は俺じゃない……、いや! 俺は俺だ! 俺が本物だ!!」
<あぁ? ヤクでもきめてんのか?>
「うるせぇ!! 俺じゃない! 俺なんだアァァァッ!!」
<だめだなこりゃ……。とにかくやれねぇなら金は払わねぇ。俺達のビジネス関係もしまいだな>
「おれだ。おれなんだ……。おれじゃなくておれなんだ……、おれ? おれは?」
ようやく手に入れた自分の居場所すら失う。
分倍河原仁は何としても、居場所を守りたかった。
それが犯罪という腐った場所でも彼はそれを失うことを恐れたのだ。
震えながら、部屋の片隅にあった紙袋を被り、町へヴィランとして稼ぐために向かう。
だが、もはや分身を作り出せない。自分と他人の全てに怯える彼に何ができるはずもなく、かえってその奇妙な出で立ちのせいで衆目を集めた彼は逃げるように人々を避け、人目のつかない場所へと逃げ込んだ。
「おじちゃん、パン屋さんでしょ!」
「あ?」
彼は息も絶え絶えに、荒い呼吸を繰り返していると突然、足の裾を引かれる。
振り返ると、そこには幼い女の子がいた。
「しょくパンひとつください!」
「なんだこのガキ……」
その大きな目に映された自分から目を背け、彼は足早に自身のアジトへ向かうが、その子供は足元をテクテクと纏わりついてくる。
「ついてくるんじゃねぇ……」
「うーんとね、おばあちゃんがいちごのジャムをつくったの、それでね。あしたはしょくぱんなんだよ?」
「はぁ?」
「だから、あしたはジャムぱんなの!」
意味の分からない言葉を話す子供に分倍河原仁は紙袋越しにすごんでみせる。
「俺はとぉーっても悪い大人なのさ。ついてきたらひどいことになるぞ……!」
「おじちゃんは悪いパン屋さんなの?」
「あぁ、俺はワルなんだ。だから……」
「やっぱりパン屋さんなんだ!」
自分の話を一切聞かず、足元で飛び跳ねる少女に分倍河原は固まってしまう。
「ッチ……、付き合ってらんねぇ」
「お金ならお小遣いあるもん」
彼はこうなればと、速足でその場を離れようとするが、少女の一言にある考えが頭をもたげる。
「金……?」
ニコニコと笑顔を見せながら、何か重いものが入ったパンをモチーフにした丸い形のキャラバックを突き出す少女をふと眺める。
仕立てのいい服、苦労を知らない柔らかい手、疑うことを知らないといった純真な姿は両親の愛を一身に受けてきたのだろうとそれを失った彼は気づいた。
「……お前、親は?」
「ないしょでおでかけしてるの!」
「ふーん、家はどこだ?」
「あそこの一番上! 全部私の家なんだよ!」
少女の指を追いかけると、そこには立派な高層マンションがあった。
「……へぇ」
彼はゆっくりと目線を下に移す。
「いいぜ、食パンぐらい売ってやる。……ついてこい」
「やった!」
分倍河原のおこなう犯罪は基本的には強盗や窃盗だ。
裏切らない仲間の数を揃えられ、その身で危険を冒すリスクのない彼は単純明快な奪う行為により裏社会で名をあげていた。
だからこの手の手間のかかる犯罪に手を出すなど普段なら考えられないはずだが、今彼は追い詰められ、そして目の前にはあまりにも出来過ぎた状況が揃っていた。
彼は周りの人影をしきりに気にしながら考える。
まずこの子供を誘拐し、身代金をせしめなければいけない。
自分がまだヴィランとして終わってないことを確かめて、馴染みの情報屋から仕事を斡旋してもらおう。
あの手広くやっている仲介屋の
そんな願望に近い計画を立てながら、彼のすぐ傍で、こんな怪しい自分を疑いもなくついてくる少女をチラリと見る。
「どうせ相手は金持ちだ……。これくらいの苦労があってもどうせ十分まだ幸せだろ……?」
「どうしたのおじちゃん?」
「おじっ……! おれはまだそんな年齢じゃねぇ。いいからついてこい」
自分がまだこの場所に居てよい存在だと信頼を回復させるため、彼は少女を自分のアジトへと案内した。
そうしてあまりにもすんなり誘拐に成功した彼はさっそく少女を持て余す。
天真爛漫に自身のことや何故か自分をパン屋だと思い込んで質問攻めにしてくる少女に適当な返事を返しながら、これからどのように動くべきか考えていた。
「あっ! アイスある!」
「勝手に冷蔵庫あけんな! 育ちは良いはずじゃねぇのかよ!!」
「ごめんなさい……」
「……べつにいい。勝手に食べろ。スプーンは探せ。食ったら流しにだしとけ」
「あとでたべる!!」
荒れた部屋に連れてくれば多少は今自分が置かれた状況に気づくかと思ったが、少女は楽しそうに壊れた椅子を引っ張ったり、外れかかった床の穴をのぞき込んだりしながら駆け回り、いちいちこちらへ話しかけてくる。
「よくもそんなにあれこれ話して動くもんだ。この部屋の何がそんなに楽しいんだ?」
「うんたのしい! やりたいこといっぱいで、わたしがもっとたくさんいればいいのにっておもうもん!」
その言葉に分倍河原は腹の底で暗く笑う。
「はっ、自分が何人もいるのがいいだって……?」
「うん、たのしそうだよ」
「バカなこと言うんじゃねぇ……」
「えーなんで? わたしきょうだいいないから、ぜったいたのしいもん」
「自分と全部同じなんだ。分かるか? 自分と誰かじゃない、自分と自分なんだ。知らねぇのに知ってる自分がうじゃうじゃいるんだ。分からなくなって裂けるんだ……。俺と俺と俺がみんな俺になって俺じゃなくなる……」
「うーん、よくわかんない」
子供相手に感情的になってしまう自分を抑えきれず、彼は震えるように顔の紙袋を強くかぶり、言葉を吐くがもちろん理解した様子ではない。
子供相手でありながら、彼は自身でも制御できない不安に押されて言葉を吐く。
「なぁ嬢ちゃん?
そして時間は彼がソファーでこの数奇な出会いを思い返している時まで戻った。
彼はソファーに深く沈みこんだまま、胸から携帯電話を取り出す。
子供相手に本気で自分の身の上を話そうとしていたことを恥じながら、彼は書かれた番号を打ち込む。
プリペイド式の携帯、そのチープな見た目に関わらず、逆探知も防ぐよう改造されたそれは普通の携帯よりも値が張る。
番号を押し終えた彼は、目の前で遊んでいる少女を目の端に捉えながら息を吐く。
電話の相手は1コールに満たない時間で直ぐに出た。
<もしもし、義爛です>
「は? なんでっ義爛が!?」
電話口の返答、その言葉に分倍河原の思考が止まる。
裏社会の仲介人、義爛。
金さえ積めば人材から武器までなんでも調達する裏では名の知れた大物ブローカー。
知っている知らないではなく、彼の犯罪について標的の情報や武器の都合もしてくれているのはまぎれもなく義爛その人である。
「えっ、あっ、間違えたのか? 先週の履歴に間違ってかけて……」
「……おめぇその声、まさか分倍河原か?」
彼の頭はまさかの可能性を考え、目の前の少女を驚きと共に見つめる。
まさかこの目の前にいる誘拐した子供が、自分の大事な取引相手の親類だという可能性に。
「どこでこの番号を知った?」
「あっ、あぁ! 仕事の話をしたかったんだ! ちょうど聞いたんだよ!」
「聞いた……?」
黙り込む分倍河原。電話向こうの相手の警戒を露わにした声色。
動揺のまま目の前でアイスを美味しそうに食べている少女を見る。
義爛の子供にしては小さすぎるし似てもない。きっとそんなことはないと信じたい一心で答える。
「……おまえ、この番号が誰に繋がるか知っててかけてきたのか? お前がかけてくる訳ねぇだろ」
しかし、言い訳の説明が通る様な生易しい雰囲気ではない。
まさか正直に答えられるわけがない、お宅のご家族を誘拐しましたなんてことは。
「ま、間違いだったんだ! 誓ってまだ何もしてねぇ!!」
「……なに? ……まぁ、最近身持ち崩したって聞いてこっちからかけようと思っちゃいたが、誰に何を吹き込まれたんだか……。あの方を探っても無駄だ。まぁ運が良ければお互い生きてるだろ」
「え? は? あの方?」
「じゃあな、俺はしばらく潜らせてもらうぜ」
家族との電話と考えれば不可解な会話。
そして電話越しに一瞬だけ入る破砕音を最後に電話は切れた。
「あ……、え……? どういう?」
呆然とする分倍河原の正面から声がかけられる。
「一応言っとくと、私は別に彼の娘じゃないよ。その電話番号は
目の前に立つ少女。
見た目は先ほどと全く同じ姿のはずなのに、その雰囲気は一変していた。
「このアイス、美味しくて思い出の味なのに会社の経営不振で近々販売中止になる予定なんだよね……。いや、少し私が援助すれば……」
幼げな口調ははっきりとした口調に変わり、天真爛漫な態度は霧散していた。
アイスの空容器を脇に置き、だるそうに流し台の上に腰を下ろして膝を組んで座る。
その姿に先ほどの無邪気な雰囲気は一切ない。
「おまっ……、おまっ!!」
一切呑み込めない状況のまま、裏の世界での居場所を奪った目の前の存在を罵ろうとするが声が出ない。
「いいじゃない。今の状況でまともに動けないでしょう。ヴィランの伝手なんてどうせ切れちゃっても……」
「そ、それでも俺は!!」
しかし、分倍河原の言葉はそこで止まった。
居場所が欲しい、そんなシンプルな答えに彼はたどり着けずに目の前の少女を標的に決めた。
「テメェはいったい何なんだ!? 何のためにこんなことを……!」
「そうだね……。分倍河原仁、あなたと落ち着いて話がしたかったの。電話云々の理由はあなたが他所に引き抜かれたくなかったってところかな」
「落ち着いて話す!?ふざけんなよ! ガキの話なんて誰が聞いて――」
分倍河原は怒鳴り声を目の前の少女へとぶつけ、ソファーから立ち上がろうとし――
「いいえ、聞いてもらうよ、分倍河原さん。貴方の個性が私には必要なの」
低い声、喉仏になにか冷たい金属の切っ先が当たる。
目の前にいた子供が一瞬で消え失せ、重機のような力でソファーに押し付けられる。
体を押し倒され、直ぐに動けない体勢を無理やり取らされる。
実力行使、そんな考えを消し飛ばすような膂力、そして感情の乗らない冷徹な声に彼は驚く。
押し付けられる冷たい金属に彼は口内が渇いて喉を鳴らした。
「わかった落ち着け! 聞く! 話を聞く!!」
「良かったよ」
そう言って喉元にあてた凶器は遠くの流しへと放り投げられ、置かれていたアイスの容器の中にそのまま入る。
シンクにはアイスを食べた時に使ったスプーンがカラカラと揺れていた。
「ちくしょうめ……!」
「じゃあ具体的な仕事の話なんだけど……」
体から離れ、彼の前に立つ少女は、スプーンとコップを洗いながら汚い流しを掃除しはじめた。
そんな小さな後姿を見て、先ほど圧倒された彼ではあるが、やはりその現実感のない光景に笑ってしまう。
「テメェみたいなガキンチョが俺に仕事? はっ、報酬はパパのお小遣いか? それともご褒美のシールでもくれるのか?」
「報酬ならちゃんとしたお金があるよ」
少女はクルリと振り返ると彼へ近づき、ぶら下げたバッグを手に取る。
少女はポップなキャラクターに似合わない重量を感じさせるバッグのファスナーを開くつもりのようだ。
このガキ……、金持ちと言っていたが、まさか本当に札束で自分の頬をぶったたくつもりか?
そんな風に考える彼はそれでも、自分をコケにした目の前の少女の仕事を受ける気など毛頭なかった。
「おっ? 札束でもくれんのか? でも俺はたけぇぞ。せいぜいそのバックに入って1000万もねぇんじゃ……」
チャックはなかなか開かない。まるで重りでも入っているようでファスナーの部分がたわんでいる。
少女はそれを無理やり開けると、丸いバッグにピッタリな大きさの円盤状のなにかを取り出して地面に放り捨てる。
投げられたそれは重い音を出して彼の隠れ家のフローリングをへこました。
「あ?」
「純金約30Kg、大体4億。これ手付金ね」
玩具だろ?
そう笑おうにも、いくらか本物を見る機会のある彼の目に映る24K特有の柔らかい輝きは見覚えがあり、頬が固まったまま動かせない。
「っど……、め、メッキ……」
どうせメッキだと、上ずった声で言おうとした矢先、少女はいつの間にか手に持ったスプーンを振り下ろす。
何をどうしたらそうなるのか?
甲高い金属音。赤熱して千切れ飛んだスプーンに抉られたその中の色は、やはり金色だ。
彼は自分がなにか巨大な……、途方もなく手の付けられない大きな不幸、そんななにかが己の身に降りかかっていることに気づき始める。
腰の抜けた分倍河原は己の運のなさを思い出し、大きなため息をついた。
「……まず言っとくと、俺に何を期待しようと無駄だ。意地を張ってるわけじゃねぇ。俺の個性を利用したいようだがそれは無理なんだ。俺が悪かった。頼むからもう帰ってくれ」
「分倍河原仁、個性は「二倍」1つのモノを2つに増やす個性。人間すら対象でその人物の個性や人格までコピーすることができる超個性」
「名前も知ってたんだから当然、そっちも知ってるか……。ならついでに教えてやる。その男はもう個性を使えない。自分を増やすことが出来ねぇんだよ」
「出来ないとやらないは違う。調べてあるけど、トラウマってやつ?」
その言葉に彼は驚く。自分の情報は調べていただろうが、それ以上のことも掴んでいる素振りを見せる得体の知れない少女に対し不快そうに顔を歪めた。
「荒れた部屋に争う声が何日間も続けば流石に噂は立ってた。その隠れ家が誰のものか調べればおおよその出来事は想像がつくよ。おじさんは自分で増やした自分に……」
「やめろ」
男はそれ以上言えば手が出かねない程の剣吞さで、少女を睨み、一拍おいて自嘲する。
「ク、クク、ガキ相手にマジになってるじゃねぇか。だせぇにも程がある。そうさ、俺は俺に裏切られた。俺はもう何を信じていいか分かんなくなっちまったのさ。」
男は胸のポケットをまさぐり、タバコを取り出すと、ソファーの隙間に手を突っ込んでライターを探した。
「なぁ嬢ちゃん?
薄暗い部屋で、男は卑屈な笑みで少女に問いかけた。
「まぁ、しってるよ」
「へぇ、博識だ」
「今時、その手の思考実験の話は擦られてるからね。ひけらかす方がアホっぽいよ」
「ヒネたガキだなぁ……。現代っ子はやりづらくてかなわねぇ」
スワンプマンとは有名な思考実験。
ある男が不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちる。
その落雷は偶然にも沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この生命体こそが“スワンプマン”。
スワンプマンは全てがオリジナルと同一の完全なるコピーであり、顔も記憶も知識も同じ。
自身がスワンプマンとすら気づいていないスワンプマンは死ぬ直前の男の姿で沼を後にする。
スタスタと街に帰っていき。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をして、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。
そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へとスワンプマンは出勤していくだろう。
「自分がその
「いいやもっとひどい。本当に自分がスワンプマンかも分からねぇんだぜ?」
彼の脳内に渦巻くのは答えのない疑問。
あの狂気の時間の中、自分ですらどこかの誰かが作った分身ではないか?
「俺は自分が分からなくなった。狂っちまったんだよ。今も必死に繕っちゃいるが、もうまともにモノも考えられねぇ。俺がダブって仕方がない。……今にも裂けそうなんだ。この紙袋も裂けないために被ってる」
彼は手元のタバコに火をつける。
「包めば……、一つだ」
袋の隙間から深く吸い込んだタバコの煙が適当にちぎった目の部分の穴から立ち上る。
「まず、簡単な方法として、あなたの個性「二倍」で作られた分身体は一定のダメージを受ければ消え失せる。今私がここで貴方の腕をへし折れば、その真偽は簡単に分かる」
身構えかけた彼、しかし少女は言葉を続けた。
「でも、そういうことではないんだよね。貴方の受けた心の傷は癒えない。自分が何者か……、その疑問に私は答えられない」
痛ましいものを見るような、そんな同情を含んだ目を彼は見ていられずに視線を逸らす。
「でもあなたが何者なのかを、私は認めることができる」
そしてあまりにも真剣な目で見当違いなことを言い出す少女に、男は目線は外したまま茶化すような言葉を投げかけた。
「ハッ! 俺が言いたいのはティーンのガキが患うような”自分が何者か”なんて……、そんな周りに認められたいなんて話じゃねぇ」
「貴方が自分が誰かを知らないなら、私が貴方を教える」
「だから……」
見当違いな同情を向けてくる少女に、彼は苛立たし気に声を荒げようとすると、その目と目があう。
「いいからつべこべ言わずについてこい」
彼女の誤魔化しを許さない目。彼はふと、初めて自分が罪を犯した時のことを思い出す。
興奮で震える手で覆面を脱ぎ捨て、手に入れた大金を自分たちで囲んだ時、手に入れた金よりもまず男は自分達の顔を見合わせて手を叩きあった。
卑劣な犯罪行為、だが、何かを皆とやり遂げたという満足感は、彼の乾いた心を満たした。
「分倍河原仁、私がお前を包む居場所を作ってやる」
本当は自分が何を欲していたのかを言い当てられ、彼は動揺する。
「なっ……、馬鹿か、いまさらそんな……、そもそも俺はもう自分を増やせな――」
「関係ない。そもそも貴方に頼むのは貴方の複製じゃない」
「なに?」
「私の話を聞いて」
聞き返す彼に、彼女は自分の余りにも荒唐無稽な計画を話しだす。
その言葉を黙って聞き、とうとうタバコのフィルターが彼の指を焦がした時、呻くように彼は呟いた。
「正気か?」
「多分これがいちばん早いと思うよ」
男はもう一本タバコを吸い始め、彼女は吸い終わるまで待った。
そして最後には観念したかのように目の前の金塊に目を向ける。
「俺は高いぞ」
「お賃金は期待していいよ」
悪党の少女を見る目が変わった。
それは依頼人を値踏みするような物であり、対等な商売相手であると認めた証であった。
「まずはもっとお前のことを話せよ。俺の個性は相手のデータを詳しく知る必要がある」