TRICK 時遭し編   作:明暮10番

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前夜星

 盛り上がりムードの中、上田は小脇に抱えていた紙を全員に配る。

 そこに書かれていたのは、五十音図だった。

 

 

 

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 これはなんだと顔を顰める役員らに、上田は嬉々として説明を始める。

 

「これは作戦中、我々の連絡用に使う『暗号』です! 敵は訓練を受けた戦士かつ、諜報に長けた組織です! 作戦中の我々の通信など、あっという間に対応して来るものと推測されます──そこでッ!! この暗号ですよッ!!」

 

 

 上田は、五十音図の上に書かれた数字を指差した。

 

 

「良いですか? この五十音図は言わば、比例グラフ!『ん』のコマを原点とし、我々はx軸とy軸の値を言う事で五十音のコマの座標を表すんです! それを組み合わせて言葉にするのが、この暗号の全てとなります! 上に書かれている例を見て貰ったら分かると思いますが、xが六で、yが三に──」

 

「なに言うとんじゃおのれはぁ!?」

 

 

 比例グラフだの原点だの軸だの、平均年齢が六十代半ばである役員らに伝わる訳がない。老人たちから顰蹙を買い、上田は苦々しく顔を歪める。

 

 

「これだから田舎老人どもは……あー、つまり!『ん』を始まりとして、まずは横に何マス進むかの数字を言う! そして次に、上に何マス進むかの数字を言って貰い──」

 

「なんでこれ下から上なんじゃ!? 上から下じゃ駄目なんかい!?」

 

 

 またしても役員らが批判が飛ぶ。上田は歪めていた顔を更に歪めた。

 

 

「いや、あの……上から下ですとこれは、負の数となりますので……三の隣にマイナスを付けなきゃ駄目で……」

 

「そもそも『ん』の行は空欄しゃあんッ! 数かぞえるとしても一マス無駄になるじゃろがいッ!」

 

 

 すっかり腰が引けてしまった上田に、容赦なく役員らは口々に文句を吐き出しまくる。

 

 

「なんで左から右なんじゃ!?『あ』からやりゃいいじゃろがッ!!」

 

「そ、それだと分かりやす過ぎて、敵に仕組みがバレてしまう恐れが……」

 

「ややこしいのぉ! せめて上から下に出来んのかぁ!?」

 

「ですからそれだと負の数になりますので……」

 

「融通効かんのぉ! このヒゲメガネノッポ!」

 

「ヒゲメガネノッポ……」

 

「寝癖マッチョ!」

 

「寝癖マッチョ……」

 

「バーカバーカ♡ デカいくせにメンタルよわよわ♡」

 

「………………」

 

 

 心折れて泣き出しそうになる上田。見かねた山田が代わりに提案してやる。

 

 

「で、でしたら!『わ』を始まりにして横に進んでから下に行く、って形に変更しますんで! はい!」

 

「それだと負の……」

 

「諦めろっ! 拘りを捨てろっ!」

 

 

 予想以上の反感により、暗号は「右に進んで、下に行く」と言う形となった。暗号表に訂正を加える上田は、明らかに不服そうだ。

 

 

 

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 この暗号の着想は、村に来た当初に見たレナが作った暗号から得ている。ただ五十音を数字にするだけでは暗号としては弱いので、上田なりにアレンジを加えさせて貰った次第だ。

 

 

「……えー。皆さんは電話や無線機で仲間を交信する際、平仮名のマスを示した数字を言って、文章を作ってください! 例に倣うと、通信時の言い方は『6と3』……これで『ぬ』を表します! これで一文字です! 文章を作るとなりますと……」

 

 

 上田は例文をゆっくりと唱えた。

 

 

「3と1、4と1、7と1、6と1、10と5」

 

「や、ま、た、な、お……え、私?」

 

「9と5、5と1」

 

「……こ、は……」

 

「5と2、1と6、6と2、3と3、1と3、7と1!」

 

「…………ほうにゆうだ」

 

「これで『やまたなおこはひんにゆうた』……つまり『山田奈緒子は貧乳だ』と言う文章になります!」

 

 

 役員らが山田を指差して大笑いする。山田は、上田とその役員らを交互に睨んで「黙れ」と抗議した。

 暗号の読み方と言い方を教示し終えたところで、隣室から園崎の構成員が、箱いっぱいに詰まった無線機を運んで現れた。それが役員らに配られる最中、魅音が説明する。

 

 

「無線機は、園崎家が保有している物を支給致します。周波数は140.85」

 

「キャンベル大佐……?」

 

「当日は敵による電話線の破壊が予測されます。電話が使用不能と判断した場合、即刻この無線を使用してください」

 

 

 前もってその予測を立てられたのは、富竹が諜報部隊で共有されているマニュアルを教えてくれたからだ。

 

 

「また、無線は間違いなく、敵に傍聴される可能性が高いです。基本、通信での会話は、上田先生が考案された暗号の使用を徹底してください」

 

 

 役員たちは無線機の扱いに慣れている様子だ。綿流しやダム戦争の際に、何度か使用した事があるのだろう。

 全員に無線機が行き渡った事を確認した魅音は、次の議題に移ろうとする。

 

 

「……では、当日に行う作戦を発表したいと思います」

 

 

 その作戦が書かれた紙が、役員たちに渡された。

 

 

 

 

 

──作戦の説明が進む最中、時計を確認した入江が山田と上田に話しかける。

 

 

「山田さん、上田さん、ちょっと……」

 

 

 二人と一緒に廊下に出ると、入江は神妙な面持ちで告げた。

 

 

「私はここで、お暇させていただきます」

 

「え? まだ作戦会議の途中ですけど……」

 

「もうこの屋敷に来て一時間……検診と言う名目で来ているので、あまり長居しては敵に怪しまれてしまいます」

 

 

 それもそうかと納得する二人。

 入江はにこりと微笑んだ。

 

 

「大丈夫です。作戦はあらかた理解しましたので」

 

「しかし入江先生は……作戦当日はどうされます? なんなら前日の夜に診療所を出て、どこか身を潜められては……」

 

 

 上田がそう提案するが、入江はきっぱりと首を振って断る。

 

 

「そう言う訳にもいきません……私が不在だと、山狗部隊は警戒を強めるでしょう。そうなると折角の作戦が上手く行かない可能性が出て来ます……私は最初から最後までこの村に……いつも通り、診療所に待機しておきます」

 

 

 上田と山田は顔を見合わせる。彼のその判断が、どれほど危険なのかをお互い察したからだ。

 

 

「作戦が進めば、敵はあなたを我々の味方と気付いてしまう!……そうなれば最悪、殺されてしまいますよ!?」

 

「上田さんの言う通りです。当日は診療所から逃げるべきです」

 

 

 二人からの説得を受けても、やはり入江は首を振った。

 

 

「……一連の出来事は、所長の癖に鷹野さんの暴走を止められなかった私の責任……これ以上、足を引っ張る訳にはいかないんです」

 

 

 入江は一度下を向き、眼鏡の位置を整えてからまた顔を上げる。その時に見えた目は、凛としたものとなっていた。

 

 

「敵は私を人質にするかもしれませんが、乗ってはいけません。最後まで作戦を全うしてください」

 

「そんな……なにも自らを犠牲にしなくても……!」

 

 

 説得しようとする上田を、山田が引き止める。

 彼女は入江のその目を見て、尋ねた。

 

 

「……なにか入江さんにも……策があるのですか?」

 

「……一か八かになりますが……でも当たれば、この作戦に大きく貢献出来るかと」

 

 

 襖が少し開き、梨花が山田らの後ろからこちらを覗いている。そんな彼女に、入江だけが気付いた。

 そして入江は山田と上田、その後ろから覗く梨花に向かって、精一杯に笑いかける。

 

 

 

 

「必ず上手くいきます……だから、信じてください」

 

 

 深く頭を下げると、とうとう彼はその場を去って行ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

──作戦の説明が終わり、役員の老人らは緊張した面持ちで園崎屋敷を後にする。

 入れ替わるように次に屋敷にやって来たのは、圭一、レナ、沙都子、詩音の部活メンバー。建前は、「レナを励ます為のゲーム大会」だ。

 

 勿論、メンバーを召集したのは、作戦を助けて貰う為だ。しかしメンバーの内、圭一と沙都子と詩音の三人には、雛見沢症候群やその他諸々の事を伝えていない。果たして受け入れてくれるのかと言う、不安はあった。

 

 

「つ、つまり! 雛見沢には固有の寄生虫がいて、その寄生虫が人間の脳に寄生してストレスに反応した結果幻覚とか被害妄想とか諸々を引き起こす! そんでその寄生虫を兵器利用出来ないかって政府の秘密結社がいたけど、内部抗争によって入江先生のグループに圧力かけられて研究凍結になりかけている! そこで暴走した鷹野さんが、梨花ちゃんの頭の中いる寄生虫の女王を殺す事によって集団発症を誘発し、それによる雛見沢村民抹殺計画によって研究の重要性を立証しようとしている! だから梨花ちゃんを救う為に作戦を立てて、その秘密結社『東京』と村を挙げて戦うだってェーーーーッッ!?!?」

 

「さすが都会育ちのエリート圭一なのです。ドン引きするほど飲み込みが早いのです」

 

「ジャイアント白田かってぐらい飲み込んだな」

 

 

 関心する梨花と山田の隣で、沙都子がおずおずと尋ねる。

 

 

「そ、その『東京』って言う大きな組織に……勝てる算段はありますの……?」

 

「山田さんたちが考えた作戦を否定する訳じゃないけど……正直敵の全貌が掴めていない以上、五分五分かなぁ」

 

「マイブラザージロウの情報でも、山狗がどこまで装備を整えているのかまでは分からなくてなぁ……下手すりゃ、拳銃どころじゃないヤバい代物を持っている可能性もある」

 

 

 魅音と上田が険しい顔を見せる。確かに綿密に策を練ったと言えど、訓練された一個小隊に勝てるかと言えば断言は出来ない。

 次に詩音が、少し落ち着かない顔で呟いた。

 

 

「……敵の陣地にいる監督も心配です。誰か助けに行かないと……」

 

「あ、あの! 魅ぃちゃん所にいるあの顔の怖いオジサンの力は借りられないのかな……えと……どう、かな?」

 

 

 葛西の事を言うレナだが、魅音は首を振る。

 

 

「葛西はもう、明日から興宮にずっといるから……うーん……診療所突撃隊を作る必要も出来たのかぁ……」

 

「…………」

 

 

 梨花が立ち上がり、申し訳なさそうに目を伏せがちにしながら、皆に心境を話した。

 

 

「みんなを巻き込んでしまって申し訳ないと思いますです……ボクを取り巻く陰謀は警察さえも取り込んでしまうくらい大きくて……村を挙げてでも、もう少し足りないかもしれないのです……」

 

 

 その言葉を聞き、場は一度静まり返る。

 梨花は特に、圭一と沙都子と詩音の反応を見るのが怖かった。有り得ない話を詰め込んだ上、しかもこれから強大な敵との戦いも待っているだなんて言って、果たして乗ってくれるものなのか。村人や友達を危険な目に遭わせようとする自分を軽蔑してはいやしないか。

 

 

 重苦しい沈黙は暫く続いた。

 

 

 

 

「……全く。酷いぜみんな……こんな事、黙っていたなんてよ」

 

 

 その沈黙の堰を切ったのは、圭一だった。

 彼のその言葉に、梨花はびくりと反応する。軽蔑されたかと思ったからだ。

 

 

 

 

「……こんなおもしれー事、俺に黙っていたなんてよぉ」

 

 

 次の彼のその言葉に、やっと梨花は伏せていた目を上げた。そこには頼もしくニカッと笑う、圭一の姿があった。

 

 

「敵が強過ぎて不安だぁ? ならこの前原圭一様が打って付けだぜ! なんたって今や俺は雛見沢のトラブルバスターだ! 上田先生や師匠と組んだら一騎当千だぜ!」

 

 

 次に沙都子も意気揚々と名乗りを上げる。

 

 

「昨夜も言いましたけど、水臭いですわよ梨花? 私、梨花の為なら何だってするつもりですことよ? 寧ろ私のトラップが訓練された部隊に通用するのか試す絶好の機会ですわ!」

 

「よっしゃいっちょ」

 

「おねぇたちだけじゃ心配ですわね!」

 

 

 山田が(とき)を上げようかと立ちかけたが、隣にいた詩音に先に立ち上がられ、渋々座り直す。

 

 

「不肖この私、園崎詩音もその大作戦、参加させていただきます! 葛西が不在の代わりに、私が殿(しんがり)を勤めてあげます!」

 

 

 不安は一抹で良かった──いや、寧ろなくても良かった。部活メンバーの絆は、理不尽な真実程度で揺らぐものではないのだ。

 あまりに頼もしく、そして愛おしいメンバーの姿。その姿を見て梨花は、思わず目を潤わせてしまった。

 

 

「……本当に、ありがとう……」

 

 

 感謝を述べる彼女へ、レナと魅音は優しい眼差しを向けていた。

 

 

 上田が最初に名乗り上げた圭一に寄り、彼の勇気を讃えてやった。

 

 

「さすがは俺の見込んだ少年だぁ! なかなか出来る事じゃない!」

 

「梨花ちゃんを……貴重な激カワ不思議系腹黒ロリを助ける為なら何だってやってやりますとも! 当日は頂いたピラニア汁を持って行きます!」

 

「良いぞぉ少年! 君は時代のSEEDだ! これからFREEDOMを掴め!」

 

「ラップですか上田先生?」

 

「あと『ロリ』って表現は良くないなぁ。これからは『ひよこ』か『つるぺた』を使いなさい」

 

「分かりました! 梨花ちゃんは激カワ不思議系腹黒つるぺた!」

 

 

 いつの間にか隣にいた梨花が圭一の脛を蹴ってダウンさせる。

 

 

「入江の話だとこれから大きくなるのですっ!!」

 

「雛見沢症候群かかりてぇ〜」

 

 

 そう言いながら山田が飲もうとしたお茶は、なぜか魅音に引ったくられて飲まれた。

 

 

 

 

──作戦会議が終わった頃には、もう夕方となっていた。この日は敵に悟られぬよういつも通り全員帰宅する。

 圭一とレナも玄関で靴を履き、門まで続く中庭の道を仲良く歩いていた。

 

 

「……圭一くん、かっこよかったね」

 

 

 レナがそう話を切り出した。

 

 

「うん? そうだったぁ?」

 

「うん! 一番最初に『こんなおもしれー事黙っていたなんて』って! ハリウッド映画の主人公みたいで!」

 

「そう言われると恥ずかしいな」

 

「でも……本当に大丈夫なの? その……東京で色々あって、そしたらまたこの村でも色々巻き込まれてちゃって……」

 

 

 その「巻き込まれた」中には自分も元凶としている。少しレナは苦しそうに口を尖らせた。

 そんな彼女の気持ちを察してか知らずか、圭一は微笑みながら言った。

 

 

「……実はな? なーんかあんじゃねーのかってのは……知ってたんだ」

 

「え? そうなの?」

 

「おう……その……ちょっと言い辛いけど……」

 

 

 圭一は立ち止まり、頬を掻きながら続けた。

 

 

「……盗み聞きしてさ。レナと、その……お母さん? との会話を……」

 

「……え!? それいつの!?」

 

「昨日昨日。散歩してる時に偶然さぁ……」

 

 

 その日の事を圭一は想起する──

 

 

 

 

──夏の暑さも蝉時雨も、何だか心地良く思えるようだ。鼻歌混じりに圭一は畦道を歩く。

 暫く歩けば、レナの家の近くに来ていた。今はどんな様子なのか気になり、覗いてみようと家の前まで寄った。

 

 

 

「ねぇ、礼奈ちゃん」

 

 

 ふと、聞き慣れない女の人の声が聞こえる。

 竜宮家の庭を囲う塀の向こう、誰かがレナと話しているようだ。

 

 

 

 

 

 

「もう一度……お母さんと暮らさない?」

 

 

 その声を聞き、圭一はピタリと動きを止めた。

 

 

……聞き慣れない女の人とは、レナの実の母親のようだ。聞いた話によれば、レナとその父親を捨て、不倫相手と再婚した人だそうだ。間違いなく、レナの心に傷を作った大きな要因である人物だ。

 なのに父親が死んだ途端、母親面で同棲を迫っている。圭一には許せなかった。

 

 

 しかし、レナの家に突撃してやろうとした足が止まった。その母親の提案は、「正しい事」だからだ。

 父親が死んだのなら、親権は彼女に行く。それにまだ中学生のレナが一人で暮らして行ける算段もない──残念ながら、彼女は正しい。寧ろ色々あったのにそう提案出来る方が立派なのだろう。

 

 しかし、そうなるとレナは、雛見沢から出る事になる。もしかしたらもう二度と会えないかもしれない。折角彼女の事を色々知れたのにと、圭一個人は認めたくなかった。

 

 

 母親は正しい、だけど俺は認めたくない──圭一はただ、祈るようにレナの言葉を待つしか出来なかった。

 

 

 

 

「……行けない」

 

 

 そう言ったレナの目から一筋の涙が流れていた。

 提案を拒絶され、焦った母親は何とか説得の言葉をかける。

 

 

「れ、礼奈ちゃんなら向こうでもやっていけるわよ! 新しい学校は良い先生と子どもたちばかりだし、家の近くには遊園地だって」

 

「行けない」

 

「新しいお父さんとの間に子どもがいるの! あなたお姉ちゃんになれるわよ?」

 

「駄目、出来ない」

 

「ねぇ、礼奈ちゃん……せめて礼奈ちゃんが自立するまで……」

 

 

 レナは首を振る。

 何度も拒絶された母親は、次はどう説得しようかと言い淀んでいる。その隙にレナは、思いの丈を吐き出した。

 

 

「分かってるよ。お母さんが……私を心配してくれてる事は……意地悪で言ってる訳じゃないって事ぐらいは……」

 

 

 レナは涙を拭う。

 拭って、手が離れて見えたその目は、純粋な決意で透き通っていた。

 

 

「……でも。私にはまだまだ……この村でやらなきゃいけない事があるの」

 

「……やらなきゃいけない事?」

 

 

 こくりと頷いた。

 

 

「……友達が大変な事になるの。友達だけじゃない……村の人みんなが……」

 

 

 レナの目は、縁側の向こうの空を写した。

 

 

「私、それを助けなきゃいけないの……だから、行けない」

 

「……へ、変な礼奈ちゃんね! まるでこれから村に災害が起きるみたいじゃない!」

 

 

 一度レナは物憂げに目を伏せ、閉じた──瞼の裏の明るい闇の中、ただ一つ見覚えがないハズの「焛」の文字が浮かび上がっていた。

 再びレナは目を開く。

 

 

「……お母さん。もし、過去に戻れるとしたら……お父さんと結婚なんてしようとしなかった?」

 

「え?」

 

「私を産もうなんてしなかった?」

 

「……そ、そんな……お母さんは……」

 

 

 外に向けていた目をまた、当惑している母親の方へと向けた。

 

 

「もし、後悔していないのなら……私の事、愛しているのなら……」

 

「…………」

 

「……このまま行かせて欲しい」

 

 

 やっと焦点が合わなかった母親が、レナと目を合わせられた。

 

 

 

 

「……私が生まれた理由は……ずっと、他でもない──この村にあるんだから」

 

 

 そよ風が吹き、どこかで風鈴が鳴る。

 二人の会話を盗み聞きしていた圭一は、塀の下でボロボロ泣き崩れていた──

 

 

 

 

──その話をレナにしてやると、彼女は顔を真っ赤にして手で覆っていた。

 

 

「はうぅ……それだったら寧ろ家の中に突撃して来てよぉ……」

 

「いや……だいぶ俺も号泣していたもんで……その状態で入って行ったら雰囲気ブチ壊しかと思って……」

 

「恥ずかし……」

 

「……ま、まぁ……そーゆー事で、梨花ちゃんらの話はすんなり受け入れられたって事だ。まっ! それがなくても全然受け入れたけどなっ!」

 

 

 溌剌と笑う圭一──彼のその笑顔に何度助けられて来ただろうか。レナは一層、顔を赤らめた。

 再び圭一は門の方へ歩き出す。その姿を目で追うレナ。

 

 振り返って、呼びかけた。

 

 

「帰ろうぜ!……明日に備えてさ」

 

 

 頼もしい彼のその背向かって、レナも迷いなく駆け出した。

 

 

 

 

 

 そんな二人の姿を玄関戸の隙間から伺っていた魅音。隣にいた詩音に、焦りを溢していた。

 

 

「競馬で言うと今の私、何番人気……!?」

 

「何番人気で言うのは失礼ですが、おねぇは大穴かもしれません」

 

「ドベって事じゃん」

 

「そしてレナちゃんは……まぁ、馬で言うとミスターシービー」

 

「菊花賞取ったら三冠のヤツじゃん! うぅう……結局、お祭りでは告白出来なかった……!」

 

「やっぱ村内放送で言いまくります?」

 

「絶対やめて。家から出られなくなる」

 

 

 今の圭一とレナは、門の前で中腰で頭を下げている構成員を見て「ヤクザ式のお辞儀だ!」と盛り上がっていた。そんな微笑ましい光景でさえも、魅音はあわあわと慌てさせる。

 不甲斐ない姉に呆れた詩音は、一つ提案をしてやる。

 

 

「だったら作戦中に告白するとか? ほら! 吊り橋効果ってヤツですよ!」

 

「さ、さすがにそれは空気読めなさ過ぎるって!」

 

「まさかおねぇから『空気読めない』なんて言葉が出るとは……」

 

「とりあえず!! とりあえず……告白は作戦の後! 勝負はそこ! 今は来る戦いに専念!」

 

「……おねぇったら、変なとこで真面目なんですから……」

 

 

 ほとほと呆れ、詩音もまた戸を開けて園崎屋敷を後にしようとする。

 それから何か思い出したようにピンっと人差し指を立て、くるっと振り返る。

 

 

「そうそう! 裏山の『鬼の子地蔵』……覚えてます? そこで内緒話したら、村の人全員に知れ渡っちゃうってヤツ!」

 

「あーー……いや、アレなんだけど詩音……実はさぁ──」

 

「鬼の子地蔵の伝承……『村に大きな災い訪れる時、鬼の子は倒れ、眠れる鬼、這い出でん』」

 

 

 その伝承は魅音も祖母から聞かされて知っている。それがどうしたと聞く前に、詩音は物憂げな表情で言う。

 

 

 

 

「……今が大きな災いの時。『眠れる鬼』は、目覚めてくれるのでしょうか……」

 

 

 詩音が目を向けた先の裏山。

 その中にひっそりと立つ鬼の子地蔵は、今もいつもと変わらず村を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──そのまま作戦事項は村の人々にひっそりと知れ渡り、「梨花ちゃんDESTINYからのFREEDOM大作戦(上田命名)」の準備は山狗らの及ばない所で進められていた。

 雛見沢村の村民らの団結力は、やはり凄まじいものがある。彼らはこの守秘義務を、極めて高いレベルで守り通したのだった。山狗らが勘付かなかったのは、偏に彼らを侮っていたからだ。

 

 

 そして家に帰った梨花と沙都子は、上田と富竹のアドバイスを受けて盗聴器探しを開始。結果、玄関先や受話器の中に埋め込まれていたのを発見。作戦通り、これを利用する方向に決めた。

 

 

「梨花ぁ〜♡ 耳掻きしてあげますわよ〜♡ 息も吹きかけてあげますわ♡ ふぅ〜♡」

 

「いや〜ん♡ どこ触っているのですか沙都子ぉ〜♡」

 

 

 たまに盗聴器に向かって、わざとえっちな音声を流してやった。

 それを山狗の傍聴部隊は、鼻血を流しながら聞いていた。

 

 

 

 

 一方、協力者は村民だけではない。大石もだ。大石へは彼の自宅宛てにファックスを使って、作戦の計画書や暗号、使う無線の周波数を伝えた。

 

 

「……ははは! こりゃ、大変な事になりますなぁ……」

 

 

 そう言う彼の心は今、晴れ晴れとしていた。

 

 

 

 

 そして山に隠れている矢部たちにも、作戦は矢文で伝えられた。矢は矢部の頭上をすり抜け、木に刺さった。

 

 

「危なッ!? 殺す気かボケェッ!?」

 

「うわぁ〜!! 戦国時代のショートメールだぁ〜〜!!」

 

「兄ぃ! ワシが読み聞かせちゃるけぇのぉ!」

 

「読み聞かせたら駄目なのだよッ! こう言うのは黙って読んだら焼いて捨てるのが鉄則だッ!!」

 

 

 突き刺さっていた矢の先には、黒い何かも巻き込まれていた。

 矢部は「まさか」と自らの頭部を触ってから、急いでその黒い何かを取ろうと走り出した。

 

 

 

 

 

 こうして作戦の準備は、ほんの一日の間にほぼ整えられた。あとはその日を迎えるだけだ。

 

 

 二十一日の夜、山田は家の窓から空を見ていた。

 都会では考えられないほど、空には星でいっぱいに満ちている。時折流れ星も見られた。

 

 

 すると隣に上田が並ぶ。

 

 

「感傷に耽ってんのかぁ? YOUらしくない」

 

「感傷と言うか……緊張しているだけですよ」

 

「とうとう明日、二十二日に全てが決まる。気が昂っているのは分かるが、備えて寝た方が良い」

 

 

 山狗の目を警戒し、上田はカーテンを閉めようとする。

 その前にぽつりと、山田は溢した。

 

 

 

 

「……父に、会ったんです」

 

 

 カーテンを閉めようとした上田の手が止まる。

 

 

「どう言う巡り合わせか、興宮でマジックショーをしていた父に」

 

「……話したのか? その……殺される事を」

 

 

 山田は首を振った。

 

 

「…………会ったと言っても、マジックをしているのを、客席の後ろからです」

 

 

 実際に面と会って話した事は、上田には秘密にする事にした。余計な心労をかけたくなかったからだ。

 上田は一言、「そうか」とだけ言った。暫く二人の間に沈黙が続く。

 

 

 家の居間では富竹が、明日に備えて腕立てなどパンプアップをしていた。

 それを横目で見てから、山田はまた話し始めた。

 

 

「……それに、話さない方が良かったかもしれません……私は、父を……殺したんですから」

 

 

 幼少期、父から与えられた宝箱。その宝箱に八文字の札を正しく並べる事で、解錠出来る仕組みだった。そしてその正しい札の順、父と山田しか知らない。

 

 その宝箱の中にあった、脱出マジックに使われる舞台装置の製図、そして脱出用の鍵。その鍵がなかった事が、父が亡くなった「事故」の原因だった。

 そして箱の中にあった父の手紙──そこには奈緒子が霊能力者である事、そして何者かに操られて自らを死に至らしめる事が書かれていた。

 

 

「私と父しか開けられない宝箱にあった鍵……あれは私が、取った証拠なんですから」

 

 

 窓際に身を寄せ、項垂れる山田。

 上田はずっと静聴していたが、ふと考え込むように顎を撫でてから話し出した。

 

 

「君が言う『私と父にしか開けられない宝箱』だが……本当にそうだったのか?」

 

「はい?……そりゃそうですよ。宝箱の暗号を決める時、父と私の二人だけだったんですから」

 

「君、この話は知ってるか?『フーディーニの言葉を伝えられた霊能力者の話』!」

 

 

 山田は「私が教えたヤツじゃないですか」と呆れながら、上田の言ったフーディーニの話をしてやる。

 

 

「実際は、フーディーニが奥さんとの間に交わした証明の為の暗号は、自伝だとか取材だとかで漏れていた。その霊能力者は漏れた情報を集めただけ……」

 

「あぁ。そうだったなぁ?」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……まさかこれが、私の宝箱を開けられた原因とか言うんじゃないですよね?」

 

 

 上田は得意げにニタリと笑うと、推理を始める。

 

 

「君のお父さんだって人だ。愛娘とそう言う秘密を共有した事をつい、仕事仲間に漏らしてしまったんだろう。真犯人はそれを知り、娘のせいにする為に、脱出用の鍵をその宝箱に入れたんだ」

 

「じゃあ……父からの手紙はなんですか? あれは間違いなく、お父さんの……」

 

「じゃあ聞くが、君はお父さんの『筆跡』なんて覚えているのかぁ? 顔を覚えるより難しいだろ」

 

 

 言われてみればと山田は口籠る。

 更に上田は続けた。

 

 

「催眠術……あっ。『トランス』って言わなきゃ駄目なのか……それを使った所で、まだ小さかった君が父親のマジックショーの裏側に入れるものか。何者かが関係者を装い、脱出マジック用の舞台装置に細工し、鍵を奪う。そして父親殺しの罪を君に着せる為、事前に知り得ていた宝箱の暗号を解き、中に製図諸共仕込む」

 

「……父の手紙もその時に入れられたって言うんですか?」

 

「そうだな。そしてその効果はテキメンだった……君は父を殺したと思い込み、真実を求めて黒門島(こくもんとう)に行ってしまった」

 

 

 ずっと星を見ていた上田だったが、そこでやっと山田に目を向けた──山田は逆に目を伏せてしまっていたが。

 

 

「……だから、『箱の中に鍵があったから犯人は自分』と言うロジックは、完全に成り立っていない」

 

「私じゃないと言うロジックもないじゃないですか」

 

「YOUはそんなに、自分で父親を殺した事にしたいのか」

 

「そんな訳ないじゃないですか」

 

「だったら『自分は殺してない』と割り切れ」

 

 

 やっと上田はカーテンを閉めた。

 カーテンを星空を塞がれても尚その場から動かない山田。上田は見かねて、踵を返して窓辺から去った。

 

 

 

 ふと上田は立ち止まり、横顔を見せた。

 

 

「……今の君の記憶は、殆ど喪失前の状態だ……だがな、山田」

 

「…………」

 

「……記憶を失う前の君は、とっくに割り切っていた」

 

 

 それだけ言い残すと上田は居間に行き、富竹と共にパンプアップを始める。

 窓辺にいる山田は一人、子どものようにカーテンを掴んでは、険しい顔で俯いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──いや、全部あなたが仕組んだ事だ」

 

 

 あの日、全てが終わった黒門島で、上田は山田の母──里見に突き付けた事がある。

 この事を、上田は山田に心労をかけたくないばかりに、ずっと秘密にしていた。

 

 

「十六年前、この島の人たちは……あなたからご主人を奪った」

 

 

 里見は振り向かず、背中でその推理を黙って聞いていた。

 

 

「あなたはその時からただその復讐の為だけに生きて来た」

 

「…………」

 

「……自分の娘まで利用した」

 

 

 里見はそれでも、一切動揺を見せなかった。

 

 

「鍵を隠しておいたのも、剛三さんが遺した手紙を彼女に見せたのも……」

 

 

 いや、あの手紙が本当に剛三が書いた物なのかも分からない。書道家として文字に精通する彼女が、夫の筆跡を真似て書いたのかもしれない。

 

 

「……あなたがわざとした事じゃ……?」

 

 

 そこでやっと、里見は振り返る。

 曇りのない、真っ暗な瞳をこちらに向けた。

 

 

 

 

「…………復讐?」

 

 

 里見は鼻で笑う。

 

 

「あたしにそんな力がある訳ないじゃないですか」

 

 

 そしてきっぱりと、上田の推理を否定した。

 しかしその後に彼女が、頭を下げながら言った言葉を忘れた事はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……奈緒子の事、よろしくお願いします」

 

 

 光のなかった彼女の目が、その時だけは人間らしい光を得ていたように見えた。

 立ち去る里見を、上田はもう呼び止める事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 夜がふける、運命の二十二日が始まる。

 雛見沢の、いちばん長い日が今始まる。




・クラシック三冠を成し遂げたミスターシービーは、1983年6月時点で皐月賞、東京優駿を制しており、残すは十一月の菊花賞のみとなっていた。

・吊り橋効果を世に知らしめた実験論文は、1974年にカナダの心理学者によって発表されている。
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