あまりの急展開に、礼奈はやや混乱気味のようで、赤坂と魅音とに目線を行ったり来たりさせていた。
彼女の混乱を察した上で、赤坂はなぜ自分が雛見沢について調査していたのか、その訳を話し始めた。
「……私は大災害が起こる数ヶ月前に、実は雛見沢を訪れていた」
「え……?」
「尤も、秘密の捜査に来ていたから、君たちと面識はないよ……そして、その秘密の捜査と言うのが……」
赤坂は魅音を一瞥してから続けた。
「……当時、建設大臣だった犬飼氏のお孫さんの誘拐事件……それはダム建設を反対する、園崎家が引き起こしたものと見て捜査に来たんだ」
礼奈は驚きから「やったの?」と言いたげに魅音を見やる。すぐに彼女は首を大きく振って否定した。
「しないしないしない! 堅気を巻き込むなんて、婆っちゃする訳ないって!……多分」
「地方のヤクザもんにそんなミッションインポッシボーは無理だべ」
急に英単語を使い出したカスに驚く礼奈。
赤坂は尚も話を続ける。
「その通り、園崎の犯行ではなかった……この裏には、『東京』の陰謀があったんだ」
「岐阜ではなくて?」
「都道府県の事ではなくてだね……本当にややこしい名前だな……」
彼が話した内容は、「東京」と呼ばれる秘密結社の存在の暴露だった。
戦後に登場し、戦前日本の復活を掲げ、政界の裏側で暗躍していた組織、それが東京。
「犬飼氏のお孫さんの誘拐は、まさにその東京の仕業だった。当時の雛見沢で、ダム開発が進んでいた事は知っているね?」
「は、はい。でも、災害の少し前に凍結して……」
「その通り。その原因こそが、お孫さんの誘拐だ。東京が誘拐し、園崎家の仕業だと偽装する為に雛見沢へ連行。その後私たちが救い出したものの、犬飼氏は脅迫に屈し、凍結の書類に判を押した……これが事のあらましだよ」
一気に様々な事を教えられ、礼奈は理解し切れず難しそうに顔を顰める。
だが何よりも分からない事がある。そんな重大な話をなぜここで、警視総監の座に就いている人間が話してくれているのか。
礼奈のその疑問を察した上で、「もう少し聞いて欲しい」と言ってから赤坂は話を続けた。
「東京が誘拐事件を起こしてまで開発を止めようとしたのには理由があった」
「理由……?」
「……雛見沢症候群と言う──寄生虫症の研究の為だ」
「寄生虫」の言葉が出た途端、礼奈は息を呑んだ。
流れ込んだ冷たい空気が、肺を凍て付かせたような感覚。一瞬、吸い込んだ空気を吐き出せなかった、それほどの衝撃。
「……雛見沢の風土に由来する寄生虫が人の脳に寄生し、宿主のストレス値に応じて被害妄想、自傷、殺人衝動を引き起こさせる病……」
「そ……それって……」
「……鷹野三四や入江京介は東京から派遣された研究員だった。君の訴えていた事は全て、事実だ」
くらりと、思わず立ちくらみが起こる。
倒れそうになった礼奈を、魅音がすぐに近寄っては肩を抱え、支えてやる。
「大丈夫? レナ……」
心配してかける彼女の言葉に、礼奈は小さく頷いて返す。
立ちくらみを催した理由は、礼奈自身も分かっている。
本当ならば、自分が信じて来た事が事実なんだと喜ぶべきなんだろう。
しかし礼奈は今、この瞬間に実感した。
自分が寄生虫に執着していた事、圭一を殺した存在を見つける事、その全てが自分の生きる意味であったからだと。
残ったのは、強い虚脱感だった。
そして漏れたのは、乾いた笑い声だった。
「……レナ?」
「……ううん、大丈夫」
支えられている状態から立ち直ると、礼奈は真っ直ぐ赤坂を見据える。
その真っ直ぐな目は、凛と澄んでいた。だけどどこか丸いその瞳が、彼女の止まってしまった少女性を醸し出しているように思えた。
赤坂は一切目を逸らさず、ただ自責と後悔を滲ませる憂いた顔のまま、礼奈の言葉を待った。
「……あなたがその事を知ったのは、いつの話なんですか?」
「……事件を解決させた、すぐ後だ。私は村から帰る時に、古手梨花と言う少女に言われたんだ」
「梨花ちゃん……!?」
「あぁ」
──あの日の事は、昨日の事のように覚えている。
犯人と盛大に撃ち合い、怪我を負った赤坂は、村を出る折に梨花から話しかけられた。
彼女の事は噂で知っていた。オヤシロ様の生まれ変わりだと村の人から慕われている、神社の娘。
彼女は自分に言ったのは、不思議な話だった。
「あなたは本当ならば、もっと早くに来ていた」
それまで年相応の可愛さがあった彼女。その彼女から出たのは、大人の自分でもゾッとするような冷たい声。
驚いて目を離せない自分の前にいた彼女は、大人びた冷たい表情をしていた。
「……東京に帰れ。あなたの妻が、事故で死んでしまう前に」
出産を控えた上で、元から持病を持っていた妻が入院中である事は、大石ら警察の仲間にしか話していない。彼女が知っている訳はないと、戦慄してしまった。
だからこそ、「子どもの悪戯だ」と決められなかった。この少女から放たれる神秘的な雰囲気もまた、赤坂が気圧された理由だ。
すぐに村を発とうと思い立った彼に、少女は吐き出すように言った。
「この村はダムに沈まない……それはもう決まっている事」
淡々とした声音だった。
しかし何か、祈っているようにも聞こえた。
「そして私の命は奪われる。それも決まっている事」
「だから」と言って続けた彼女の目は、潤んでいた。
「……私を……私たちを助けて」
その時の震えた声音と、潤んだ目が忘れられなかった。
すぐに赤坂は妻に連絡を入れ、部屋から出ないように言った。
そして東京に戻り、彼女の無事を確認したその日に、屋上から降りて来た看護師が階段から転落して怪我を負った。階段のパネルが崩れかけていて、そこで足を滑らせた事が原因だった。
後で妻から話を聞くと、赤坂が連絡をかける直前、彼の無事を祈ろうと屋上に行こうとしていたらしい。
もし彼女が足を滑らせていたならばと考えれば恐ろしい。最悪の場合死んでいたかもしれない。
偶然にせよ何にせよ、妻はあの少女──古手梨花に救われた。
それに恩情を持った赤坂は、梨花と再会すべく村に戻ろうとしたが────
「……私が雛見沢村について調べていた事を、『東京』に知られてしまってな。警察庁に呼び出された私は、『近藤』と名乗る女と対面し、その近藤から村にまつわる全ての事を聞かされた」
溜め息と共に白い息が大きく吐かれる。
当事者である礼奈らの前で話すのは、場数と年齢を重ねた赤坂にも勇気が必要だった。
「その上でこう言われた。『雛見沢でのあなたの立ち回りは目を見張るものがある。是非、我々の同志となりませんか』、と……」
「……あなたはそれに、食い付いたんですか?」
冷たい礼奈の声。赤坂は首を振った。
「……断ったよ。しかし……入院中の妻を、人質に取られてしまってな。従わざるを得なかった」
赤坂は苦しそうに、一度口角を結んだ。
「……それからは公安の人間と動く傍ら、その立場を利用し、東京……いや。近藤の所属する派閥に、仇なす者の情報を流した。結果、私の出世は約束され……今や警視総監だ」
「村や、助けを求めた梨花ちゃんを捨てて得た地位、なんですよね?」
棘のある礼奈の言葉。明確な敵意と怒りが、ふつふつと感じられた。
宥めようとする魅音だったが、赤坂は彼女を「大丈夫だ」と手で制した。
「……その通りだ。そしてその片棒を担いでもいる……大災害に関する情報統制、研究機関を監査する組織への潜入……妻とお腹の子を守る為に何でもやったよ」
「…………それって、雛見沢大災害は……災害ではなかったって事ですか?」
「……認めるよ。そして雛見沢症候群には女王感染者と呼ばれる人物がいて、その人物が死亡すると、他の感染者が一気に暴走すると考えられていた」
「……その女王感染者って人が、あの日死んだって事?」
「そうだ。彼女の死で村民が一斉に発症すれば、ずっと秘匿されていた雛見沢症候群が公になる……そうなれば、それを兵器利用していたと言う事実も明るみになってしまう」
「……だから、なの……?」
「……雛見沢大災害は、この世から雛見沢症候群の痕跡を抹消する為に行った…………」
赤坂は一呼吸置き、辛そうに固く目を瞑ってから、また開いた。
その目には、涙が溜まっている。
「……東京による虐殺だ」
礼奈は顔を覆い、空を見上げた。
星が瞬いている。辛うじてオリオン座の形は覚えていて、そのオリオン座が頭上にあった。
顔を覆う指の隙間から、熱い涙が溢れた。
星を見上げていた目は、今度は冷たいアスファルトへと向けられた。ポタポタと涙が滴り落ちて、アスファルトに点々と染みを作る。
「……なんでそれを、みんなに言ってくれなかったんですか」
「…………」
「組織の為ですか? 国の為ですか? 妻と子どもの為? それだったら村一つ無くなっても良かったんですか……っ……!?」
悲痛な礼奈の訴えは、この場にいた誰もの心に深く突き刺さる。
振り返り、礼奈が泣き顔で見た魅音。彼女も、涙を流している。
「……魅ぃちゃんも酷いね……この話、十年も前にこの人から聞いていたんだよね。じゃあ、どうして私に……」
「いや」
否定したのは赤坂だった。
再び向き直って見た彼は、親指で溢れた涙を拭っている。
「最初こそ私は守秘していた。しかし魅音さんとカスさんに色々と問い詰められてね……打ち明けたのは少し経ってからだ」
「……それでも黙っていたのはなんでですか……?」
「レナ」
続きを話してくれたのは、魅音だ。
「この赤坂さんも、全部知らされている訳じゃないって事も分かったの」
「あぁ……発端となった女王感染者の死の原因が分からなかったからな」
「……その女王感染者って、誰ですか?」
礼奈の切実な問いに、赤坂は答えた。
「……古手梨花だ。古手家は代々、女王感染者となる家系だった。彼女が何者かに殺害された事で、悲劇は起きたんだ」
「……私たちは、梨花ちゃんを殺した奴を探していた。でも、危険が大きかった……」
「東京は今も尚、雛見沢大災害の事実を隠そうと必死だ……私を警視総監と言う立場にして、身動きを封じようとするほどにな」
「だから、レナ……あなたを巻き込めなかった」
赤坂は持っていた鞄を開き、中から数枚の資料が入ったファイルを取り出す。
「しかし私は、全てを暴露する。雛見沢症候群の資料は全て消したつもりだろうが……残っていたんだよ」
ちらりと、赤坂は魅音を見た。
「公安部の人間がこっちに来ていただろ?」
「えぇ……変な人たちだったけど」
「彼らに言った雛見沢村の再調査と言うのは、嘘なんだ。彼らは東京の目を逸らさせる為の、生き餌だ。おかげで現地に潜入していた私の娘が立ち回りやすくなってくれたよ」
ファイルから出した資料は古いカルテと、何かの数値が書かれた学術的なものだった。
そのカルテに書かれている名前を見て、礼奈はハッと息を呑んだ。既に破棄されていたものと思われていた、圭一のものだったからだ。
「……前原圭一くんが運び込まれた病院に行って来た。矢部さんらに圭一くんの情報を渡していて正解だったよ……公安部が現れ、慌てふためいていた彼は資料を破棄するつもりだったんだが……」
「そこを、あっしが盗んでやりやしたよ。長年マークしていやしてねぇ。今年に入ってやっと、尻尾掴んだんだべ!」
カスが得意げに、「アーマードコアの新作ッ!」と叫びながら腕を掲げる。
「あそこの院長も、当時から東京の口利きがあった人物だ。圭一くんを殺害した連中を院内に通し、毒物となる薬品を渡した人間だ。この資料こそ、唯一現存する……圭一くんから得た、雛見沢症候群に関するデータだ。あの院長、東京との交渉材料にする為に、全部残していやがったんだ」
再びカルテと、雛見沢症候群のデータが載せられた資料をファイルに収めると、礼奈に差し出す。
「……先ほど、その院長に資料の存在を突き付けてやった。そして、雛見沢大災害時に自身が行った事……つまり、前原圭一くんの殺害への加担だね。それの暴露を約束させたよ」
差し出されたそれを、礼奈は震えた両手で受け取った。
「……確かに私は、自らの保身の為に、悪魔に魂を売ってしまった。国の為だ、妻の為だと言い訳をしようとも…………」
受け取ったファイルを、愛おしそうに胸に抱いた。
「……犠牲が必要な事など、あってはならないんだ……ッ!」
赤坂はそう言い切ると、足を揃え、礼奈の前で深く深く頭を下げた。
彼から吐き出されたのは、三十五年もの間封じてしまっていた、思いだ。
「俺は……ッ!! 諦めたんだッ! あの時……ッ!! 雛見沢も梨花ちゃんも、全てッ!!」
やっと吐き出き、堰を切った、積年の思い。
大粒の涙を流し、震えて嗄れた声で叫ぶその言葉は、確かに三十五年と言う長過ぎた時間の重みがあった。
「梨花ちゃんがくれた奇跡を、蔑ろにしたんだッ……!! 彼女は妻を救ってくれたのに……俺は……ッ……!!!!」
膝から崩れ落ちた彼は、アスファルトの上で両膝を突き、礼奈らの前で土下座をする。
「本当に申し訳なかった……ッ……!!」
「…………」
「謝って済む事じゃないッ! 許される事ではないッ!……それでも、もう俺からはこれしかない……ッ!!」
寒く冷たい夜の中、悲痛な赤坂の謝罪がこだまする。
「……申し訳なかった……ッ!!!!」
額を地面に付け、心の底から謝る。
彼は警視総監と言う立場にいる、礼奈らにとっては天上の世界の人間だ。
でも今の背は、とても小さい。抱えていた重過ぎるものが、彼をここまで矮小化してしまうものなのか。
礼奈はファイルを抱きながら、土下座をしてまで悔いる彼の背を暫く見ていた。
最初に抱いていた赤坂への怒りは、もうなかった。
赤坂はこの三十五年間、村を忘れないでいてくれた。礼奈やみんなと同じように、忘れずに戦っていた。
だから礼奈は労いを込め、許す事にした。
「……確かに遅過ぎた。でも、取り返しのつかない事をしたのは私も同じ」
魅音の方を見てから礼奈は言った。彼女もまた、自分を許してくれた人だ。
「……そんな私たちに出来るのは……犯した罪を忘れない事。だからやっと、ここまで来れたんだよね……?」
涙を拭い、礼奈は俯く。
切ない横顔に見せたのは、自嘲気味な微笑みだった。
「……でも、何だか……虚しいかな……みんな、私よりも色々知ってて、やってくれちゃったんだし」
それを聞いた魅音はとても申し訳なさそうだ。
「……ごめん。レナを……巻き込みたくなくて……」
「……魅ぃちゃんは優しいよね。圭一くんが引っ越して来た時も、圭一くんが村を嫌いにならないようにって……鬼隠しの事を隠したりしてね……」
「……怖かった、って言うのもある」
魅音が礼奈に向けた目は、心配そうな眼差しだった。
「全てを明るみにしたら……レナが、いなくなってしまいそうで、さ……」
「…………」
彼女の懸念は、当たっていた。
この三十五年間、礼奈にとっての生きている理由は、償いと圭一の仇だった。それがなくなった今、礼奈にあるのは強い虚脱感だ。
灯台の光も見えない、暗い夜の海に放り出された気分。不安と、現世に対する執着の消失がただ心に満ちる。
本当ならば魅音は、最後まで礼奈に赤坂との事は隠し通しておきたかった。
しかし礼奈が全てを清算しようと動いた事で居た堪れなくなり、話す事にした。
彼女に、安らいで欲しかった。
「……かもね」
礼奈は曖昧にそう答える。
その回答が魅音に確信させた。全てが終わった時、それは礼奈の終わりでもあると。
赤坂はゆっくりと身体を起こしていた。顔は涙でぐしゃぐしゃだ。
カスも背を向け、静かに泣いている。
もう魅音は、礼奈に何も言えなかった。何も言えず、そして何も言えない自分が嫌で、メソメソと泣いていた。
ふっと顔を上げ、星空を見上げた礼奈の表情は、憑き物が落ちたようだった。
「……私、結局……何も出来ていなかったなぁ」
声音はとても、安心したような柔らかいものだった。
「……何も……してあげられなかった…………」
「いいえ。あなたもまた、やり切ったのですよ」
もう一人、知らない誰かの声が聞こえた。
魅音や赤坂、カスにとっては聞き覚えのない声。しかし礼奈にとっては、知っている人物の声だった。
全員が声のした方を向く。
一瞬だけ明滅した街灯の下、そこに着物姿の老婦人が立っていた。
その姿を見て、礼奈は驚き声と共に名を言う。
「や……山田、さん?」
「こんばんは、竜宮さん」
山田里見だ。